母@SYD

ま、これでいいや。いまのとこ。

かけがえのない存在

2006-01-04 12:18:26 | コドモのこと
あらためて言う(書く)までのこともないが、
息子にとって、私=母は、まぎれもなく「かけがえのない存在」らしい。

普段、私よりもダンナにベッタリの息子。
私に叱られるとダンナの足にすがって泣き、
ダンナに叱られても、私には寄り付かず、やはりダンナにすがって泣く息子。
必ず、私ではなくダンナに抱っこをせがむ息子。

こんな息子だけれど、夜寝る前、ベッドにおき、
おやすみのチューをするとき、まず私が先に、そしてダンナが次にするのだが、
ダンナとチューしている時、ダンナの顔ではなく、なぜか、
必ず私の顔を不安そうにじーっと見つめている。
もうすぐ部屋を出て行ってしまい、一人にされるのがわかっているんだろう。

やっぱり、「母」は特別な存在なのだなぁ、と思う瞬間。

…それは、わかっているんだけど、頭ではきちんと理解しているんだけど…。

昨夜は久しぶりに涼しく、快適な夜だった。
それなのに、ベッドに入ってからしばらく、2時半頃まで眠れず、
朝起きた私の身体は、とても疲れていて、おなかも張っていた。

それで、いろいろと私とコミュニケーションをとろうとする息子に、
一人遊びを強要し、一人ソファでゴロゴロする私。
気がつくと、私の周りには、息子が「遊んで」と持ってきたおもちゃや本だらけ。
怒られるとわかっているくせに、わざと自分の靴を運んでくるので、
「ダメ。Put it back please(元に戻してきて)」と言うと、
うれしそうに、きちんと元の場所に戻して、自分で拍手をしていた。
おもちゃで遊びたいのではなく、「関わって」遊びたいんだよなぁ。

妊娠したことで、息子には、ガマンを強いていることが多いと思う。
もっと抱っこしてほしい、もっと遊んで欲しい、もっとお外に行きたい、
そんなたくさんの望みをかなえてあげられず、
「お兄ちゃん」になることを求められ、かわいそうだなぁ、と思う。

出産し、私の身体が軽くなったら、たくさん抱っこしてあげよう、
とは思うものの、その時は、もう一人小さいのがいて、
それも、またできないんだなぁ、と思うと、心が苦しい。
長い目で見れば、「きょうだい」という大きなプレゼントを用意してあげられる
ことは、息子にとっても、絶対にうれしいことなのだけれど、
まだ小さい今は、その喜びに気がつくことはできないだろうから。

そんなことを考えてしまうくらい、今の私は疲れているようです。
(ホルモンの影響かな?)