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星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

明石城周辺散歩。

2018-12-31 | 散策・旅
12月某日。母の命日のお墓参り。そのあと高校までご縁のあった明石を散歩した。明石城・明石公園・天文科学館・柿本神社。どこを歩いても懐かしい思い出がコンコンと湧いてくる😊小学校の写生大会明石城。中学校の体力測定、クロスカントリー。高校の帰り道遠回り公園デート。体力勝負の坂道登校。母と姉とよく行った魚の棚商店。


来年は明石城築城400年。イベントがあるらしい。


天守閣はなくて2つの櫓がある。公開月には見学ができる。


活気があってにぎやかな魚の棚商店街




ランチ。お目当ての玉子焼き屋さんが大行列で、魚の棚の穴子専門店直営の店であなご丼をいただいた。炭焼きあなごは明石の美味。今回はこっちにしてよかった(^^)






明石天文科学館。東経135度、子午線のまち。線上に立ってみた。


柿本神社。御祭神は柿本人麿。



1664年以前からある亀の水。写真を撮っている間にも近所の人たちが汲んで持ち帰っていた。


天文科学館と柿本神社の間に立つと明石海峡大橋が見える。
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京都・山科〜大文字山ハイキング。

2017-03-26 | 散策・旅
先週の日曜日。
久しぶりまる1日休めたので、さっそく京都へ。
アート&ハイキングの予定だったけど、棟方志功さんの仏画を見る予定
にしていた資料館が休館日(であることを当日現地で知った)。
お天気もよく気温もポカポカ高かったのでハイキングだけ楽しみました。

コースは山科の毘沙門堂と双林院(山科聖天)から後山階陵→安祥寺山
国有林(安祥寺林道)→大文字山山頂→大文字山の火床→法然院の外門
に下山→哲学の道→南禅寺前→蹴上まで。



山科駅から疎水を越えて毘沙門堂へ。こちらへは3度目。前に襖絵や庭園も
じっくり見ているので今回は本堂だけの拝観。



毘沙門堂ではまだ梅が楽しめました。




双林院へは鳥居をくぐって。滝不動があります。
後山階陵は「のちのやましなのみささぎ」と読み、平安時代の仁明天皇の
女御だった藤原順子のお墓。のちに天皇との子が即位したため、後から
皇太后と呼ばれるようになったそう。(偶然居合わせた見学の人に説明
していただきました。)

先に進み、ゲートの中に入って安祥寺山国有林(安祥寺林道)へ。
大雑把な地図を持っているものの本当に大文字山につながっているのか
不安になり、休憩中の登山者の人に尋ねたところ途中までご一緒させて
いただけることに。



山科方面。空気が澄んでいれば大阪方面も見渡せるとのこと。




安祥寺山国有林と防火池の看板がある地点に木の階段があり、そこから
上がれば京都トレイル東山コースに合流。大文字山までもうすぐ。
山頂には三角点があるだけ。火床までは下りが続く。




火床に到着。ほんまにいい眺めやなあ〜!
五山の送り火の時に見ているのと逆のパターンだからアタリマエか。
こちらのてっぺんには弘法大師さんが祀られていた。神聖な場所だ。



大の文字の、一と人が交差するポイント。十字になっている火床。



普通の火床は二の字。あ、同じ長さだから「=」の字。
文字の間に道があるのでそこを下ります。
急斜面が続いていて革靴の人が苦労していたけれど、登山靴、
軽登山靴なら無問題。




下りてきたらお寺の鐘が鳴り響いていた。ちょうど午後4時だった。
着いたのは法然院の外の門。当初は鹿ケ谷方面に下る予定だったので
意外だったし、ホッともした。銀閣寺横から登るルートもあるそうだ。


***********
山科でランチ編

ハイキングの前にランチをとったお店。
日本style パスタ&甘味 ゆる音家(ゆるねや)。
大根の和風サラダ、豆乳スープはなるほど日本style 。菜の花とベーコン
のカルボナーラは、細麺にあっさりめのチーズと卵がからんでイタリアン
テイストが美味しかった。ドリンクも付いたセットで1080円。
(デザートをプラスすると1430円ぐらいだったと思う。)
12時を過ぎると並んでいた。坪庭のある古民家を利用した店内には
ジャズが流れ居心地のいいお店だったよ。

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2月の聖護院、1月の壬生寺。

2017-02-27 | 散策・旅
梅だけじゃなかったの、2/19日曜日の京都。

「京の冬の旅」2017のテーマは<大政奉還150>。
大政奉還に限らず幕末の歴史にまつわる特別公開がいろいろ。

ただリストアップされているほとんど行き尽くしており。
1月に壬生寺(Good)ともう一カ寺(落胆)に行き、もういいかな〜
と思っていたところへ、TVの「ぶらぶら美術・博物館」をチェック
すると、聖護院が前回の公開内容とかなり違うじゃないですか!

寺社めぐりをしていて仏像ファンの心を曇らせる出来事といえば、廃仏
毀釈と信長の焼き討ちと応仁の乱。特に廃仏毀釈はねぇ〜。
ここ聖護院が皇室ゆかりの門跡寺院で、総本山であったことが幸いして、
今も多種多様な仏像が見られるのは本当にありがたい。



山伏で知られる本山修験宗の総本山。末寺の多くが廃寺となるも、その
仏像や仏具を聖護院が引き継いだことで神仏分離による廃仏毀釈の難を
免れたそうだ。
特に珍しいのが、旧才智院の本尊で今回初公開の「弁才天尊」。
今回は修復後の綺麗なお顔を拝観できた。最近、修復のために古い衣を
除いたところ、作られた当時の鮮やかな彩色が現れたとのこと。
他ではあまり見られない弁才天像だった。



宸殿があるのも門跡寺院ならでは。江戸狩野派・京狩野派の障壁画や、
仏間には修験道開祖の役行者の像、不動明王像など。
他のお寺から移されたというかなり大きな不動明王像があった。
本堂は奥にあり、金庫扉のような頑丈なお厨子に安置されているのは、
智証大師作と伝わる本尊・不動明王立像(重文)、智証大師像(重文)。

御所から移築された書院は、後水尾天皇らしい風雅なこだわりが見られ、
人心地のするほっと落ち着ける部屋という感じ。



1月に行った壬生寺もよかった。
幕末の新選組ゆかりの寺ということで今年公開となっているそうだけど、
本当の特別公開はふだん非公開の、本堂と狂言堂。





本堂に安置されている地蔵菩薩は、本堂再建時に奈良の唐招提寺から移さ
れた大きなお像で、衣の截金文様がきれいに残っていた。
また、国宝「鑑真和上座像」の複製2体を日中共同で製作、そのうちの
1体が壬生寺の本堂に安置され、初公開中。
「鑑真和上座像」は唐招提寺の本物と御身代わり像、それにこの壬生寺
の複製の3つを見たことになる。





もう一つの楽しみは、壬生狂言で知られる狂言堂(重文)の内部公開。
狂言の衣装やお面、小道具などが展示され、若冲が奉納したお面もあった。
前に一度、ほうらくのお皿を奉納した際に狂言を見ようとして、あまり
の混雑に逃げ帰ったことがある。節分会の壬生狂言では積み上げた大量の
皿を落として割る「焙烙割」が有名だそう。
あとは4月と10月。台詞のない無言劇だ。
ナルホド〜、舞台の方から見るとこんな感じなのかというのがわかった。


本当はもう1ついったのだけど、書きたくないので書かない。



お寺を3つ回ったので、いつものように俵屋吉富さんの「京菓子資料館」
でお抹茶と和菓子をいただきました。

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京都御所の梅。

2017-02-26 | 散策・旅
毎年1月〜3月は大変なのに今年はさらに(涙)。
がんばりマッス〜。

今週はお休みがなく、ブログに季節の潤いがないので先週見た京都御所の
梅の写真など。行ける時に行っといてよかったー!









