私は、片付けや掃除が大の苦手。
そして、「捨てられない」人だ。
特に子供が生まれてからは、子供のおもちゃなど、とにかく捨てられない。
ヘンなシールとか、ビスケットの空き箱とか、
息子が気に入っていたりしていて、捨てさせてくれないってのもあるけれど。
で、もう2年以上捨てられないものがある。
それは、コレ。 ↓
写真自体、鮮明じゃないのでわかりにくいが、プラスチックの透明容器。
2年数ヶ月前、長男を出産し、入院中ほとんど母乳が出ていなくて、
毎日ミルクを足していた私に、退院時ナースが、
「ミルクは家に用意してある?」と心配して聞いてくれ、
当時、母乳が出ないことなんて、まったく考えてもいなかった私、
もちろんミルクなんて買い置きはなかった。
「ない」と答えると、「帰宅してすぐ買いにいくのも大変でしょう」と、
病院で用意しているミルクをこの容器に入れてもたせてくれたのだ。
今でも、この容器をみると、あの時のことを思い出す。
退院し、家に着いた頃、ちょうど授乳の時間で、
哺乳瓶の用意もしていなくってパニックになっていたあの日。
ミルクをもたせてくれたナースに、本当に感謝した。
何度も捨てようかな、と思いつつ、見るとその時のことを思い出し、
どうしても捨てることができなかった、この容器。
あれから2年以上の時が経ち、途中、石ころやガラス玉などを入れて、
長男が振り回したりしていたので、中は傷だらけ。
それでもやっぱり、捨てられないのだ。
この容器は、なぜか今、長男のお気に入りで、
「ごくごく」と言いながら、飲むふりをしたりする遊びに使われている。
先日は、お気に入りのうさぎのぬいぐるみの口にこの容器をもっていき、
やっぱり「ごくごく」と言いながら、飲ませるふりをしていた。
なんだか、とても感慨深かった。
この容器を見ると、生後数日のちっちゃかった長男を思い出してしまうので、
ああ、大きくなったんだなぁ、と。
ここに入っていたミルクを、一生懸命飲んでいたあのベビーが、
ぬいぐるみに飲ませるふりなんかして遊んでいるなんて。
きっとこの容器、しばらくは捨てられないと思う。
「捨てられない」つながりで一つ。
今日は粗大ゴミの日だった。
先日、ご近所に住む友人のブログを読んで知り、
あわてて捨てられるものを考えたのだが、時間もなかったので二つだけ。
長男を出産する前に友人が「使わないから」とくれた古いベビーカーと、
屋外用のイス2脚。
ベビーカーは、幌の部分が壊れていたし、うちには他に2つもあって、
このベビーカーは全く使われていなかったのだ。
売るわけにもいかないし、なんだかかわいそうだけれど…。
そして屋外用のイスは、以前のユニットで使っていたのだけれど、
べランダも庭もない今の我が家には必要ないので。
昨日の夜に外に出しておいたのだけれど、イスは夜のうちに、
ベビーカーは朝、ゴミ収集車が来る前に、なくなっていた。
誰かが拾って持っていったらしい。
そういえば、昨日夜ゴミ出ししているとき、妙にウロウロしている人を、
何人か見かけたのは、物色中だったのかも…。
朝、ゴミ収集車が来て、残っていた古いソファやベッドのマットレスなどが、
ぐちゃぐちゃとつぶされていくのを見て、私の捨てたベビーカーとイスが、
見知らぬ人の手に渡って、なんだかほっとしてしまった。
まだ使えるものだし、こうしてぐちゃぐちゃにされるよりは、
使いたい人が使ってくれる方が、ずっといい。
なんだか、ちょっと、ほっとしたのだった。
貧乏性だなぁ。私は。
今朝とある書類を、あちこち探していたところ、
カードなどを入れていた小さなバッグの中から、数年ぶりに出てきた指輪。
どこにしまったんだろう?と、しばらく探していた時期もあったのだが、
なくなっちゃったんだ、とあきらめていたのだった。
