TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

確定申告

2024年01月27日 | エッセイ
医療費控除の申告をするために税務署に行った。
大きな病気はしないものの、年々、医療費がなんだかんだとかさむようになってきた。
特に、昨年はぎっくり腰やら眼科の定期診察で、大幅増となった。
年を取ることはお金がかかること、というのはよく耳にするが、その手前にさしかかっている。

この時期はまだ確定申告には早く、還付申請だけの受付なので、比較的空いている。
これが本番を迎えると、説明を聞きながら申告書を作りたいという多くの高齢者で庁内はぎっしりと埋まる。

なぜ税金の仕組みや申告書の書き方というのは、あんなにフクザツでわかりづらいのだろう。
本格的に勉強しないからかもしれないが、その労力に見合うだけのメリットもなさそうだ。
で、気がついた。
今年までは職場で源泉徴収がされ、確定申告も職場経由だった。
来年からはそれがなくなる。
もしも非常勤職員になったり、アルバイトをすることになったら、どこをどう書けばいいのか。
年金受給者になったら……?
退職によって職責はなくなるかもしれないが、今まであたりまえにやってもらっていたことがすべて自分の肩にかかってくる。
とはいうものの、その時になればなんとかできるんじゃないの、という「先送り願望」が今のところ優勢ではあるのだけど。
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久しぶりのドラマ

2024年01月17日 | エッセイ
NHKドラマ『作りたい女と食べたい女』を見ている。
1回が15分と短いのだが、最近はこのくらい短い方が気軽に楽しめる。
(3時間スペシャルなんて番組もあるが、そんなに長い間テレビを見続ける気力根気はすでになくなった)。
さて、このドラマは作るのが好きな女性と食べるのが好きな女性の話、と言ってしまえば身もふたもないが、”いいなあ、こういう関係”と思わせるものがある。
それだけでなく、場面場面で、さりげなく「常識」というものに???を投げかけてくる。
女性は定食屋さんでは小盛りを食べるのが普通?
週末や、クリスマスを同性の友人同士で過ごすのはおかしい?
年末年始は実家に戻るもの?
一人前ってそもそも決まっているの?
女性は愛想よく話さなくてはいけないもの?
などなど。
「普通」とされているものからはずれていても、自分(たち)が楽しくて、居心地がいいのならそれでいいんじゃないの、とあたりまえのことに気付かされるストーリー展開。
昔、「わたし作る人、僕食べる人」というコマーシャルがあり、固定的な性役割を助長すると問題になったが、もうすでにそれは過去の話。
今は性役割だけではない、いろんな固定観念を飛び越えたストーリー展開のドラマがある。

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健康診断

2024年01月14日 | エッセイ
年に1度の健康診断に行く。
受診項目ごとに、効率的な流れ作業になっていて、受診者も番号で呼ばれる。
スタッフは皆忙しそうな早歩きで、もしかしたら、午前中に終わらせるというノルマがあるのかもしれない。

健康診断の中で1番緊張するのが視力検査である。
結果が悪いとわかっている検査ほど、憂鬱なものはない。
筒(のようなもの)を覗くと、そこには大きさがさまざまな輪っかが並んでいて、明るく照らされた輪の切れ目を答えるというシンプルなものだ。
大きい輪っかのうちはいい。
自信を持って「右!」と答える。
しかし輪が段々小さくなってくると、切れ目もおぼつかなくなってくる。
「右?」と、つい尻上がりな疑問形の発音になる。
そこでスタッフが無言だったりすると「左……」などと言い直してしまい、「左に見えますかあ」などと返ってくると、そこでまた「下!」と言い直す。
するとスタッフがやっと、「はい、合ってます!」と明るく答えてくれるのだが、いつのまにかクイズのようになっている。
結果、以前より視力が上がっていますね、と言われたがこの施設での検診は数年前のこと。
あんまりあてにできないなあ、と先ほどの”クイズ”形式のような検査を思い起こしながらそう思う。

そういえば昔、学校の健康診断では、座高の計測なんていうのもあった。
いったいあれは何のためだったのだろう。
どんだけ短足かを見るものだったのだろうか??
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蛍光灯

2024年01月12日 | エッセイ
住んでいる部屋の蛍光灯が切れた。
1本切れていたのは気づいていた。が、それほど暗さを感じなかったのでそのまま放置していたのだが、2本切れるとさすがに暗い。
天井が高いので、脚立に乗り、上を向いたまま四角いカバーをはずし、中の蛍光灯を取り替え、そして再びカバーを取り付けるという作業は、チビで腕力がないわたしには無理というもの。
まずはシルバー人材センターに電話をする。
すると、「スタッフは70歳を超えているので、高所での作業はお断りしております」と言われた。
高所っていったって部屋の天井なんですけど……。
以前平塚に住んでいた時、シルバー人材センターに頼んだら「高齢なのでふたり体制で来させてください」と言われた。
料金もふたり分かかったのは仕方がないとしても、脚立があるのに、汚い?靴下のまま、ベッドにずかずか乗っかって、照明カバーがきちんとはまっているかを確認していたのには大いに抵抗感があったっけ。

シルバー人材センターが無理となると管理会社しかない。
すると「電球や蛍光灯の交換はキホン、入居者様でやっていただいています」と予想通りのお答えが返ってきた。
そこであきらめず、「そうですよね。でも背が小さいので届かないんです」とすがりつきモードで頼むと、なんとか来ていただけることになった。もちろん蛍光灯はこちらが用意して。
ダメ元で頼んでみるものですね。
ひとり暮らしで背の低い人は、電球や蛍光灯の交換はどうしているのかしら。
日常おこりうるこうした不具合に易々と対応できなくなってきた。

台所(といっても、狭い廊下にシンクが置いてあるだけだが)の電球が切れた時には、右足をシンクに載せて、左足は壁に突っ張って、まるでスパイダーマンのようにして壁をのぼって交換したっけ。
足を滑らせたらタイヘンなことになった。
こんな時は、和室の低めの天井がありがたく思える。
洋間はなぜあんなに天井が高いのだ。
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いらっしゃい、辰年

2024年01月07日 | エッセイ
机の上に小さな12支の置物がある。
うさぎ年を迎えるや否や、座布団の上に主役のうさぎを置いたが、その後、丸1年の間、ゆっくりと愛でる暇もなく、あっというまに「辰」にその座を譲ることになった。
こんな調子で今年もあっけなく過ぎてゆくのだろう。
平穏な時間、いつもと変わりのない日常が大切なのだろうな、というのは、テレビのニュースを見ていると感じることの多い昨今だが、なかなかそのありがたみを感じにくい自分がいる。
「偶然そこにいた、いなかった」ということの重大性にも思いを馳せる年明けとなった。

今日は近くのドラッグストアまで買い物。
プチ、達成感とでもいうのだろうか。
腰が痛い、寒そうだわ、となんだかんだいったって、わたしはショッピングカートいっぱいに食料品やら日用品やらを詰め込んで帰ってくるのが好きなようです。

今年もどうぞよろしくお願いします。
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