鴨川の向こうの山にうっすら雪が。
ちなみに2月19日は京都マラソンで、歩く先々でランナー&サポーターに遭遇。
この日の主役でしたね。友人のご主人もその中に♪
友人は仁和寺前で応援中の楽しげな写真を送ってくれました。
さんきゅっ!
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渡岸寺の観音さまと鶏足寺の紅葉。

2016-11-28 | 散策・旅
今年の紅葉は、先日の報道ステーションで紹介された滋賀県木之本
にある鶏足寺へ。訪れたのは放送の2日前。11月23日でした。

この期間、JR木ノ本駅から紅葉の循環バスが利用できるのですが、
なにぶん歩くのが目的でもあるので、まずはお隣りのまち高月へ。

お昼は高月駅前にあるお蕎麦屋さんにて。おそろしくマイペースな
お店でしたが、蕎麦の2種盛りも蕎麦の実ご飯も美味だったのでヨシ。

高月といえば、渡岸寺観音堂の十一面観音さま。
前にもすっかり見とれて長時間居続けたのですが、今回もただただ
見いってしまった、そんな観音さまです。
3年前は丁寧な生解説付きだったのですが、この日は音声による
リピート解説。拝観料も300円から500円になっていました。


渡岸寺観音堂の紅葉


歴史民俗資料館に立ち寄ってから、ようやく鶏足寺へと出発。
高月から木之本の鶏足寺まで約5km。
この辺りはサイクリングで回ったり、高月観音の里ふるさとまつりの
バスで巡ったりで3度ほど来ており、覚えのあるお寺やお堂、神社の
大木、疎水、農道、山、田畑などを見ながら歩くだけでも癒されます。




徒歩1時間で鶏足寺の手前の石道寺に到着。
保全協力金として200円を払い、お寺の方へ。石道寺の観音さまも
大好きだけど、今回は先を急ぎますゆえ。


石道寺〜鶏足寺の間の道


鶏足寺(旧飯福寺)の有名な参道。三年前に見た5月の緑眩しい風景を
何度も紅葉に脳内変換してはメチャ楽しみにしていた風景・・・がっ。
あ、あ、あ〜! 散ってる。
1週間か10日ぐらい前が見頃だったようで、しかも午後3寺過ぎでは
時間も遅く、光が紅葉の絨毯に届かない・・・。




散策コースにある己高閣、世代閣へは前に行ったので、今回はパス。
その代わりに寄った神前神社では紅葉に光が当たってきれいでした。





木ノ本地蔵院の前の角屋さんで、コーヒーと棒のシュークリーム♪


<メモ>
最高気温12度。前日の最高気温21度位。
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お松明、だけど第二会場。

2016-03-07 | 散策・旅
3月5日、土曜日。
今年もお参りしてきました。東大寺の二月堂。
見てきました、修二会のお松明。


↑お昼の二月堂


↑お松明を道灯りにして練行衆が上堂してくる回廊。


だけど、今回は想定ミスがっ。
去年はらくらく二月堂の側で松明が見られたので、今年もお昼に
お参りしてから、よそでゆっくりして、19時に間に合うよう再び
18時15分にもどり二月堂の参道に入ろうとすると!!
なんとロープが張られて立ち入り禁止になっていた。

ど、、ど、、どうゆうこと???
「境内には入れませんので、第二拝観所に回ってください」とな。
第二拝観所って??? 聞いてないよぉ。
なんとそこは二月堂がはるか彼方に見える、普通に「駐車場」だった。
ぜんぜん拝観所じゃないですよ。いつもこんなことになってるの?
駐車場から見るお松明は、いわば賀茂川の堤から眺める五山の送り火
という感じ。煙も流れてこなければ、杉葉のこげた匂いもしない。
最後の10本目まで見届ける気力がなくなっちゃった~。
(来週の土日はもっと混みそう。皆さま、お気をつけて・・・。)

・・・・・・
それでもお昼のうちにいただいた杉の葉の燃えさしは、しっかりと
持ち帰り、キッチンの上に吊るしてあるけどね。


というワケでお松明の前に、ちょっと唐招提寺まで。



いつ行っても誰でも公平に国宝の仏像や建物が見られるのはありがたい。
金堂の盧遮那仏坐像、薬師如来立像、そして953本の手の千手観音立像、
持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王立像、梵天立像、帝釈天立像。
以上国宝オールスターズ。何度見てもすばらしい。



講堂の本瓦葺の屋根。



鑑真和上の御影堂を横からそっと見る。



乾燥させているのか、宝扇の柄だけがたくさん並べられていた。



西ノ京から尼ケ辻へ。垂仁天皇陵のそばを通って。

いや、しかし。
お松明の日は、ゆめゆめこんなところでのんびりしてはいけないのだ(ピシッ!)


間近で見た去年の様子はコチラ

コメント (2)
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2月14日の京都御所の梅。

2016-02-27 | 散策・旅



インフルエンザ前で時間がストップしています(笑)。
ただいま体力温存中。季節が変わる前にアップしておかなくちゃね。





この日は京の冬の旅シリーズより、「東寺 灌頂院」を見学して
から北野天満宮で宝刀展に立寄り、夕方近くに京都御所の梅を
見に来たのでした。





昨年の2月中旬に京都御所を訪れたときは、蝋梅がきれいだった
けれど、今年2月14日に行ってみるとすっかり蝋梅は終わっており。
さすがに桃林はまだだったけれど、季節の動きが早い気がする。

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社寺・周辺散策メモ(12)2016年後半(更新中)

2016-01-05 | 散策・旅
重複回避また記録として、訪問したら記録するページ(11)。
記録優先!随時追記あり。

京都は★、奈良は●、その他は■

2016年
<7月>
10日
京都市美術館で「ダリ」展。
その後、祇園祭前祭の鉾建てを見て回った。長刀鉾、月鉾は見られず、
函谷鉾、鶏鉾のみだった。職人さんたちが釘を使わず、荒縄を使って
固定する「縄がらみ」という技法で組み立ててゆく。
鶏鉾の作業中で、寝かせた状態での鉾の長さを実感してみたり。

この日は祇園祭「前祭」の神輿洗という神事の日だった。
八坂神社から出発して四条大橋まで行き、神輿洗をして、再び八坂神社
にもどってゆく。その集団を南座付近で見学。
行きのかけ声は「ほいっと ほいっと」で、帰りは「よいやさーじゃ、よい
やさーじゃ」だった。遭遇したのは偶然。
山鉾巡行以外の神事は粛々と日々進行中なのだった。

17日
あべのハルカス美術館で「スター・ウォーズ展」。
古都散策ではないけれど・・・。

18日
■石山寺
本尊の如意輪観世音菩薩、33年に一度のご開帳。日本で唯一の勅風秘仏、
つまり天皇の命により封印された仏さまだそう。
境内にある天然記念物の硅灰石が特徴で、寺名の石山の由来になっている。

本堂内陣まで入って本尊の如意輪観音さまを拝観できた。思っていたより
はるかに大きく、存在感がすごくて驚いた。二臂の半跏像で足の指まで見
える。六臂の如意輪観音に見られるような法輪はなく、右手には蓮花を
持っている。如意輪観音にもいろいろな姿があることを知った。
当初のご本尊は消失し、この観音さまは二代目とのこと。
最初のご本尊の胎内仏4躯が見つかり、内陣の奥で公開中。3体が観世菩薩
(飛鳥時代2、天平時代1)で、残りの1体は如来立像(飛鳥時代)。
本堂には他に、御前立ち、平安時代の薬師如来なども。夕方になると本堂
の提灯に灯がともり風情が増す。いい雰囲気だ。

豊浄殿には以前、紫式部展の際に入ったので、今回は入らず。帰り際に
確認したところ、初代本尊の「御前立ち」が豊浄殿で見られるそうだ。
(「ほとけの誓ひ おもきいしやま」のポスターのふくよかな仏像。)
シマッタ!もう一度拝観することになるかもしれない。

月見亭の近くの多宝塔が美しい。中を覗いてみると本尊の大日如来坐像
が見えており、立て札には「快慶作」と書かれていた。ぎょろりとした
大きな玉眼で思い出したのが、円成寺の運慶作の大日如来。似ている!
運慶と快慶の二人の仏師のことが俄然気になりだした。

お寺を出て、茶丈藤村で和のスイーツを。
夕暮れ時の瀬田川の遊歩道を歩いていると、何組かのボートの練習風景
に遭遇。次々と現れては目の前でスピードを上げ、少し先で折り返しては
瀬田の唐橋の方に戻って行く。気温も下がり、風も出て、気持ちのいい
夕方の散歩コースだった。

23日
●元興寺
「ちょこっと関西 歴史たび 特別企画」7/1〜9/30より。
『本尊 厨子入智光曼荼羅(重要文化財)』
『元興寺極楽坊縁起絵巻(全二巻)全編』

拝観はたぶん3回目。国宝の本堂にある智光曼荼羅は複製で、宝物館に
あるのが重文の「厨子入智光曼荼羅」だった。いわゆる掛け軸ではなく、
板に描かれた極楽浄土の絵。ちなみに、曼荼羅絵の下方にある橋の上に
座している2人の僧は、智光と頼光とのこと。

