TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

プチ就活

2023年06月30日 | エッセイ
夏休み。
地元で行われた「シニア世代の就活の進め方、求人の探し方」説明会なるものに参加した。
わたしと同じか、もっと若く見えるかたも参加している。圧倒的に男性が多い。
定年延長や再任用制度もあるが、体力・能力・気力、すべてにおいて、限界を越えそうだ。
”残り時間”も気になる。
年金受給年齢を引き上げる口実として、「人生100年時代」などと踊らされても、そうそう人の体は、寿命が延びたほどには進化していないのではないか。
やれやれ、引退だわさ、という時になって、もう何もする気力が残っていないというのも悲しい。
年金受給開始年齢まで働くのが大筋のような雰囲気になっているので、自分の定年を決めづらい。

説明会では、いまどきの就活を教わった。
就活と言えば、ハローワークに行くことしか手段のなかった昔と違って、今やネット検索が主流。
応募もネット上だ。
ハローワークにも、いまどきを反映して、「生涯現役支援窓口」という65歳以上の窓口もあるそうだ。
求人情報を提供しているサイトもあまたあるらしい。
たくさんあり過ぎてどこの機関がいいのか、落とし穴はないのか、かえって迷う。
こういう大事なことは、生身の人と人が直接顔を合わせないと、信用できないような、なんともこころもとない。
採用条件に、年齢条件はつけてはいけないことになっているとのこと。
そこで、年齢欄に「不問」とあるところや、「60歳以上大歓迎!」「50歳以上のかたが活躍しています」と書かれているところがねらい目なのだとか。(大歓迎!とあまり強調されてもね……。)

家に帰ってから、教わったサイトで検索してみた。
あるわ、あるわ、近くの大学の事務から、スーパーのパン屋さんまで。
こんなにあるのだったら、どこかしら採用されるのではないか、そう思ってしまうほどだ。
しかし、求人広告を出している企業はたくさんあっても、向こうにも選ぶ権利はある。
わたしが学校を卒業したときは、選ばなければどこかへ就職することができたが、それはわたしが20代だったからだ。
そのことをすっかり忘れている自分がいた。
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かっけえ

2023年06月23日 | エッセイ
自転車用のヘルメットが届いた。
先日母が購入したものが工事用で、安定が悪く、自転車用としては使えない代物だったのだ。
ヘルメット着用が努力義務化されたためか、ネット通販でもいろんなタイプのものが売られている。
わたしが購入したのは、外見は布製の野球帽だが、中にプラスチックのヘルメットが組み込まれているものである。
これなら、自転車を降りて、そのままスーパーで買い物しても違和感がなさそうだ。
安全基準もクリアしていると(いちおう)うたわれている。
かぶってみると、頭の大きいわたしにもまあ、あうようだ。
自転車売り場で売られていて、競輪選手も着用しているような、浅い型の、シュッと先のとがった”かっけえ”ヘルメットは、どうもわたしのお多福頭に合わなそうで、こちらを選んでよかったかもしれない。
まず何よりも転ばないことが大事だが。

先日救急車に乗って以来、サイレンの音を聞くと、もしや乗車しているのはあの3人組かしら、と思いを馳せることがある。
なぜこのお仕事を選んだのか、子供のころに救急隊員を見て、”かっけえ”とあこがれを抱いたことがあったのか、聞いてみたいと思ってしまう。
彼らは普段どこに控えていて、出動要請がはいったらどんな手順で出動するのか、その過程も見てみたい。
車内でも病院内でも、御用を済ませたら慌ただしく戻ってしまい、搬送した人からお礼を言われることもないだろう。
その感じが、ひと仕事終えたら見返りも求めず、サッと帰っていくウルトラマンのイメージとかぶってしまう。
青い制服とヘルメット、マスクを着けているので、素顔が見えず、それがまた正体不明というか神秘性を醸しだす。
未だに、インターフォンに映っている彼らの録画画像を消すことができない。(その画像から、ピンポーンを押したのは、運転していた方というのが判明した)
「救急隊です」と名乗ったときの頼もしさを反芻してしまう。
が、そうはいっても、彼らのお世話には、なるべくならならないほうがいいのである。
それに彼らは忙しいのだ。
このヘルメットをかぶって安全運転に気をつけ、重い荷物を持たないようにして、過ごすのがなによりなのだ。
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それは、いらない。

