TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

それぞれの震災―美容師さんの話

2011年04月29日 | インポート
 およそ2カ月半ぶりに、美容院へ行く。

 カットの間中、世間話は、どうしたって震災の話になる。
「はさみを使っている時に揺れたら、怖いですよね」
とわたし。
 美容師さんが語るには、揺れた時、たまたまカット中のお客さんはいなかったのだが、
カラーリング中だったり、シャンプーしたばかりだったりして、処理が大変だったようである。
 幸い、近所の花屋さんが、ポットにお湯をいれて運んでくれたそうだが、
こうした洗髪の仕方は、初めてのこと。
 ふたりがかりで、いつもの何倍も時間をかけて、カラ―液を洗い流し、
停電のためにドライヤ―も使えず、何枚ものタオルを使って、
髪の毛の水気を拭き取ったのだそうである。

 あの時間、さすがに自宅で入浴中だったり、シャンプー中だったりした人は、
あまりいなかっただろうが、美容院や床屋さんの場合なら、大いにありうることである。

 スタッフも大変だが、客の方も心細かっただろう。
なにしろ、あのテルテル坊主のような、ビニールのうわっぱりをかぶった状態である。
 しかも、髪の毛はカラーの薬品がべっとりついたまま、あるいは、シャンプーしたばかり。
揺れがひどくなり、躊躇する余裕もなく外に飛び出したりしたら、
後あと、その格好では、さぞかし具合が悪かったことだろう。

 くだんの美容師さんは、母親と、90歳になる祖母の3人暮らしである。

 彼の話には、よく、この同居する“おばあちゃん”が登場する。
少々惚け初めていて、時々冷蔵庫に、まさか、というようなものが入っているそうである。
 彼の語るおばあちゃんは、どこかユーモアがあって、明るい。
直接世話をする母親とは違い、一歩離れて祖母のことを見られると話していた。

 そのおばあちゃん、何かあるとすぐに仏壇の前に座る癖があるそうで、てっきり今回の震災で、
「ぺたんこになっているかと思いました」
と、笑う。かなり大きな仏壇らしい。

 震災当日、電話もつながらず、すぐに停電にもなったので、てっきり、ご飯も炊けないだろうと思い、
彼は美容院から徒歩で帰宅する道すがら、コンビニで3人分のお弁当を買って帰ったそうだ。
 すると彼の母親もまた、同じことを考えて、やはりお弁当を3つ買って帰宅。
ところが、彼らが帰る頃には、電気も復旧していたので、留守番をしていたおばあちゃんも、
(ぺたんこにもならず)しっかりご飯を作って待っていたそうで、
 彼曰く、「その日は、結局パーティーのようになっちゃいました」。

 帰宅困難者に買いあさられ、ほとんど食べ物の在庫がなくなったコンビ二。
温かい缶入りスープ1本も手に入れることができなかった人がいるかと思えば、
このように、偶発的ながらも、食糧がてんこ盛りになってしまったお宅もある。

 人が100人いたら、100人分の、3・11があるのに違いない。
それは悲惨な話ばかりとは限らない。
 日常からかけ離れたできごとがあった日であればあるほど、
あとから振り返ると、滑稽なことだってたくさん起きているのに違いない。



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失われなかったもの

2011年04月22日 | インポート
 昨日より、両親が揃って、広島へ2泊3日の旅行にでかけた。

 3月の末に予定していたのだが、父の入院騒ぎや地震の余韻などもあり、
延期になっていたのである。
 父の入院中、父母と同じ年頃の老夫婦が、連れだって歩く姿が、ことさら
目についた。
 街ゆく彼らと同じように、両親がふたり連れだって歩く日は、もう来ないのだろうか。
あちらこちらに、両親と同じ世代の夫婦がいるというのに、なぜ、うちの親はいないのか?
 たくさんのものが失われた地震のあとだっただけに、なおさら、喪失というものが意識されたのかもしれない。

 
 母から聞かされた父の容態は、大したことがないようであった。
しかし、津波で変わり果てた街の映像を、繰り返し見たせいか、
父親のほうも、なにか得たいのしれない状況になっているような気がして、
わたしは、すぐに見舞いに行くことはできなかった。
 その代わり、お気に入りのコーヒーショップに出かけ、いつもの、モーニングセットを注文した。
今思えば、あの時、いつもと同じメニューを頼むことで、
「何も変わったものはない」
ということを、確認したかったのである。

