TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

パラまっただなか

2021年08月29日 | インポート
オリパラが始まる前は、やらないほうがいいのに、などと思っていたが、開催してもしなくても感染者数にたいして違いがなかったのではないかと思うようになってからは、開催に肯定的にはなった。
なにより、テレビをつけたとき、コロナの話題ばかりでは気が沈む。(最近では、コロナという鳥かごに閉じ込められているような気さえする)
勝った負けたのお祭り、いっときの現実逃避感情でも、ないよりはあったほうが精神衛生上、助かる。
車いすひとつとってもいろんな種類があるのだなあ、と感心したり、初めて目にする競技も詳しくルールの説明をしてくれるので、おいてけぼりをくうことがない。
メダル獲得国の国家が流れないのはなんでだろうという疑問も刺激になる。
アフガニスタンが選手なしで開会式に臨んだ時は、???マークだけだったが、今日になって理由がわかり、障害以外の事情を抱えている選手がいることもわかった。
年齢が50才をとうに超えても、まだまだ現役の選手が少なくないという事実に、人生はまだ終わりではないというような安堵感もほのかに感じる。
失ったものを数えるのではなく、あるものを生かせ、などというような、こうした場所でとかく言われがちな教訓じみた発言を聞くと、我が身を試されているような気がして、抵抗感を抱いてしまうのだが、競技は競技として楽しみにしたい。


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共通の話題

2021年08月23日 | インポート
美容院へ行く。
ほぼ2か月半ぶりである。今の感染の波が収まってから行こうかと思っていたが、
一向にその兆しは見えず、待てば待つほど増加傾向。
その間に、白髪交じりの髪の毛はすでにざんばら、肩まで伸びきった後ろの髪はまとまらず、もはや限界‥‥。
コロナ前は、週刊誌の類が山のように積んであり、しょっちゅう勧められた。しかし強度の近眼のため、舐めるように紙面を眺めなくてはならず、うっとうしい思いをしていたのだが、感染対策のために撤去されて気が楽になった。
さらに、「お茶にします? それともお水がいいかしら?」などというサービスもなくなった。断るのも悪いし、そうかといってトイレに行きたくなるし、と葛藤しながら「お水を半分ほど」と遠慮がちに答えていたので、これもなくなり、ほっとしている。
苦手な雑談の類も控えめになったため、ここ一年余りは、ひたすら目を閉じ、カットとカラーリングが終わるのをじいっと待つだけになった。

  が、今日は仕上がりを確認したあと、いきなり担当のスタッフが、
「ワクチン打ちました?」と聞いてきた。接種はあくまで任意なので、親しくもない人にあまり尋ねてはいけないと教わったが、彼女には、そういう縛りはないらしい。
聞くところによると、彼女、明日が2回目の接種ということで、副反応情報を集めたいらしい。わたし曰く、「1回目はおなか壊してめちゃくちゃ派手でした」。「2回目はまあ覚悟ができていたので、思ったよりは‥‥。でも指先の関節が全部痛くてパソコンが打てなかったです」とちょっと大げさに、先輩面して答えておいた。
この回答が、彼女の2回目に何ら影響はあるとは思えないが、会話を控えるようにという今の風潮の中、打った?まだ?副反応はどうだった?というやりとりは、今や日本全国津々浦々、オリンピックや甲子園の話題よりも、大きな関心事なのだと思う。

ともあれ、2か月半後は、終息しているといいな。(ってこれまで、何回そう言ったかな)


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平熱ですか?

2021年08月20日 | インポート
随分前に、来所者の熱を測るサーモグラフィーが設置された。
設置した職員は長身の男性職員。世の中には、基準値に達しない背丈の人がいるのだということにまで、思いが及ばないらしく、150センチそこそこのわたしは、背伸びをしないとおでこが測定面に届かない。体温が表示される前に足がつりそうになったので、断念していた。
わたしよりも背の低いS女史は飛んだり跳ねたりして、なんとか測定面に顔を近づけようとやっきになっている。
ひとこと、調整してください、と管理課の職員にお願いすればすむものを、わたしも彼女も、「背が小さい」ということがことさら印象付けられてしまうので、自分からはお願いしたくないのである。

そして、最近、ふと気づくと、機器の高さが低めに調整されていた。
誰がお願いしたのかしら。
んじゃ、ちょっとはかってみるかな‥‥。
もっとも、今まで設置面が高過ぎてはかれなかったのね、などと思われたくなくて(ってそんなこと誰も思わないだろうけど)、ことさら無関心なふりなんかして、ひとけのないのをみはからってはかってみた。結果は平熱。
聞くところによると、37度5分を超えるとすさまじい音と真っ赤なランプが灯るらしい。なんだか万引きして店から出ようとしたところを、ブザーが鳴って、とっ捕まえられるようなそんな気分になりそうである。
”平熱である自信”があるときだけしかはからないようでは、あまり意味がない。