2023年06月19日 | エッセイ
新しいテレビを買いに行った。
〇〇カメラのネット通販で売られていたものをメモして来店した。
在庫確認のあと、配達日などを決める。
簡単なアンケートを書いて提出したあと、「少しお待ちください」と言われて、待つこと15分、いや20分以上?? 全然「少し」ではない。
イラッとして来たころ、ようやくやってきたスタッフは先ほどの方とは違い、どうやら携帯電話の社員らしい。
アンケートのインターネット欄、「ポケットWi-Fi使用」に〇を付けたために、そこに目をつけたようだ。
据え置きタイプのWi-Fiをしきりに勧め始めた。
実は先日、スマホを修理に出した時にも同じものを勧められた。
ともかく、ちょっとした機会を狙って、すぐに商品を売り込もうとする。
スマホの修理をお願いしに来ただけなんですけど……。
テレビを買いに来ただけなんですけど……。
こういう時、わたしもかなり頑なだ。
店員さんがどんなにお得感を醸しだそうと、別の会社の回線システムをけなそうと、絶対に気持ちは逸れない。
というか、目的のもので頭がいっぱいで、別のものにまで頭が回らないと言ったほうがいいかもしれない。
解放されるときに名刺を渡されたが、たぶん据え置き型は買わないだろうな、と思う。
よく考えると、最初の1年間は確かに安いが、2年目からとなると結局同じか、それ以上になる。
言われるほどにはお得でもないような気がする。
考えるいとまを与えない、というのも商売のうちなのかもしれない。
結局、本来の目的であるテレビ購入にかかる手続きよりも、勧誘に割いた時間のほうが、何倍も多かった。
最近は郵便局でも、ちょっとした機会をとらえて、いろんな商品を勧めてくる。
あまり邪険にするのもどうかと思い、あいまいな、なんとなく”その気”のあるフリなんかをすると、パンフレットを山ほど持たされて、ドッと疲れてしまう。こういうところが、ええかっこしいなのだわ。

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救急車初乗車

2023年06月10日 | エッセイ
朝起きたら右の腰と脇腹に激痛がはしった。
そりゃもう、イタイなんてものではなく、あまりの痛さに、目の前にチカチカ星が飛んで、脂汗が全身ににじんだ。
再びベッドに横になる。痛みはひどくても意識ははっきりしているので、これからどうしよう、などと思案する。
原因はわかっていた。
2,3日前、壊れたテレビを修理センターに送ろうと、スーパーからもらって折りたたんだダンボールの空き箱を右脇に抱え、左手には、折りたたみ傘。
風雨が強く、それに逆らうように駅から家まで歩いた。
たたんで面積の広くなった段ボールで、受ける風の抵抗がより強まったと思う。
その時は気が付かなかったが、吹き飛ばされまいと、相当無理な力が全身に入っていただろう。
原因がわかったところで、痛みはどうしようもない。
1時間ほど横たわっていたら先ほどのずきーんという衝撃的な痛みがなんとか収まり、どうやら立てる。
しかし整形外科に行けるほどではない。
しかも外は土砂降り。
傘なんかさして歩けない。
救急車を呼ぶことに決める。
時間は朝の7時。病院なら8時半ごろにならないと専門医が出勤しないだろうから、救急車を呼ぶのもそれからのほうがいい。
職場に休みの電話するのも8時半だ。
その間に、搬送先が直近の病院の可能性を想定して、診察券を用意する。
現金もよぶんに財布に入れる。
お薬手帳も用意。
入院になった時のために、下着と寝間着替わりの上下、靴下をビニール袋に入れる。
たいくつしのぎに本を持って行こうとしたが、帰り、重い荷物を持って帰ってくるのは腰に悪そうなのでそれは断念。
8時半。準備万端整ったところで、119番。消防ですか、救急ですかとの声が電話の向こうから聞こえてくる。
住所や患者(ってわたしですが)の年齢、性別、症状などを聞かれる。
オートロックの解除の件も伝える。
到着を待つ間、不謹慎だがワクワクしてきた。
痛みが少しだけおさまってきたこともある。
初めての救急車である。
中はどうなっているんだろう、と常々関心があったのだ。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
ワクワク感マックス。
ブザーが鳴ったのでインターフォンに出る。
痛いのは事実だが、口先は元気だ。
しかしあまり元気そうなのも気が引けるので、多少弱々しく答える。
オートロック解除。立っていられないほどでもないが、救急車搬送にふさわしくしゃがみこんで待つ。
再び玄関のチャイムが鳴り、「救急隊です」という頼もしい声。
ドアをあけると2人の男性が担架を横たえて控えている。
歩けないことを想定してせっかく担架を用意してくれているのに、歩けそうなのがちょっと申し訳なくて、せめてもと痛そうな表情と動作を過剰につくってしまう。
わたしがドアの鍵をしっかりかけている間、うしろで待っていてくれる。
なんだか”鍵をしっかりかけて出てくる救急搬送対象者”、というのも冴えない感じがするが、しかたない。
痛いのは腰なのだし、さっきよりも痛みがひいているので、鍵ぐらい自分でかけられる。
彼らにも、来た甲斐があったと思ってほしいと思い、よろよろとつかまり歩きをしながら階下に降りた。
マンションのドア外に担架を据え付けてくれたが、土砂降りの中、これに乗ったらびしょびしょになる。
歩けそうなのを見て、向かいの駐車場に止められた救急車まで抱きかかえられるようにして歩く。
抱きかかえられて歩く、なんてことがこれまでなかったものだから、妙に甘い記憶になった。
若い女性が振り返ってこちらを見ている。
やっぱり見るよね。わたしも救急車が止まっていたら、どんな人が乗るのか、わざわざ立ち止まって見るもの。
それでも、見ているのはその女性だけで、意外にみなさん、無関心のよう。
交通事故のような騒ぎじゃないからだろう。

車中のベッドに上半身起き上がった姿勢で横たわる。
痛くない姿勢をあれこれ聞いてくれる。
生年月日や名前、症状、持病、かかりつけ医、お薬手帳を見ながらの問診、通報するまでの経緯などを細かく聞かれる。
認知機能を調べるためということで、今日の日付も尋ねられる。
さらに搬送する病院のリクエストまで聞いてくれる。
家から近く、以前かかったことがあるからということで、わたしのリクエストどおりの病院に連絡をとってくれて受け入れが決まる。
聞いてはいたが、発車までにすごく長い時間がかかる。
まるで、救急搬送をする資格があるかどうか審査されているようで緊張する。
わたしの中に、おそらくただの「ぎっくり腰」ってやつなんだろう、それも自分の不注意で…というような疚しさがあった。
症状の派手な割には、「ぎっくり腰」ってなんだか軽い語感だ。

さて、救急車の中身はというと、まず同乗スタッフは3人。運転するAと、わたしの話を聞いて病院と連絡調整するB、脇腹などに傷がないか診察するC。
Cさんはひととおり診終わると役目が終わったのか、横の長椅子にのんびり腰かけている。
「雨、止むといいですね」と話しかけてくれたりして、ほのぼのとした感じだ。
きっと混乱している患者を慰めたりする役目もおっているのだろう。
一番せわしなさそうだったのは、Bさん。
助手席とわたしの間を行ったり来たりしていた。

車中にある小道具は、頭のあたりにモニター、顔の横には、心電図や聴診器などがぶらさがっている。
反対側の窓上には、『頭上注意』の注意書きの書かれた棚がふたつ据え付けられている。
シミだらけの白くて短いカーテンが窓に張り巡らされていて外は見えない。
足元の扉部分には、ブレーキランプ。
寝かされているベッドには、使い捨てのシートが敷いてあったが、ベッドそのものはかなり年季が入っていて、患者を移動させるときに擦れるのか、脇がボロボロになっていた。
サイレンの音も、「交差点内、直進します」というような声も車内にはあまりよく聞こえないので、自分が救急車に乗っている感じがしない。
外も見えないので、なおさらだ。
わたしは救急車が赤信号を許されて交差点を突っ切るのを見るのが好きだ。
車内からこれを見たらどんな感じだろう、と思ったが、「ちょっとカーテンあけてください」などと子供のようなことはさすがに言えなかった。
これも話には聞いていたが、車はすごく揺れる。

救急車はものの5分とたたないうちに病院に着いた。
ベッドごと降ろされる時、近くにいたおじいさんがじろじろ見ていた。見てんじゃねえよ、見世物じゃないんだから、と思う。
逆の立場なら、わたしもじろじろ見るだろうけど。
病院のベッドに移される。
姿勢を変えるときに痛むのは変わらないが、スタッフに囲まれた緊張感に意識がうつり、家にいるときよりも痛みがおさまっている。
痛みの程度は、10のうち4ぐらい、と答える。
ここでもまた、今日の日付や、ここがどこかわかりますか?と聞かれる。
最近まで女子高校生だったような雰囲気の若い女医だ。
勉強のためにそこにいる感じで、マニュアルを思い出しながら質問しているのがよくわかる。
何度も同じことを聞く。
足元では、救急隊員がわたしからの聞き取りを病院スタッフに引継ぎしている。
内容を聞くともなく聞いていると、わたしの運んでいたのが「重い」ダンボール箱ということになってしまっていたが、敢えて訂正することもないので黙っている。
入れ代わり立ち代わり救急科の医師がやってきて、また同じことを聞いたり、超音波や心電図の検査をする。
内臓や心臓、骨に異状はないということで安心する。
救急科は整形外科ではないので、総合的に診るらしい。
どうやら急性腰痛症、いわゆる、ぎっくり腰らしいという診断がついた頃、なあんだ、と思ったわけでもないだろうが、寄ってたかっていたスタッフ一同、潮がひくようにいなくなり、看護師さんが座薬の痛み止めを入れてくれたあと、端っこの方にベッドごと移されて、薬が効くまで待機させられた。
職場の保健所でよく耳にしたパルスオキシメーターをつけているので、指がプランプランする。
20分ほどすると、痛みの余韻はあったが、さっきに比べたら格段に楽になっている。
これなら帰れそうだ。歩いてすぐの距離だが、大事をとってタクシーで帰った。金600円。
診察料は、薬代含めて6000円あまり。

両親の通院付き添いの場合、わたしが問診を書いたり、処方箋や薬を取りに行ったりできたが、おひとり様だとそれらを全部自分でやらなくてはならない。
幸い今回は重病ではなかったが、痛いときには辛い。
何度も聞かれたり書かされたりした緊急連絡先として、頼りがいのある家族を書けなかったことがとても心細い。
保険証が共済組合なので取りっぱぐれはないと思ってくれただろうが、これが高齢、独居、無職となると、ちゃんと支払ってくれるかしら、のような胡散臭い目で見られるのではないか。
あてになる緊急連絡先を持たない人が今後増えていくかもしれない。
引継ぎのときに聞こえてきた「60歳」という響きが今も頭に残っている。
ああ、60歳になってしまったのだわ、わたくし、のようなさみしさ。
問診票にあった、「独居」という言葉の味気なさ。「独居房」を連想させる。

今回、腰をかばいなら病院の廊下を歩いて、初めて、ゆっくりとしか歩けない状況がどんなものか、実感としてわかった。
小走りにせかせか歩いているときには目にも留まらなかった病院ボランティアさんの姿も目にはいった。
あれこれ重い荷物を担いで走り回る生活そのもの、生き方そのものの見直しをせまられているようでもあった。

結局、今回の腰痛騒ぎの発端となったテレビは、修理不可能とのことで、本当になんのための騒ぎだったのだろうと思う。
年休が1日無駄になった。
でも、まあ、救急車には乗れたけど。
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テレビ壊れる

2023年06月07日 | エッセイ
それは16型の小ぶりのもので、外付けのハードディスクに録画もできるので、重宝していた。
重宝し過ぎて、台から転げ落ちること数回。
きっとその時のダメージが積み重なったものと思われる。
ある日突然、プレバトを見ていたら、電源が切れて、あとはウンともスンとも言わなくなった。
”叩くと直る”とは冗談半分によく聞く話だが、そもそも乱暴に扱い過ぎて壊れたのだから、その可能性もない。
もしかして翌日になったらご機嫌を直して復活しているかも……と思い電源をいれてみたが、やはりシーンとしたままだ。
サポートディスクに電話すると、予想通り、古い型なのでもう扱っておらず(6年もたっていないのに)、買ったほうがお得ですよ、とのお返事。テレビだけなら買い替えるものの、これまでの間、録画しておいた番組が惜しまれる。
そもそも修理しても初期化されれば、これまで録画しておいたものはおじゃんになるのだから、あきらめるしかない。
粗忽者の自分が悔やまれる。
録画した番組は、録画したというだけで安心してしまって、あとから視聴することはあまりないのだし……などと負け惜しみをつぶやいてみる。
とりあえず、10年以上前に買った、さらに小さな10型のテレビを押し入れから引っ張りだしてきた。
これもいきなり電源が入って勝手にしゃべり出したり、すぐに「受信レベルが低下しました」という表示が出て映らなくたってしまう代物。
安モノ買いのつけがまわってきたらしい。
さてどうするか、買うか修理か。
ひとり暮らしには、テレビの賑わいが必須なのだ。

そういえば、今、スマホも修理に出している。
お店のスタッフによれば、これは経年劣化によるものらしいが(まだ4年もたっていない。新規購入させるための策略ではないかと思うほど寿命が短い)、電化製品が壊れるときは、あれもこれも一斉に調子が悪くなるというのはよく聞く話である。

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