TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ひとり年越え

2020年12月31日 | インポート
実感が全くないまま大晦日になった。

今年はコロナ禍のため、帰省は控えようと思っていたのだが、おせちを注文したから、それだけでも取りにきなさいと母から電話があったので実家に出かけた。
ニュースでも、帰省をするか否かが話題になっていた。忘年会や新年会、初詣だのと、話題になること自体、この場に及んでのんきだなあと思わないでもないが、やはり、毎年習慣となっていることにはこだわりがある。
しかし、つい先日までわたしは電車やバスに乗っていたのである。もしも無症状ながら感染していたら‥‥。両親とも80才過ぎ。おまけに父には糖尿病の持病がある。泊まるとなると、マスク越しとはいえ、夜中まで、ぺちゃくちゃと、積もる話をするだろう。並んで食器などを洗うだろう。ウイルスは目に見えないだけに、大丈夫なんじゃないの、と油断して”なあなあ”になるのは目に見えている。
そこで、顔見せを兼ねた日帰り帰省にしたのである。

考えてみれば、ひとり暮らしを始めてから、ひとりで年を越すのは、初めてである。
正月やお盆休みの前となると、化粧品や歯磨きセットをポーチに入れたり、滞在日数分の着替えを鞄に詰めたり、ちょっとした土産ものを買いに行ったりと、完璧なお客さんよろしく多少緊張しながら、しかしいそいそと帰省の準備にいそしんだものだ。

今日は朝から、別の意味で、そわそわと落ち着かず緊張していた。化粧品や着替えの心配はないが、それにとって代わったのが、マスクの選別。
ひとくちに使い捨てマスクと言っても、品質はピンからキリまで。特に、品薄時にネットで買ったものは、三層構造と表示があるものの、単にヒダが三層になっているだけ、という代物なのである。

両親に会うのは、今年の2月以来、実に10カ月ぶりであった。
電車やバスを乗りついで30分ほどの距離が今年ほど遠く感じられたことはない。
滞在時間は、予想通り長くなった。マスクははずさず、換気はまめにしたが、本当に大丈夫だったかしら、換気し過ぎてかえって部屋が冷えたのではないかしら、と一抹の不安とともにおいとま。
「もしも感染したとしても、気にせんでええよ。わたしたちは寿命だと思っているんだから」という母の言葉が染みる。
威勢はいいが物忘れの多くなった母と、外出自粛のせいもありますます足がおぼつかなくなった父が、寒風の中、娘を見送ろうと玄関口に出てきてに並んで立っている。何度重ねても慣れることができない光景であった。

日頃、コロナの陽性者が出た途端、職員が目まぐるしく立ち回り、花火大会のような騒ぎ(たとえが適切ではないが)となる保健所にあって、その展開に全くついていけないのであるが、そんな場面に身をおいているほうが、気が紛れていいのではないかとさえ思ってしまう。
どんなに強がってみても、ひとり迎える正月は、試練でしかないのだ。
耳の遠い父が大音量にするものだから毎年辟易してしまう年末年始のテレビのバラエティ番組も、こうなっては懐かしいばかりである。




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ポイントカード

2020年12月29日 | インポート
レジで会計をしようとすると、必ずと言っていいほど聞かれることがある。
「○○のポイントカードはよろしいでしょうか?」。
(当初抵抗を覚えた○○でよろしいでしょうか、のような言い方にも、最近ではすっかり慣れ、ともすると自分も電話口などで、○○でよろしかったでしょうかなどと言っていることがある)
ま、それはともかく、そう聞かれてから慌てて、ポイントカードや医療機関の診察券、キャッシュカード、テレフォンカードなどでパンパンにふくれあがった財布のカード入れをごそごそと探すのだが、肝心なカードに限って見つからないことが多い。
最初から出しておけばいいのだが、店の中でかばんの中に手をつっこむのも、何やら怪しまれそうで、レジで聞かれて初めて探し出すのでなおさらである。
特に、黄色を基調としたTポイントカードと某ドラッグストアのカードは、パッと見、酷似。
Tポイントと思って引っ張り出すと、某ドラッグストアのものであり、某ドラッグストアではどういうわけかTポイントカードが先に見つかる。
後ろに客が並んでいる時は、あまりもたもたしていると舌打ちなどされそうなので、あっさり諦めて「すみません、いいです」と潔く引き下がるのだが、内心では、もらい損なったいくばくかのポイントに思いを残して店をあとにすることになる。
母は、銀行のATMで、柄の似た医療機関の診察券を突っ込もうと奮闘したというから、同じような思いにほぞをかむ人は、いるのではないか。
診察券やキャッシュカードはともかく、店のポイントカードに関しては、できれば全国一律、どこでも使える共通カードにしてもらえれば、いまひとつそのメリットがわからないマイナンバーカードよりも、便利なのだけど。そんなことをしたら店舗間の競争がいずこへ‥‥というところだろうか。



