曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・立ち食いそば紀行  駅ナカ店舗にて

2014年02月11日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
この日は、わたしには珍しく駅ナカのそば屋で食していた。
 
 
最近の鉄道構内の立ち食いそば屋には目をみはるものがある。立ち食いそば屋に目をみはる人生というのも悲しいものではあるが、しかし実際に、以前の店舗とは見ちがえているのだからしょうがないところだ。
もうパッと見た感じ、きれいでスペースもゆったり取ってあるのが分かる。おススメの一品がカラー写真で貼られていたり、内装が木目調だったりと、お客さまを丁寧に扱いますよという意識がしっかり感じられる。それまで駅そばに持たれていた、とりあえず腹になにかつめ込むための場所、というイメージは完全に払拭されてしまっているのだ。
 
ということでわたしはその日、喫茶店と見まごうばかりの店舗で、座ってゆっくりと食していた。
休日の昼前ということで客はまばらだ。せっかくそんな状況なので、わたしは4人掛けのテーブル席で七味唐辛子をたっぷりかけて味わっていた。
そこに、問題の男が来た。
その男は入って来て券売機で暫時悩み、食券を買った。そして購入したそれを、受付でおばちゃんに「そば」と言いながら差し出した。ここまではなんということもない。普通だ。
ややあってそばができあがり、おばちゃんはトレーに乗せて「どうぞごゆっくりお召し上がりください」と言いながらずいっと前に出した。
すると男はそれを手に取りながら、
「いやぁ、ゆっくりはしたいんですけどな、そうもいかないんですわ。電車があと10分で出ちゃうもんでねぇ」
と、おばちゃんにはっきりと伝えた。
唖然とするおばちゃん。しかし男は構うことなく、トレーを持ってわたしのとなりの4人席についた。
 
男の言葉は正答である。ゆっくりと勧められて、できない旨を伝える。とても律儀である。しかしなにぶんここは立ち食いそば屋。おばちゃんの言葉はあくまでマニュアルに沿った慣用句なのだ。真に受けずに無言でトレーを受け取るのが一般的というもの。おばちゃんが固まってしまうのも分かろうというものだ。「じゃあ今度ね」と言ったら「今度っていつでしょうか?」と聞き返されるようなものだからだ。
 
からかったのかなと思い、わたしは横目で男を観察する。しかしおばちゃんに目を向けることもなく、表情も崩していない。いたって普通の表情で水を飲んでいる。なにごともなかったかのように…。
しかし男は今度、箸を咥えると「プチン」と呟いた。そして食べだす。これまた不思議だ。呟くのも不思議だが、問題はそこではない。こういったチープな店ではよくある割り箸の割り方であろうが、この店舗、割り箸ではなくプラスチックの箸なのだ。
男は箸のパフォーマンスのあともわたしを見るでもなく表情を崩すわけでもない。ずり落ちたメガネをときおり直しながら淡々と食している姿は、いっぷう変わったそれらの行為をごく自然なことのように思わせてしまう雰囲気があった。言ってみれば「天然」ということなのかもしれない。
 
わたしは男がさらになにかやるかと思い、完食後も楊枝を使ったり水を汲みに行ったり時間を稼いだが、それ以降不思議な行為はなかった。
トレーを返却口に置いた男はガラス戸を開けて店を出て行った。わたしは男の背中を見ながら、またどこかでお目にかかろうと心の中で囁いたのだった。
 
 
(駅ナカの店舗にて おわり)
 

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