ネタがないので、なんとなく家に飾られている絵画など紹介してお茶を濁そうとおもう。
わが家には、フィンランドをはじめとする北欧の絵画が何枚か飾られている。これらの絵はたいがい画商である奥さんの趣味で、ときどきこちらの気づかないうちにちがう絵に掛け変えられていたりする。

これはエストニアの画家ミルデベルギウスこと、ユーリ・ミルダバーグの板絵。「キュイジーヌ」というタイトルで、あたまにかぶった帽子はなぜかコーヒーポット!中世の宗教画のような静謐さと世俗的なユーモア、そしてシュールな構想とが奇妙なあんばいで同居している摩訶不思議な作品だ。
ミルデベルギウスの絵をみると、ぼくは何年か前に訪れたエストニアの首都タリンの街を思い出す。異国というよりは、どこか異次元に放りこまれてしまったかのようなあいまいな感じとでも言うのだろうか、そこは摩訶不思議な都市だった。ミルデベルギウスの絵にもまた、見るものを煙に巻くかのようなおなじあいまいな感じがつきまとう。「時間」というものさしも「空間」というものさしも、おそらくそこでは役に立たない。エストニアという国は、ぼくにとってそうした強力な「磁場」として記憶されている。
だから、あいまいな表情を浮かべて絵のなかにたたずんでいるひとびとや動物たちを見ると、ぼくはまるで鏡でじぶんの顔を見ているかのような不思議な心持ちになってしまうのだ。
わが家には、フィンランドをはじめとする北欧の絵画が何枚か飾られている。これらの絵はたいがい画商である奥さんの趣味で、ときどきこちらの気づかないうちにちがう絵に掛け変えられていたりする。

これはエストニアの画家ミルデベルギウスこと、ユーリ・ミルダバーグの板絵。「キュイジーヌ」というタイトルで、あたまにかぶった帽子はなぜかコーヒーポット!中世の宗教画のような静謐さと世俗的なユーモア、そしてシュールな構想とが奇妙なあんばいで同居している摩訶不思議な作品だ。
ミルデベルギウスの絵をみると、ぼくは何年か前に訪れたエストニアの首都タリンの街を思い出す。異国というよりは、どこか異次元に放りこまれてしまったかのようなあいまいな感じとでも言うのだろうか、そこは摩訶不思議な都市だった。ミルデベルギウスの絵にもまた、見るものを煙に巻くかのようなおなじあいまいな感じがつきまとう。「時間」というものさしも「空間」というものさしも、おそらくそこでは役に立たない。エストニアという国は、ぼくにとってそうした強力な「磁場」として記憶されている。
だから、あいまいな表情を浮かべて絵のなかにたたずんでいるひとびとや動物たちを見ると、ぼくはまるで鏡でじぶんの顔を見ているかのような不思議な心持ちになってしまうのだ。