先日のことです。
右手の内側が痒くて・・・
考えもせずに掻いていました。
そのうちに、
掻いたところが赤くなってきました。
私は・・・痒い・・・痒い・・・と
いいながら掻いています。
その様子に気がついた笙子さんが、
どれ・・・と、腕を上げ、・・・
「オコゼ」だという。
そう言われれば・・・そうかもしれないか?
という位の私の反応。
庭の草を取ってない?・・・と
語尾が上がります。
そういわれれば、
お昼前に、
アシタバの葉が茂りすぎでしたので、
ざくざく・・・と、
大胆に切り込みました。
そのアシタバと他の草とを
ゴミ袋にいれたのです。
その過程で、
「オコゼ」が、
私の腕を刺したということのようです。
原因が分かって安堵した私に、
笙子さんが
「オコゼは・・・きつうおますえ・・・」
といい、にやり。
ぽかんとした私に、
「京都で教えてもらったでしょ」
とニッコリ。
そうだったかなー・・・と
私はポカンとした状態です。
珍しい言葉に反応することは・・・ななかなに
難しい・・・私でした。
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場所場所によって、言葉や、その意味が違うことがあります。
啄木に「なまり・・・・なんとか」という歌があったようです。
あなたの言葉から・・・そう反応したのですが、
全文は・・・なんど首をひねっても浮かんできませんでした。
その、思い浮かば・・・ないということには、
いつも諦めることにしました。
深追いしても、イライラがつのるばかりだからです。
「きつうおすえ・・・ですので。
故郷の訛なつかし
停車場のひとごみのなかに
そを聴きに行く
啄木の故郷は岩手県の渋民村(旧)。
上野駅は東北本線の上りの終着駅です。
そお・・・そお・・・そんなんだ。
ありがとうございました。
啄木の哀しみが胸にじんときます。
今もです。
上野の駅は・・・悲しみの駅か・・・・
はたまた・・・喜びの駅か・・・なつかしさだけが、私の脳に残っています。
そういう要望を口に出したときには、時すでに遅し。
連れていくことはかないませんでした。
「お父さん、車椅子に乗るなら、どこへでも連れて行くよ」
介護が始まる何年も前から言っていましたが、昔かたぎの父は車椅子に乗ることを拒否。
袋田の滝に行ったのが最後の旅になりました。
タクシーで行っても、最後は長いスロープを歩かなければなりません。
「行ける所まで行ってみよう」
杖をたよりに結局最後まで歩き、滝をみることができました。
復路もしっかり歩きました。
杖も恥ではない。
車椅子も恥ではない。
とにかく外にでてほしい。
私は、老いたら、外聞など気にせず、外へ外へ出ようと思っています。
もう既に発症していらっしゃる方は、行きたい所へは早いうち出かけてくださいね。
外国だっていい。出かけられるうちに!
杖とか車椅子・・・とかは、
プライドのある方には抵抗があります。
ことに、以前では。
今ならば・・・OKだったかもしれませんね。
私も・・・
行っておきたいところをピックアップして見ましょう。