星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

第2回太棹の響 in 御霊神社

2014-07-09 | 観劇メモ(伝統芸能系)
公演名  太棹の響 第2回
日時   6月29日(日)午後3時
会場   御霊神社 儀式殿

対談  豊竹呂勢大夫、鶴澤藤蔵
三味線曲  海響(鶴澤藤蔵作曲)  鶴澤藤蔵
傾城阿波鳴門 十郎兵衛住家の段




今回で2回目となる鶴澤藤蔵さんの会。今年はいいお天気だった。
御霊神社に着くと、ちょうど夏越しの大祓いの飾り付けがされていたので
「茅の輪くぐり」をして本殿にお詣りしてから、会場の「儀式殿」へ。
ちょっと清々しい気持ち♪
が、お詣りに時間をかけてしまい、後ろの席になっちゃった・・・あほやん。



●御霊文楽座について
会場になっているのは、むかし文楽座があった場所。
御霊神社境内(現在の儀式殿)には明治17年(1884)から大正15年(1926)
まで人形浄瑠璃御霊文楽座があり、文楽二百年の歴史のうちで、もっとも
華やかな時代をつくりましたた。客席は1階と2階にあり、750人程の観客が
収容できたそうです。
~(公演プログラムより引用)

藤蔵さんの曾祖父七代目竹本源大夫さん、祖父四代清二郎さんも
御霊文楽座に出演しておられたとのこと。
当時の写真をみて、その賑わいにビックリ! >> コチラ 




最初に藤蔵さんの挨拶があった。
2回目が開催できることの喜びを伝えた後、なんと最初に対談をやります、と。
(ご本人によれば、口べたなので対談にしたとのこと。)
藤蔵さんから紹介を受け、登場したのは呂勢大夫さん。
そういえば、昨秋の酒屋万来文楽でもこのコンビだった!
ほかに「杉本文楽 曾根崎心中」「あべの花形文楽」など、自主公演も含め
お二人の名前を同時に拝見することが多々あり、仲がよさそうとつねづね
思っていたが、ついに二人の関係がつまびらかに(笑)。
文楽若手の人たちのトークをふだん聞く機会がないので、私には新鮮だった♪


<対談>
下手から登場するなり「おしゃべり要員して来ました」と呂勢さん。
本当によどみなく次から次へと楽しい話を披露してくださる。ふと気がつき
「僕ひとりベラベラしゃべってますけど」と言うと、「うまいなあ~。
聞き惚れてた♪」と藤蔵さん。
(こんなゆるいやりとりに会場もなごやかな雰囲気に!)
呂勢さんのおしゃべりに、間の手のように入る藤蔵さんのナルホドなお話。
呂勢さんがときどき質問したり、うまく藤蔵さんの話を引き出しておられた
のも微笑ましく。二人の出会い、御霊文楽座のこと、楽屋の話、昔の人々の
文楽の楽しみ方、曽根崎心中の口三味線など、真逆な二人の絶妙なバランス
が本当に楽しかった~!

メモに書き取った対談の一部をちょこっと書き出してみる。
(聞き取り間違い、書き取り間違いがあった場合はどうかおゆるしを!
ノートを忘れて当日のアンケート用紙の裏に書きました・・・すみません。)
ご両人は25年位前に島之内での素浄瑠璃の勉強会でいっしょになって以来、
その後の勉強会、公演を通じてともに努力してきたパートナーであり、仲間。
学年違いの同年生まれとか。(ヘエエ~!) 藤蔵さんは朝日座時代を知っ
ている最後の歳になるらしく、それを知らない呂勢さんはチョットさびしそう。
当初はおたがいのことをコワ!と思っていたらしい。
呂勢さんによれば藤蔵さんは「こんな自主公演をするようなタイプとは思わ
なかった」。藤蔵さんご本人いわく、「襲名を機にたくさんの人と出会うこと
により変わったと思います」。今回の企画しかり。