 容態が落ち着いているとはいえ、年が年である。
しかも、いつまた地震がきて、会えなくなるかわからない。
検査中の事故ということだって考えられる。
 それを思うと、急に、いてもたってもいられないような気分になり、
 3月14日、計画停電が始まり、東海道線も、横須賀線も
運行見合わせになったのをいいことに、
「バスで行くので遅れます」と
職場に電話して、わたしは父に会いに、病院へ行った。
 おなかを壊して脱水症状になったというだけあって、多少やつれてはいたが、
一番心配だった、頭の具合の方はまずまず大丈夫、しっかり意思疎通もできている。
 そのことを確認してから、ゆっくり職場に向かった。
 2時間たっぷり遅刻したけれど、わたしにとっては、
職場に一刻も早く到着するよりも、父に会うことの方が、よほど大事だったのである。

 
 日頃、親と同じ屋根の下に住んでいれば、いさかいと言うほどのことはなくても、
葛藤が生まれる。
 しかし、結局のところ、うっとうしいだのなんだのと言っていたって、ひとたびこうしたことが起きれば、
がれきの山や、避難所、遺体安置所を何日も何日も、諦めきれずに、
探し回るだろうということが、今回のことでわかってしまったのである。

 子供の頃は、家族旅行の名のもとに、わたしも加わって、3人でしばしば出かけた。
そこに息子が加わり4人となり、そしてまた、彼らふたりに戻ったのである。
 そのことに寂しさを感じないわけではないけれど、
それでもわたしは、 思い描くことができる。
「忘れ物はないか」
と出かける前に、指さし確認する父。
 バス停までの道のりを、ポツポツと歩いて向かう二人連れ。
新幹線の駅構内では、方向音痴の母が、そこに居てね、と父に念押しをして、
売店をあちこち覗きこむ―。
 行動を共にしていなくても、彼らの姿を用意に想像することができるのである。

 懐かしさと感傷的な気分。
これを味わうためだけでも、たまにはこうやって少しの間でも、距離をおくのも悪くはない。

 それにしても、夜帰宅して、家に誰もいないというのは、さびしいというよりも、
なにやら間が抜けている。
 ひとりで住むということは、閉めっぱなしの雨戸も、新聞の位置も、食器の並び具合も、
すべてが朝家を出た時のままであるということなのだと、気付かされる。

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あら、びっくり

2011年04月14日 | インポート
「保育園の時、一緒でしたよね?」

 この四月に異動してこられた女性職員に、職場で声をかけられた。
「え?」
急なことに、一瞬とまどったが、すぐに合点がいく。
 息子を保育園に通わせている時に、同じクラスだった勇太郎君。
なんと、そのお母さんではないか。
何だか似ているなあと思っていたものの、桜田さんという名字と、
「勇太郎のお母さん」という存在が、わたしの頭の中で結びつかなかったのである。
「え~、あら~。県職員だったんですね!びっくりです」
とわたし。

 職場での会話だったので、そこまでで本日の会話は終わり。
本当は、
「勇太郎君は、お元気ですか?」
「絵がお上手でしたけど、その道に進まれたのですか?」
「保育園に通われていた頃は、どちらに勤務されていたのですか?」
 などと、懐かしさのあまり、いろいろと聞きたいことが湧き上がったものの、
考えてみれば、息子たちが保育園を卒業して、かれこれ15年がたつ。
 わたしたちの間にも、それだけの長い歳月が、横たわる。

 その間、母親同士で、連絡を取り合ってきたわけでもない。
お互い、同じ地方団体の職員であったことを、今知ったぐらいの遠い関係だったのである。
 どこまでプライベートなことを尋ねてもいいものやら……。

 同じ職場にいるのだから、これから仕事上のかかわりは増えるだろう。
仕事は仕事、プライベートはプライベート、と割り切って、フツーに会話すれば
いいのであるが、どうも意識してしまいそう。
 
