TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

メンドクサイ関係

2010年09月13日 | インポート
 コーヒーショップで食事をしていた時のことだ。

 小柄でやせたふたりのご婦人がはいってきた。
見たところ、友人同士のようである。
A夫人が、B夫人の分も一緒に、コーヒーを注文して、席まで持ってきた。
そこでひと悶着が始まった。
Bさんが、自分のコーヒー代を払おうとしたら、Aさんが断ったのである。
「ダメ、ダメダメ。そんなことしてもらったら。これから友達付き合いができなくなっちゃう」
とBさん。
何とか自分のコーヒー代をAさんの手の平に握らせようと、必死である。。
しばらく、払う払わない、受け取る受け取らないと、押し問答していたが、
結局Bさん、Aさんに小銭を受けとらせることに成功したようだ。

「わたしが払います」
「いいえ、ここはわたしに払わせて」
というような譲り合い(…というか、引き受けあい)は、
レジなどでたまに見かける光景だ。
決まって女性同士である。
 しかも、ある程度年配の世代。
あまり見良い風景ではない。
払った方が勝ち。奢られた方が負け、のような雰囲気が漂う。
そんなことなら、最初っから割り勘にすればいいのに、と思う。
それとも、割り勘なとどいうのは、かえって割り切り過ぎていて、水臭いと思う世代なのだろうか。

 さて、くだんの二人組。
ひとしきり、近況報告に盛りあがっていたが、やおらAさん立ち上がり、
ご贈答用にお菓子を買ったついでに、ばら売りのお菓子を買って、
Bさんに渡そうとした。
そこで再び、Bさん。
思い切り困った顔をして、
「え!!ええ、いやだあ。こんなことしてもらっちゃ、本当困るわあ。
またわたし何か、あなたにお返ししなくちゃならなくなるわあ」
本当に嫌そうである。
ここで受け取ったら、世も末と言ったような、固辞の仕方である。
よっぽど借りができるのが、苦痛なのだろう。

 Aさんの方も、一度差し出したお菓子を今更ひっこめるわけにはいかない。
「いいから、いいから。ほんのちょっとなんだから」
「ダメダメ、困る困る」
の押し問答の末、
結局Bさんが根負け。
「そお? それじゃあ、まあ。ありがとう」
とようやく、お菓子の袋を受け取った。
渋々といった感じだ。
今度はAさんの勝ち。

 結局受け取るのだったら、最初っから
「わあ、うれしい、ありがとう」と受け取っておけば、お互い気持がいいのに、
と思う。

 受け取ったあともBさん、脇にあったケーキのショーケースをのぞきこんで、
「ねえ、あなた、何か食べたいものない? 買って差し上げるわ」
と、一刻も早く、さきほどの負債を清算したいようであった。


 はたから見ていて、ついつい、頑ななBさんの態度にばかり気持ちが向いてしまったけれど、
日頃から、Aさんが、何かと言うと人に奢りたがり、ものを与えたがる方だっとしたら、どうだろう。
Bさんの負担感というのも、わからないでもない。

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S氏その後……

2010年09月05日 | インポート
 隣席のS氏はこの4月、わたしと一緒に異動してきた職員である。

 複数の仕事をあれもこれもと一遍に抱え、日々慌ただしいのは、相変わらずである。
療養休暇明けの同僚が、今だ「リハビリ中」とあって、彼女の仕事の大半を、引き続き彼が受け持っているためでもある。

 彼の机の上は、仕事関係の書類が積み重なり、あるものは、風に吹かれて下に舞い落ち、
あるものは、なだれをおこしている。
 これで請求書の一枚もなくならないのが不思議なくらいである。
ビリビリと緊迫した雰囲気が伝わってこないのは、争いごとを好まない彼の人柄のためか。
それとも、そういうし~んとした険悪な雰囲気が苦手なためなのか。

 お客さんからの問い合わせに対しても、攻撃を避けるためか、極端にソフトなものの言い方をする。
それが、空気が抜けたような、独特なしゃべり方なので、毎日隣で聞いているわたしは、
彼の「ものまね」ができるようになったほどである。

 複数の仕事を同時進行しながらも、周囲360度すべての方向に、アンテナを張り巡らし、
すべてのできごとに何らかの反応を返すことを使命としているようでもある。
 副所長が、「さーて、今日の昼飯はなんにすっかなあ」と半ばヒトリゴトとも言えるセリフをふと漏らしただけで、
「風邪ひいてるときは、体力つけなきゃ。ぐふふふ」だの、
「今日は、カレーといきますか。コロッケ付けて。ぐふふ」などと、素早くつっこみを入れる。
 人の出入りの激しい管理課である。そのたびごとの、ねぎらいの挨拶、ご機嫌伺いは、もちろん忘れない。

先日のことである。
わたしが、定時の鐘が鳴っても慌ただしい彼を尻目に、いつものごとく、サッサと帰ろうとすると、
「TOMATOさ~ん、日傘!日傘をお忘れですよ~」と、S氏が、黒い小ぶりの傘を持って追いかけてくるではないか。
 周囲への配慮は、夕方まで健在、仕事とは関係のないことにまで発揮されるものらしい。

 さて、老朽化が進んでいる我が職場の建物。
あちらこちらにひずみが生じ始めている。
まず初めに壊れたのは、入口の自動ドアである。
誰もいないのに勝手に反応して開いたり、逆に、跳んでもはねても開かなかったり。
気付くと開きっぱなしになっていて、せっかくの冷房の冷気が外に垂れ流しになっていたり……。
 どうやら、海に近いことによる、塩害だということらしい。