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8カ月ぶりの帰省を終えて

2021年08月16日 | インポート
年末以来8カ月ぶりに実家に帰省する。
土砂降りになって出ていく雨宿り、ではないが、今まで控えていたのになぜ感染者数が爆発した今になって‥‥という気もするが、いずれ終息したら、と先延ばしにしているうちに、高齢者の寿命が尽きてしまうのではないか、意思疎通ができなくなるのではないかという不安感が限界に達したのである。
両親もわたしもとりあえずワクチン接種済み。職場管内でも、接種者の感染が明らかに減っているという事実も背中を押したのである。

そうはいってもやはり慎重にならざるをえない。
わたしのほうは終始一貫、滞在中はずっとマスクをしていたが、両親とも、家の中でマスクをすることに抵抗と違和感があるらしく、母のほうは、最初のほうこそマスクをしていてくれたが、父にいたっては、「この家にはウイルスはいない」とハナからマスクをする気がなく、ハラハラする。
そんな背景のところにもってきて、つけっぱなしのテレビからは、感染者のさらなる増加と全国的な豪雨災害のニュース。
そして母からは、最近とみに心もとなくなってきた父の話や、葬儀場やお墓、いざというときの重要書類の保存場所、遺影に使てってほしい写真や死装束の保存場所などの伝言などなど‥‥。
いつものお気楽な帰省とはすっかり様相が異なっている。
もろもろのことは変化する。ずっとずっと同じ時間が続いていくような気がしてきたが、実はそうではないという事実。人は必ず死ぬ、ということ。悲しみを分かちあう相手がいないという心細さ。いざというそのときにやってくるであろう混乱の予想――。
そうした事実と感情に向き合うことになった3日間の滞在であった。
帰り際、母曰く、「話を聴いてもらってありがとう」。「毎日、不安で胸がもう破裂しそうだったのが、聞いてもらって少し晴れた」と。
コロナは家庭内感染させずに無事済んだかもしれないが、母の抱えた心細さや悲しみがしっかりどっぷり、わたしの胸に感染した気分で帰ってきた。

そんな心細い状況でも、両親からは、実家に戻って来い、とは言われなかった。
実家からでも出勤できるのに、なぜわざわざひとり暮らしを続けているのかと自問自答することはあるが、相手の感情に飲み込まれないためにも、物理的な距離は大事である。
滞在を終え、ひとり住まいの1Kの家に戻ってきて、少しの安堵と罪悪感とともにそう思った。




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よくよく観戦してみたら‥‥

2021年08月06日 | インポート
開催するか否かの時点から賛否両論、大いに問題をはらんでいたせいか、
開催式しか見ないだろうと思っていた東京オリンピックだが、ちょうどわたしのテレビタイムにあっていたせいか、卓球にはまった。
女子団体の準々決勝。顔に見覚えのある選手で、なおかつ、中学校あたりで卓球の授業がありルールも知っているので、馴染みもある競技というためかもしれない。
目まぐるしく行き交うボール。よくあんなスピードのあるのを打ち返せるなあなどと感心しつつ‥‥。エッジぎりぎりに球が落ちて得点すると、その昔、作戦などではなく、全く偶然に相手側のコートのエッジにボールがかすって思いがけず、こちらの得点になったことも思い出す。
結局、次のゲームはどうなるのだろうと気になり、延々と見続けているうちに準々決勝を最後まで見届け、その流れで、昨日の決勝も見届けた。
中国側の、どんな遠くに鋭く飛んでいくボールも確実に打ち返してしまう迫力に感心しているうちに終了。
初めから金メダルを期待されている選手は、銀や銅でも悔し涙を流さなくてはならないので、気の毒ではある。

そんな感じで、たまたま放映している競技を適当に選んでみているうちに、いろんなルールのいろんな競技があるものだな、ということも知ることになり、オリンピックが始まる前よりもずっと印象がよくなった。
わたしたちはコロナの関連でしか、オリンピックをとらえることができないでいたが、選手たちは、そういう状況の中でも、ひたすら練習を積んできたのだなあと想像できた。
感染者がこうも増えすぎてしまったら、もはやオリンピックのせいばかりではないような気もしてくる。

今この記事は、札幌で行われている競歩を観ながら書いている。
これは長丁場。正月の箱根駅伝を思い出すが、現在の季節は夏。今年の北海道は特に暑いらしい。
はらはらしないで、何かをしながら観戦できるのがいいところ。選手ごとに「体を冷やすための持ち物」がさまざまなのでおもしろい。

どうにもならない感染者数のニュースを見るよりも、オリンピックの間だけでも、いっときの平穏を味わうのもいいのかもしれない。


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