TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ブログの引っ越し

2022年05月27日 | インポート
ブログの引っ越し作業を試みますので、しばらくお休みいたします。
どんなふうになるのか……??初めてなので不安です。
こういった作業も楽しめるとよいのですが。

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我ら囚われびと

2022年05月21日 | インポート
映画『ショーシャンクの空に』をテレビで放送していたので、録画をして観た。
この作品もまた、随分前に、知人の薦めで、DVDをレンタルして観たことがある。
最近は新しいものを、というよりも、以前に出会った作品に今一度、会いたくなるようだ。
以前観た時は、図書係の年配受刑者を演じていたジェームズ・ホイットモアという俳優の味わい深い演技が気に入って、彼の出演する別の映画もその後借りたっけ。
あれほどいいなア、と思って日記に作品名まで書いておいた作品も、ストーリーの細部はすっかり忘れているのは相変わらず。
ああそういえば、こんな場面があった、あったと思い出しながら観るのも一興である。

無実の罪をきせられたひとりの男が、刑務所の不正に手を貸すふりをしつつ、着々と脱獄のための穴を掘り続け、20年近くの歳月の末、脱出に成功する話だ。
散々な目に合わせた刑務所の幹部への復讐もしっかり忘れないのも、溜飲がさがる。

2度目ともなると、レッド役が、中尾ミエさんに似ているわとか、図書係のおじいさんが気になったのは、母方の祖母に雰囲気がよく似ているからかもしれない(年をとると男女の区別があいまいになる)などと、本題からそれた見方をする余裕も出てくる。

最終章、太平洋に面した地で再会したふたりの笑顔と、抱き合う姿を遠景から描写したシーンは、おそらく、最初に観た時もそうだっただろうと思うが、何度も再生して観た。

本当の自由という意味は、こうした場所に長らく拘禁された身ではないとわからないのかもしれない。
 わたしたち娑婆にいる人間だって、本当に自由かというとそんなことはなく、むしろ、いろんなしがらみや規則にがんじがらめになっている。逃げたくても逃げ出せず、「壁」を憎み「壁」に慣れ、そして「壁」に依存するようなる受刑者と同じ、囚われの身なのではないか。
そう思うから、下水管の中を汚物にまみれながらも脱出したアンディに、こんなにもすがすがしく共感するのかもしれない。


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ポスト新装開店

2022年05月15日 | インポート
わたしが住む集合住宅の、集合ポストの一斉お取替工事が行われた。
機能的には問題ないが、老朽化が激しく、なにしろ汚い。
中は砂だらけ。
風が強い日なんかに、完全に閉まり切らない外側の差込口から、砂が入り込んだものと思われる。
工事当日は、朝から、ドリルの音や、トンテンカントンテンカンと派手な音が3階のわが部屋まで響いてくる。
どんなポストになるのかな。
ダイヤル式の今までのと同じような大きさ、つくりなのだろうが、新しくなるというのはうれしい。

各戸のポストには、新しいダイヤルナンバーを書いたメモが差し込まれている。
工事が終わったころをみはからって、メモを持っていそいそと集合ポストを訪問する。
以前の、錆とホコリと砂だらけのポストとは見違えるよう……。
銀色に光っている。

差込口側には、各部屋の住人の名字を書いたシールもしっかりと貼付されている。
今までは、お名前シールも、はがれかけていたり破れたりしていて、お隣さんの名前すらわからなかった。
入居5年目にして、お隣の、咳くしゃみという持病持ちの男性の名字を初めて知った。
学生の入居者が多い中、珍しく年配の女性(わたしの母と同じぐらいの年で、エントランスの2,3段が辛いようで、這うようにのぼっていかれる)が、わたしのすぐ下の部屋に今年の4月から入居したのだが、彼女の名字もわかった。
名字を知ると、ちょっと心理的に近づく。
ほんの少しだけど。
お互いに、お隣さんの名字を初めて確認するいい機会になっただろう。

