お年忌・・・という言葉を書きたいのですが、
どうしたわけか言葉の変換ができまい。
お年忌の日から数えて3日目の今日ですが、
なんども、なんども言葉がぶれる。
つまり、言葉自体が危ういし、
言葉を書く動作が鈍いので、変換され文字は、
いやらしいほどにゆったりである。
それでも「書きたい」と胸を張る。
でもそれは、
悲しいかぎりの叫び・・・でもある。
パスコンでなら、言葉が書ける・・・と言っていた私ですが、
診断後5年がすぎ瞬間、どうしたわけか、ガクッと一段落ちた感じ。
言葉を変換せる・・・作業がスロウペスになって、
一段落ちたことがわかる。
本題のお年忌のことを忘れた、パソクン云々で
やっぱり変だと言われそう。
されど、されど、言葉は書きたいし、
発信したい、
話したいし、
文章を書きたいのです。
エッセイを書く、エッセイを書く、いいながら、
書かないのは不自然だとはと思うのだが。
自分の思いをうまく伝えられず、
無念さを感じながら生きている。
認知症の人と
日常的にかかわっている人は
肝に銘じなければなりません。
「お母さんは孤独ではないよね」
「うん」
こういう会話もかわしました。
預ける介護ゆえ、
心に届く声かけを
長年にわたってできました。
これが「私の介護」でした。
私自身は孤独ではないと思っています。
なざなら、言葉を発信することで、
お返事がいただけるからです。
ぼうばくとした霧の中にいたとしれも、
霧がはれれば、私は、いつもの私がいるのです。
意味不明かもしれませんが、
こうした言葉が「書ける」ありがさ。
意味不明も、ことによったら、
哲学かも。
「最近、よう わするっと(忘れる)さね~」とその時点では
もう、私が娘なんだか孫なんだかの関係性はわからないけど、
私が馴染みの人とはわかるぐらいの時期でしたが、そう言われてドキッとしました。
私は、「良かよ(良いよ)、大丈夫よ、代わりに私が覚えとくけん(覚えてるよ)」
というと、ばあちゃんはにっこりして「あんたが代わりに覚えとってくれれば、良かね」と
そういう会話も出来にくくなった時に、初めて聞いた祖母の心のうちを考えると、
きつかっただろうなぁと思ったのを、よく覚えています。
水木さん、是非是非、ご自分のことばを発信してください。
応援してます。
暑い日が続いていますが、お体大切にされてください。