水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

水俣病を忘れないために

2006年08月10日 | 水俣
水俣湾の埋立地エコパーク45haと不知火海を見わたす高台(水俣市明神町)に、国、県、市の水俣環境学習の3施設がある。3施設とも水俣病を後世に正しく伝えることが最大の使命のようである。むだな重複施設というより、役割・機能を分担した3施設というべきだろう。


エコパークはメチル水銀の堆積した元水俣湾である。現在は埋め立てられて、グラウンド兼イベント会場として利用される。水俣湾は100%全部埋めたのではなく、百間排水路の排水処理に必要な部分を残している。
写真に見える海の部分は、水俣湾より南の水俣港である。
エコパークはグラウンドのテントは催し物のためのものである。地盤が弱く、大きな構造物をつくることができない。この撮影は国立情報センター屋上から。



国立水俣病総合研究センター(水俣病情報センター)と水俣市立水俣病資料館は建物が隣り合い、渡り廊下でつながっている。写真は国立情報センター。会議室や資料室が利用される。
全く別の土地(水俣市浜)に研究者用施設として国立水俣病総合研究センターがあり、よく間違えられるので有名。この写真は情報センターである。



これは熊本県の施設で、「熊本県環境センター」が正式名称。環境学習のため、クラス単位、グループ単位の学習施設が整っている。最近は総合学習の場として、修学旅行に組み込まれたりして、利用者が多い。



恋路島がすぐ近く。手前は親水公園つまり水俣湾埋立地の一部である。この海域全体が、一時期メチル水銀に汚染された。恋路島は無人島であり、リゾート開発を進めて、水俣のマイナスのイメージを払拭しようとする計画はあった。しかし、逆に、水俣病の本質としての行政の失敗と、市民運動を後世に正確に伝えていくために、国立情報センターが建設された。下の写真はその屋上から撮影。




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