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なんてことはないこと

2020年12月26日 | インポート
ラジオの、「子供電話相談」を聴くともなく聴いていたら、「なぜ指パッチンは鳴るんですか?」
という質問が小学生の女の子から寄せられた。彼女の家族は、指をこすりあわせるときれいに鳴らせるのに、なぜ自分にはできないのだろうとこの質問を寄せたらしい。
回答者と司会のアナウンサーが彼女に話しかけながら、指が鳴るからくりを説明している。
そういえばわたしも子供のころ、指をこすりあわせていっしょうけんめい練習したものの、いっこうに鳴らせず、とっくにあきらめていたのを思い出す。そこで、彼らの説明を聞きながら試してみると、あら、あら、今回は簡単にパチッときれいな音がするじゃないの。
年をとって指が渇いたせいかしら。乾いていると、摩擦が多くていかにも鳴りそうではないか。それとも指の力が増したのか。
回答者いわく、鳴るからといってだからどうなんだという話になるけど、あきらめないで練習してみてくださいと締めくくっていた。
確かに言われてみればそうなのだが、できてみれば、ちょっとした達成感もあり、うれしいということではある。
逆に、昔できていたのに、最近できなくなったことに口笛がある。
子供の頃は、それなりにか細い音らしきものが鳴っていたのに、最近では、スース―とした息しか出ない。口をすぼめようとしても、唇がごわごわと乾いて、微妙なすきまを作ることがむずかしいのである。
これもまた、できないからといって、どうということはないのだが、子供の電話相談を聞いていると、なんてことはないのだが、そういえば‥‥、と気づかされることが時にある。



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GO TOワクチンって言わないで

2020年12月13日 | インポート
インフルエンザの予防接種を受けた。
今まで1度も罹ったことがなく、薬もあるし大丈夫だろうと例年、気楽に構えていた。が、今年ばかりは様子が違う。“コロナと両方かかった場合は重症化しやすい”という噂にあおられたのである。
両方いっぺんに罹患する可能性が果たしてどれくらいあるのか、冷静に考えてみる余裕もなく、そもそも考えてみてもわからない。はっきりとしたことがわからない状況にある場合、“万が一の可能性”のほうに、軍配があがるのである。

当日は、予約時間の20分前にはすでに、クリニックの前には長蛇の列ができている。
確か秋ごろには、十分なワクチン量は確保しているから急がなくても大丈夫だと、お偉いかたがテレビで言っていた。それなのに、いざふたをあけてみると、我も我もと予約が殺到し、結局ワクチンは不足、接種できるのはそこの医療機関をかかりつけとしている患者だけになったという話はあちこちで聞く。
緊急時に同調圧力が増すのは、なにも仕事の上のことだけではないのだ。
「足りなくなる」という噂に弱いわたしたち。
ネット上の口コミであろうと、権威ある専門家のお話であろうと、ワイドショーでの無責任な発言であろうと、ひとたび“からだに良い”と聞くとたちまちその商品の棚は空っぽ。
それを実際に目撃した人が噂にさらなる火をつけ、しばらくの間、入手困難な貴重品になり続ける。いつもいつも繰り返すおなじみのパターンである。

さて、肝心の新型コロナ。
海外では、早くもワクチン接種が始まった。
日本人好みの「3」を使ったお得意のキャッチフレーズ「勝負の3週間」も、勇ましいわりには、実際には何もしないので、負け戦は目に見えている。個人でできる自粛も、こうも長くなってくると、閉じ込められ感ばかりが増している。こうなってくるともう頼みの綱は、ワクチンしかない。
しかし、効果が不十分なのはまだ許せるとしても、安全面は本当に大丈夫なのかしら、という疑惑はぬぐいきれない。完成までに何年もかかるといっていたのが、1年足らずででき上がったからと言って、手放しで喜べない。なにかしら重大な過程をすっとばしているんじゃないかとつい、不信感を抱いてしまう。
わざわざ健康なからだに打つのだ。いくら副作用のお手当を万全にしてくれたところで、治療してすんなり治るとは限らない。コロナになったほうがましだったという結果になる場合もあるかもしれない。
緊急時には、人の本性が見え隠れする。自分以外の誰かに接種してもらって、大丈夫かどうかを見極めてから自分や家族も接種したいというのがおおかたの本音だろう。

諸外国に歩調を合わせようとするあまり、オリンピックに間にあわせようとするあまり、
GO TOワクチンだなどといって、あとでとりかえしのつかないことにならないように、これだけは慎重にGO サインを出してほしい。








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ようやく‥‥

2020年12月07日 | インポート
近所の花屋で、古都さくらという桜草と、モミジ葉ジェラニウムの鉢植えを買った。
桜草は、赤紫色の小花が輪っか状に連なっており、ジェラニウムのほうは、その名のとおり、葉っぱが縁の緑を残して褐色に染まっているのである。
花の名に疎いので、そのようなお名前の花があることは、買う時に初めて知った。
殺風景なベランダになにかしら色のつくものが欲しくて、店の前をとおるたび、わざわざ自転車から降りて、ゆっくりと歩きながら、あれこれと物色していた。
ある時は立ち止まり、ある時は、手に取り……。
店員さんから見たら、かなりの優柔不断あるいは、怪しい人に映っていただろう。

舗装のしていないような裏通り、どぶ板の上なんかでもそれなりに映える唯一の花のような気がして、一昨年買ったのが朝顔である。
鉢植えから買って種をとり、翌年にもそこそこ花を咲かせた。
そして今年もとれた種をまいたところ、どうにもこうにも根が張らず、あえなく全滅。
植物といえど、人間側の、そろそろ飽きてきたなあ、億劫だなあという負担感を敏感に察するのかもしれないなどと、妙に感心するやら、ほっとするやら、疚しいやら……。

先日買ったふたつの鉢植えは、寒風にさらされつつ、洗濯物の吹き流しの下で、ちんまりと咲いている。



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