かつて「御霊文楽座」のあった場所で今回、素浄瑠璃ができるのはとても
光栄でありがたいことだと、呂勢さん。当時の雰囲気が少しでも伝わるよう
にと諸先輩から聞いた話を面白可笑しくおすそわけしてくださった。
昔は朝から芝居が始まるので、外に居ても○○師匠の三段目が聞こえてきた
らお昼だとわかった。つまり、浄瑠璃の声が時報代わりになったという話が
よかった。今のような車の音がなければたしかに聞こえただろうし、こうい
う場所にくれば納得できる、と。
文楽が庶民の娯楽で共通の話題でもあり、文楽座が大店の旦那衆の社交・
商談の場であった頃のエビソード。もっといろいろ聴きたいな。

御霊文楽座には楽屋がなく荷物は風呂敷に入れていた、という話から楽屋話
へ。さらに、師匠や先輩方の𠮟り方の話題に。
師匠に裃を着せる時にうまくできず、衿が首に当たってしまい、「無礼者!
そうめんの紐で首くくって来い」と言われ、その時は怖かったけれど、後で
考えるとユーモアのある叱り方だった。逃げ道のある叱り方をしてくださる
のはありがたく、自分もそんなふうに叱れるようになりたい、とは呂勢さん。
ほかに、昔と今の観劇スタイルの違いについての話も面白かった。

演目についての説明。
「海響」・・・by 藤蔵さん
藤蔵さんが初めて作曲した太棹三味線の曲で、東日本大震災のチャリティ公演
の際につくったもの。津波がきて、残骸が残され、やがて復興へと再生して
いく様子をイメージした。歌詞ない曲を造るのはむずかしい。(簡単に作って
はいけないと感じ、産みの苦しみを味わった、とプログラムに書かれていた。)
「海響」「山響」を作ったので、次回は「空響」かな、とのこと。
「傾城阿波鳴門 十郎兵衛屋敷の段」・・・by 呂勢さん
徳島や淡路島で上演されることが多いので勘違いされやすいが、大阪の玉造が
舞台。刀の詮議に来て、他人の蔵に入っているうちに盗賊になってしまう。
今回もきっかけ(巡礼歌)まで。奥はやらない。せっかく親子別れのいい話な
のに、奥をやると涙が乾いてしまう。本公演ではかからないとのこと。




<海響>
楽器の演奏についてはいつも何をどう書けばいいのかわからないけれど、
海とはいってもあきらかに瀬戸内の穏やかな海とは違う強い音。
地の奥底からわきおこる胎動のような音から始まった。
シュッ、シュッ、という糸の音も印象的。
早弾き、リズミカルな音、高音・・・・・・浄瑠璃のない、太棹三味線
オンリーの音を体に受け止めながら聴く。
ハッと声がかかり、じゃじゃん!
・・・・・・びっくりした。そこで突然終わった。
一瞬の間があって会場の拍手。力のこもった演奏に強い思いが伝わった。

<傾城阿波鳴門 十郎兵衛住家の段>
若手二人の作り出す空気に、すぐに身を委ねられた。
巡礼歌については「淡路人形浄瑠璃館」(移転前)、鳴門の「阿波十郎兵衛屋敷
で「順礼歌の段」として聴いたことがあるがどちらも女流の太夫さんだった。
男の大夫さんで「巡礼歌」を聴くのはこれが初めて。
呂勢大夫さんは声の通りがよく、旋律にものっているので、気持ちよく言葉
を味わうことができ、安心して演目の世界に集中できる。
三味線の音に混じって、ときおり藤蔵さんの声も聞こえてくる。
気持ちのこもった同い歳二人の一体感も見もの(聞きもの)だった。いつの
まにか儀式殿全体が浄瑠璃の世界にすっぽり包み込まれていた。
今までは娘の台詞のところで泣かされたが、この日は母であるお弓の叫びの
ところまでダラダラ泣いてしまった。
(あ~、素浄瑠璃っていいな!)

話の後半は一度だけ聴いたことがある。素浄瑠璃で。>> コチラ
お鶴ちゃんの実の父親が登場し、娘に悲劇が起きる話。
呂勢さんはあんなふうに説明されたが、私はもう一度聴きたい。
そんなにまでして刀を探し出さねばならない夫婦、お家騒動に巻き込まれて
しまった人間の境遇があわれで、そこに感情が動く。
最後の松明のシーンは文楽として人形、舞台セットも含め見てみたいと思う。


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