TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

隣人

2020年11月22日 | インポート
都心の銀行の前を通りかかると、人だかりがしている。
何事ぞと立ち止まっていると、中から人がぞろぞろと出てくる。テレビカメラを構えた人たちが入口で待ち構えている。
人だかりから漏れ聞こえてきた情報によると、刑事ドラマのロケらしい。場所の設定からして、ここはどうやら銀行強盗の場面。さらに小耳にはさんだ番組名は、わたしがいつも拝見している天海祐希の主演する、あの刑事ドラマである。
え、もしかして! と思い人ごみに紛れて待っていると、出てきた、出てきた。
見覚えのある俳優陣がたのあとから、あの天海様が。
グレーのジャケットと白いインナー、ほとんど化粧っけがないのに、きりりとひきしまった顔に、すらりと長身の彼女は地味な装いでも際立っている。
じっと見ていると、なぜか目があって、彼女がこちらにやってくる。サイン、サイン、と思いながら鞄の中をがさごそとペンを探す。なかなか見つからない。天海様が脇に立って、時間がないのよ、というふうにじれている。あった、あった。ようやくボールペンをつかんだところで、頭上のあたりから、
「ブウーッ、ブウーッ」という爆音が割りこんできて、そして目が覚めた。

ああ、またやられた。

薄い壁ひとつ隔てたお隣には、年のころ30代の男性が住んでいる。
呼吸器が弱いらしく、年がら年中、鼻をかんでいる。特に花粉の飛ぶ時期や、寒い季節になると、その回数も頻繁に、そして派手になる。その音といったら、鼻腔がちぎれ飛ばんばかりである。
風邪の治りかけ、鼻が詰まってどうにもこうにも気持ち悪い、思い切りかんでみるのだが、鼻水が一滴も出ない。そんな鼻の状態のようである。順番もおおよそ決まっていて、まず軽いくしゃみを2度、3度。そして例の、鼻をかむ行為に続く。えへんえへんという咳払いは、ほぼクセになっているようである。
ほとんど鼻をかまないわたしは、一年中風邪をひいたような人が存在するという事実を初めて知った。
以前の住まいでは、階上の青年の、夜中にまで及ぶテレビゲームの音に悩まされたので、騒音問題にはそうとう慎重であったが、生理的な音もそのうちにはいるということに、想像もおよばなかった。

あちらの音が聞こえるということは、当然、こちらの音も丸聞こえということである。
テレビやラジオの音なんかは、文句ひとつ言わず、がまんしてくれているのではないか。
そう思ってなるべく聞き流そうとするのだが、さて食事をしようとテーブルについたとたん、待ち構えたように、「ブーッブーッ」が始まると、心底げんなりとしてしまう。

くだんのお隣さんとは、朝、家を出る時間もほぼ同じである。
日々の生活音を聞かれている相手と顔を合わせるのは気恥ずかしいものである。
なるべく時間をずらそうと、ドアの閉まる音に耳をすましたり、彼が非常口の扉の向こうに姿を消したのをドアスコープから見届けてドアをあけるのだが、これがまた忘れものを取りに戻ってきたり、ずらした時間にかえってかち合ったりして、そのたびにどぎまぎしてしまう。
開けかけたドアをまた閉めたり開けたり、そして遅刻しそうになって慌てるはめになる‥‥。

もしもあの夢が“爆音”に妨げられずに続いたとしても、もちろんサインを持ち帰ることはできなかっただろう。しかし握手ぐらいはできたのではないかと恨みがましく思うのである。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状終(じま)い

2020年11月15日 | インポート
“年賀状終(じま)い”のはがきを書き終わった。
オンラインでのやりとりが主流になった今、アドレスを知っているかたとは、メールでのやりとりに代えたくなったのである。
毎年毎年、儀礼的ともいえるセリフの応酬が、少し負担に感じ始めたということもある。
迷ったのはその文面である。
検索すると、年賀状終いを試みる人が増えているようで、文例が多く載っている。しかし、寄る年波にかなわず、と書くほどの年でもない。どこか体の具合でも悪いのかしら、と疑念や心配を抱かせてしまいそうだ。そこで無難に、終活の一環としてだの、コロナ禍で時間の使い方を考えるきっかけになった、だのもっともらしいセリフを入れてみる。
そして手書きではなく活字印刷。“大量に送った感”を出せば、あなただけではなく、皆さんに送ったのよ、年賀状書きはやめるけどこれからもよろしくね、という気持ちが出せるのではないかしら、と。

考えてみれば、この年賀状という習慣、わたしの場合、小学校低学年あたりから始まった。
なんの疑問も感じずに50年近く書き続けてきたのである。
特にモチが好きでもないのに、また、相手がモチ好きかどうかもわからないのに、なぜか、「おモチを食べ過ぎないようにね」と書いた。下手くそなお供え餅の絵を添えて。モチを何個食べようと大きなお世話なのだが、子供なりに考えた、社交儀礼的なセリフだったのかもしれない。
そして、果汁を使った「あぶり出し」が流行った時には、なんの細工も施さずに、あぶり出し、とだけ書いて白紙のまま投函した。“ニセあぶり出し”のはがきを、一生懸命火にかざしては首をかしげている旧友の姿をワクワクと想像するような性悪な子供だったのである。

月日は流れ、今や、パソコンで宛名印刷も、絵や写真入りも自由自在、手書きは、ごく達筆な一部の人間の特権となった。
さすがにモチの量にまで干渉しなくなったものの、それにとって代わったのが、「今年こそお会いしましょう」。
おそらく今年も会う機会はないだろうな、と薄々感じている。というよりも、自分からは、何日の何時に会いましょうよ、と声をかける予定はない。でももしよかったら、あなたのほうから声をかけてね、そしたら予定いれるから、というような、完全に責任丸投げの姿勢がありありとあらわれているこのセリフ‥‥。
ほかに書くことが見つからなくて、この一文をいれた時の虚しさや、受け取ったときのもやもやした気分も、年賀状終いにいたった理由のひとつかもしれない。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする