旧足尾町 足尾銅山の主要鉱区だった小滝地区にある小滝小学校跡。
銅山の私立小学校として明治26年に開校。
当時の古河財閥の力か、校歌の作曲は音楽室の肖像で有名な山田耕筰が手がけている。
銅山の隆盛とともに銅山従事者が増え、それに伴い女性や子どもが増えてゆく。
大正8年頃には児童数1,000人を超えるマンモス校。
少子化の今ではなかなか児童数1,000人を超える学校は少ない。
しかし、鉱山が下火になる昭和31年に廃校。
すでに50年以上が過ぎて、校舎はもちろん無くなっている。
アプローチの石段、門柱、建物の基礎部分が残るが、
自然の力で森に帰ろうとしている。
廃校跡というより遺跡といった感じ。
近くには多数の鉱山遺構があるが、クマ出没エリアなので用心を。
この日は、石段横で密かに来訪者の足首を狙うマムシ君がいました。
当然、携帯はエリア外です。
こんなマムシが足首を狙ってます。
銅山の私立小学校として明治26年に開校。
当時の古河財閥の力か、校歌の作曲は音楽室の肖像で有名な山田耕筰が手がけている。
銅山の隆盛とともに銅山従事者が増え、それに伴い女性や子どもが増えてゆく。
大正8年頃には児童数1,000人を超えるマンモス校。
少子化の今ではなかなか児童数1,000人を超える学校は少ない。
しかし、鉱山が下火になる昭和31年に廃校。
すでに50年以上が過ぎて、校舎はもちろん無くなっている。
アプローチの石段、門柱、建物の基礎部分が残るが、
自然の力で森に帰ろうとしている。
廃校跡というより遺跡といった感じ。
近くには多数の鉱山遺構があるが、クマ出没エリアなので用心を。
この日は、石段横で密かに来訪者の足首を狙うマムシ君がいました。
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