TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

春の嵐

2024年03月31日 | エッセイ
29日は、退職式だった。

なんの因果か、朝から暴風雨が吹き荒れ、雨は横殴り。傘をさして外に出るや否や、傘はおちょこに。
電車が遅れては、と1時間ほど早く家を出たが幸い交通機関に影響はなく、会場の前の店で朝食をとりながら時間調整。
店の大きな窓から外を見ていると、風雨ますます強まり、折れて無残になったビニール傘が、横断歩道を吹き飛ばされていく。
植え込みの花が、半分ほど水没し、高いところに飾られた植木鉢の花も雨の勢いに押されてひしゃげている。
目の前の会場が遠く感じられる。
集合時間がせまっても雨風の勢いはいっこうに弱まる気配もないので意を決して外に出る。

会場は、本庁舎3階の大会議場である。
31年前に入庁式が行われた場所だ。
外の嵐とは一転、静かな雰囲気が漂っており、式典の準備が着々と進められている。
退職予定者もポツポツと集まり始めている。
受付で名前を名乗るとスムーズに席に案内される。
お偉方も参列する。毎年の行事とはいえ、粗相のないように、手順を何度も確認したりリハーサルをしたりしたのだろう。
司会の女性が凛として見える。

9時50分定刻。
司会のかたがマイク越しに本日の式次第の案内を始める。
まずはひとりずつ檀上にあがって、知事から辞令を受け取る。
その手順について、スタッフがリハーサルをしてみせる。
檀上にあがり、名を呼ばれたら大きな声で「はい」。そして来賓の副知事に向かって1礼。
さらに辞令をいただく前に1礼、いただいてから1礼、さらに檀上から降りるときに反対側の来賓のかたに1礼、そして壇の下に下りてから、各局長にむかって一礼して、席にもどる……。
何回お辞儀をするのかしら‥‥、きちんとできるかしら、1回ぐらい礼をするのをすっ飛ばしたりしないかしら、と緊張が高まる。
本番が始まり、見ていると、皆さん、教わったとおりに粛々とこなしている。
結果的にはお返事もまあまあ大きな声で、「礼」も回数通りにこなせた(とは思う)が、手順に粗相がないようそちらに気をとられたせいか、受け取る時に知事のお顔をよーく拝見する余裕が全くなく、機械的に終わってしまったのが残念ではあった。(コロナ禍、テレビではしょっちゅうお見かけしたが、知事のナマ姿は初めてだったので)。
さらに、長靴をはいて檀上にあがったのがわたしを含めて2,3人だけ、という事実にも気づく。
ほとんどのかたが、ハイヒールや革靴をはいていらっしゃる。
雨靴で来ようとも、皆さん、会場できちんと履き替えたのね……。(そこまで全く気が回りませんでした)
「やだあ、あの人、長靴だわ‥‥」と気づいた人がひとりぐらいは、いるかもしれない。
どんなに気をつけていても、こんなふうに、必ずや手落ちのひとつふたつが見つかり、あとで忸怩たる思いをするのである。

定年延長が始まった年のせいか、退職者は例年よりも少ないようだった。
式は予定よりもずいぶん早く終わった。
外に出ると、さらに強まった風雨に煽られ、頭から水をかぶる。
長靴の中もすでにびちゃびちゃ。
来し方行く末を暗示するような春の嵐の1日であった。

春嵐退職式の朝無残      
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ご褒美

2024年03月24日 | エッセイ
久しぶりに電車に乗って繁華街に行く。
以前、たまに出かけていた店でモーニングセットを食べるためである。
そこの朝食が特別おいしいというわけではないのだが、懐かしさと、「行ける」というのを確認するために、わざわざこんなふうに、訪れてみたくなることがある。
来店前の期待が大き過ぎるために、「ふうん。まあこんなもんでしょ」という感想を抱いて店を出ることになるのだが、とりあえず「行った」ことでやや満足する。

帰りにデパートの地下を徘徊する。
ス―パーの品ぞろえに慣れていた目には、ちょっと高めのお菓子やケーキが目にまばゆい。
いちごが旬を迎え、あっちにもこっちにも、つやつやとした苺の乗ったショートケーキが花盛りである。
「ひとつ買っちゃおう……」
3時のおやつにしてはちょっと値のはるお菓子を買う時には、自分を納得させる”言い訳”が必要となる。
すぐさま「退職記念、自分へのご褒美」というフレーズが頭に浮かぶ。
有名どころの店を選び、小さめのショートケーキを選ぶ。
「ひとつで申し訳ありませんが」とたいして申し訳なく思っているわけでもないのだが、やはりここでも言い訳がましく言ってしまう。
売り子さんがにこやかに、小さい箱にケーキを入れて「これでよろしいですか」と箱を傾けてわざわざ聞いてくれる。
見れば、ケーキ本体よりも、ドライアイスのほうが幅をとっている。(まあ、これはしかたのないことだが)。
続けて彼女曰く、「お誕生日かなにかですか?」。
わたし、少したじろいで「いえ、退職の人がいるので‥‥」としどろもどろに答える。
(ウソではないが、微妙に自分のことではないニュアンスになっている……)
すると「メッセージカード入れときますか」と彼女。
わたし、慌てて「いえいえ、身内のことなので……」とさらにたじろいでお断りする。
自分自身は確かに「身内」なのだが……。
そうですか、こういうのは、やはり自分のために買うものではないのね、とさみしさ半分。
しかしそれでも、おいしいものはおいしいわね、と思いつつありがたくいただきました。


