TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ひとり旅の課題

2011年03月10日 | インポート
 先週末、1泊2日で、箱根の強羅に、ひとりで、出かけた。

春の空気が漂い始め、気持が外に向き始めると、どこかに出かけたくなる。
手元には、宿の割引券。
これを使わないのは、もったいない。

 ひとり旅行の目下の課題のひとつに、夕食をどこで食べるかというのがある。

 ”せっかく来たのだから”という気持ちがどうしたって働く。
旅の楽しみは食事と言ってもいいぐらいなのだから、気合いもはいる。
いくらひとりで、入りやすいからと言って、「そば、うどん」というのぼりの立った、駅前の食堂では、済ませたくない。
 

 最近は、インターネットで、ご当地グルメを検索できるようになったので、便利と言えば便利だが、
選択肢が増えれば増えるほど、苦悩も深まる。
 1泊の日程では、夕食の回数は、1度きりである。
すんなり決まる方が、珍しいのであって、 ここも良さそう、あそこも美味しげ…と
あちこちクリックしていると、目がバリバリに乾き始める。

 口コミ情報や、当日何が食べたい気分になるかという、到底、予測不可能なことまで考え始めると、
さらに、深みにはまって行くよう。
 そうなってくると、楽しみを大きく超えて、憂ウツでさえある。
楽しみであるはずの旅行に行く前に、憂ウツになっていては、一体何のための行事なのかということになる。
 苦労して決めても、実際、出向いて行くと、ひとりでは入りにくい店だったりすることもあり、こればかりは、
行ってみないとわからないことも多い。

 さて、今回は、宿が山の中であり、夜にフラフラ出歩くのはさすがに寒そうということで、
すんなりと、1泊2食付きのプランにする。

 メインの料理を一品選んだら、あとは、バイキングである。
これならば、しゃちほこばって、じっと座り続けていなくてもよい。
 料理を取りに行くことで、間(ま)が、持つのではないかと思ったのである。
連れがいない場合、この、間(ま)を持たせるというのは、重要事項である。

 日曜日の夜とあって、周囲は、2人組、3人組ばかりである。
わたしは見栄っ張りなのか、自意識過剰なのか、それとも、両方なのか、
「あら、あの人、お友達がいないのかしら。おひとりよ」
というような、周囲の視線を感じてしまうのである。

 話相手がいないので、食べるペースは、どうしたって速まる。
速くなれば、皿もすぐに空になる。
 定食ならば、それで御馳走さん、ということになるのだが、何と行ってもバイキングである。
さっき見かけた、あの小鉢、この小鉢、まだまだ未練たっぷり。
 で、大皿掲げて、再び、料理を取りに席を立つ。
てんこ盛りに盛って席に戻る。
黙々と食べる。
すぐに食べ終わる。
 席を立つ。
料理を盛って戻ってくる。
食べる……。

 明らかに、テーブルについている時間よりも、席を立っている時間の方が長い。
気付けば、目の前の、テーブルの上には、空の小鉢が積み重なっている。
 ふと、右斜め後ろのテーブルに座っている女性2人組の視線が、気になる。
「あの人、また料理をとりに行ってるわ」。
きっと、こういう会話がなされているに違いない。そう思った途端、急に居心地が悪くなる。
 早食いは太る、とはよく言ったもので、ガツガツと食べていると、満腹感がついてこないのである。
ようやく、プチケーキなるものを全種類取ってきて、むしゃむしゃ食べて、お開きという気分になる。

 今まで、何度かひとりで旅行をして、同じような経験をしたことを、思い出す。
いつになったら、このような席で、悠々と食事ができるようになるのだろう。
平日だったら、おひとりさまのお仲間がいらしたのかもしれないが。

 今回宿泊したのは、ひとりにしては珍しく、和室である。
畳に足を存分に伸ばし、駅弁など持ちこんで、テレビでも見ながら過ごした方がよかったかもしれないと、
次回の旅行への戒めとしたのでした。

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投稿サイトにあれこれ思う

2011年03月04日 | インポート
 質問サイト「YAHOO 知恵袋」。
わたしも、興味のあるカテゴリーをたまに、閲覧することがある。
 受験生の母をしていた時は、本人でもないのに、何となく不安で、「受験」のカテゴリーをしばしば、
チェックしていた。
  人間関係が薄くなったとは、よく聞かれる話しだが、こういうことを気軽に相談できる相手も、
周りにいなくなったのだなあ、と思わせるような内容が林立している。
 
 浪人が決まったのだけど、親に迷惑かけたくないので、バイトしながら
受験勉強しようと思っています、それをどう思いますか?という、つましい相談から、
J大とW大とK大の3つ受かったのだけど、どこに行ったらいいでしょうか?というような、はたから見たら、
贅沢と思われるような悩みまでさまざまである。
 はたから見て贅沢な悩みであっても、そりゃ、J大と、W大、K大全部受かったら、
さぞかし、悩むだろうなあとも思う。
 3つ合格しても、通える大学はひとつだけ。
大学側は、それを見越して、多めに合格者を出しているのだがら、
蹴られても、痛くも痒くもないだろうが、本人にとっては、深刻である。
 どれを選んでも、残りのふたつが気になるだろう。

 今回の試験問題の投稿事件。
確かにイケナイことではあるが、例えば、隣の席の人の答案を覗いたというような、
昔ながらの、オーソドックスなカンニングと、本質は、同じである。
 そのカンニングに対して、「逮捕」というのは、どうなのだろう。
 京都大学も、ここ最近出てきたばかりの最新機器ごときに、帝国大学のメンツを損なわれて、
やっきになったのかもしれないが、投稿の手口をあんなに細かく報道してしまったら、
かえって、真似する人が出てきはしないだろうか?

 いつの時代も、受験は大変。
昔は、とりあえず大学を卒業すれば、どこかの企業に就職できたのに、
最近はそれも叶わない。
就活を見越した大学選びとやらが必要となれば、なおさらのこと、
一流大学へのこだわりは強くなるだろう。
 どこの大学だって卒業してしまえば同じじゃんというのは、時代をわかっていないわたしの
無責任発言に過ぎぬ。

 マークシートで正解を選ぶように、ひとつの決定が、すべてを決める。
白か黒か。
あれかこれか。
復活不可能。
そんな余裕のない空気が、社会の隅々にまで浸透していれば、そりゃあやっぱり、生きづらい。

 (…と何だかとりとめもなくなりましたが、まとまらないままに、自分サイトに投稿)



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