シルバーのこの指輪、実は私が日本に住んでいた頃に自分で作ったもの。
遠距離恋愛をしていた当時、結婚し、オーストラリアに移住することが決まり、
日本での残り少ない時間、やり残したことをやっておきたい、と思い、
通い始めた彫金教室での作品だ。
初心者はシルバーアクセサリーからスタート、ということで、
私が作った確か二つ目の作品。
あの頃、ビザの関係で、先に入籍をすませたものの、
まだダンナはシドニー、私は東京と、離れて暮らしていた二人。
私にしては珍しく女の子っぽい発想で、
ちゃんと結婚式をあげ、結婚指輪を購入するまでの間、
私が二人分の指輪を作る!と頑張っていたのだ。
といっても、太さも、デザインも違うんだけど。
出来上がった指輪の片割れは、ダンナにプレゼント。
が、肝心の自分の指輪は、いつのまにか行方不明に…。
(こういうところがけっこうだらしなくて、私らしい。。。)
ダンナにあげた指輪は、本当の結婚指輪を購入したあと、
私の中指用にと、返してもらっていて、
アクセサリーケースにしまわれていた。
その二つの指輪。数年ぶりに、やっと再会することができた。
見つけたとき、「うわっ!」と思わず声をあげてしまうくらいうれしく、
そして、二つの指輪をそろえてみたら、あの当時の、
離れて暮らしていた頃の切ない気持ちを、少し、思い出した。
指輪たちも、寂しかったよね。ごめんね。
もう、なくさないからね。
下がダンナ用。男性用だから、とシンプルに幅も細い。
上は私用。幅が太くバッテン模様。
かなり黒ずんでるので、キレイにしてあげなきゃ・・・。
カードなどを入れていた小さなバッグの中から、数年ぶりに出てきた指輪。
どこにしまったんだろう?と、しばらく探していた時期もあったのだが、
なくなっちゃったんだ、とあきらめていたのだった。
シルバーのこの指輪、実は私が日本に住んでいた頃に自分で作ったもの。
遠距離恋愛をしていた当時、結婚し、オーストラリアに移住することが決まり、
日本での残り少ない時間、やり残したことをやっておきたい、と思い、
通い始めた彫金教室での作品だ。
初心者はシルバーアクセサリーからスタート、ということで、
私が作った確か二つ目の作品。
あの頃、ビザの関係で、先に入籍をすませたものの、
まだダンナはシドニー、私は東京と、離れて暮らしていた二人。
私にしては珍しく女の子っぽい発想で、
ちゃんと結婚式をあげ、結婚指輪を購入するまでの間、
私が二人分の指輪を作る!と頑張っていたのだ。
といっても、太さも、デザインも違うんだけど。
出来上がった指輪の片割れは、ダンナにプレゼント。
が、肝心の自分の指輪は、いつのまにか行方不明に…。
(こういうところがけっこうだらしなくて、私らしい。。。)
ダンナにあげた指輪は、本当の結婚指輪を購入したあと、
私の中指用にと、返してもらっていて、
アクセサリーケースにしまわれていた。
その二つの指輪。数年ぶりに、やっと再会することができた。
見つけたとき、「うわっ!」と思わず声をあげてしまうくらいうれしく、
そして、二つの指輪をそろえてみたら、あの当時の、
離れて暮らしていた頃の切ない気持ちを、少し、思い出した。
指輪たちも、寂しかったよね。ごめんね。
もう、なくさないからね。
下がダンナ用。男性用だから、とシンプルに幅も細い。
上は私用。幅が太くバッテン模様。
かなり黒ずんでるので、キレイにしてあげなきゃ・・・。
昨夜も帰りの遅かったダンナ。
帰宅して、寝ている私に「おなか大丈夫?」と確認しにきてくれたけど、
相当飲んで酔っていたらしい…。
何もなくてよかった。
あの状態で、陣痛とかきてたら、車の運転はまずムリだし、
出産に立ち会っても、起きてられなかっただろうし、一生私に恨まれるよ。
よかったね。ダンナ。腹の中のベビーに感謝しとけ。
