TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

鶴の一声

2010年08月30日 | インポート
 先日、足をくじいた。
ドトールコーヒーで2時間を過ごし、さて店を出ようとトレイとかばんを手に立ち上がった途端、
しびれをきらしていた左足に力が入らず、両膝を床についた。
 その時に、左の足首を外側にねじったのである。

手にしていたトレイには、飲みさしのアイスコーヒーのはいったコップと皿が乗っていたが、奇跡的に無事。
 おばさんがいきなり、垂直にひざまずいたので、周りにいた人はぎょっとしたようだったが、
トレイごとぶちまけたわけでもなく、本人は、照れ笑いをしている。
こんな時は、「大丈夫ですか」などと駆け寄ったりせずに、「無視」してあげるのが礼儀というもの。
 私のほうも、何事もなかったかのように、すぐに立ち上あがり店を出た。

それからである。
段々と足が痛くなってくる。
先日同僚が足をくじき、ちょっと医者に行ってくると言って戻ってきたときには、
松葉づえをしていたというできごとがあったばかり。

 大事にならんうちにと近くの整形外科に行くと、たまたま学会とやらで休診。
間が悪いとはこういうこと。
自転車で10分ほどの接骨院に行ってみる。
 外科系の災難にあったことがほとんどないためか、接骨院は初めてである。
子供の頃、「ほねつぎ」という看板が近所に出ていたが、どんなところなのかわからずに、
ずっと無縁で、過ごしてきたのである。

 恐る恐るドアをあける。
すると、ずらりと並んだベッドに人々が横たわり、マッサージを受けている。
マッサージを施していたすべてのスタッフが一斉にこちらを向いて、
「こんにちは!!!」と勢いよく、挨拶をしてくる。
皆さん、男性である。
 あまりの威勢のよさに、寿司屋ののれんをくぐったかのようである。

 たじろぎながらも受け付けの女性に
「あの、捻挫って見てもらえますか?」と聞くと、奥のスタッフに聞きに行っている。
この段階で、場違いなところに来たようないたたまれなさは、頂点に達し、
保険証を忘れたので取りに戻って来ますとか何とか、言い訳をして、外に出た。

 さて、これからどうする。
足の痛みは相変わらず。あまりの暑さで、思考も停止状態。
そこで、最後の手段とばかり、すがるような気分で、あらかじめネットで調べておいた駅近くの、
別の接骨院に行ってみる。
 そこは、落ち着いた雰囲気である。女性の患者もいる。
きびきびした兄ちゃんが、お出迎え。
 待つこと数分。超音波検査で、足の中身を調べ、テーピングと湿布をして、また翌日の来院ということになった。
 
 ネットのお陰で、いろいろな情報を得ることができるようになった。
この接骨院を知ったのも、ネット検索のお陰である。
しかし、その情報の多さが、逆に不安感をあおることもある。

 帰宅してから何気なく、捻挫のことや、接骨院と整形外科の違いのことなどをYAHOO知恵袋で調べていたら、
接骨院は、医療機関ではないので、初診の場合は、まず整形外科に行ったほうがいいとのご意見が多い。
 スタッフは医師ではないので、処方したりレントゲンを撮ったりすることができないらしい。
それでも、骨折や捻挫治療の医療行為は許されている。
 そもそも、レントゲンを撮れないのに、どうやって骨折と捻挫の違いを見分けるのだろう?
骨が折れているかどうかは、レントゲンをとらないとわからないのではないだろうか?
と、あとからあとから、疑問と不安が湧きあがる。

 とはいえ、受けた処置は、テーピングと、冷却湿布。捻挫の治療としては、申し分ないようである。
改めて整形外科に行くべきか否か。
骨折していても、痛みがさほどではない場合もあるとのご意見まで書いてある。うーむ。
果たして折れているのかいないのか……。

 さて、こんなふうにぐじぐじと思いつつ、今日は、くじいてから3日目である。
長い3日間である。
せっかく通い始めた場所を、はっきりとした根拠もないのに途中で変更するというのは、勇気がいるもの。
結局、くだんの接骨院に通い続け、今はほとんど痛みがない。
どう考えても、骨折しているふうではない。

 それなのに、いまひとつ、自分の感覚を信じきれない自分がいる。
自分のあやふやな感覚よりも、権威、つまり医師のひとことの方を信じたがるのである。
レントゲンといったって、あれは一種の被爆。できれば余計な検査など受けないほうがいいのである。
 
 医師免許をとるか、自分の感覚をとるか―。
捻挫の痛みよりも、こんなことで、いつまでもぐずぐずと、悩んでしまうのである。


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お役所仕事

2010年08月06日 | インポート
 窓口にお見えになった女性客。
さっきから、ずいぶんとご不満の様子。
「そういうところが、お役所仕事なのよねええ」と、
しきりに、いきまいている。
 融通がきかないところがか?
 それとも、貴女のいいなりになってくれないところがか?
細かい事情はわからないが、いずれにせよ、
そういうセリフを聞くたびに、言ってやりたくなる。
「そりゃそうです。ここはお役所なんですから」と。


 さて、9月から、「県庁版フレックスタイム」が導入されることになった。
初めて知ったのだが、労働基準法上のいわゆる、「フレックスタイム」というのは、
地方公務員には認められていないのだとか。
 しかし一カ月単位ごとに勤務形態を決める「変形労働時間制」というのは、
認められているらしい。
一体このふたつがどう違うのか、よくわからないのだが……
一カ月単位で変更可能なら、状況に応じた対応ができるから良しということなのか。

