認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


言葉が止まる

2010年07月20日 | 5mgの日記

お年忌・・・という言葉を書きたいのですが、

どうしたわけか言葉の変換ができまい。

お年忌の日から数えて3日目の今日ですが、
なんども、なんども言葉がぶれる。

つまり、言葉自体が危ういし、
言葉を書く動作が鈍いので、変換され文字は、

いやらしいほどにゆったりである。

それでも「書きたい」と胸を張る。

でもそれは、
悲しいかぎりの叫び・・・でもある。

パスコンでなら、言葉が書ける・・・と言っていた私ですが、

診断後5年がすぎ瞬間、どうしたわけか、ガクッと一段落ちた感じ。

言葉を変換せる・・・作業がスロウペスになって、

一段落ちたことがわかる。

本題のお年忌のことを忘れた、パソクン云々で

やっぱり変だと言われそう。

されど、されど、言葉は書きたいし、
発信したい、

話したいし、

文章を書きたいのです。

エッセイを書く、エッセイを書く、いいながら、
書かないのは不自然だとはと思うのだが。


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3 コメント

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悲しい限りの叫び (miki)
2010-07-20 18:51:15
多くの認知症の人が
自分の思いをうまく伝えられず、
無念さを感じながら生きている。

認知症の人と
日常的にかかわっている人は
肝に銘じなければなりません。

「お母さんは孤独ではないよね」
「うん」
こういう会話もかわしました。

預ける介護ゆえ、
心に届く声かけを
長年にわたってできました。

これが「私の介護」でした。
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認知症は哲学? (水木)
2010-07-21 11:47:08
(miki様へ)

私自身は孤独ではないと思っています。

なざなら、言葉を発信することで、
お返事がいただけるからです。

ぼうばくとした霧の中にいたとしれも、
霧がはれれば、私は、いつもの私がいるのです。

意味不明かもしれませんが、
こうした言葉が「書ける」ありがさ。

意味不明も、ことによったら、
哲学かも。
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ばあちゃんが (ひろみ)
2010-07-21 12:19:32
今年の1月に亡くなった祖母が、8年ほど前に私に初めて、言いました。

「最近、よう わするっと(忘れる)さね~」とその時点では

もう、私が娘なんだか孫なんだかの関係性はわからないけど、

私が馴染みの人とはわかるぐらいの時期でしたが、そう言われてドキッとしました。

私は、「良かよ(良いよ)、大丈夫よ、代わりに私が覚えとくけん(覚えてるよ)」

というと、ばあちゃんはにっこりして「あんたが代わりに覚えとってくれれば、良かね」と

そういう会話も出来にくくなった時に、初めて聞いた祖母の心のうちを考えると、

きつかっただろうなぁと思ったのを、よく覚えています。

水木さん、是非是非、ご自分のことばを発信してください。

応援してます。

暑い日が続いていますが、お体大切にされてください。
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