TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

不要不急でも……

2020年07月26日 | インポート
 中島みゆきの夜会VOL.20「リトル・トーキョー」劇場版を観に行く。
ラストツアーコンサートがコロナの影響で中止になってしまったので、残念に思っていたのだが、昨年開催された夜会の映画上映が決まったのである。
とはいうものの、ちらと不安はよぎる。
ネットで確認すると、映画館は感染症対策万全のようで、スクリーンから飛沫は飛んでこない。誰ともしゃべらず、前を向いてひたすら観ているだけなんだから……と自分に都合のいいように解釈をして出かけた。
パチンコ好きの同僚が以前、「あそこは換気万全だし、まっすぐ前向いて、黙って玉打ってるだけだから安全っすよ」と言っていたが、理屈はそれと同じである。

 館内は休日なのに比較的しんとして人気(ひとけ)が少ない。それならリスクも少ないんじゃないかと思えばいいものを、少ない、ということ自体、なんだかいけないことをしているようで別の意味で不安でもある(じゃあ、やめれば? という心の声……)。
それはともかく、前後左右の座席が空席というのは、ひとりで鑑賞する身にとって実に快適であった。隣の人がビニール袋をがさごそさせたり、すぐ後ろの人が連れとひそひそ会話したりと、その座席を選んでしまったことを後悔することがたまにあるのだが、今回はそんなこともない。マスクをしているので、あのポプコーンの強い匂いも気にならないのである。

 2時間はあっというまであった。
とかくストーリー展開においてけぼりになり、やっとわかってきた頃には終盤を迎えてしまいがちなわたしにも、十分雰囲気が伝わってきた。
ゲスト出演していた渡辺真知子さんの、迫力ある声量も、以前のままで懐かしい。
知らず知らずのうちに縮こまっていた気持ちが、清々と解放されるようであった。ナマ演奏を聴きに行く勇気(と言うのかどうか微妙だが)はないが、クラスター発生のリスクを顧みず、わざわざ劇場に足を運んでしまう人達の気持ちが少しわかる。
考えてみれば数カ月前までは、このように人々が舞台の上で顔と顔を近づけたり、触れあったり支えたり抱きあったり、マイクを共用したりするのは、あたりまえだった。それがあっという間に、根こそぎ変わってしまったのだ。そう思うと、夜会のストーリーともあいまって感傷的になってしまい、マスク越しにメガネが曇った。
 不要不急でも、大事なものはあるのだ。



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まな板の上の鯉

2020年07月21日 | インポート
2年に一度の大腸内視鏡検査の日である。
医療機関はこの時期避けたいが、しかたがない。
おなかの弱いわたしには、コロナよりも心配な病気があるのだ。
ストレスは弱いところにやってくる。毎日職場にかかってくる感染症の電話相談を聞いているうちに、なんとなくこちらのおなかの調子もいまひとつになってきた。

朝、白々と空が明るみ始めるとともに、経口腸管洗浄剤を粛々と飲み始める。実に孤独な作業である。
気晴らしにテレビをつければ、もっと不安をあおるようなニュース。
それだけに、クリニックから状況を尋ねる電話がかかってくると、実にほっとする。
考えてみれば、3密を避けるためもあり、最近の他人との会話といったら、職場や買い物のときのみ。医師や検査担当のスタッフとの会話でさえ、なにやらありがたく思える。


わたし自身、痛みに過敏過ぎるのか、それとも腸の形が父親譲りで曲がりくねり過ぎているのか、この検査ではいつも七転八倒、痛くない検査をウリにしている医師泣かせである。ベッドともいえないような簡素な台の上にごろりと寝かせられたら、無力感でいっぱい、もうあとはお任せするしかない。

この検査のいいところは、その場で結果が出ることである。
「はい、大丈夫ですよ~。どこもワルイものは見つかりませんでした」
この高らかなひと声を聴くと、前準備の苦痛も報われ、何ごともない日常のありがたさがひしひしとせまってくる。

晴れて無罪放免、帰りには駅のパン屋さんで、アイスコーヒーとメロンパンを注文する。
思えば飲食店で食べるのも、ほぼ4カ月ぶりである。
いつにもまして、おいしさ格別である。

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残念な話

2020年07月03日 | インポート
朝の通勤途中である。
バスの中にはいつもの顔ぶれ。職場の同僚が5,6人載っている。
わたしが座っていると、副所長が乗り込んできて、ちょうど目の前、窓のほうを見ながら、後ろ向きに立った。毎朝のことである。顔見知りの誰がどこにいるかだいたいわかっているので、お互い、さりげなく距離をあけたり、目を合わさないように、向きを変えたりするのである。ソーシャルデイスタンスなどという理由ではなく、朝っぱらから、職場の外で、敢えて話題もないのだろう
ふと見ると、副所長のズボンのベルト紐に、クリーニング屋さんのタグがホッチキスで付いたままになっている。ちょうどわたしの目の高さである。
7月だし、ここは率先してクールビズを実践しようとはりきって、去年クリーニングしたズボンをタンスから出してきたのだろう。ちょっとしゃれたポロシャツとズボン。色の組み合わせもなかなか品よくまとまっていて、ソックスもくるぶしまでの涼しげな素材である。
―タグさえなければねえ―。

通勤途中のバスの中ではあまり同僚と隣り合いたくないなあと思っているわたしであるが、その時ばかりは思った。
見て、見て、あれ!と、ヒソヒソクスクスと可笑しみの情報共有したい。
隣の席には知らない年配の女性が座っていたが、彼女もきっと気づいたはず。
この際、知らない人でも誰でもいいから、マスクから覗いた目をちょっと意味ありげに交わし、ヒソヒソ、クスクス、ちょっとした”目撃者”の気分を分かち合いたい。
後ろのほうの席でぺちゃくちゃしゃべっている同僚女子が隣にいないことが実に残念に思われた。

その日わたしは半日で早退したので、彼が一日気づかずに過ごしたのか、それとも心優しきどなたかが教えてさしあげたのか知らない。(まあ教えてあげたとしてもお互い気まずくて、感謝すらされないと思うが)

そういえばわたしもその昔、便座シートをズボンに挟んでしっぽのように垂らしたまま電車に乗ったことがあったっけ。それを思えば、クリーニングのタグなんざ、ありがちでかわいいもんではある。

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