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最後の出勤

2024年03月19日 | エッセイ
今月末が退職日だが、せっかくなので(って何がせっかくなのだかわからないが)、年次休暇を消化すべく本日から休暇をとることにした。
そのために、今日が常勤職員としての最後の出勤日である。
ならわしとして、最後の日には、副所長が音頭を取って皆さんの前で、紹介をしてくださる。
こちらも「お世話になりました」とかなんとか儀礼的な挨拶をする。
今回のように中途半端な日には、ひとりだけの挨拶である。
4月から、公の機関に週3日ほど、非常勤のような形で再就職するのだが、内示が出ていないので、はっきりと挨拶に盛り込むことができない。
そのため、「4月以降、どこかでお会いするかもしれませんのでよろしくお願いいたします」などという、もったいぶったような、思わせぶりな挨拶となった。

電話交換業務の職員からは、ハンドタオルを。
同じ課の男性がたからは、チョコレートや、どこか有名どころのお菓子をいただいた。
「お返し」のお菓子を配らなかったので、なんとなくいたたまれない思いがする。
言い訳のように聞こえるかもしれないが、「お世話になりました」と言いながら、ひとりずつにお菓子を配って歩くのがものすごく苦手なのだ。

どうもありがとう。

31年間の勤務。退職式に出席したら、実感がわくだろうか。
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命の選択肢

2024年03月09日 | エッセイ
父がおなかを壊して救急病院に運ばれた。
症状はたいしたことがなかったのだが、トイレに間に合わなかったことで母が動転してわたしに電話をしてきた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」という声を聞いて、わたしも思わず「救急車を呼んで」と言ったのが発端だった。
病院に運ばれると、流れとしては検査となる。
レントゲン、尿検査、血液検査、CT……。最近は、初めに、コロナかどうかも検査するので時間もかかる。
搬送されたのが夕方だったせいか、帰宅したのは夜中になった。

翌日、同じ病院の消化器内科に行くと、女医さんがはきはきとした口調で、「おそらく腸炎だと思いますが、確定診断とするためには、除外診断として、大腸内視鏡検査が必要です」ときっぱり。
いろいろ質問する余裕もなく、てきぱきと話を前に進めていく。
その勢いにおされて、同意書を書いてしまったが家に帰ってから疑問がわいてきた。
父は60代の頃、腸のせん孔を起こし、腸も癒着している。
内視鏡の副作用に、腸のせん孔と書いてある。まれに死亡することもあるという。
癒着している腸の間を、器具がぐいぐい押し進めていったら破れるのではないか?
わたし自身が内視鏡では毎回苦労しているので、よけい恐怖心がわく。
検査をするリスクとしないリスク、どちらが大きいのか?
(そういえば、コロナワクチンの時にも、するリスクとしないリスクについて、そうとう議論されたっけ。)
しかし今回は極めて個人的な事情がある。
父は今年90歳。検査台に上がるのも覚束ないだろう。そもそも、前準備としてのあの大量の下剤に耐えられるのか。
検査日がひと月も先で、そののんびり感が、検査の必要性のなさを物語っているようにも感じられる。

検査を受けるか受けないか、父母とわたしの3人で話し合っても堂々巡りで、らちがあかないので、近所のかかりつけ医に相談すると、「検査をしないでいいですと言って、後で何か見つかったら、お互いに嫌じゃないですか。だからやったほうがいいですよ、とは言います。でもこれが自分の親だったらすすめません」とポロリ。
医師の立場と本音は違うのだ。
ひとまず、保留にして、しばらく父の体調をみることにした。

で、1週間たった本日、実家に電話すると、検査はキャンセルしたという。
90歳になれば、なんやかや、体の不具合はあるもの。もう今さら、検査で体に負担をかけたくないという。
正直ほっとした。
ほっとしたが、キャンセルしたことを教えてほしかった、こっちはネットで調べたり、どうしたらいいものかと日々、悶々と悩んでいたのに……と怒りもわく。
振り回されるだけ振り回されて置き去りにされたような虚しさが残る。(と言っても、勝手に巻き込まれていった感もあるのだが)。

今回に限らず、急に電話で呼ばれたり、そうかと思うと、やっぱり来なくていいと言われたり、その時の母の感情に振り回されることが多くなった。
年を重ね過ぎると、回りを配慮する精神的余地というものがなくなるのだろうか。
気の向くままに突き進むのみ! というような感じだ。
悪意でないのはわかっているが、昔からそういうところがあったよね、と過去の記憶が蘇ってくるので、葛藤も深くなる。

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まくら投げ

2024年03月03日 | エッセイ
「まくら投げ」の全国大会が行われたそうだ。
布団に寝た状態から始まるところや、「先生が来たぞー」というひと声で、散らばったまくらを自分の陣地にかき集める”タイム”を取れるところなど、見ていて笑ってしまうユニークなアイデアの競技だ。
ドッジボールが正式種目になったのを見た時は、あまりのボールの速さ、真剣な表情に引いてしまったが、このまくら投げ競技は、是非「シニアバージョン」の大会を設けてもらって参加したいと思った。

まくら投げをやったのは、高校の修学旅行。
萩津和野から九州の長崎あたりまでの関西・九州方面への旅行だった。
海底トンネルができたばかりの頃で、新幹線の窓から魚が泳いでいるのが見えると信じていた同級生がいたっけ。
おしゃべりは苦手だったので、わたしの夜の楽しみは、まくら投げだった。
同室の同級生の中には、もうそんなことに付き合うのが照れくさいと思うような大人びた子もいて、一応まくらを投げ返すのだが、そのあとに、髪の毛の乱れを気にしたりしていた。
17,8歳と言えばそういうお年頃なのだ。
わたしなどは精神年齢が幼かったのかそんなことには無頓着で、枕を投げることに無我夢中、全身全霊で挑んでおりました。
旅行中の集団行動は苦手な時間も多かったが、あのまくら投げの時間だけは純粋に楽しかったな。
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