他に禅室(国宝)。

●伝香寺
16時からの着せ替え法要。お堂の外から見せていただいた。

京都へ移動。
★祇園祭「後祭」宵山
地図を見ながら全部回った。
大船鉾の御神体は神功皇后。前方の竜がかっこよかった。

30日
★京都国立博物館の特集陳列「丹後の仏教美術」
めったに行けない場所だし、たとえ行けたとしても拝観できない貴重
な仏像、絵の数々。
京丹後市 縁城寺
・千手観音立像(頭に十一面はなく宝冠のみ) 
・阿弥陀如来立像(小さい。慶派仏師による来迎の様子)
・大日如来坐像(玉眼が綺麗)
宮津市 金剛心院
・宝生如来立像(重文・平安初期。お顔が黒く迫力を感じる。まるで
黒人女性ジャズシンガーみたい。手の先が後補のため薬師如来かも)
・地蔵菩薩立像(胎内に内臓あり。清涼寺のような感じ。)
宮津市 仏性寺
・阿弥陀如来立像(鎌倉時代)
宮津市 成相寺
・如意輪観音半跏思惟像(8世紀の鋳造仏。かなり小さい。)

「成相寺参詣曼荼羅」、鬼退治伝説の「等楽寺縁起絵巻」「斎明神
縁起絵巻」ほか。

久々に京都御苑のバッタが原に行ってみた。苑内で夕立に遭い雨宿り。
ゲリラ豪雨ではない。子供の頃のような夏らしい夕方。

<8月>
7日
★京都迎賓館

12日
■神戸の「海外移住と文化の交流センター」へ。
映像でブラジル移民の人のインタビューを見ながらウルウル。
この日、初めて館内で説明をしてもらった。移民の公的施設ができる
までは、現在の栄町のあたりに民間の宿泊施設があったようだ。
ブラジル移民のことを書いた石川達三の『蒼氓』が復刊されたとのこと。
移動読書の私は後日、中古の文庫本を購入した。
『蒼氓』の中に出てくる三ノ宮駅とは現在のJR元町駅のことだそうだ。

14日
和歌山へ。アッヂイ〜日!!
■道成寺
歌舞伎などの伝統芸能の舞台でよく見る鐘は、この道成寺にはなくて
現在は京都の妙満寺にある。妙満寺でそれを拝見した時、意外に小さい、
と感じた。(ちょうど傍らには18代目勘三郎さんが京都南座で京鹿子
娘道成寺を踊った時の写真が飾ってあったことも思い出した。)

国宝3点、重文11点、県指定文化財4点を擁する宝佛殿の仏像が素晴らしい。
縁起堂での名物は「絵解き説法」。安珍清姫の話を絵巻の絵を見ながら
たっぷり楽しく聞かせてもらえる。

■興国寺
虚無僧、尺八、醤油の発祥の寺。
鎌倉幕府三代将軍源実朝の菩提を弔うために家臣が建てたお寺、
外からなので遠いけれど、本堂の扉が開いているので仏像も拝観できた。
天狗堂には長さ2.4m、幅2.7mの巨大な天狗のお面がある。

■宇佐八幡神社
神社にお参りしてから海の方まで歩いてみたら、漁船が並んでいた。
暑い日にアツ〜イ和歌山が良かった。

21日
奈良散策と奈良国立博物館。
偶然だけど、忍性つながりの寺と展覧会だった。
■額安寺
聖徳太子が学舎として親しんだ熊凝精舎の地に建てられたお寺。
本堂のお厨子の中に、彩色が鮮やかに残っている十一面観音菩薩が。
ネットのブログ等で見ることのできる写真と違って頭上が布に隠れて
いなくて、全体がちゃんと見える形で拝観できる。撮影は禁止。
虚空蔵菩薩半跏像がもうおられないため、拝観料は100円だった。
販売されている仏像のハガキには虚空蔵菩薩も入っている。

忍性は額安寺で得度した。
忍性も拝んだであろう日本最古の虚空蔵菩薩半跏像は今はこの寺
にはなく、文化庁所蔵とのこと。この後に行った奈良国立博物館の
「忍性」展で最初に置かれている仏像がこの虚空蔵菩薩さまだった。
優しい表情のゆるやかな半跏像の姿が胸に刻まれた。
忍性が遺言で自分の遺骨を3カ寺に分骨させた骨蔵器が、博物館に
一堂に集まった。額安寺の薄緑の骨蔵器は昭和57年の五輪塔修復工事
の際に出土したものらしい。
鑑真和上の生涯を描いた「東征伝絵巻」がゆっくり見られて満足。
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社寺・周辺散策メモ(11)2016年前半(更新中)

2016-01-05 | 散策・旅
重複回避また記録として、訪問したら記録するページ(11)。
記録優先!随時追記あり。

京都は★、奈良は●、その他は■

2016年
<1月>
2日
京都へ初詣。京都国立博物館の刀剣はやはり1時間待ちで断念!
★下鴨神社・上賀茂神社・護王神社・禅居庵
下鴨神社と上賀茂神社は昨年の遷宮で新しくなった拝殿に近づいて参拝。

3日
初出勤の前に地元の弓弦羽神社に初詣。

11日
大河ドラマとも関係なし。超人気絵師や有名仏師作の作品や仏像がある
わけでもない。一見ジミな印象の今年の「京の冬の旅」。
テーマは「禅ーZENー ~禅寺の美 日本文化の美~」だそうで、京都を
代表する禅宗寺院を中心にリストされており、個人的にはテンション
あがり気味。
特に開山堂やそれに準ずる施設はそのお寺の聖域。TVで見て知っていても
拝観できないものとあきらめていた場所だったので、今回は貴重な機会。
すでに初拝観の塔頭ばかり6カ所を1月半ばに拝観し終えてしまった。

★妙心寺 玉鳳院
もとは花園法皇の離宮だった。
方丈(狩野派の筆と伝わる障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」など)
開山堂「微笑庵」(関山慧玄を祀る山内最古の建物・重文)
方丈から微笑庵へと移る渡り廊下の傍で花園法皇が立亡(りゅうぼう)。
井戸「風水泉」の場所がまさにその場所にあたるらしい。
他に、蓬莱式の枯山水庭園、豊臣秀吉の子・鶴松の霊屋など。

★妙心寺 天球院
京博などの展覧会で名前を知り、以前から気にとめていたお寺。
姫路城主・池田輝政公の妹・天球院殿によって創建された。
方丈内部の障壁画(重文)は、京狩野の絵師である狩野山楽・山雪の
代表作。「竹虎図」「梅に遊禽図」「籬草花図」など。「竹虎図」に
描かれた虎は山楽・山雪らを描いたものと言われている。
これらの障壁画の一部はキャノンによる高精細複製品で、劣化剥落も
ふくめ現状をよく再現できているため遠目にはどれが本物でどれが
複製か判別つかない。
ちなみに、今回の公開を最後にすべてが複製品展示に代わるとのこと。

★真如寺
相国寺の境外塔頭で、場所はナント等持院のお隣り。
勧請開山は中国の高僧、仏光国師。その弟子である無外如大尼が師の
遺髪や爪を祀るために開いたのが始まり。
その後、夢窓疎石が高師直の外護を受けて大伽藍を造った。現在残っ
ている建物は江戸時代に後水尾上皇により再興されたもので、皇室
ゆかりの尼寺である宝鏡寺の宮墓地でもある。

法堂には、珍しい中二階の須弥壇があり、本尊・宝冠釈迦如来像、
迦葉尊者像、阿南尊者像の三像が安置されているのが見えた。
須弥壇横に書かれた人物名の中に「高師直」の名前があり、歌舞伎
の仮名手本忠臣蔵に登場するあの人物かと思ったが違っていた。
足利尊氏の執事だった人で、寺の大檀那(多額のお布施をする檀家)
であり、この人の位牌も祀られている。
(ちなみに、歌舞伎の高師直とは吉良上野介のこと。)

★八坂神社


17日
先週に引き続き、京の冬の旅シリーズへ。
★相国寺
養源院

★相国寺
長得院

★建仁寺
開山堂

31日
■書写山円教寺(ちょこっと関西歴史たびシリーズ)




摩尼殿(本尊の六臂如意輪観音像、四天王像 特別公開)
内陣にて解説あり。桜の木に向かい天女がお祈りしているのを見た性空上人
が、生木のままその木に如意輪観世音菩薩を刻み本尊としたとのこと。その
木が生えている斜面に摩尼殿を建てたので舞台造りになったという。当初の
摩尼殿が火災に遭った際、根がある桜の木の本尊は持ち出せなかった。その
上に現在の摩尼殿を再建したとのこと。
重要文化財 大講堂・常行堂・食堂(宝物展示 播州書写山縁起絵巻 特別公開)・
金剛堂・鐘楼。
開山堂(奥之院ともいう。堂内の厨子には性空上人の御真骨を入れた等身大
の坐像の木像がまつられていて拝観できた。軒下の四隅に左甚五郎作と伝え
られる力士の彫刻あり、北西の一人は重さに耐えかねて逃げ出したという。

