TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

名付け親

2010年04月28日 | インポート
 読売新聞、朝刊社会面の4コマ漫画『コボちゃん』の田端家に、第2子が生まれるということで、
先日その子の名前を募集していた。
 弟か妹かは未定とのことである。
 
 さてこの一家、お爺さん山川岩夫(60)、お婆さん山川ミネ(52)、お母さん田畑早苗(29)、
お父さん田畑耕二(33)、そして、田畑小穂(5)から成る5人家族。
 この家族の名前の傾向からいって、生まれてくる第2子も、田んぼや畑に関係する
名前が予想される。
 サザエさん一家にあやかって、海産物または海の生き物の
名前で応募したら、ボツになることは間違いないだろう。

  年をとらないというのが、アニメの登場人物の宿命である。
サザエさん一家の、タラちゃんも、ワカメも、カツオも、
いつまでも、幼児や小学生のままである。イクラちゃんにいたっては、
ハーイとだけ言い続けて○十年。
 くれよんシンちゃんもしかり。
彼らがわざわざ年を取らなくても、視聴する子供たちが大きくなっていくので、
それほど違和感はないのである。

 こうしている間にも、コボちゃんの弟だか妹だかは、胎児として刻々と育っている。
漫画の中にも、つわりや胎動を経験する早苗さんの様子が時々描かれている。
 もしも生まれてきたら、胎児だけに10か月の、時間が流れたことになる。

 マンガのキャラクターが、ある程度個性を持ったものとして機能するには、
少なくとも言葉をしゃべる3歳ぐらいにはなる必要があるだろう。
 いつまでも、新生児では、家族の歴史が発展していかないし、
一向にハイハイする気配さえない赤ん坊に縛られては、早苗さんも、たまったものではない。
 大人の場合は、年齢の変化は、ぼかすことはできるが、
弟だか妹だかとの年齢差を考えても、コボちゃんも、いつまでも幼稚園児というわけにはいかない。
 いよいよ、彼も、小学校入学か……。

 などと、今後の展開に少々興味を抱きつつ、
早速、何となくひらめいた名前を投稿した。
 

 
 

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心にゆとり、財布にポイントカード…

2010年04月24日 | インポート
 ドラッグストアー、スーパー、ファミリーレストラン……
レジでの精算のときに聞かれることの多い、ポイントカード。

 不精なわたし。無料ですから、と言われるままに、作ってもらった時期があったものの、
どうも精算のときに出すのが面倒で、最近では、はなから作ってもらうのもやめてしまった。
どうせ、大した額にはならんだろう、と軽くみていたのである。
が、なかなかどうして、一回の額はわずかでも、何度も利用する店というのは決まっている。
 今までに、ポイントカードの有無を聞かれた回数だけ、
マメに提示していれば、今頃は、かなりのポイントが集まっていたのではないか。
 まさに塵も積もれば、である。
 それが悔やまれる。
 それならは、今からでも作ったらどうなのさ、と思うのだが、
 やっぱり続きそうにない。

 この不精さは、ただの面倒臭がりと言ってしまえばそれまでだが、
それだけではない。
 いつもなんだかせきたてられたような生活をしてると、いちいち小さなことにわずらわされたく
ないと思うようになる。
 財布からちょっとカードを取り出すという、それだけの手間も何だか、
負担に思えてくるのである。
 一回一回は微々たるものでも、それをこつこつ積み重ねていくことの
偉大さ、みたいなものを、まどろっこしく感じるようになる。
これは何もポイントカードを出す出さないといった問題だけの話しではなない。
一事が万事。
 つまり気取った言い方をすれば、道端に咲く花に目をやるゆとりってやつがなくなるのですね。

 それでは、役に立ちそうな大きなものって一体何なのです?
それ以外を、切り捨て切り捨てしていけば、いったいどんな大事なものが残るのですかと
問われれば、答えもない。


 レジでの精算場面。
  「お買い上げ、1,829円です」
と言われた客が、
「あ、9円あります」
と威勢よく答え、なんとしてでも9円出そうと、財布を広げてもたもたしている場面は、
よくあることである。
 こういう方というのは、行きつけの店すべてのポイントカードを漏れなく集め、
精算のときには、面倒がらずに、必ずカードを出すのではないか、。
 サッサと出せよ、と後ろで待っている人をイラつかせる難点はさておき、
こういうのも、寛大な意味でのゆとりではないだろうか。
 買い物するごとに増えていくポイント。
10点たまれば、100円の買い物券になる場合もある。
 その店独自のオリジナル景品と交換というのもある。
 あるいは、値引き。
ひとつひとつは、ささやかといえばささやかであるが、小さな楽しみを、あっちこっちの
引き出しに持っていたほうが、豊かな気分で過ごせるのではないか。
 こうしたものの集まりが、人生の楽しみを作っているとも言える。

