TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ゴロゴロしていなさい

2021年07月30日 | インポート
コロナワクチン2回目。1回目は、今思えば精神的なストレスで副反応を助長した感じがあったので、今回は、カフェインをとらず、ストックしておいた整腸剤と、買い置きの頭痛薬を傍らに接種2日目を迎えた。
朝は起きた瞬間から頭痛。これは1日目と同じ。熱はない。
そうとう覚悟していただけにちょっと拍子抜け。
頭痛薬を飲んで対応。
コーヒーを飲みたくなったが我慢。甘く見てはいけない。ここで腸の動きを活発にすることは断じてあってはならない。
のど元過ぎればではないが、3週間もたつと、あれだけ惨憺たるものだったのに忘れてしまうのである。
薬のお蔭か頭痛はすぐに治ったが、お昼近くになったら倦怠感(これを倦怠感っていうのね、と初めて知ったような感覚)と関節痛。一本一本の手の指先すべての関節が痛い。パソコン打っても痛い。
薬の箱に書かれた効能に、関節痛とあったので再び飲む。
効能欄をこんなに熟読したのは初めてである。
いろんな薬効が羅列してあり、ほんとかいな、と思ったが、頭痛にも解熱にも関節痛にも、ずいぶん効くものである。

予後を心配した母親から電話があった。
彼女は副反応の「ふ」の字も起こらなかったので、そういう現象自体、想像ができないらしい。
自慢するようなことではないのだが、「手の指の先、一本一本がね‥‥‥」と多少、大げさに言ってみたら驚き感心していた。
副反応のための休暇が取れる話をしたら、
「そうなの、いいじゃないの。外に出ないで、ゴロゴロしてなさい」。
彼女の口からそんなセリフが出るとは思わなかった。
昔のことではあるが、彼女は決して、子供が勉強も遊びもなにもせず、手持無沙汰にただぼんやりしていたり、ゴロゴロしていたりすることを好まなかった。夏休みだの冬休みだの長期の休みには、きっちりと計画表を作らせてそれを忠実に守らせ、ぼーっとしている時間を許さなかった。
ここ数日の感染者数のことを考えれば、何もしなくてもいいから家に閉じこもっていなさいと言いたくもなるのだろうが、今回の例に限らず、年を重ね、母親の言い分も昔に比べて随分と緩く寛大になったものだと思うことが多くなった。
相変わらず”命令形”ではあるが、できればもっと早くからそう言ってほしかった。



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開会式が始まった

2021年07月24日 | インポート
午後8時ごろから始まった東京オリンピック開会式。⚾🎾⚽🎠

最初のショータイムの部分、ちょと迫力と、まとまりに欠けるような気がするなあ、と思って見ていた。
選手入場のあたりから、だらだらと同じような行進ばかりが続いていくので、飽きてしまい寝落ち。
録画したのを今朝ほど見た。
ドローンを停止させたまま、あのようにきらびやかな球形をつくることができることに感心。
橋本さんのご挨拶はちょうどいい長さだったのに、バッハさんの挨拶は長過ぎてまた飽きた。同じようなセリフの繰り返しだったし。その点、天皇陛下のご挨拶は超短くてわかりやすかった。
そして、聖火点灯。
長嶋さん、お久しぶり。マスクしているせいか、紹介されなかったらどなたかわからなかったよ。昔メダルをとったチャンピオンかだれかかと思った。松井さんに支えられて何だか痛々しかった。そんなにまでして出場させるべきなのかな。
エッセンシャルワーカーや救急救命士、医師看護師など、コロナ禍で活躍している人への感謝の気持ちも忘れていませんよ、というのを表明するために、しっかり彼らも登場させていたけど、彼らは基本的にオリンピックに反対の立場を取る人も多かったはず。それどころじゃないと思うのだけど、うまく”共生”させられちゃったのかな?
ピクトグラムの人間版では、欽ちゃんの仮装大賞を久しぶりに思い出した。

ともあれ、開催間際まで、ごたごたした祭典。外野からはあれこれ言えるけど、ここまでこぎつけるのはそうとう大変だったのだろうな。
開催されて見ると、やっぱり少しは感無量というか、浮き立つものを感じずにはいられない。


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がっかりな事実

2021年07月22日 | インポート
降ってわいたような4連休。
あれだけ休んでおいて、やっぱり連休はうれしいのである。
機嫌がよいところで、排水溝の掃除をする。家の仕事の中で、なにが一番嫌いって、この排水溝に勝るものはない。
中腰姿勢の作業が、腰の痛みにますますこたえるようになったものだからなおさらである。さらに、いったん始めると、あっちこっちの汚れが気になり始め、わたしなりの完璧性を求め始めるので疲労困憊。よって、「嫌い度指数」は一層高まる。

さて、連休をもたらしてくれたオリンピックは、すでに競技が始まった。
開会式前にすでに始まっていることに違和感がある(いつもそうだったかしら??)が、まあ、好きにやれば?と思っていたのだが、どうやらひとごとではすまないことがわかってきた。
毎週楽しみにしていたテレビ番組が、このオリンピック競技放映のために、その日の放送はなくなるらしいのである。それはゆゆしきこと。週に一回のお楽しみだったのに{%むかっ(怒り)docomo%}!