ラストサムライ公開後、大河ドラマ「武蔵」放映直後に訪れた際に、手頃で
美味しい昼食が食べられた会館はオープンな雰囲気はなく、甘味処として
盛況だった和風カフェ(法華堂を利用?)も今はなくなっていた。軽食が
とれるはづき茶屋は営業中。姫路駅近くで昼食をすませておいてよかった。

<2月>
6日
古都散策ではないけれど、須磨界隈の歴史資料、仏像など珍しい展示品が。
■神戸市立博物館
特別展「須磨の歴史と文化展―受け継がれる記憶―」、企画展―太山寺展」
国宝は矢野荘学衆方代官秀恵注進状。仏像では普賢十羅刹女傑 (重文・
福祥寺) 、聖観音立像(重文・妙法寺)、十一面観音立像(重文・須磨寺)
ほか。 注目は両界曼荼羅(神戸市指定文化財 )。
須磨の関、松風・村雨、菅原道真、光源氏、敦盛と直実にまつわる絵巻や
曼荼羅、色紙帖など。
(須磨寺の秘仏本尊ご開帳に行く予定だったが、インフルエンザにかかった
ため断念! )

11日
■勝尾寺

14日
★北野天満宮
★京都御苑の梅林

<3月>
5日
●東大寺二月堂 修二会
●唐招提寺

13日
すわり仕事が続き、足のコンディションがかなり不調だったので、1日だけ
休んで京都御苑で花を見るなどしてとにかく歩く。
★東寺灌頂院(京の冬の旅より。曼荼羅、法具など)
★京都国立博物館
★京都御苑(梅林・桃林)



20日
古都散策ではないが、足のコンディション回復のために六甲山へ。
西おたふく山~六甲ガーデンテラス(陵雲台)~石切道を
休憩はさんで6時間かけて歩いた。
ネコヤナギの芽吹きの最中で数パターンを比べてみてプロセスがよくわかった。



コースの中に桜はなく、ミツバツツジの紫がかったピンクの花が可愛かった。
冬からの椿の花がまだ咲いていたし、散ってもいた。



このソフトクリームに隠れた場所に家が見えた!




26日
仕事が早く終わったので、思い切って午後3時頃から布引あたりを散策。
北野天満神社、徳光院、北野道(布引~北野町)。
帰りに岡本桜守公園に寄ってみたが、桜はほとんど咲いていなかった。
ササベザクラは1本の木が開花し始めていて、ほんの少しだけれど、
初めて花びらを見ることができた。
午後6時を過ぎていたので暗いナァ~。もっと早い時間に行きなさい。




<4月>
2日
★墨染寺(京都)
平安時代の伝説が残る寺。平安時代、太政大臣藤原基経が亡くなり、この地
に葬られたのを悲しんで、歌人の上野峯雄が詠んだ歌が
「深草の野辺の桜の心あれば 今年ばかりは墨染に咲け」。この辺にはえて
いた桜はいっせいに薄墨色に染まったそう。
おめあての墨染桜はまだだった。一輪だけがそれも3部咲きぐらいで、来るの
が早すぎたようだ。
ソメイヨシノは満開だった。小説「櫻守」に出てきたときと違って、とても
桜を大切にしているお寺だと思った。





★上品蓮台寺(京都)
こちらも枝垂れ桜はまだだった。
観光バスが停まっていたり、団体で訪れたり、人がけっこう多かった。









10日
奈良散策。
●弘仁寺



弘仁寺にお参りしたところ、ご本尊が虚空蔵菩薩ゆえ、子供連れの祈祷参内者
が絶えず全く拝観できず。境内を歩くのみだった。続けて帯解寺に向かった
ところ「戌の日」のため大勢の人であふれかえり境内にも入れず。
<教訓>
本尊が虚空蔵菩薩のお寺は要事前確認。安産祈祷の寺の戌の日は避けるべし。

気を取り直して奈良公園方面に移動。途中、弘仁寺の近くで電子技法栽培の
イチゴ直売所がにぎわっていた。が、先を急ぐ。

●釆女神社
4月の文楽の演目にちなんで、猿沢池のほとりにある釆女神社へ。
以前は閉まっていてお参りできなかったと思うが、この日はしっかり
お参りできた。縁結びの絵馬だったか、おみくじかが売られて変貌ぶり
に驚いた。仲秋の祭典では二隻の船が猿沢池に浮かぶらしい。
(文楽の「妹背山婦女庭訓」と違って、謡曲の「釆女」では釆女は本当に
入水したことになっているようだ。)



本日の最大のお目当ては、絵巻。
奈良国立博物館にて「国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天王
信仰の至宝」展鑑賞。
エントランス入ってすぐの吹き抜け上方に、山崎長者巻に登場する米俵が
数個ぶら下がっていた。ワクワク~♪
今回は山崎長者巻、延喜加持巻、尼公巻の全三巻がすべて一挙に見ら
れる貴重な機会。第一会場が少し混んでいたので、第二会場に進み、先に
解説映像を見ておいた。再度第一会場に戻り、現物を拝見すると内容が
よくわかって面白かった。



<山崎長者巻>
信貴山で修行をする命蓮上人。山崎長者が上人を無視したので、托鉢
の鉢を長者の家に飛ばしたら、米が倉ごと運ばれてゆく様子や、逆に
米俵だけが帰ってゆくくだり。途中、上空からのアングルに変わっている
ところも楽しい。
<延喜加持巻>
帝(醍醐天皇)の病を治してほしいと勅使が上人にお願いに行ったところ、
山に居ながらにして治すという。加持祈祷を山で行い、代わりに帝のもと
に派遣されたのは剣鎧護法童子~剣をまとう童子。その風貌がすごい! 
まるでスケボーのように勢いよく回る輪宝にのって大空を翔けてくるところ
かっこいい~。
<尼公巻>
弟に会いたいと、上人の姉の尼公が信濃から旅してやってきて、東大寺
の大仏さまの前で一夜を明かす様子がアニメのように描かれている。
お告げの中で弟の上人の居所をきく様子に感動。いまの大仏様とは違う、
面長の大仏さまの素敵なお顔も確かめられた。
絵巻以外には、信貴山にある朝護孫子寺の寺宝の数々。
鳥獣戯画のような混雑はなくて、ゆっくり見られてほんとにいい展示だった。




16日
特別拝観のほか、目的があって須磨寺へ。
■須磨寺
「ちょこっと関西 歴史たび 特別企画」
・宝物館
木造十一面観音立像(重文、通常は本堂内陣に安置されている)、
一の谷合戦屏風、錦絵、青葉の笛(通常展示と同じ)など。
・「三重塔」特別開扉
・本堂「六観音」特別公開(扉が開いているが、遠くから拝観)

24日
京都国立博物館にて「禅-心をかたちに-」展。
臨済宗・黄檗宗の源流に位置する高僧、臨済義玄(りんざいぎげん)禅師
の1150年遠諱であり、日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師の250年遠諱を
記念する展覧会。臨済・黄檗両宗15派の各本山や末寺、塔頭に伝わる寺宝
を一挙公開。戦国武将との関わりも深く、大名の庇護を受けて繁栄した様子
もわかる。国宝の「無準師範像」ほか、「達磨像」など白隠慧鶴による
ユーモラスでわかりやすい絵が数点。萬福寺の「羅怙羅尊者」坐像は、顔は
醜いが心には仏が宿っていることを自分の胸を開いてみせている。(映画
「トータル・リコール」に出てくるクワトーより萬福寺のほうが早かった♪)
「禅寺一斉拝観」の天授庵で公開予定だった長谷川等伯の襖絵(重文)も
こちらの展覧会に出陳されていた。
博物館の庭に出てほぼ最後のお花見。オオシマザクラの花びらが芝の緑の
上にふわっと散って美しい。そこにふわっと降り立ったシギが優雅に散歩
・・・いや餌さがし。博物館の庭は貴重なやすらぎの場でもある。

「宗祖・臨済禅師1150年/中興祖・白隠禅師250年遠諱記 禅寺一斉拝観」
のリストの中から、今まで行ったことのない「正伝永源院」を拝観。建仁寺
の塔頭で場所も建仁寺の隣りに位置する。元は正伝院と永源庵の二つの寺
だったのが、廃仏毀釈運動によりひとつになった。茶人として名を馳せた
織田有楽斎の墓所がある。
池泉観賞式の庭園には禅の『心』の字を表した池がある。境内には有楽斎
が建てた国宝の茶室「如庵」が復元されていて、独特の設えの窓や壁、部屋
の様子が間近で見られた。
「永源庵」は細川家の始祖細川頼有以後の菩提寺で、細川護熙氏による
「秋聲」 図襖も見られた。

<5月>
1日
琵琶湖の周辺、永原と高島を散策。
■黒山石仏群
■徳円寺(馬頭観音立像)
■大浦十一面腹帯観音堂(十一面観音菩薩立像)
前日に事前連絡。世話方さんがとてもよくしてくださり、黒山石仏群
に案内してくださったほか、徳円寺さんにも連絡をとってくださった。
なかなか来れない場所なのでたくさん拝観できて心より感謝です♪
腹帯観音さまは本で写真を見ていた時の印象よりも大きく、存在感が
あった。高さ1.6mの榧の木の一木彫りで、伝教大師作と伝わる。
織田信長の焼き討ちによる兵火にあった際、境内の蓮池に投げて難を
逃れたとのこと。88年後に池底を探したところ、泥中から無事見つ
かったらしい。その時、泥を拭いたり介抱に使った布をその後、出産
の際に使ったところ安産だった。以来、安産祈願の信仰の対象に。
この観音さまの腹に巻いた布を妊婦が腹に巻くと安産になると言われ、
全国から安産祈願に来られるとのこと。この日もコルセットが巻かれ
ていていかにもご利益がありそうだった。実際に腹帯を巻いたりはず
したりする際、手を触れないといけないため、重文指定にはならないそう。
でも、美術品としてではなく、全国からの祈りをその身にまとう観音
さまは見ればみるほど優しいお顔をしておられる。なによりも観音さま
がうれしそうに微笑んでおられるように感じる。こちらもまた、なか
なか去りがたい観音さまなのだった。
■善隆寺(和蔵堂 十一面観世音立像・阿弥陀仏頭はいずれも重文)
■白髭神社

4日
「平成28年度春期京都非公開文化財特別公開」より
醍醐周辺と伏見散策。
★善願寺
★法界寺
★恵福寺
★長建寺
★御香宮神社

5日
神戸お墓参り。

8日
伊丹の昆陽池周辺を歩く。
■昆陽寺







15日
山本~宝塚の巡礼街道を歩く。

22日
舞鶴散策。早すぎるランチ、遅いカフェを東舞鶴で。
(参道にあるはずの流々亭が見つからなかった~。)
■松尾寺(馬頭観音お前立ち、宝物殿)
ご本尊の馬頭観音さまは拝観できず。若狭三馬頭のひとつで、あとの2寺
は拝観できたので、次にご開帳の機会があれば再訪したいと思う。



宝物殿の拝観を申し込むと、ご住職がとても丁寧に説明してくださった。
細かくてよく見えない部分は拡大画像のパネルを用意されていたり、
展示替えのために見られない寺宝については写真を見せてくださったり。
快慶作の阿弥陀さまは実際にはそれほど大きくはなかったが、気品と風格
に満ちてどっしりした印象だった。
 宝物殿(絵画 普賢延命菩薩像・国宝、快慶作の阿弥陀如来坐像・重文、
 絵画 如意輪観音像 書跡 西国巡礼縁起 ほか)





■金剛院(宝物館、三重塔・重文 ほか)



宝物館は前日に電話予約。当日、ご住職が丁寧に説明してくださった。
こちらの質問にも細かく答えてくださり、ありがたいかぎり。
なかでも快慶作の深沙大将と執金剛神像に感激!後年の作を拝観したこと
があるだけに、目の前の像との隔たりに驚き、興奮してしまった。どちら
もすごいし、どちらも仏師のただならぬ力を感じる。そして、ここ金剛院
の深沙大将と執金剛神像は今まで見た快慶とは全く違っていた。ごつごつ
した感じで、筋肉などひじょうにリアルに造られている。特に深沙大将は
興福寺の天燈鬼によく似ていた。この作風のギャップ、いったい快慶に何
が起きたのだろうとさえ思ってしまう。
そのほか阿弥陀如来像、二天像、仁王像など重文の数々。秘仏のご本尊で
ある波切不動明王は節分の日のみ開帳のためパネル写真で拝見。

柿葺きの美しい三重塔、長い石段の上にある本堂と、それに連なる舞台造り
の雲山閣。このあたりの情景は三島由紀夫の『金閣寺』に登場する。
水上勉の五番町夕霧楼は読んだのに、こちらは未読だったため、帰って
すぐに本を買って読んだ。さきほどの深沙大将と執金剛神像が表紙になって
いる本も買った。おかげで紅葉の季節でもないのに忘れられない寺となった。







<6月>
5日
■総持寺
西国三十三カ所草創1300年記念
本堂(地蔵焔魔堂秘仏 地蔵菩薩・閻魔王特別公開)
※ご本尊の観音さまは拝観できず。
開山藤原山蔭卿が庖丁道の創始者であることから、毎年4月18日に古式に則り、
山蔭流庖丁式が執り行われる。
※時間が合えば、昼食には貞寿庵の蕎麦がよさそうだ。

11日
亀岡散策
★走田神社
★穴太寺(西国二十一番)
本堂 ご本尊・聖観世音菩薩、釈迦涅槃像(なで佛)
釈迦涅槃像には布団がかけられているので、これをめくって体の悪いところを
なでてお祈りする。今まで見たがことなくとても不思議な感じがした。
特別拝観 安寿姫厨子王丸伝説「厨子王丸肌守御本尊」
厨子王丸肌守御本尊は本当に小さな仏像がお厨子に入っており、よく見えなかった。
安寿姫厨子王丸伝説というのだが、おそらく似た境遇の人たちが他にもいて、その
うちの一人がこのお寺に身を寄せたのであろうと考えられる。
他に庭園見学。

18日
この日は3万歩歩いた。紫陽花がきれいだった。
■中山寺
本堂(御本尊ご開帳、薬師堂秘仏 薬師三尊)
西国三十三カ所の特別公開・寺宝展(秀頼寄進の寺宝、太子信仰の仏像ほか)
■勝尾寺(御本尊ご開帳)
毎月18日に開帳になるというご本尊の千手観音さま。祈祷以外では内陣には
入れないが、扉の外からでもかなり大きい像に見えた。現在のご本尊はお顔も
衣の彫り方も本の写真で見たものとは違っており、秘仏の千手観音さまでは
ないことがわかった。6/1〜6/30の土日のみ、西国三十三カ所の特別公開と
して、薬師三尊も本堂で拝観できた。(三体が同じ厨子におさまっており、
重文の薬師三尊かどうかは、遠すぎるのとお像が小さいのとで不明。)
このお寺の紫陽花が最も美しい時季を選んでの公開。アナベルという名前の緑
がかった白の紫陽花が梅雨映えのするきれいさだった。







箕面駅からの行き帰りはハイキング。箕面の滝〜自然探求路4号線・5号線を
利用。勝尾寺が昔、村との境界を示すものとして置いた増長天の石蔵がある
らしいが、場所がわからなかった。帰りに寄った箕面ビジターセンターに
勝尾寺の八天石蔵についての写真、資料をはじめ、千手観音菩薩立像
(平安初期・大阪府指定文化財・・・秘仏の本で見た千手観音さま♪)、
薬師三尊像(平安初期・重要文化財)の写真があった。八天石蔵とはお寺と
村との境界8カ所に石蔵を置き、その中に四天王像・四明王像の8体の仏像が
納められていたというもの。その仏像は現在、勝尾寺の「宝物館」に安置され
ているそうだ。
※メモ
2016年8月6日より土日祝のみ「箕面駅~勝尾寺」間の直行バス運行開始。
11月と年始は運休。(それまでは千里中央駅発の路線バスしかなかった。)

26日
京都国立博物館「特集陳列 徳川家康没後四百年記念 徳川将軍家と京都の
寺社─知恩院を中心に─」「定朝様と慶派の仏像」(長源寺 薬師如来立像、
透玄寺 如意輪観音坐像、浄土宗 阿弥陀如来立像・行快作ほか)

★藤森神社
紫陽花苑、宝物殿(武具、馬の博物館など)

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當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(2)

2015-12-13 | 散策・旅


白洲正子さんの『かくれ里』文庫本をバッグに入れ、「葛城のあたり」に書かれて
いる地名や寺社を探して歩いてみた。



近鉄御所駅から九品寺まで。本にある<横大道>がどの道をさすのかわからないまま、
「葛城の道」に合流。道中ずっと見えていたのは葛城山か金剛山か。毎日見ている
地元の山よりも明らかに高い山の連なりには心惹かれるものがある。




●九品寺(くほんじ)


駅から45分ほどでお寺の門前に着いた。
道路に面して門があり、その先の石段を昇りきると本堂があった。
寺務所らしきものはなく、拝観受付もない。事前拝観予約をするべきだったのか?
ただ他にも何組かお参りしている人たちがいて境内は自由に歩けるようだ。
本堂の小窓からガラス越しにのぞくと、ご本尊の阿弥陀如来坐像なのかな。
ちょうど照明がついていたため、お顔だけは遠くから拝むことができた。



本堂の横の小道を上がってゆくと石仏がいっぱい並ぶ参道があり、そこをくねくね
登っていくと千体地蔵が祀られていた。



はっと息をのむ光景。
石塔寺の石仏群と違って、たくさんの赤い前掛けが目に飛びこんでくる。
中央に通路があり、階段状にきれいに並んですべてこちらを向いている。
しばらく眺めているうちにこちらのほうが見られている感じがしたり・・・。

お寺のパンフレットや公式サイトもないため、白洲さんの本に教えていただく。
九品寺は行基の開基で、平安時代に弘法大師が造った「戒那千坊」の中の一つが
このお寺だったらしい。
「村の言い伝えでは、楠木正成に従った人々の、供養のために造ったといわれる
が、千体といっても実は二千体以上もあり、地中にもたくさん埋没されている
という。」(『かくれ里』より引用)



さらに上奥にも千体地蔵があり、そこを覆うように広がる紅葉が美しかった。




下におりて庭園を見せていただくと、千体地蔵とは違う石仏があちらこちらに。




お庭からは、大和三山らしき風景が前方遠くに広がっていた。
白洲さんが九品寺に宿泊した折に見た風景はこんな感じだったのだろうか?

「左の方には、大和三山が、手にとるように見渡され、その向うに、三輪山が
秀麗な姿を見せている。・・・(中略)・・・その背後には、国見山、高取、
多武の峰がつづき、霞のあなたには紫の吉野連山も望める、といった工合で、
居ながらにして大和平野の大部分が、視界におさまる大パノラマだ。」
(『かくれ里』より引用)



<メモ>
御所市の「九品寺」解説ページはこちら


●綏靖天皇葛城高丘宮趾
つぎねふや 山城河を 河上り わが上れば あをによし 奈良をすぎ 
小楯 倭をすぎ わが見が欲し国は 葛城高宮 吾家のあたり


白洲さんの「葛城のあたり」の書き出しはこの歌から始まる。
磐之媛皇后が仁徳天皇と仲たがいして、ひきこもってしまった時によんだ
望郷の歌だそう。その中の「葛城高宮」がこの辺りにあるという。

九品寺をあとにして、一言主神社に向かって葛城の道を歩いていると自然に
「葛城高宮」趾に来た。
白洲さんが歩いた頃は「神宮の芝」と呼ばれる場所で「木は一本もなく、
芝生のままで残されており、いかにも舘が建っていたような地形である」
(『かくれ里』より引用)と書かれている。



が、実際には木も生えているし、ここは丘への入り口だろうか。
いやいや、きっと私のようにこの本を読んだ人や、古代史ファンの人が
どこにあるのか尋ねたり迷ったりするので、こんな石柱まで建てたんだろう
な、きっとこの場所に違いないと思いつつ。ここもいい眺めだ。
皇后の望郷の想いに少し触れた気になって通り過ぎた。


●葛城一言主神社
葛城の道をさらに進み、正面参道に横から合流する形で神社に到着。
石段を上がって、はっと再び息をのんだのは・・・・・・



大銀杏のせいです。樹齢1200年ですと!



乳銀杏と呼ばれるご神木で、健康な子供が授かり、お乳がよく出ると、古く
から地元の人々の信仰を集めているそうだ。





ここには「一陽来復(いちようらいふく)」のお守りがあり、冬至の2日前から
節分までの間毎日授与していると書かれていた。一陽来復とは陰極まって陽が
かえってくること。良くないことが続いてもやがて幸運が巡ってくる、の意味
だそう。なんかこの説明を読んだだけで勇気がわいてきそうだ。



ここは謡曲の「土蜘蛛」と関係があるらしく、(歌舞伎の「土蜘蛛」も同じだ
と思うが)「土蜘蛛」と蜘蛛塚についての謡曲史跡保存会の立札があった。
「・・・そのように京で暴れた土蜘蛛も今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに
眠っている」とあったので思わず銀杏の木を見に走ってしまった・・・。
土蜘蛛を封じこめたという石(蜘蛛塚)が境内のどこかにあるらしかったが、
見つけられず。あとで神社の参道の傍らに蜘蛛塚を見つけたので、それでも
いいかな~。
※<追記>
どうやら謡曲史跡保存会の立札の下にある木の下に石(蜘蛛塚)があるらしい。




白洲正子さんの本にもどって、「かつらぎの名の起りは葛で作った城(とりで)
の意で、土蜘蛛と称する原住民が、穴の中に住み、そういう木の柵を厳重にはり
めぐらしていた。(中略)・・・天皇が彼らを攻めた時、(中略)・・・
葛の網で防御したのであろう」(『かくれ里』より引用)と書かれている。
ナルホド、葛の網がつまり、あの蜘蛛の糸になるのか~と思いいたった次第。



楽しかった葛城の道、今回はここまで。残りはまたいつか!

<メモ>
御所市の「葛城一言主神社」解説ページはこちら
イラストマップ「葛城の道」のダウンロードはこちらから。
参考にさせていただきました。


當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(1)
當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(2)


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當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(1)

2015-12-12 | 散策・旅
11月最終の週末は奈良、葛城方面へ。
當麻寺を拝観した後、白洲正子さんの本『かくれ里』にある「葛城あたり」
を参考にちょこっとだけ歩いてみた。


(西南院の庭)


まずは當麻寺から。
前回お参りしたのは2011年9月。そのときは本堂、金堂、講堂はもちろん、
中之坊の霊宝館、東塔の近くまで行ったり、敷地内の梵鐘や石燈籠などを
ゆっくり見て回った。
今回の目的は、當麻寺の塔頭寺院である「西南院」の三観音特別開帳。



當麻寺の入り口にあたる仁王門。4年前は修復中だったことを思い出した。





●當麻寺 西南院(さいないん) 
當麻寺本堂の奥(西)にある西南院は、當麻寺の裏鬼門の守り寺院として
創建され、のちに弘法大師が留錫して「いろは歌」を想念した時より真言宗
の寺院になった。



三観音等の特別開帳は11月21日~30日で、11月29日に拝観。
博物館などに分散保管されていた三体の観音菩薩像が、ひとつの厨子におさ
まったとのは平成になってからとのこと。すべて国の重要文化財。



三観音とはご本尊の十一面観音菩薩(中央・弘仁時代)、聖観音菩薩(向かっ
て右・弘仁時代)、千手観音菩薩(向かって左・藤原時代)のことを言う。
どちらの観音さまも少し腰をひねっておられる。
十一面観音さまは「一言の観音」と言われ、一つだけ願いを聞いてくださる
そうだ。化仏は丁寧に彫られ、引き締まった端正なお顔が印象的。左手には
蓮花の蕾、右手には錫杖を持ち、両手から垂れた衣が飜っている。
聖観音菩薩さまはどっしりと存在感があり、目をつむっているように見え、
優しいお顔をしておられる。左手に持った蓮の蕾も木で彫られていた。
千手観音さまは、びっしりついた950以上の手を、このこじんまりとした体で
支えておられる。これはバランス的にも見た目にも凄い。十一面観音でもある。
一言では足りないお願いは、あとの二観音さまに助けていただきましょう。
こちらではゆっくり拝観させていただいた。

お厨子の背後にもたくさんの仏像が祀られていた。
なかでも飛行する役行者はめずらしい。二鬼とともに雲に乗って飛んでいる
姿は、あちらこちらの山々を駆け巡る様子を表しているらしい。



池泉廻遊式庭園のみはらし台からは、當麻寺の東塔(向こう)と西塔(手前)
が同時に見られるのがうれしい。この日は一日中曇り。晴れていたら紅葉が
もっときれいに見えたはずなんだけどな~。
それでも池に西塔が映り、水鏡になって見える風景も趣きがあるし、紅葉越し
に塔がシルエット状に見えるのもここだけの風景だった。
お庭をめぐっていると水琴窟の音が聴こえてきた。

お寺の公式サイトはコチラ

<メモ>
正午過ぎに仁王門前に到着、拝観前の昼食となった。
蕎麦の薬庵、釜めしの玉やなど、門前に食事処が数軒あったが、今回は
五木寛之さんやさだまさしさんも来店したという「茶房ふたかみ」にした。
柿の葉すしセット(800円)の麺はにゅうめんをチョイス。すしは近鉄奈良
駅前にある「たなかの柿の葉すし」で味はすっきり美味しく、にゅうめんは
お汁も全部いただき体もぽっかぽか~。




(2)につづく。


當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(1)
當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(2)

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ふたたびのみち、大師道。

2015-12-07 | 散策・旅
ふたたびのみち、と書いたのには複数の意味がある。
7月に六甲山の大師道を歩いたときに、ここは秋の紅葉が見事ですよ、
とすれ違った人に教えてもらい、再度訪れたという意味。


夏の大師道の青紅葉(7月26日)

11月22日にここに来る途中、平坦な道で倒木の枝に右足をひっかけて
転倒。血が止まらず早々に下山して断念。そのリベンジという意味。


森林植物園(11月22日)

そして、これが本来の意味。
再度山大龍寺の縁起によれば、弘法大師が入唐の前に、旅の所願成就
を大龍寺の御本尊に祈願。無事帰国後、上京の途中に「ふたたび」
この山に籠って七日間秘法を修法した。弘法大師が再び登山されたこと
から「再度山」と呼ばれるようになった
そうだ。



<自分メモ>
●11月22日のプラン
新神戸駅~布引の滝~布引貯水池~トゥエンティクロス~森林植物園
(この後は未遂)~修法ヶ原~猩々池~大師道~諏訪山神社~JR元町駅

●12月6日のコース
JR元町駅~諏訪山神社~大師道~猩々池~大龍寺~市ケ原~布引貯水池
~五本松堰堤~布引の滝~新神戸駅(出発地を逆にして短縮コースに)


というワケで、ここから先は12月6日に歩いたコース。
曇っていたので写真が暗いのが残念。


諏訪神社の階段を昇ると、拝殿の左横から大師道につながる道がある。
途中の木々も緑、橙色、赤が混じってきれいだった。


大師道。名前の通り、弘法大師はこの道を歩いて大龍寺に向かったのだろうか。


大師道。すれ違った女の人に、こんにちはと挨拶すると、晴れていたらここは
もっときれいんだけどねぇ!川にも紅葉が映って真っ赤でね、とのことだった。


猩々池。この貯水池が完成したとき、村人たちは酒樽を用意して池の畔に代官を迎え、
「猩々」の謡曲で宴に興を添えたそうだ。歌舞伎で見た「猩々」を思い出した。


大龍寺の手前にある日本料理の店「鯰学舎」の庭を横から拝見。


大龍寺の参道の入り口付近で。
こちらからはお寺の赤い大きな山門ではなく、仁王門から入ることになる。


大龍寺の境内は一面すっかり銀杏の絨毯だった。
ご本尊の如意輪観音菩薩立像は国の重要文化財。7月に拝観したときは年に一度の
ご開帳が終わった後だった。その日は本堂の上まで登り、再度山山頂と、その手前
にある弘法大師自作の「亀石」までお参りしてきた。


大龍寺の山門(赤門)を出て車道を渡り、市ケ原に向かう道。
山門前のバス時刻表を見ると土日のみ運行。さらに12月~3月は運休のようだった。
この方面にバスを利用したい人は神戸市バスによく確認しないとね。


布引貯水池


ダム湖百選のひとつ。


布引貯水池


五本松かくれ滝


五本松堰堤

短いコースだったのに、帰宅して右ひざの傷を確認したらうっすら血が
にじんでいた。病院で診てもらったし、もう痛みは全くないんだけどね。
ともあれ、2回に分けたけれど、大師道紅葉編はこれで完結とする。


<いまさらながら看板・標識の表示 自分メモ>
施設名と地名の両方の表示があるので整理してみる。

●再度公園と修法ヶ原池
「再度公園」のなかに「修法ヶ原池」と外国人墓地がある。

●布引貯水池と市ケ原
新神戸駅のほうから行くと、布引の滝を経て「布引貯水池」がある。
その先の櫻茶屋前の階段をおりた河原が「市ケ原」。
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京都・西方寺~金戒光明寺~真如堂

2015-11-14 | 散策・旅
先週末(7日)は暑かった。
それでも真如堂にたどり着いた時にはすっかり秋色~♪





寺町通の鳩居堂で朱印帳を買ってから、仁王門通を歩いて東へと
向かう。途中、うどんの「うね乃」前に行列ができていた。

第51回京都非公開文化財特別公開」。
先日さっそく東寺灌頂院での十二神将の公開に行ってきた。
この日めざして行ったのは信行寺。若冲の天井画だった。
がっ・・・・・・あ、あまかった~~~。通りの塀の隙間から
覗き見しただけで凄い混雑ぶり。外には観光バスも待機して、寺
の外壁に沿って長~~~い行列がっ!!




●西方寺
塀に貼られた天井画の新聞記事を眺めただけでアッサリあきらめ、
ご近所の西方寺へと。空いていた。ていうか普通どこもこんな感じ。





ここの見どころは、ご本尊の阿弥陀如来坐像。
驚いた。光背に細かい仏さまがビッッッッッッシリ!
三千余りの化仏をつけた光背は丸い形をしていた。その光背の
外周には十三仏が配されている。
ちなみに、光背から抜け落ちた化仏4躯が奥の部屋に展示されて
いたが、どれも違うもので裏側には文字が書かれていた。
平安時代の作で国の重文。元は法勝寺に祀られていたそうだ。
ほかに豊臣秀吉坐像も。秀吉がなくなる1年前に製作されており、
顔はかなり近いとのこと。七条大仏師康住法印の作との墨書があった。
境内の道路に近い地蔵堂には、衣通姫(そとおりひめ)地蔵があり、
洛陽四十八か所の25番霊場になっている。

ここから平安神宮前を通って黒谷まで歩く。
歩かないと足のコンディションがわるくなるので、こんなちょうど
歩き頃の散策コースがありがたい。


●金戒光明寺



こちらには久しぶり。前に来た時は山門の修理中だった。
なので、2013年に修理を終えた山門の楼上にあがるのが今回の目的。
眺望も含め撮影禁止だったので写真はないけれど、なかなかの眺め
だった。会津藩が京都守護職の本陣とした理由がよくわかる。
(眺望以外にも理由はいろいろあるらしいが。)
楼上からは東からと西からの都への発着点が見える。
正面には知恩院。右手には京都御所、左手には南禅寺。昔は高い建物
がなかったわけだから、きっと手に取るように人の往来が見えたはず。
眺望を説明する風景写真パネルには、京都タワーはもちろん、あべの
ハルカスまで入っていた。とにかく凄い立地だ。



山門の内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢が安置され、天井には八方
睨みの龍。山門を建てた際に多額の寄進をした人の像もあった。
扁額にある後小松天皇の宸筆「浄土真宗最初門」とは、法然上人が
浄土の真の教えを最初に説いた場所、という意味だそうだ。

久々に御影堂と大方丈へ。
御影堂には伝運慶作の文殊菩薩と脇侍が。渡海文殊・・・獅子に乗り
海を渡って五台山に向かう菩薩さまの姿はほんとにカッコいい。
吉備真備が唐から持ち帰った木で刻んだ吉備観音(重文)もおられる。
ここは会津藩だけど、今年の大河にちなんで仏間には吉田松陰など
長州ゆかりの史料も展示されていた。
伊藤若冲筆「群鶏図」屏風、若冲の弟子の絵も。



秋の公開期間中は、回遊式庭園「紫雲の庭」や「ご縁の道」へも下りて
歩くことができる。紅葉はまだ始まったばかりだった。
三尊石は見つけられなかったが、路上に小さな亀さんがいっぱい♪




●西雲院
金戒光明寺の塔頭。西雲院の境内に入るのは初めて。
法然上人が腰掛けたときに紫色の雲がたつのを見たと伝わる「紫雲石」が
お堂の中にある。



ししゆずの大きな黄色い実が目に入った。その傍らに幕末の侠客で、
新選組の密偵でもあった小鉄こと上坂仙吉の墓があった。
立札などの解説文によれば、鳥羽伏見の戦いで会津藩の戦死者の遺体が
無惨にも放置されていたのを、小鉄が配下200余名を動員して収容し、
近くの寺で荼毘に付して供養したそうだ。以後も小鉄は黒谷会津墓地を
西雲院住職とともに死守し、清掃、整備の仕事を続けたという。
西雲院の向かいには会津藩殉難者墓地がある。


●真如堂
会津藩殉難者墓地の前の道を通り抜けると、真如堂の境内に入る。
この日、初めて紅葉らしい風景を見て気持ちがほっこりした。





拝観時間が過ぎていたので、御朱印だけいただいた。
こちらへは大涅槃図の公開などで何度かお参りしているのに、その頃は
まだ朱印帳を持っていなかったから。
新しい紙面には「無量寿」と書かれていた。ご本尊である阿弥陀さまの
教えだそうだ。11月15日は「お十夜」の結願法要で、ご本尊に間近で
参拝できるうえ、お練り法要もあるとのこと。





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みほとけの里・若狭(3)常高寺

2015-10-31 | 散策・旅



●常高寺
ここは秘仏公開とは全く関係なく、一度はお参りしたかったお寺。
浅井3姉妹の次女、お初ゆかりの場所だから。



山門の見える大きな石段の下を迂回して、小さなトンネルをくぐり
抜けて坂道を登ってゆくと門前に着いた。



長女の茶々と三女のお江については若干の知識はあるが、お初に
ついては、京極高次に嫁いだことと、大坂夏の陣で徳川家と豊臣家の
間に立って和議の交渉をしたこと以外あまり知らない。
お初と小浜の関係についてごく簡単にかいつまんでみると・・・



大津城の城主だった京極高次は、関ヶ原の合戦の功により若狭八万
五千石を受領。小浜城主となり、お初とともに小浜の地に入った。
1609年、高次が病のため小浜城で他界したため、お初は剃髪して
常高院となる。その後、大阪冬の陣・夏の陣で和議の交渉にあたる。
晩年を江戸で過ごすも、1630年、夫の菩提を弔うため小浜に寺建立を
発願。1633年、寺晋請半ばに京極家の江戸屋敷にて没す。
お初のお墓は小浜の常高寺の境内にあり、夫高次とお初の位牌も
寺内にある。

では、高次のお墓はどこに?? 
なぜだかどうでもいいことが気になるんですけど~。
もしかして夫婦の墓所は別々?
前に滋賀県で高次のお墓にお参りしたことがあり、二人の墓所が離れ
ている理由を知りたくなったので自分なりに整理してみる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
滋賀県の清瀧寺徳源院に京極家の菩提寺がある。19代高次は京極家
の中興の祖として、石製の霊屋の中に宝篋印塔がおさめられている。
Wikipediaによれば、もともと小浜の「泰雲寺」が高次の菩提寺だった
そうで、お初が亡くなった後に、息子の京極忠高が若狭から松江へ転封
となり、出雲の寶亀山安國寺に父・高次の供養塔を建立したとのこと。
その宝篋印塔は今もあるそうだ。
その後、高次の子孫である高豊が、散在していた墓を清瀧寺徳源院に
集め、整備したのが1672年。



徳源院にある高次の墓は歴代の中でも特別感がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ナルホド、松江の供養塔も滋賀県の墓もお初が世を去った後の話なのだ。

いずれにしても、高次のお墓がどこにあろうと、実はお初は高次ととも
にいることが感じられてあったかい気持ちになる。
それは「常高院」という院号にこめられたお初の思い。
これって常に高次さんとともにある、という意味でしょ?と勝手に推測。
高次が亡くなった小浜の地でお初もともに眠っているんだな、と。




お寺の境内から階段を上がり、国道の上を渡ってさらに奥に進むと
お初のお墓があった。(お墓は国道から直結していて車で行ける。)
ここではお初の宝篋印塔と向かい合って7人の侍女のお墓もあり、
まるで会話をしているかのようなレイアウトになっている。お初の
背後を囲むようにあるのは常高寺で得度した尼僧たちのお墓だそう。
その感じがどこか微笑ましく、全然さびしくなさそうだった。

順序が後になったけれど、もちろん建物内の拝観もできる。
こちらで見ることができるのは、常高院肖像画、お初の自筆の遺言
(かきおきのこと)、徳川幕府の朱印状、お位牌、狩野美信による
書院障壁画など。大河ドラマ出演時に水川あさみさん、斎藤工さんが
それぞれお寺を訪れた際の写真も展示されていた。

特に京極忠高に宛てた自筆の遺言「かきおきのこと」にはちょっと感動。
自分の死後に侍女たちが尼寺(常高寺)に住めるよう、また小姓たちの
身の振り方について等、周囲の人たちへの気遣いに満ちたお初の終活、
エンディングノートと呼べるもの。(この部屋は撮影OKでした)
素敵だ、お初さま。




仏像拝観もよかったけれど、戦国時代のこんな秘話にも触れられる
小浜というまちの奥行きの深さ。魅力。まだまだ何度も来ないとね!
魅力といえば、まだ小浜でちゃんとしたお店で鯖寿司を食べていない。
秘仏拝観ってけっこう時間をとるからね。






●八幡宮、八百比丘尼

八幡神社。毎年9月に放生祭があり、各地区から山車が出るそうだ。


800歳まで生きたとされる八百比丘尼の入定地。
いろんなものがありますねー!


みほとけの里・若狭(1)安楽寺
みほとけの里・若狭(2)高成寺と栖雲寺

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みほとけの里・若狭(2)高成寺と栖雲寺

2015-10-31 | 散策・旅
小浜に移動し、海に近い界隈を歩く。
街を徘徊しながらふと目を向けた路地の向こうに海が見えたりすると
なぜかホッとする。
2年前にお寺巡りをした時は羽賀寺、明通寺、国分寺と小浜の東のエリア
を回ったので、今回は西側を歩いてみることに。
秘仏拝観は2カ寺だけど、それ以外にも気になるところがいっぱい。


●高成寺(こうじょうじ)
海岸近くの小浜公園のそばにあり、また、歴史を感じさせる街並みの
一角に高成寺があった。
立派な楼門をくぐると禅寺らしい清々しい境内が広がっていた。突き当
たり正面の建物がめざす観音堂らしい。ご本尊は十一面千手観音立像。





ご自由にお参りください、と書かれてあったので靴を脱いで引戸を開け、
お堂内にあがるとアッと声を出しそうになった。
ほの暗いお堂で、そこだけ灯りに照らされて観音さまのお姿があった。
事前に写真で見ていた全身像とは印象がまったく違う。
なぜだか、聖母マリアさま、という言葉が浮かんだほど。
国指定重要文化財の十一面千手観音立像。若狭地域における千手観音像
の最古の作例とのこと。
上部で振り分けられた赤い布によって、手の部分や頭上の特徴的な部分
が覆われ、そのせいでいっそう秘仏感が増している。
隠れている部分はアングルを変えることでディテールも確認できた。
お顔には気品が漂い、しっかり丁寧に彫られた姿は優美に感じられた。
前に置かれた白い十一面観音さまはお前立ちだろうか?
他に脇侍もなく、これは秘仏公開時期だけの特別配置かもしれない。





もとは足利尊氏が1339年に建立した安国寺。その後、僧を迎えて開山と
した臨済宗の寺。境内に梅田雲浜の顕彰碑があった。

若狭小浜のデジタル文化財」で全身像写真と詳しい説明あり。

<拝観メモ>
「平成27年度みほとけの里若狭の秘仏 特別公開」の寺
拝観料無料、パンフレットなし。納経所でご朱印だけいただいた。
北陸三十三カ所観音霊場 第4番
若狭三十三観音霊場 第21番
小浜西組重要伝統的建造物群保存地区にある。



●栖雲寺(せいうんじ)
本堂のご本尊は木造阿弥陀如来坐像。
像高36.9㎝という小さな仏像で、近づいて見てみるときりっとひきしまっ
たきれいなお顔をしていた。顔と手に部分的に金泥が残っているが、全体
的に黒い、という印象だった。平安時代末期の寄木造りの仏さまとのこと。
寺の創建や仏像の来歴の詳細は不明とのことだが、歴史を感じさせること
はたしか。
ぼうっとして撮影許可をもらうのを忘れたため仏像の写真はとっていない。






<拝観メモ>
「平成27年度みほとけの里若狭の秘仏 特別公開」の寺
拝観料無料、パンフレットなし。ご朱印だけいただいた。
若狭三十三観音霊場 第23番
若狭小浜のデジタル文化財」で写真と詳しい説明あり。




ひとやすみ。
去年、マーメイド像の写真を撮ったときはもう暗くて海が見えなかった。
はじめての、小浜の海~~~~~~♪


(3)につづく


みほとけの里・若狭(1)安楽寺

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