オリパラが始まる前は、やらないほうがいいのに、などと思っていたが、開催してもしなくても感染者数にたいして違いがなかったのではないかと思うようになってからは、開催に肯定的にはなった。
なにより、テレビをつけたとき、コロナの話題ばかりでは気が沈む。(最近では、コロナという鳥かごに閉じ込められているような気さえする)
勝った負けたのお祭り、いっときの現実逃避感情でも、ないよりはあったほうが精神衛生上、助かる。
車いすひとつとってもいろんな種類があるのだなあ、と感心したり、初めて目にする競技も詳しくルールの説明をしてくれるので、おいてけぼりをくうことがない。
メダル獲得国の国家が流れないのはなんでだろうという疑問も刺激になる。
アフガニスタンが選手なしで開会式に臨んだ時は、???マークだけだったが、今日になって理由がわかり、障害以外の事情を抱えている選手がいることもわかった。
年齢が50才をとうに超えても、まだまだ現役の選手が少なくないという事実に、人生はまだ終わりではないというような安堵感もほのかに感じる。
失ったものを数えるのではなく、あるものを生かせ、などというような、こうした場所でとかく言われがちな教訓じみた発言を聞くと、我が身を試されているような気がして、抵抗感を抱いてしまうのだが、競技は競技として楽しみにしたい。
なにより、テレビをつけたとき、コロナの話題ばかりでは気が沈む。(最近では、コロナという鳥かごに閉じ込められているような気さえする)
勝った負けたのお祭り、いっときの現実逃避感情でも、ないよりはあったほうが精神衛生上、助かる。
車いすひとつとってもいろんな種類があるのだなあ、と感心したり、初めて目にする競技も詳しくルールの説明をしてくれるので、おいてけぼりをくうことがない。
メダル獲得国の国家が流れないのはなんでだろうという疑問も刺激になる。
アフガニスタンが選手なしで開会式に臨んだ時は、???マークだけだったが、今日になって理由がわかり、障害以外の事情を抱えている選手がいることもわかった。
年齢が50才をとうに超えても、まだまだ現役の選手が少なくないという事実に、人生はまだ終わりではないというような安堵感もほのかに感じる。
失ったものを数えるのではなく、あるものを生かせ、などというような、こうした場所でとかく言われがちな教訓じみた発言を聞くと、我が身を試されているような気がして、抵抗感を抱いてしまうのだが、競技は競技として楽しみにしたい。