ダンナとほとんど会話もできなかった3日間。
私もこの重たいカラダで息子のお世話をしているのは、けっこう辛くって、
今日は、ゆっくり寝ていたい~という感じだった。
が、息子にはそんなことはおかまいなし。
朝7時半頃から起きてお話している声が聞こえる。
それでも、私の寝ている部屋には来ないので、
どうやらダンナが一緒に起きて相手をしてあげているらしい。
しばらくしてダンナが二度寝しにベッドルームにやってきたので、
代わりに私が起きて息子の朝ごはんの用意などを。
そこで、気がついた。
ダイニングのテーブルの上に、夜にはなかったはずのカードが。
…ダンナからのバースデーカードだった。
カードには、「一日遅れになってごめんね。おめでとう。」というメッセージが。
朝7時半頃には家を出て、一日中ホテルにカンヅメ状態で、
ランチタイムも自由に出歩けず、夜も接待のような食事&飲みの3日間。
カードを用意するヒマもなかったはずなのに。
あとで聞いたら、昨日朝、開いていたニュースエージェンシーで買ったのだとか。
本当に、優しいダンナをもって、私は幸せだなぁ、と。
忙しい中、気にかけていてくれただけで、十分すぎるくらい。
昨日の日記にコメントいただいたような「サプライズ」と呼べるものではない
かもしれないけれど、うれしいことには変わりない。
本当にどうもありがとう。
-------------------------------------------------------------
本日の寝かしつけ。
昼間は、隣で昼寝する私の横で、息子はずっと遊び続け、
結局寝るまでに2時間くらいかかった。
なんて時間のムダなんだ…。
夜は、ベッドに横にならせ、今日はトントンせず、
私が隣のベッドで横になってしばらく見守る。
20分ほどして、「じゃね。おやすみ」と部屋をでようとしたところ、
ベッドに座って不安そうにしていたけれど、もう一度横にならせ、
「大丈夫。眠れるよ」と声をかけ、部屋を出る。
息子、ふえ~~んと泣いているが、そのままベッドにいる。
しばらくして泣き声もやみ、ダンナが見に行くと、眠っていた。
ということで、本日は、成功。
よかったよかった。
帰宅して、寝ている私に「おなか大丈夫?」と確認しにきてくれたけど、
相当飲んで酔っていたらしい…。
何もなくてよかった。
あの状態で、陣痛とかきてたら、車の運転はまずムリだし、
出産に立ち会っても、起きてられなかっただろうし、一生私に恨まれるよ。
よかったね。ダンナ。腹の中のベビーに感謝しとけ。
ダンナとほとんど会話もできなかった3日間。
私もこの重たいカラダで息子のお世話をしているのは、けっこう辛くって、
今日は、ゆっくり寝ていたい~という感じだった。
が、息子にはそんなことはおかまいなし。
朝7時半頃から起きてお話している声が聞こえる。
それでも、私の寝ている部屋には来ないので、
どうやらダンナが一緒に起きて相手をしてあげているらしい。
しばらくしてダンナが二度寝しにベッドルームにやってきたので、
代わりに私が起きて息子の朝ごはんの用意などを。
そこで、気がついた。
ダイニングのテーブルの上に、夜にはなかったはずのカードが。
…ダンナからのバースデーカードだった。
カードには、「一日遅れになってごめんね。おめでとう。」というメッセージが。
朝7時半頃には家を出て、一日中ホテルにカンヅメ状態で、
ランチタイムも自由に出歩けず、夜も接待のような食事&飲みの3日間。
カードを用意するヒマもなかったはずなのに。
あとで聞いたら、昨日朝、開いていたニュースエージェンシーで買ったのだとか。
本当に、優しいダンナをもって、私は幸せだなぁ、と。
忙しい中、気にかけていてくれただけで、十分すぎるくらい。
昨日の日記にコメントいただいたような「サプライズ」と呼べるものではない
