認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


病気だけが

2007年07月08日 | 5mgの日記

歳をとる・・・
つまり老いるということには、
いい面と悪い面があります。

私の例で言えば、
「認知症」と診断されたのが、3年前。

若年?
若年ではない・・・という年齢でした。

治る病ではありません・・・と
告げられた時には、がっくりしました。

しかし、
よくよく考えてみれば・・・
私一人が「この病」に向き合っているのではありません。

元気を保っている方も拝見します。

そんな時でした。
中野孝次さんが、
「老年の愉しみ」の中で
「素朴で尊い生の甘受」という言葉を使われていました。
又、
「一度最低のレベルまで落とさなければ見えないことがある」
とも書かれています。

高齢になると・・・
メガネ無しでは新聞も読めません。
しかし・・・
若葉の山を見つめ・・・
うんうん・・・と頷くことはできます。

老いる・・・ということ、
病を抱え込むということは、
メガネなしで危険な道を散歩するようなもの。

だから・・・できること、できないことを、
しっかり把握して、
こつこつと自分なりの日々を過ごしていけるように・・・
それなりの工夫をしていきたいと思う。

一度・・・ゼロセットして、
明日からは・・・ゴミだしは
私が進んでするとか・・・
そんなことを続けるうちに、
私という人間は・・・少しは変り、
病だけが病気・・・ではないと気づくことでしょう。


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10 コメント

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いつも (にんじんクラブ あやちゃん)
2007-07-08 20:56:10
何かお話したいなと思うのですが、何かが出てこなくてコメントがかけないでいます。

中野高次さんは私も読んだことがあります。
清貧の書 でしたか。

いま私は多分 自分の意思とは無関係にそぎ落とされているのだと思います。本当の意味での清貧が感じられたら幸せかな。

それでは。

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 (たこペン)
2007-07-08 21:29:47
メガネをはずすことで,若いときには見えなかったものが,見えるようになるのではないのでしょうか。クリスティーンさんが著書の中で取り上げていた仏教の言葉「手放すことは,無限の喜びを得ることに他ならない」はそんなことを意味していたのかな,と考えています。若いときとは体や心が変化しているから,世界の新しい見え方を手にできるのかもしれませんね。
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病気 (あごひげ・たくちゃん)
2007-07-08 21:31:06
30歳のとき、手術を受けました。
肝臓と腸を結ぶ胆管を切除しました。

その後、そのストレスから、心を病み始めました。
ストレスに耐え切れず、何度も転職を繰り返し、
そのうちに両親が、アルツハイマーに罹ってしまいました。

人間って不思議なもので、健康なときは、
病弱な人のことなど、気にも掛けていませんでした。
自分が弱くなって初めて、弱い立場の人の存在に気が付きました。

もし、あのときの体験がなければ、両親の介護が出来たかどうか、疑問です。
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至福の時間 (水木)
2007-07-09 10:26:20
にんじんクラブあやちゃん様へ

あの話には続きがあります。

書きたかったことは、
良寛の話です。

手毬する良寛さんのお姿のような時間を持ちたたいあ・・・と思ったのです。

しかし・・・恥ずかしくて・・・書けませんでした。
でも・・・
そんなささやかな幸せの時間こそが至福の時間ではないでしょうか。
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記憶の外 (水木)
2007-07-09 10:36:27
たこペン様へ

そうでした。

クリスティーンさんも、同じ気持ちでおれるのですね。

ああ・・・なんとすばらしいことだろう。

その本を読み、感動していました。
でも・・・今は記憶の外です。

その言葉がふたたび戻ってきました。
なんという・・・ご縁でしょう。
ありがとうございました。
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あれこれあって (水木)
2007-07-09 10:55:19
あごひげ・たくちゃん様へ

昔・・・・大病を潜り抜けことで、一人前の男になる・・・と、
聞かされていました。

同じ思いで、こうして書くことができ、うれしい。

自分を見つめるには・・・・沢山のあれこれがあってですね。

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むだがそぎ落とされる (miki)
2007-07-09 15:58:04
私も、今回の介護体験の中で、
何が大切で、何が大切でないか、
かなり見えたつもりです。

しかし、水木様やあやちゃんのように
いやおうなく本質に近づいている、というのとは
感覚が違います。

本人ならではの境地が見えてきたようですね。
良寛さんの境地なのですね。
ピュアな世界ですね。
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コメントをいただける功徳 (水木)
2007-07-10 10:44:01
miki様へ

重い病にかかりますと、
今まで見えてなかったことが見えてくることがあります。

自分が変る、病がそうさせる・・・ことで、
なっとくすることがあります。

ケリスティーンが
「私は私になっていく」と書かれている言葉の意味を
私なりに・・・・うんうん・・・と頷けるようになりました。

だから・・・こうして、
コメントをいただけることがとても嬉しいのです。
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今日こそは… (にっく)
2007-07-12 11:46:10
いつも拝見いたしております。
今日こそは…と思い、コメントを書かせていただきます。

…といってもなかなかいい言葉が浮かびません。
一言で言えば、共感した、ということです。

私も病気になり、今まで気がつかなかったことに気がつくようになり、
病気は苦しいけど…なってよかったと思うときがあります。
時々、気づかせてくれてありがとうと感じるときさえあります。
なんか不思議ですね。

これからも水木さんの素敵な文章と写真を楽しみにしています。
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病人である私が (水木)
2007-07-12 16:18:59
にっく様へ

読んでいただきありがとうございます。
病人である私が、私のことを書いています。
よろしくお願いいたします。
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