軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢と 政治家さん

2023-07-27 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 今年は  軽井沢町政施行100周年・・

 明治19年(1886)カナダ生まれの英国聖公会宣教師A・C・ショー氏が初めて軽井沢を訪れて

 その後37年  

 大正12年(1923)東長倉村、町制をしき、「軽井沢町」と改称(人口5012人、890戸)

 その後、昭和17年(1942)軽井沢町、西長倉村を合併(人口8746人)

 軽井沢が避暑地として愛される歴史と共に  その政治家としての隆盛を極めた人物がいる

 明治後半の生まれにして 最初の東京オリンピック開催翌年 華麗な人生を閉じた

 軽井沢にその別荘も長くあって かつて限られた顔ぶれの別荘地だった時期には

 「**別荘 」と言えば 地元管理、商業業種などの間では たいていの用事は足りていたそうな 

 後継者も政治家で    祖父母の過ごした別荘地の 滞在記憶は無いのだろうか・・

 そこで過ごした記憶の中に 夏の夜の涼しさで早朝、喉が痛んだり

 美味しい食べ物の摂り過ぎで  おなかが痛んだりした事は無かったんだろうか

 保険証の廃止時期を強硬に主張しているようだね 

 都会産まれ都会育ちだと

   生涯、JAか郵便局以外の金融機関と関わりなく過ごす地方の住人

 少し難しい病気やケガをすると 面会に訪れる家族も交通手段に頭を痛めるような

 地方事情に実感は皆無なんだろうか?

 地方に別荘を持つ意味合いのひとつに 大昔は自然に触れ、異郷の地の文化や

 人となりにふれる体験、経験を持つこともあったような気がするけれど

 現代の他人を寄せ付けないセキュリティ構造の境界敷と  情報保守などで

 誰の住いやら知れなくなると同時に 何も学び取らずに帰郷する別荘となっているようだね

 みなさん大好きな 避暑地の軽井沢にも   紙の保険証も使えた方が

 まごつかないで済む人たちも まだまだ少なからずいますよ~~      

 

 

 

 

 

 


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