 横着なわたしにも、珍しく、ポイントカードを集めようとしたこともある。
ひとつは、あるコーヒーチェーン店で発行していたもの。
 飲み物一杯でスタンプひとつ。
10ポイントで、コーヒーSサイズと交換できる。
飲食物がからむと、不精およびせっかちなわたしでも、意欲が増すと見える。
 そもそも、コーヒーを飲みに行く時は、時間に余裕があるもの。
ゆっくりとカードを出そうという気持ちにもなろうというものである。
有効期限が決まっていないというのも気にいっていた。

 ある時、その店を久しぶりに、訪れた、
すると、そのカードのサービスは終了しました、と言う。
 有効期限が決まっていないからと言って、必ずしも、無期限といわけではないらしい。
むしろ期限がないだけに、いつなくなるかわからないという不安定さの上に成り立っていたのである。
 珍しくマメに出れば、これである。

 先日、近くのスーパーで、雨の日カードというポイントカードをもらった。
文字通り、雨の日または雪(最近の天候不順を見ればこれもあり得る)の日に来店して、
1000円以上買い物をしたら1ポイント。
10ポイント集めれば、日用品からなる景品がもらえるというもの。
 いろんな理屈のカードがあるものである。
 期限は5月末日まで。
 さて、駅とは反対側にあるこの店。
わざわざ雨降りの日にまで、行かないような気がする。
 5月末日までなんて言わずに、梅雨の季節にやってくれたら、話しは別なのですがね。

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え、また?

2010年04月21日 | インポート
 隣人S氏が、午前中、古巣の本庁に、事務の引き継ぎに出かけた。
 S氏によると、彼の仕事を引き継いでくれる人が、なかなか決まらなかったのだとか。
想像するに、なんでも引き受けてしまう彼のこと、その仕事量が、後任をたじろがせるほどの
大量なものだったのではないか。
 そう考えると、人の良さというのも、後を引き受けるものにとっては、あまり有り難くない話ということになる。

 さて、4月早々、いきなり来なくなった同僚の女性は、果たして予定通り、ひと月で出勤するのか。
ウワサによると、どこの所属に行っても、 何かのきっかけでキレてしまい、巡り巡って、この所属に
まわされてきたのだとか。
 会計の仕事は、お金相手なので、比較的、人に迷惑がかからないということだろう。
 ただし、この場合の”人”というのは、あくまでもお客さんのことを言うのであって、
彼女の分を穴埋めすることになる同僚は、ここで言う”人”には、はいっていないのである。

 偏見かもしれないが、メンタルな事情で、長期に休暇をとる人は、圧倒的に女性に多いように思う。
ホルモンバランスのしくみが影響しているのか、それとも、男性の方が、がまん強くできているのか。
 一家の収入を担っているのは、今の時代でも、やはり男性の方が多いので、そう簡単に休めない
という事情もあるだろう。
 からだの病気のように、はっきりとした検査データがあるわけではないので、本人が調子が悪いと言えば、
悪いのである。
 なんでもかんでもひとくくりに考えるのは、これもまた安易ではあるが、医師のほうも、あまりにも
簡単に診断書を出していないだろうか。

 最近あまりにもこういうケースが多いので(特に役所)
ええっ!またなの?と、当人の体調を慮かる気持ちには全くなれない。
 が、その一方では、仕事がたてこんできたりすると、一体どういうふうに訴えれば、ひと月自宅療養を要す、
の診断書を書いてもらえるんだろうと、つい参考にしたがるわたしがいることも確かなのである。
 

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対極の隣人

2010年04月17日 | インポート
新しい職場で隣人になったS氏は、わたしと同世代の男性である。
今年4月、本庁から転勤してきたばかりである。

着任早々、彼の周囲はいつも何やらせわしない。
「この日までに、追加で○○円の支出をお願いします」だの、
「免許の申請のお客さんが来ました」
だの、急を要する仕事が次から次へと持ち込まれるのだ。
彼自身、周囲のあらゆる要求にこたえようと、いつも、神経をはりめぐらしている。
そうかといって、決してピリピリとしているわけでなない。
雰囲気としては、調子のいい営業マンといったところか。
ものを頼みやすいし、尋ねやすい。
だからこそ自然に、仕事が集まってくるといった具合である。

今月、年度が始まってすぐに、出勤しなくなった女性の職員がいる。
ちょっとやそっと休んでも簡単にはクビにならない役所ではよくあることである。
その彼女の受け持っていた物品調達の仕事を、当面、誰が引き受けるかという相談にはいる前に、
すでに彼が引き受けることになっていた。
どうも頼まれる前に引き受けるたちのようなのだ。
自分がその使命を帯びていると思うのだかどうなのだか……。
そういう人柄が災いし、もともと持っていた彼の仕事量に輪がかかることになった。
職場にとっては、大変都合のいいというか、重宝される人材である。

職員数の多い職場なので、消耗品の在庫がなくなるペースが早い。
トイレットペーパーがないんです、コピー用紙がありません、などという職員からの
無遠慮な要求が持ち込まれるたびに、
「ひえ~。みーんな、わたくしが悪いんです」などと、言いながら走り回っている。
上 司がなにか彼に用事を頼もうものなら、これまた鉄砲玉のように駆けだしている。
席をあたためる暇がないとは全くこのことである。

