山手線をつかって池袋から渋谷まで通っていたころのこと、車窓から一瞬ちらりと姿をみせるある「建物」のことが気になって仕方なかった。それは、目白と高田馬場とのあいだの丘の上にそびえたつ白亜のモダンな建造物だった。そこで、長年の「なぞ」を解くべく、その「正体」をたしかめに目白へと行ってきた。
目白駅から歩いて10分ほど、急な坂をのぼりつめた丘のてっぺんにその「建物」はあった。

スパニッシュ・コロニアルというのだろうか、白亜の壁とアーチ状の窓が印象的な建物である。門柱には「日立目白倶楽部」という表札がかかっているが、こちらのサイトによると、もともとは学習院大学の寄宿舎として昭和初期に建てられたものだという。山手線からみえるのはこのエントランスのちょうど裏側の部分で、その窓からは新宿の高層ビル群がきれいに見わたせるはずである。日立製作所社会貢献部のみなさま、どうか一年に一度くらい一般向けの「見学日」を設けていただけないものでしょうか?
このすぐちかくにもうひとつ、目を引く建物がある。日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会だ。

この教会を設計したのは、建築家の遠藤新。フランク・ロイド・ライトのもとで、「旧帝国ホテル」や池袋にある「自由学園明日館」の建築にたずさわった人物である。閑静な住宅街に静かに溶け込む教会の姿は、ここ東京ではめったに出会うことのできない眺めではないだろうか。
さらに足をのばすと、やがて「おとめ山公園」へとたどりつく。名前の由来は、この一帯が徳川将軍家のお狩り場であったため「立ち入り禁止」であったこと(「御留山」)からきているもので、「乙女」がいるわけでも、ましてや「お留ばあさん(推定81歳)」がいるわけでもないので、あしからず。

それにしてもここはすごい。一歩足を踏みいれれば、そこは「公園」というよりも文字通りの「山」である。都心にこんなスポットがぽっかり残っているなんて、ちかくを何度も通っていながらかんがえたことすらなかった。散歩にはわるくないけれど、人気がないのと木々が鬱蒼と茂っているため、女性のひとり歩きは避けたほうがいい。
周辺には、まだまだ風情のある古い住宅や洋館などが残っているものの、途中、解体や改築の工事現場に幾度も遭遇した。古い建物やそうした街並がすきな方は、ぜひ、いまのうち足を運んでおいたほうがいい街だとおもう。
目白駅から歩いて10分ほど、急な坂をのぼりつめた丘のてっぺんにその「建物」はあった。

スパニッシュ・コロニアルというのだろうか、白亜の壁とアーチ状の窓が印象的な建物である。門柱には「日立目白倶楽部」という表札がかかっているが、こちらのサイトによると、もともとは学習院大学の寄宿舎として昭和初期に建てられたものだという。山手線からみえるのはこのエントランスのちょうど裏側の部分で、その窓からは新宿の高層ビル群がきれいに見わたせるはずである。日立製作所社会貢献部のみなさま、どうか一年に一度くらい一般向けの「見学日」を設けていただけないものでしょうか?
このすぐちかくにもうひとつ、目を引く建物がある。日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会だ。

この教会を設計したのは、建築家の遠藤新。フランク・ロイド・ライトのもとで、「旧帝国ホテル」や池袋にある「自由学園明日館」の建築にたずさわった人物である。閑静な住宅街に静かに溶け込む教会の姿は、ここ東京ではめったに出会うことのできない眺めではないだろうか。
さらに足をのばすと、やがて「おとめ山公園」へとたどりつく。名前の由来は、この一帯が徳川将軍家のお狩り場であったため「立ち入り禁止」であったこと(「御留山」)からきているもので、「乙女」がいるわけでも、ましてや「お留ばあさん(推定81歳)」がいるわけでもないので、あしからず。

それにしてもここはすごい。一歩足を踏みいれれば、そこは「公園」というよりも文字通りの「山」である。都心にこんなスポットがぽっかり残っているなんて、ちかくを何度も通っていながらかんがえたことすらなかった。散歩にはわるくないけれど、人気がないのと木々が鬱蒼と茂っているため、女性のひとり歩きは避けたほうがいい。
周辺には、まだまだ風情のある古い住宅や洋館などが残っているものの、途中、解体や改築の工事現場に幾度も遭遇した。古い建物やそうした街並がすきな方は、ぜひ、いまのうち足を運んでおいたほうがいい街だとおもう。