 ともかく、この制度が導入されれば、現行の午前8時半から午後5時15分までの通常勤務に加え、
早出の午前7時、7時半、8時出勤と、遅出の午前9時、9時半、10時出勤の6パターンが用意されるらしい。
もちろんそれに合わせて、退庁時間もずれるわけである。

 この制度を利用するには、育児や介護といった理由は特に必要ないのだそうだ。
しかし、実際、出先機関のように、窓口業務があるところでは、この制度を利用したいと申し出るのは、むずかしいだろう。
朝の7時台に、窓口に来る客はほとんどいない。
早出の職員は、客に煩わされずに、サクサクと自分の業務を進めることができる。
その分、通常の時間帯に出勤している職員に負担がかかることは必須。
 それがわかっていて、敢えて、このフレックスタイムを利用したいと言えるかどうか……。

 加えて、県庁には、タイムカードというものが存在しない。
仮に、朝の7時出勤を選んだ場合。その時刻に出勤したことを誰がそれを証明するのか。
上司か?
上司だとすると、例えば、早出と遅出の職員が入り混じった部署の場合。
彼らの出勤時刻と退庁時刻を管理する(見張る)ために、上司は、
最大で朝の7時から夜の6時45分まで職場にいなければならないことになる。

 もうひとつオマケを言うと、冷暖房は、経費削減のために、通常時間帯の
8時15分から5時15分までの間しか、稼働させないそうだ。
 つまり、この制度を利用した場合、通常枠からはみ出した時間帯には、
夏場なら、汗をかきかき熱中症の危機にさらされながら、
冬場は、オーバーを着込み風邪をひかないようにしながら、
仕事をしなくてはならないということである。

 何だかこれでは、表向き、誰でもこの制度を利用してもいいですよ~と言いつつも、
利用するなと言っているようなもの。
 実際現場で起こる事情が、全く考慮されていない。

 これではお客さんじゃなくても、声高に言いたくなる。
ったく、こういうとこがお役所仕事なのよね!


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コンビニ志向

2010年08月01日 | インポート
 暑い。
「熱い」と書いた方がふさわしい。
「暑いですね」という挨拶が、もはや社交辞令の域を脱し、切実なセリフになっている。
 立ち止まったが最後、全身煮えてしまいそうで、信号が青に変わるのさえ、待ちかねるというありさま。
 例年、自転車で風をきって駅に向かう時間帯は、まだ涼しい風が吹いていたものだが、今年は、
吹いているのは、すでに熱風。
 そうかと思うと、飲食店や電車の中は、冷房の効き過ぎ。
中は寒く、外は暑い。
 冷房対策と防寒の両方が必要というありさま。

 確か4月には雪が降ったんだったよね。
ダウンコートを着こみ、本当に泣けてくるほど寒かったんだったよね。
 あれからまだ3か月ほどしかたっていないのに、思い出そうとするも、不可能。

この夏、体が持つのだろうか。

 さて、暑さのせいではないけれど、コンビニの世話になることの多い今日この頃。
ひんやり系のおやつ(最近ではスイーツという)やお惣菜。
時間帯によっては、おかずパンとセットで購入すれば、野菜ジュースが値引きになるというサービスまで登場。
 ついつい、新製品のフレーズに誘われる。

 抵抗感なく、コンビニで買い物できるようになったのは、いつの頃からだったか。
物心ついたころからコンビにが身近にあったという世代ではないので、なおさらのこと、
こういう店には、横着者+割高感のイメージさえあった。
 
 小学生の時、八百屋の店頭で、
「ネギ1本ください」と言い、おばさんに
「ええっ、一本?」
とあきれられ、無料で分けていただいたことがある。
 なぜ、驚かれたのか、なぜただでくれたのか、その時はわからなかった。
当時、ネギに限らず、野菜というもの、束単位、ザル単位、箱単位で売られているのが普通だったのだ。

 そのころと比べれば、コンビ二はもちろん、スーパーでも、
ニンジン、キュウリ、ネギ、バナナ……1本からのバラ売りは、今や珍しくない。
背景には、家族の人数が減ったということがある。
 確かに割高かもしれないが、大量に買って腐らせてしまうよりは、よほど経済的である。

 さらに、デパ地下などという言葉も出回り始め、出来合いの総菜を買うことなど、
あたりまえ、お洒落な感じまで漂うようになった。
割高感というと、もったいないようなイメージがあるが、高級感とでも言いかえれば、
すんなりと受け入れられるのである。
 
 が、それでも、コンビニに限らず、スーパーでさえ、
「こんなのまで買うようになっちゃあ、おしまいよ」
という基準が、うっすらとだが、自分の中にある。

 それは、キャベツの千切り、レタスのちぎったの、といった類である。
つまり、ただ切りさえすればそれで済む、というようなものである。
確かにわたしは千切りは、あきれるほど、苦手である。
その出来栄えといったら、どう見ても、ざく切りの状態。
 太さが違うだけで、味まで違うというのも、ごもっともな話。
これなら買ってきた方が、よほど小綺麗なのはわかっていても、それでも、である。

 そこまで出来あいのものに頼ってしまったら、この先どんどん横着に拍車がかかってしまうような、恐れといったらいいのか。
買うぐらいなら、自分でざくざく切って、野菜炒めにしたほうが潔くはないか?という思い。
 ネギの小口切りやおくらの輪切りを冷凍して売っているのを見た時にも、同じような感じがしたものだ。
切ってから水にさらし、時間もたっているので、栄養価も落ちているようだし。

 大して忙しい暮らしをしているわけでもないのに、
包丁とまな板を出してくるという、ほんのちょっとの手間ヒマを惜しんでしまったということへの、後ろめたさである。

 まあ、職場でのランチ用にと、サラダのパックなんていうのは、健康志向よろしく、
平然と買っているのですけどね。


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