 彼曰く、3月までいた職場では、連日夜中の3時4時までの勤務がざら。
これではとても家庭が回っていかないということで、今回、出先機関への異動を希望したとか。
 確かに本庁勤務は、職場に宿泊も珍しくないと聞くが、周りの要求に振り回され、
自分の仕事が後回しになる彼の性分にも一因があるのではないか。

 たまに腰をおちつけて仕事に取り組める瞬間が訪れても、
自らボケと突っ込みを入れながら仕事をしているので、やはり彼の周囲は賑やかである。
遠くの方で行われている会話にも、なにかしら反応を返さなくてはいけないと思っているようで、
ウケたり、感心したりしているので、席に座っていても、気が休まらないようである。
 初めのうちは、何か反応してあげなくては気の毒なような気がしたが、
こちらも着任したばかり、慣れない仕事に精いっぱいなので、
近頃は、彼の少々騒々しいひとりごとと心得て、聞き流すことにしている。

 先日のことである。
私の事務机の上に置いてあるコップが、何かのはずみで倒れかけた。
すぐ横には、パソコンと書類。
幸いにしてコップは空っぽ。立て直そうと、わたしがゆっくりと手を伸ばそうとしたその時、隣から
手拭いが飛んできた。
水浸しになると判断したS氏が、咄嗟の判断で、手近なところにあった手拭いを
投げてよこしてくれたらしい。
あれほど慌ただしく走り回っているというのに、視界の端っこでは、
他人の机のコップの動きまで、しっかりととらえているのである。

 「事務用品?そこのロッカーになければ、ないんじゃないんですか?」
と、愛想はいいが、決して自ら動こうとはしない私とは、なにかにつけ対極にあるS氏。
 こういう人もいるのだと、つくづく感心することも多い。
悲壮感が漂わずむしろ滑稽な雰囲気が漂うのは、
こんなにたくさん用事を頼まれちゃって、なんて忙しい僕なんだろう、と彼自身がそういう状況に
酔いしれているからではないのか。

 職場で好かれるとはいったいどういう人のことだろう。
ひとことで言って、仕事を頼みやすい人、つまり、他人にとって
都合よく動いてくれる人のことをいうのではないか。
それだったら敢えて好かれなくてもいいかも、と
「ドヒャーン」
「ガピーン」などと、アニメの吹き出しよろしく、言葉にならない感情を吐き出しながら
駆けだしていく彼を見ながらそう思うのである。






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何某(なにがし)何子でございます

2010年04月10日 | インポート
 転勤してまず最初にとまどうのは、同僚の名前である。

つまり、誰が誰だかわからん、ということである。
 以前いた職場は、職員が30人足らずの、小さな事務所であったが、
今回の異動先は、70人近い大所帯である。
 さすがに、同じ課の職員の名前は、とっさに口をついて出てこないということはあるが、およそ覚えた。
 しかし、ほかの課の人々については、通行人と同じ、わたしにとっては、名無しのごんべいである。
 職員の給与や健康管理などを分担していないので、仕事上、名前を覚える機会も少ない。
 かと言って、仕事以外の場を生かして、積極的にコミュニケーションをとろうというたちでもないので、なおさらである。
 初めに、マスクを付けた状態で会った人のことは、ずっと、マスク顔としてこちらの頭にインプットされて
いるので、外でマスクなしの顔で出会っても、きっと誰だかわからないだろう。

 こういう時の助っ人は、「座席表」である。
誰かに用事があるときは、これを見れば、一目瞭然、
目指す人は、だいたいどこの課の、どの辺にいるものなのかが、わかる。
 課長の斜め前、前から2番目、などと見当をつけて、わき目もふらず、直進する。
こういう時に、すれ違うもろもろの人間に注意をそらせられて、あちこちよそ見をすると、
たちまちのうちに、「はて?何番目だったからしら」と、
先ほどの見当をすっかり忘れ去ってしまうので要注意である。

 目的地あたりにたどり着いたら、たぶんこの人だろうという方を向いて、遠慮勝ちに、
「○○さん……」と大きめな声でつぶやいてみれば、振り向いたのが、ご本人である。
 そのように訪ねて言っても、特に出張の多い専門職の方はなおさら、席にいるとは限らない。
たまたま席をはずしていて、誰か別の人がそこに座っているということもある。
 そういう時は、周りの人が心得ていて、
「誰それさんは、お休みです」だの、
「主張中で、午後から出勤します」だの教えてくれるので、それはそれでひとまず、
用件がひとつ済むのである。
 
 さしあたり、こっちが用のある人のことしか、頭にない。
たった今、ご本人の不在を教えてくれたのは、いったい誰なのかは、もちろんわかっていない。
 あとでまた出直そうと、引き返してくるものの、何か大きな仕事を
やり残したような気がかりがひとつ増える。
 
 人の名前と顔が一致しないうちは、こんな簡単なことひとつにも、エネルギーを使うのである。


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