何かが壊れた、足りない、などと問題が発生すると、まず呼ばれるのはS氏である。
その時も、修理業者に連絡したり、修理にかかる予算を本庁に要求したりと、しばらくの間、かかわずらわされていた。

 それが落ち着いたと思ったのも束の間。
今度は、女子トイレが詰まり、修理したものの、いまひとつ水の流れが悪い。
またいつ詰まるか分からないという状態である。
トイレの問題は、深刻である。
ただでさえ、女子職員の数に比べ、トイレの便器の数が少ない。
列ができることもしばしばである。自分が用を済ませたあとに、
入れ違いにすぐ顔見知りの同僚が入ることもざらである。
こんな時に、水が流れないかもしれないとあれば、気が気ではない。

 さっそく呼び出されたS氏。女性職員をトイレの入り口に「見張り」として立たせ、
何とか詰まりを直そうと、ゴム製の詰まり補修器(正式な名前はなんというのでしょう。
 棒の先にゴム製の円錐が付いていて、シュパシュパやって、水を通そうとする道具です)を手に、奮闘。
何とか流れるようになった後も、
「トイレが詰まりやすくなっています。そっと流したあとは、水の流れを見守ってください」
などと張り紙を貼って様子を見守っている。

 そうかと思うと、先日、朝も早くから、天井からいきなり水が勢いよく滴り始めた。
雨の降らない今日この頃、雨漏りでもないだろうに、と2階をチェックしてみたら、
レントゲン室からの水漏れだったそうだ。
レントゲン技師N氏の不始末ということらしいが、
そもそもの、建物の古さ、床のもろさがうかがわれる。

 当時、S氏。幸いにというべきか、たまたま所用で、近場に出かけていて不在であった。
天井の板をはずしたり、ビニールで応急処置を施したり、その場に居る職員だけで、悪戦苦闘していたが、
どうにもならん、業者にも連絡しなくてはいけないということで、結局、
「Sを呼べえ~」という上司のひとことで、彼の出張先にまで電話がいき、急きょ呼び戻された。

 問題が起きると、そこにいようがいまいが、引っ張り出されるのである。

 あまりにもこんなことがたて続きに起こるので、最近では、
彼の方へ向って職員が歩いてくるだけで、顔を伏せ、
「ひえ~。今度は何が壊れたんですかあ~」とおびえて見せる。 
周囲からは、「今度は何が壊れるか楽しみだねえ」と面白半分な、無責任発言まで飛び出す始末。

 相変わらず悲壮感というものが漂わないのは、俺ってこんなに頼りにされちゃってるんだもんね、
という彼自身のうぬぼれみたいなものがあるのではないかと思っていたが、
さすがにこのところの暑さも手伝って、まいってきているのではないか。

 わたしにできることといえば、彼の任務を増やさないために、せいぜい、
帰りがけに日傘を置き忘れないように気をつけることぐらいである。


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真夏の昼のお片づけ

2010年09月04日 | インポート
火事場を歩いているかのような酷暑の中、帰宅。
靴を洗おうと、庭の水道をひねると、ホースの中に溜まった水が、「熱湯」になって出てくる。
大げさなようだが、涼しくなることだけが、当面の”生きる励み”になっている。
 天気の週間予報をチェックすると、なんと一週間後も、今日と変わらない最高気温。
一気に気力が失われる。

 明日は、通信大学の文化祭なのだが、会場は駅から遠い。
炎天下を歩くのは、どうにもこうにも気が進まない。
しかも傷めた足は、まだかすかにだが、痛い。
本当は、人間関係を広げるチャンスなのだが、
いいよ、そんなに強迫的にならなくてもと、足と太陽にお許しを得たと思って、
行かないことにする。

 さて今日は、ボンボン冷房つけながら、部屋の整理をする。
少し油断すると、いろんなものが溜まる。
一番多いのは紙製品。
 ダイレクトメールは、すぐさま、処分するものの、
当分の間とっておこうと引き出しにいれておいた、パンフレットや催し物のお知らせの類、
チケットの半券、口座引き落としの通知。
 パソコンからプリントアウトしたまま、すっかり忘れていたおいしい店情報。
新聞から切り抜いた人生相談の回答。
 医療機関の領収書。
 給料明細書。
 何かに使うかもしれないと取っておいた、小奇麗な包装紙や封筒。
 手紙やはがき……等など。
こうしたものは、何を基準に、保存しておくものなのか判断に迷う。
そして、何を目途に、見切りをつけて、処分するものなのか、さらに判断に迷う。

 しかし、以前なら、もう少し取っておこうと思ったものが、
今回あっさりと、捨てる気になっていることもある。
勢いがつくというのか、”捨てたい!”という気分が盛り上がっている状態というのもあるらしい。
 そんな時は、半透明のごみ袋が、いっぱいに詰まると、実に爽快である。

 さて、今回、あちこちの引き出しをひっくり返していたら、
2000円札を一枚、発見した。
そういえば、発行早々、記念として、銀行からもらってきたのだった。
 記念に持っている人は多いとは思うけれど、実用的価値がいまひとつ。
その紛らわしいデザインが不評で、レジでは迷惑がられる存在。
 長年、レジのある職場に就いているが、すっかりその姿を見かけなくなった。
発行された事実さえ、今では忘れられているのではないか。

 部屋の片づけをしていると、たまにこうした掘り出し物にあたることがある。
 とはいえ、これは記念コインと同じ。
お金といえども、使わずにとっておくので、あまり”得をした”という気分にはならないのですけどね。

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