かもしれないけれど、うれしいことには変わりない。
本当にどうもありがとう。
-------------------------------------------------------------
本日の寝かしつけ。
昼間は、隣で昼寝する私の横で、息子はずっと遊び続け、
結局寝るまでに2時間くらいかかった。
なんて時間のムダなんだ…。
夜は、ベッドに横にならせ、今日はトントンせず、
私が隣のベッドで横になってしばらく見守る。
20分ほどして、「じゃね。おやすみ」と部屋をでようとしたところ、
ベッドに座って不安そうにしていたけれど、もう一度横にならせ、
「大丈夫。眠れるよ」と声をかけ、部屋を出る。
息子、ふえ~~んと泣いているが、そのままベッドにいる。
しばらくして泣き声もやみ、ダンナが見に行くと、眠っていた。
ということで、本日は、成功。
よかったよかった。
今日はそういえばバレンタインデーでした。
日本では、女性から男性にチョコレートを贈るっていうのが主流だけど、
こちらでは、カップルがお互いにプレゼントしあったり、
どちらかというと、男性が女性に花を贈るっていうのが主流です。
シドニーに来たばかりの頃、この事実を知り、お、いいじゃん!と、
やっぱり郷に入っては郷に従えよね、と。
それ以来、この日は、私からプレゼント、ではなく、
ダンナからプレゼントしてもらうよう、うまい具合にシフトチェンジしました。
子育てに追われている今、忘れがちなこのイベント。
意外にもダンナは、けっこうこの手のものを外しません。
今日も、会社帰りに、ボックス入りのバラの花(ガラスの花瓶つき)、
そして、私とダンナの大好物、レッドスパークリングワインを買ってきてくれました。
へへへ。やっぱりうれしいものです。
ありがとう。
私からは、特に何もないけれど、
夕食に豚の角煮、かぼちゃの煮物、きゅうりの漬物を作りました。
腹も大きくなり、立っているのもけっこう辛いんだけど、
我ながら、頑張ってると思います。
って、そのうちできなくなっちゃうから、今だけ、だけどね。
日本では、女性から男性にチョコレートを贈るっていうのが主流だけど、
こちらでは、カップルがお互いにプレゼントしあったり、
どちらかというと、男性が女性に花を贈るっていうのが主流です。
シドニーに来たばかりの頃、この事実を知り、お、いいじゃん!と、
やっぱり郷に入っては郷に従えよね、と。
それ以来、この日は、私からプレゼント、ではなく、
ダンナからプレゼントしてもらうよう、うまい具合にシフトチェンジしました。
子育てに追われている今、忘れがちなこのイベント。
意外にもダンナは、けっこうこの手のものを外しません。
今日も、会社帰りに、ボックス入りのバラの花(ガラスの花瓶つき)、
そして、私とダンナの大好物、レッドスパークリングワインを買ってきてくれました。
へへへ。やっぱりうれしいものです。
ありがとう。
私からは、特に何もないけれど、
夕食に豚の角煮、かぼちゃの煮物、きゅうりの漬物を作りました。
腹も大きくなり、立っているのもけっこう辛いんだけど、
我ながら、頑張ってると思います。
って、そのうちできなくなっちゃうから、今だけ、だけどね。
昨日、部屋の片付けでものすごい状態になっているさなか、お届けモノが。
最近いつも在宅していても不在通知ばかり入っていて、
ちょっとPost Officeに対してムカついていたので、
ものすごい勢いでインターフォンに走り、受け取り成功。
…しかし、ちょっと形容できないようなものすごい格好で、
ものすごい髪型で、もちろんすっぴんの妊婦に対し、
配達の人がちょっとビックリしていたのが気になったけど…。
で、そのお届けモノは、こんな素敵なラッピングが。
ラッピングペーパーがすごく素敵!
だったので、拡大してご紹介。
和紙なのだけれど、バラの花びらと、はっぱ(何かは不明)が織り込まれている。
ああ、日本ってスバラシイ!
あまりに美しい紙だったので、しばらく開けずに眺めていた私。
で、肝心の中身はというと、ベビー用の石鹸やクリームなどのお手入れセット。
これを送ってくださったのは、私とダンナが日本で勤めていた際の先輩Aさん。
私とダンナは、日本で某化粧品会社に勤めていた。
その際、同じ部署で働き、その先輩には二人ともとてもお世話になっていた。
先輩は、今も同じ会社で働かれているのだけれど、
送っていただいた品は実は、自社品。
息子が生まれた際にも、「自社品ですみません」というメッセージとともに、
同じ品を送ってくださった。
昨年のクリスマスカードで、今年出産予定の旨をお知らせしていたので、
それを覚えていてくれたのだと思う。
Aさんは男性なのだけれど、相変わらずキッチリされていて、
「すこやかなお子様のご誕生をお祈りしております。
ますますにぎやかで いつも笑顔の○○家になりますように」
と、丁寧な、見覚えのある手書きのメッセージが同封されていた。
その心づかいが、本当にうれしい。
また、会社を離れて既に10年近くが経っているダンナと私にとって、
懐かしい製品を送ってくださったことも、心にしみた。
もうすぐ生まれてくるコドモへの、初めてのプレゼント。
本当に、ありがとうございます。
写真をアップしたいところだけれど、商品名から社名がばれそうなので、
このセットに同封されているミルクスポンジとクマのぬいぐるみだけ公開します。
最近いつも在宅していても不在通知ばかり入っていて、
ちょっとPost Officeに対してムカついていたので、
ものすごい勢いでインターフォンに走り、受け取り成功。
…しかし、ちょっと形容できないようなものすごい格好で、
ものすごい髪型で、もちろんすっぴんの妊婦に対し、
配達の人がちょっとビックリしていたのが気になったけど…。
で、そのお届けモノは、こんな素敵なラッピングが。
ラッピングペーパーがすごく素敵!
だったので、拡大してご紹介。
和紙なのだけれど、バラの花びらと、はっぱ(何かは不明)が織り込まれている。
ああ、日本ってスバラシイ!
あまりに美しい紙だったので、しばらく開けずに眺めていた私。
で、肝心の中身はというと、ベビー用の石鹸やクリームなどのお手入れセット。
これを送ってくださったのは、私とダンナが日本で勤めていた際の先輩Aさん。
私とダンナは、日本で某化粧品会社に勤めていた。
その際、同じ部署で働き、その先輩には二人ともとてもお世話になっていた。
先輩は、今も同じ会社で働かれているのだけれど、
送っていただいた品は実は、自社品。
息子が生まれた際にも、「自社品ですみません」というメッセージとともに、
同じ品を送ってくださった。
昨年のクリスマスカードで、今年出産予定の旨をお知らせしていたので、
それを覚えていてくれたのだと思う。
Aさんは男性なのだけれど、相変わらずキッチリされていて、
「すこやかなお子様のご誕生をお祈りしております。
ますますにぎやかで いつも笑顔の○○家になりますように」
と、丁寧な、見覚えのある手書きのメッセージが同封されていた。
その心づかいが、本当にうれしい。
また、会社を離れて既に10年近くが経っているダンナと私にとって、
懐かしい製品を送ってくださったことも、心にしみた。
もうすぐ生まれてくるコドモへの、初めてのプレゼント。
本当に、ありがとうございます。
写真をアップしたいところだけれど、商品名から社名がばれそうなので、
このセットに同封されているミルクスポンジとクマのぬいぐるみだけ公開します。
10年前の昨日、9月15日、当時付き合っていた彼(現ダンナ)を見送りに、
私と友人達は、成田空港にいた。
同じ会社の同じ部署に働いていた当時の彼が、
口癖のように言っていた「海外に行きたい」という夢を実現させ、
