みずいろの旅

やさしいおもいのはねをひろげて

『“僕”から“俺”に変わる日』 最終回(全6回)

2007-10-15 03:33:00 | “僕”から“俺”に変わる日
 葉桜が緑々と茂り始めた季節のとある日に、何気なく立ち寄ったあの桜の木の下で、僕はまたしても自分に出会った。
 あの時の彼ではない。
 おそらく、今から10年前の、22歳の自分だ。僕の人生を10年遅れでなぞっている、後輩にあたる子。
 なぜ、22歳だとわかったのかというと、わざわざこの公園にまでやって来て、あんな顔、言うなれば能面のような無表情で考えごとをしていたのは、その時期しかないからだ。10年前、32歳の彼が、若い頃の自分の顔は覚えているにしても、なぜ見ただけで僕が22歳だとわかったのか。今、疑問に思い、今、解決した。当時は彼に主導権を握られていたし、自分はテンパっていたので、そんなことを気にしている余裕などなかった。
 もしかしたら、22歳の自分が32歳の自分に出会うというのが、僕の人生におけるイベントのひとつなのかも。だから、彼は知っていた。そういう可能性も考えられるが、単なる偶然だと思う。22歳というのが人生選択のちょうど分岐点に当たるから、皆、『あの頃に戻れたら』と思うのではないのか?
 それに、最近のニュースで見た研究報告によると、タイムスリップというのは、言うまでもなく突発的なもの、イレギュラーであり、人生のプログラムの中には組み込まれていないそうだ。だから、同じ人生をなぞっていても、タイムスリップまではなぞらないのだろう。
 その証拠に、あの日と比べると季節が微妙にずれているし、時間帯がまるで違う。
 季節で言うと、春に属してはいるのだろうけど、今日は少し暑い。
 ネクタイを緩めながら空を見上げると、雲があちこちに散らかっている。雲量で天気を判断するのであれば、晴れなのだろう。普通の人が見ても、この程度は晴れの内だ、と考える。
 しかし、悩み多き人物は、これを曇天だと感じてしまう。物事の悪い方ばかりを見てしまうから。
 公園の桜の木から少し離れた場所に設置された木製のベンチに座っている彼も、そういう類いに違いない。経験者が言うのだから間違いない!
 歩きながら周囲を気にすると、幸いなことに他は誰もいない。ちょうど昼時だからか?
 ベンチに近づくと、彼は警戒していて、僕が『10年後のお前だ』ということを説明してやると、余計にこちらを不審者扱いしてきた。当然だけど。
 しかし、10分少々の問答を繰り返すと、100パーセントではないけれど信じてくれたようだ。そこでやっと同じベンチに座ることを許された。
 さて、そうなると次の質問は決まってコレ。
『10年後の僕はどうなっていますか?』
 後輩くんに目線を移すと、彼は期待と恐怖の両方を抱えた表情をしていた。それを見た僕には、ちょっとした悪戯心が芽吹いた。『…お前のような年頃に考えていたのとは違うかなぁ』
『えっ?……というと?』生唾を飲み込む音が聞こえた。彼の顔では、期待が恐怖と恐怖に挟まれて、裏返されていく。さっきまではいい勝負だったのに。
 僕は笑いを噛み殺して言った。『俺は夢の灯なんて自分で吹き消してしまったよ。まあ、人生、夢を叶えることだけが全てではないからな。それに……』
『……それに?』
『俺は未だに童貞だし』そう言うより先か、笑い顔を見られないように僕は顔を背けた。吹き出してしまうのは止められなかったので、手で口を覆い、空咳をして、誤魔化した。我ながら大したウソだ。
『そんなぁ!』恐怖の圧勝と相成り、後輩くんは今にも泣き出しそうだ。
 自分では気付かなかったが、鼻の頭を弄りながら喋っていたのだろう。指先に油が付着している。
 一人称を“俺”にすることは、かなり意識した。初めてかもしれない。“俺”なんて使うのは。
 僕の10年先輩の彼も、こんな感じに後輩の僕をからかっていたのだろうか?
 そして、彼もあの日、初めて“俺”を使ったのだろうか?


 おわり。

 最後まで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。

 作:笛吹みずいろ

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