とみに笙子さんの機嫌が悪い。
それが・・・すべて
私のせいだと気がつきました。
私の夏の疲れから始まった
いらいら感が
9月の終りまで続きました。
そして、
10月になっても、
十二指腸のポリーフの削除と続き、
精神的な負担が重なっています。
一日中・・・コタツにもぐりこんで、
ものうげな一日を過ぎしている私。
秋の風が吹くころになると、
しらずしらずの内に溜まった
夏の疲れが・・・噴出してきて
体のそここに影響がでます。
そんな私の状態を
日々見ている笙子さんの気持は
晴れることはないでしょう。
患者である私が、
そう感じているのですから・・・
つきそう笙子さんの精神的負担は
私の何倍かでは・・・と思います。
なんらかの工夫をして、
負担を軽くしてあげたい・・と
思っているのですが、
手立てが浮かんできません。
寝てから考えることもいいかもしれません。
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うっかり仕事を引き受けてしまい、
しばらく他のことが何もできない状態になっておりました。
病名こそ違いますけれど、
私も、もう同時進行はできなくなっていると、
ようやく、ほんとうにほんとうに腑に落ちました。
腑に落ちないと止められないというのは、
私の悪い癖かもしれませんが、
やっと、すっぱり仕事を止める決心ができました。
今は、まだすこし疲れが残っておりますが、
心は澄んで、気持ちよく休んでおります。
私がそんな失敗にあたふたしている間に、
水木さまは、再び手術のご経験をなさったのですね。
水木さまも笙子さまも、
心身ともにお疲れになったことでしょう。
うちでもやはり、
私の変調は、ケアパートナーの変調につながります。
一緒に沈み込むのではなく、
一方が冷めれば、一方は熱くなったり、
こちらが元気になると、あちらが寝込んだり……
まるでシーソーのようだ、とよく感じます。
でも、それはお互いのバランスではあっても、
どちらかのせいではありませんよね。
ときに寄り添い、ときに離れ、
その間合いを特に言葉にせずに取れるところが、
水木さまと笙子さまの「阿吽の呼吸」でしょう。
いつも、ほどよい距離を保って
進んでいければよいのかもしれませんけれど……
そんな平坦な道は、むしろつまらないと感じる私は、
まだまだ悟りの境地には遠いようです(^^ゞ
体調が悪いのは確かですが、
コタツに入り・・・テレビを見れば気持ちが楽になる・・・と
いうものではないですね。
私の体にメスが入ったのは10何年ぶりです。
今度の場合・・・嫌なことは、
検査するたびに切り取れるという作業。
今年はこれで終わりでしょう。
私は介護の施設に入ったことはありませんので、
来年もそうでありたい・・・と思っています。
いろいろなことがあって人生こそ、
振り返ることが出来るのではと思っています。
キンキンしてもそれで変わるまけではありませんので、
日々の読経を続けていきたと思っています。
もっとも、
悟れないから経を読む・・・と書いたら不謹慎でしょうか。