空室は、ひと部屋だけ。
お入学や入社の時期に合わせて引っ越してくることを考えると、今の時期は、満員御礼なのだろう。

ポストが新しくキレイになったところで、配達されるもののほとんどは、ダイレクトメールやチラシなどだが、それでも、開ける瞬間は気持ちがいいものだ。


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息子の名前を忘れた

2022年05月13日 | インポート
と言っても、認知症の父の話ではありません。
ほかでもない、ワタクシです。

わたしが契約している保険の代理人として、息子を登録するために、郵便局に行ったときのことである。
息子の名前を手書きしたメモを郵便局員さんに渡す。
まもなく戻ってきた局員さん、「この字でいいのでしょうか。実はこれとよく似た字でもうひとつあるのですが……」
ええ! 改めてそう聞かれて動揺するわたし。
確かに同じ読み方で似た字があるが、今までほぼ無意識に書いていたので、どちらだったか、なんともはや思い出せない。
彼あての手紙類も、パソコン入力だったので、初めに変換されるほうを自然に使っていたと思われる。
「一般的なほうはどちらですか?」とおどおどと質問するわたし。
「こちらのほうが一般的のようですが」と微笑みと穏やかさを失わないのの、明らかにとまどいながら局員さんが教えてくださる。
「え、このお母さん、自分の息子の名前の字体も御存知ないのかしら!」と明らかにそう思っているよね、と思うと、消え入りたくなる。
そもそも、命名したのは、わたしじゃないし、などという言い訳ももはや通用しない。
なんてったって、いちおう、わたしはお母さんなんだから―。
まあ、違っていたら修正しにまた来ればいいわ、と思い直し、おみやげの、ポストの形をした貯金箱(これ、前々から欲しかったのよ)をいただいて帰ってきた。

そういえば、現在飲んでいる薬を処方されるとき、「この薬を飲むと、忘れっぽくなる人がいますが、そんなことはありませんか?」と、主治医に聞かれたことがあったっけ。
もしや、と思う。
しかし度忘れなど服薬前からしょっちゅうのこと。
人の名前が出てこない、先日は、「PHS」という簡単な単語をいつまでも思い出せなかった、迷いようのないまっすぐな道で道に迷う、冷蔵庫にいれたはずのキャベツが、どういうわけか冷凍庫の中からカチカチになって出てくる、立ち上がった瞬間、何をしようとして立ち上がったか忘れるなど、日常茶飯事。
薬のせいでもないような気もするし……。
「それは加齢のせいですよ」と、せいぜい一笑に付されるのがオチで、相談してみる気も起こらない。


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この時期にこの映画を

2022年05月08日 | インポート
映画『ハドソン川の奇跡』を、DVDで再鑑賞する。
2009年1月15日に起きた、旅客機のハドソン川不時着水という実話をもとにした映画である。
果たして、機長の決断は正しかったのか?という検証から始まる。

タイタニックやスピード、タワーリングインフェルノ……考えてみればこうしたパニック映画を好んで観てきたように思う。
船も飛行機も実際に乗るのが苦手なのは、こうした映画に知らず知らずのうちに影響を受けているからかもしれないと思うほどだ。
映画館で観るのと違い、家で鑑賞することの利点は、何度もリプレイできるということだ。
不時着水する瞬間を何度も何度も繰り返す。
救助に向かったフェリーや船の人々の表情や行動、救急隊のヘリの迅速さを何度も観ては、ああ、いいなあと(不幸なできごとだからこそ)、思う。
ちなみに、ヘリから飛びおりた隊員も、救助にあたったフェリーの乗組員も、俳優ではなく、当時、実際に現場で活動したかたを映画に起用したのだという。

折も折、日本では北海道の先っぽで観光船の沈没という痛ましい事故が起き、乗っていたかたの半分近くが見つかっていない。
たまたまチケットがあったから、この船に乗り換えた人もいたそうだ。
映画でも、滑り込みセーフで、この飛行機に乗ることができた人たちがいた。
ちょっとした偶然が、その人の運命を大きく変える。
水上を行く船に乗っていた人たちには、救助の手がまにあわず、本来空を行く飛行機が、水の上に落ちた(不時着)のにかかわらず、全員が生還した。
なんとも皮肉な結果だと思う。
同じ水温2度でも、海ではなく、川であったこと、飛行機の大きな翼や救命ボートがあったこと、機長の判断が的確であったことなどが功を奏したのだろう。
映画の終わりで、乗員乗客の155人は単なる数字ではなく、そのうしろにはそれぞれに顔があり、またその後ろには彼らの親兄弟、妻、子供たちなどさらに多くの顔があるというくだりには、胸がつまる。
26人にも26の、それ以上の顔があるのだと。


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