オーストラリアに飛び立っていったのがその日。
当時付き合って約2年の私たち。
若かったし、将来のことは何も決めず、ただ離れて暮らすことになり、
その間、お互いたくさんの努力をし、寂しい思いもし、
結局、一緒に暮らすことを選んだのだった。
10年前の今日、ダンナはシドニーに降り立った。
それまで親と一緒に住んでいて、一人暮らしをしたこともなかった彼。
いろんなことがあっただろう。
当時やりとりした葉書や手紙は(まだメールなど普及していなかった頃)、
今でも私の大切な宝物。
ダンナの枕元には、彼がシドニーに来て最初に泊まった部屋(モーテル)で、
テレビなども一切なく、あまりに寂しくて買ったという目覚ましラジオが、
今でも元気に毎朝活躍している。
10年前、若かったダンナが、思い切って決断したからこそ、
今の私が、そして息子が、ここにいる。
私は1998年に移住してきたのだが、最初の2年間は、
友達も少なく、つまらない毎日で、オーストラリアが嫌いだった。
オーストラリアが嫌い=ここに連れてきたダンナが悪い、
とケンカしたこともたびたび(いや、かなり)ある。
そんな私が、初めてここに連れてきてくれたダンナに感謝したのが、
1999年の大晦日の花火を見たときと、2000年のシドニーオリンピック。
こんな素晴らしい経験をさせてくれて、本当にありがとう、と。
今では、ここに来たことを後悔することは、まったくないけれど、
あのときの感謝の気持ちを、忘れかけていた。
いつも、ありがとう。
これからも、ここで家族みんなで生きていこうね。
************************************************
そんな今日、ダンナは私から風邪をもらったらしく、
熱を出して会社をお休み。
特に何もしなかったけれど、チーズケーキを焼きました。
ふんわりおいしくできました♪
私と友人達は、成田空港にいた。
同じ会社の同じ部署に働いていた当時の彼が、
口癖のように言っていた「海外に行きたい」という夢を実現させ、
オーストラリアに飛び立っていったのがその日。
当時付き合って約2年の私たち。
若かったし、将来のことは何も決めず、ただ離れて暮らすことになり、
その間、お互いたくさんの努力をし、寂しい思いもし、
結局、一緒に暮らすことを選んだのだった。
10年前の今日、ダンナはシドニーに降り立った。
それまで親と一緒に住んでいて、一人暮らしをしたこともなかった彼。
いろんなことがあっただろう。
当時やりとりした葉書や手紙は(まだメールなど普及していなかった頃)、
今でも私の大切な宝物。
ダンナの枕元には、彼がシドニーに来て最初に泊まった部屋(モーテル)で、
テレビなども一切なく、あまりに寂しくて買ったという目覚ましラジオが、
今でも元気に毎朝活躍している。
10年前、若かったダンナが、思い切って決断したからこそ、
今の私が、そして息子が、ここにいる。
私は1998年に移住してきたのだが、最初の2年間は、
友達も少なく、つまらない毎日で、オーストラリアが嫌いだった。
オーストラリアが嫌い=ここに連れてきたダンナが悪い、
とケンカしたこともたびたび(いや、かなり)ある。
そんな私が、初めてここに連れてきてくれたダンナに感謝したのが、
1999年の大晦日の花火を見たときと、2000年のシドニーオリンピック。
こんな素晴らしい経験をさせてくれて、本当にありがとう、と。
今では、ここに来たことを後悔することは、まったくないけれど、
あのときの感謝の気持ちを、忘れかけていた。
いつも、ありがとう。
これからも、ここで家族みんなで生きていこうね。
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そんな今日、ダンナは私から風邪をもらったらしく、
熱を出して会社をお休み。
特に何もしなかったけれど、チーズケーキを焼きました。
ふんわりおいしくできました♪