TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

あさがお

2018年07月21日 | インポート
一週間前に買った朝顔の鉢。
毎日ひとつかふたつ、花を咲かせている。
”ミックス”という鉢で、ひと鉢にいろんな色が混ざっている。

以前住んでいた部屋は横っちょにベランダが付いていて、日当たりも悪く、
いまひとつ花を育てるのにはふさわしくなかった。
(5年間、窓さえあけたことがなかった。一度も……^^;)

 朝顔は小学生の時に理科の授業で育てさせられたのだろうが、お勉強となると義務感が先に立ち、
あまり楽しくなかったのだろう、全く覚えていない。
 
 まだ薄暗い夜明け前、少しずつ開き始める早起きの花。
自分よりも早く起き出す生き物がいるとなると、
とりあえずカーテンをあけて、窓を開く楽しみができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぎょみんで何か不都合でも?

2018年07月17日 | インポート
 この4月から、実家の近くに引っ越したことで、高齢の両親と散歩がてら道を歩く機会ができた。
一緒に過ごしていると、これは認知症の前症状か、それともただの老化現象か、判断が付きかねることがある。
全体の筋道は通っているし、話題の選択もまちがっていない。
しかし細部をよく聞いてみると、記憶違いだったり、思い込みが強かったり、といった場面が目立ってきている。
両親がふたりしてそれぞれにちぐはぐなのだが、絶妙なバランスで、偶然おさまりがつくこともある。
 以前だったらいちいち訂正したり、修正したり、説明したりして正したい誘惑にかられたものだが、最近では、(億劫になっただけかもしれないが)大筋で会話が穏やかに成り立っていればそれでよしと思うようになった。
かく言うこちらのほうの勘違いだったということも多々あったりするのだ。

 ある日。
通りすがりにふと目にした看板を前に「あら、ぎょみん(・・・・・)ですって。漁師さんのお店なのね」
と母。
見れば「魚民」。
いいの、いいの。そんなの大したことじゃないわ。
意味はともかく、そうとも読める。
酒の“サカナ”とも言うのだし。
彼女がこの店を利用することはこの先ほぼありえないだろうし、電話をかける機会もないと思われる。
いちいちむきになって訂正したところでお互いになんのメリットがあろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親権

2018年07月16日 | インポート
 先日の新聞に、離婚後も双方に親権が残る「共同親権」制度の選択について記事が掲載されていた。

四半世紀ほど前、離婚を前提とした話し合いと、手続きのために、
岡山の仲人の家に関係者が集まった。
すでにわたしが親権を持つことが決定していた。
その頃は、もう片方の親に面会する子供の権利についてあまり議論がされていなかった。
父母どちらか一方が親権を持つ単独親権があたりまえだった。
 仲人というものは、世話をした夫婦が別れるときにも、立ち会うものなのか。
それとも、彼らがわたしの伯父叔母だったからなのか。
仲人である伯父叔母夫婦と、わたしの父親、彼の母親、彼、わたしがそこにいた。
息子は神奈川の実家のもと、母に託した。
話し合いといってもすでに結論は出ているのであって、養育費や公証役場での手続きについて淡々と話は進んだはずだ。
一刻も早くこの場を終わらせたいという空気が充満していた。
だからなのか、誰も感情的になることもなく、事務的に早々に終わった。
「これからは友人として飲みましょうや……」などと父は元夫に、言わずもがなの御愛想を言っている。
彼は否定もせず、ただ苦笑した。

そこにいない息子は2歳だった。
意志を確認できないのをいいことに自分の運命について、周りによっていとも簡単に決定された。
わたしの父親が父親代わりになるだろうと、安易な考えがあった。
どんなに孫をかわいがっていても、わたしにとっての父親なのであって、
息子にとってはおじいさんに過ぎないということに思いが及ばなかった。
主を失ったおもちゃと共に、小さなアパートの部屋にひとり残された元夫の気持ちについても、
考えが及ばなかった。
あのころ、共同親権とか面接権とかいったことについて、半強制的にでも考えざるをえない制度があったらどうだっただろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴム紐がゆるんだんだけど…

2018年07月02日 | インポート
ズボンのゴム紐がゆるんだ。
ゴム通しの穴があいていない場合のゴムの替え方を母に教わるために実家へ出向く。
恐るべし。齢55才にして、こうした簡単なこと知らないのね、わたし。
子供の頃や若いころ、あまりにもあれこれあれこれ言われたので、かえって耳を素通りしてしまって、
生活上必要なことが身につかなかったのかもしれない。
親も高齢である。
ゴム紐に限らす、今の内に耳をかっぽじって聞いておかなくては!と思うことが多い昨今。
不謹慎半分、殊勝な気分半分。
実家から30分ほどのところに引っ越した甲斐があったというものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする