バナナはおやつではありません

映画感想。
個人的感想なので
あなたの鑑賞の目安にはなりません

突入せよ!「あさま山荘」事件

2005年12月29日 | 邦画
1972年2月。連合赤軍によるあさま山荘人質拉致籠城事件10日間の攻防を、佐々敦行(役所広司)をはじめとする警察側の視点から描いた作品。

実際の事件の経緯
昭和47年2月19日午後3時過ぎ、連合赤軍は、管理人の牟田泰子さん(当時31歳)を人質に取り219時間の攻防を展開した。あさま山荘は山の斜面に達つ建物で、正面入り口前の道路は狭く反対側は広大な斜面が広がっており、機動隊が突入するには不利な条件であった。

連合赤軍は、ライフル銃や散弾銃で完全武装をしており機動隊に向けて銃撃してきた。このため機動隊も迂闊には近寄れず人質の安否も分からない中、催涙弾、放水で揺さぶるほか手立ては無かった。篭城から四日目の午前11時過ぎ、民間人の田中保彦が機動隊の警戒線を突如突破してあさま山荘に近づいた。田中は連合赤軍に向かって「私は医者で新潟から来た」などと話しかけた。連合赤軍の吉野は機動隊と勘違いして管理人室の押入れから射撃した。田中は頭を撃たれて3月1日に病院で死亡した。

あさま山荘篭城10日目の2月28日、篭城210時間を超えて人質の泰子さんは限界であると判断した警察は強行突破を図る。午前10時、玄関前に横付けしたクレーン車が振り出すモンケンというビル解体工事に使う鉄球が、あさま山荘の壁を破壊する。そこへ機動隊が突入し激しい銃撃戦が展開された。午前11時27分、警視庁特科車輌隊の高見繁光警部(当時42歳)が散弾銃で撃たれて即死。同54分警視庁第二機動隊長の内田尚孝警視(当時47歳)はライフル銃で狙撃され死亡。同隊の大津高幸巡査(当時26歳)は散弾銃で撃たれ左目が失明する重傷を負った。

機動隊は、犠牲者を出しながら山荘内のバリケードを突破し午後6時20分、5人が立て籠もっていた「いちょうの間」になだれ込み5人の逮捕と人質の泰子さんを無事救出した。


もちろん当時の事を知らない。
たまに特番の映像でみるくらいの事しか知らない。
映画は犯人側(武田真治他)は最後の逮捕のとこしかでてこない。
なので連合赤軍とか全くなんのことかわからない。
この映画の原作者がこの事件の指揮をとっていたらしい。
だからそういう視点からなのだろうか。
事件のことをこの映画でちゃんと理解できるかは分からないけど
映画としては楽しめる。