巷では、ワールドカップの話題で盛り上がっている。
「中立」の立場のように感じていたNHKのアナウンサーでさえ、「いよいよ今日、あと〇時間ですね!!」などと全国民の期待を代弁しているように熱く語るので、そのたびに、どうにもサッカーに興味をもてないわたしは、おいてけぼりをくったような気分になる。
ましてや、日本人でありながら他国を応援しているかたは、肩身が狭いだろう。
サッカーは冬の季語なのだそうで、そういう意味では、オリンピックよりも(言い方は変だが)格が上なのかもしれない。
冬といえば、あとひと月ほどで、紅白歌合戦である。
出場者が毎年これほど取り沙汰される番組も珍しい。
例えば真夏の平日昼間に、同じ内容の歌番組があったら、絶対に録画してまで見ないであろうと思うのに、大晦日のあの時間帯にあるがために、年中行事のひとつとして、つい見てしまう。
今年はどんなオープニングなのかしらと、夜の7時過ぎになるとその瞬間を見逃すまいとそわそわする。
しかし、いざ番組が進行し始めると、数で勝負したようにしか見えない同じようなグループが次から次へと登場して、歌詞もなんだかはっきりとは聴き取りづらく、華やかに跳んだり舞ったりして去っていくパターンに段々と飽いてくる。
歌のタイトルなのだか、グループ名なのだか区別がつかないのも、わずらわしい。
間に挟まるようにして、出場回数が何十回という大御所が登場すると、知り合いに出会えたような安堵感があるものの、最近では歌謡番組そのものがあまりないせいか、昔々に流行った歌をかすれた声で歌って、それが痛々しい。
それなら、裏番組の懐メロを見ていたほうがいい、などと思ってしまう。
最近では、昭和の時代に流行ったテレビドラマを放送しているチャンネルがあり、録画して見ることがある。
そのうちのひとつ、「パパと呼ばないで」には、子役時代の杉田かおるさんが出演している。
なんてかわいらしいのかしら、と、子供心にも思いながら見ていたが、今の子役よりもずいぶんと、ませた演技をさせていたのねえ、と当時は気付かなかったことに気付く。
電話ボックスに飛び込んで、あれこれと慌てたふうに話すのも、携帯電話がない時代ならではの風景である。
今は亡き名脇役の方がたの姿も懐かしい。
「パヤッパー」という女性の声が、合の手のように、話のちょっとした継ぎ目に差し挟まれるのも、そういえば、あった、あった、こういうのが! とかえって新鮮である。
とまあ、なんとなく、昭和とともに自分自身もだいぶん時代遅れになっているのを感じる今日この頃である。
「中立」の立場のように感じていたNHKのアナウンサーでさえ、「いよいよ今日、あと〇時間ですね!!」などと全国民の期待を代弁しているように熱く語るので、そのたびに、どうにもサッカーに興味をもてないわたしは、おいてけぼりをくったような気分になる。
ましてや、日本人でありながら他国を応援しているかたは、肩身が狭いだろう。
サッカーは冬の季語なのだそうで、そういう意味では、オリンピックよりも(言い方は変だが)格が上なのかもしれない。
冬といえば、あとひと月ほどで、紅白歌合戦である。
出場者が毎年これほど取り沙汰される番組も珍しい。
例えば真夏の平日昼間に、同じ内容の歌番組があったら、絶対に録画してまで見ないであろうと思うのに、大晦日のあの時間帯にあるがために、年中行事のひとつとして、つい見てしまう。
今年はどんなオープニングなのかしらと、夜の7時過ぎになるとその瞬間を見逃すまいとそわそわする。
しかし、いざ番組が進行し始めると、数で勝負したようにしか見えない同じようなグループが次から次へと登場して、歌詞もなんだかはっきりとは聴き取りづらく、華やかに跳んだり舞ったりして去っていくパターンに段々と飽いてくる。
歌のタイトルなのだか、グループ名なのだか区別がつかないのも、わずらわしい。
間に挟まるようにして、出場回数が何十回という大御所が登場すると、知り合いに出会えたような安堵感があるものの、最近では歌謡番組そのものがあまりないせいか、昔々に流行った歌をかすれた声で歌って、それが痛々しい。
それなら、裏番組の懐メロを見ていたほうがいい、などと思ってしまう。
最近では、昭和の時代に流行ったテレビドラマを放送しているチャンネルがあり、録画して見ることがある。
そのうちのひとつ、「パパと呼ばないで」には、子役時代の杉田かおるさんが出演している。
なんてかわいらしいのかしら、と、子供心にも思いながら見ていたが、今の子役よりもずいぶんと、ませた演技をさせていたのねえ、と当時は気付かなかったことに気付く。
電話ボックスに飛び込んで、あれこれと慌てたふうに話すのも、携帯電話がない時代ならではの風景である。
今は亡き名脇役の方がたの姿も懐かしい。
「パヤッパー」という女性の声が、合の手のように、話のちょっとした継ぎ目に差し挟まれるのも、そういえば、あった、あった、こういうのが! とかえって新鮮である。
とまあ、なんとなく、昭和とともに自分自身もだいぶん時代遅れになっているのを感じる今日この頃である。