そういえば、プロ野球シーズンの時もそうである。
試合中継のために、いつもの番組が中止になったり、試合延長のために、始まる時間が大いにずれこんだり、ずれ込み過ぎて、結局別の日の放送分にまわされたりと、なんとも腑に落ちない思いがする。
国民みんながスポーツ好きとは限らないのに。
なんだったら、スポーツ専門のチャンネルを作って、そこでオリンピックでも、野球でもお相撲でもゴルフでも放送なさったらいいのに、などと思うのである。


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あっという間の‥‥

2021年07月17日 | インポート
視線の矢を恐れながら、びくびくと復帰してからあっという間に10日がたってしまった。
不思議なことだが、出勤半日ほどで、いつもと変わらずに出勤し続けていたかのような感覚が戻っていた。長年馴染んだ感覚というのは、よくも悪くもそれほど早くは失われないらしい。
職員のみなさんとは、まだお互いに遠慮があるせいか、平穏無事に過ぎている。
気を使われていると思うと、かえってこちらも遠慮してしまい、ことさら元気そうに振舞うので、結果的に疲れてしまったりする。
こんなことを言うと大いにひんしゅくをかいそうだが👊、短時間勤務のため、日の照り付け始めるころに出勤してまだ日の高いうちに帰ってくるので、すごく暑い‥‥☀☀☀

ちまたも職場も、話題は、休む前と後とで、ほぼ変わっていない。
ワクチン、という言葉が増えたことぐらい。
思い出すのもおぞましいが、副反応がまさかお腹にくるとは思わなかった。
聞けば、2度目の接種を終えたあと、「10日間は副反応で仕事にならなかった」職員もいたらしい。わたしはそのころ休んでいたので知らなかったが、職員の大半が2度目の接種を終え始めたころは、お互いの副反応話で盛り上がっていたそうだ。
逆に、両親のごとく、何ら体調に変化がなかったと言っている人もいる。(抗体ができたのかどうか、それはそれで不安であるが)。

なし崩し的にオリンピックの準備がすすめられ、ついに来週にせまっている。
今年するんだったら、昨年のほうが、ましだったのではないかというような感染状況。
昨年、無観客の大相撲っていったいどんな感じなんだろう、と興味津々で見てしまったように、(開催反対だったとはいえ)開催されるのだったら、開会式ぐらいはやはり、見てしまうんだろうな。ごたごたごたついたが、終わってしまえばあっというまなんだろうな。
盛り上がらないものを、どう盛り上げようとするかにも関心がある。
そして気になる結果は、メダルの数ではなく、感染状況への影響である。


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本当のことを言えば

2021年07月10日 | インポート
温泉にでも行きたい、というのは以前からよく聞かれるセリフである。
特に緊急事態宣言の繰り返しで、外出自粛疲れも限界に達している昨今とあればなおさらである。
わたしも、御多分に洩れず、ついそう思ってしまうのだが、よく考えてみれば、温泉が大変苦手であることに最近気がついた。温泉、温泉って皆がいいもののように唱えるから、そのように思い込んでいただけのようである。
どこかに行くよりも、帰ってくるほうが好きなので、帰ってくるためには、とりえあえずどこかに出かけなくてはならない、そのための目的地としてはふさわしかもしれないが。

のぼせやすいたちなので、気持よく浸っていられる時間はほぼ1分程度である。
湯船の種類がいくつかあれば、その間を渡り歩きながら体を適度に冷やして浸かるのだが、限界がある。さすがに寒い季節の露天風呂などは、入った瞬間、じわーっと気持いいと思うが、それも長くは続かない。そもそもリラックスするためにきているのに、極限に挑戦するということじたい、趣旨に反している。
また、極度の近視なのでメガネが手放せないが、曇った浴場内では使い物にならないことが多い。
シャワーと蛇口の切り替え方向にいちいち迷い、脱衣場が迷路のようになっているようなところもあり、やたらにもたもたする。無防備な恰好をしているのでよけい心もとない気分になるのかもしれない。
浴場施設が外にあるときはさらに事情がフクザツになる。
すぐそこに見えているのに、入口がわからずうろうろと無駄に歩き疲れ、玄関先では、シューズボックスと貴重品入れを間違えたのを受付のスタッフに目撃され恥ずかしい思いをする。スタッフの説明が一度で理解できないことが多くなり、彼らのおっしゃる”脇の階段”が内なのか外なのかわからず、生来の方向音痴に加齢が加わって、初めての場所がそうとうきつくなっていることに気づかされる。リラックスしたくて来てるのに、かえってどっと疲れて帰ってくる。
それでも、せっかく来たのだからと何度もはいって、苦行になりながら、もとをとろうとする。
こういうのを煩悩というのかしら。
そういえばホテルの枕元なんかに、聖書とともに仏教聖典が置かれていたことがあった。昔、祖母が送ってくれた小学生向けの道徳本のように、教訓が物語風に書かれていて面白く読めた。しかし、物語としておもしろかったのであって、全然血肉になっていなかったらしい。
 


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