 朝夕、子供を迎えに行った時に、慌ただしく顔を合わせるぐらいの間柄で、それほど
付き合いがあったわけではない。
 それでも、わたしにとっては、「桜田さん」という同僚であるというよりも、もはや、
「勇太郎君のお母さん」という感覚の方が、ピンとくるようになっているから、不思議なものである。

 

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管理課の新年度

2011年04月03日 | インポート
 来週から、朝のラッシュ時に限って、電車のダイヤが平日用に戻される。
暖かさが増し、電力の需要が供給を下回る日が続くとの見込みもあるのだろう。

 知事選の行われる年の、本格的な人事異動は、6月に行われる。
それでも、若干の異動はあり、4月1日を挟んで、去る人来る人、新旧入り混ざり、席替えなども
行われ、例年のごとく、落ち着かない新年度が始まった。

 しかし、いくら落ち着かない、慌ただしいといえど、スイッチを押せば電気がつき、ホームで
待っていれば、電車が時間通りにやってきて、昼になれば食事ができる、
夜には布団に入って眠れるだろうということを(例え、幻想であるにせよ)信じることができるというのは、
実はこの上なく、安定した生活なのである。

 わたしの属する管理課には、アルバイトのPさん、再任用職員O氏が、新しく配属された。
再任用職員というのは、60歳の定年を迎えたあとも、引き続き、非常勤職員として働く方のことである。

  O氏には、窓口業務を受け持っていただくことになり、
先日、その引き継ぎを行った。
 彼に仕事の手順を説明しながら、ちょうど1年前、自分が異動してきた時のことを思い出す。

 前任者がごっそりと異動してしまったため、誰にも細かい仕事を尋ねることはできず、
頼みは、前任者が残してくれた、丁寧な事務引継ぎ書と、前年度の書類。
 それらをあっちこっちひっくり返しながら、知らぬ存ぜぬの態度の周囲への怒りと
悲壮感に燃えながら、過ごしていたのだった。
 「この状態を続けられるのか」
と、深刻な気分に陥り、通勤定期なども、半年分ではなく、3か月分しか購入することはできなかった。

 それが、1年もたつと、何とか回るようになっているものである。
 今では、こんなこと初めからわかっていました、みたいな澄ました顔して、O氏に対して仕事の
説明などしているではないか。
 おまけに、内心では、
「フーフッフッフ。これから慣れるまでが、すごーく、大変よ~ん」などと
意地悪いことを思いながらも、表面的には、
「そのうち、わかるようになりますから大丈夫ですよ」などと、親切げなセリフまで吐いている。
 年月というのは、偉大である。

 偉大とは言い難いのは、同じ年月でも、年齢である。
年を重ねると、新しい仕事を覚えることの、負担感は重くなる。
ましてや、O氏にとっては、今までやっていた仕事とは、全くの畑違いの分野である。。
そうとうストレスがたまるらしく、しばしば席を立つ。
 そして、身体一面から、タバコの匂いを染みつかせて、戻ってくる。
 受動喫煙防止条例が、施行されて一年たつが、
あれって匂いのことまでは、関知していないのだっけ?
身体にまとわりつく残り香って、有害ではないのかしら?
 とそこでまた、わたしの”気になり癖”が働く。

 この匂いが、今後、ますます嫌なものになっていくのか、それとも、気にならなくなってくるのか、
興味深いことである。


 こうしてまた新しい年度が始まった。

 席替えをしたことによって、隣人S氏は、わたしの真向かいになった。
彼の大きな顔を、真正面にデンと見据える位置というのも、なかなか圧倒されるものがある。(マ、オタガイサマですが)。

 震災のあった日、わたしはたまたま事務所にいなかったのだが、S氏が当日の様子を、
「そりゃアー、まアアアア~、すごいの、なんの。事務所がこんな風に、バックンバックン波打っちゃってました」
と興奮しながら、ゼスチャー付きで、説明してくれた。 

 今も相変わらず、計画停電だ、発電機、発電機!と言っては飛び出し、
誰それのパソコンの調子が悪いと言っては呼び出され、コーヒーメーカーに入れる水を汲みに
給湯室に行った先で、用事を頼まれ、30分もたってから戻ってきた、
などという、慌ただしい日々を送っている彼である。

 バタバタとせわしないと言っても、彼にとっては、それがいつもの日常、管理課の風景なのである。

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