軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

軽井沢の歴史 今日は 江戸時代編

2015-10-13 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ


ついこのあいだまで 「本能寺の変」~♪ とか学生服姿のお兄さんが歌いながら踊って 

勉強にも役立つとかって動画が流行ってたけれど  皆さん 知ってる?

バンザイの 姿勢で 片足をピッピと上げるリズム感が  結構good  だったな・・

今日は  江戸時代の軽井沢の話をしよう

別荘地としての 軽井沢の歴史は 結構資料 が揃ってるみたいだけれど

近頃 ファンの多い その前の 軽井沢の歴史 

江戸時代 軽井沢は5街道の「中山道」の宿場町、しかも軽井沢町の中には

 「軽井沢」 「沓掛(現在の中軽井沢)」 「追分」と3つも宿場があったんだよ

 そのうちの 軽井沢宿は 今の旧軽井沢のロータリーあたりから碓氷峠に向かって上がって行って 二手橋という橋の手前辺りまで

 活気の目安にもなる(今の格式の高い旅館にあたる) 本陣1軒 脇本陣が4軒もある宿場だったんだよ

 江戸の方から碓氷の  関所を越えて峠道を下り 二手橋を渡って今の旧軽銀座の方に歩いて来たんだね・・

 宿場を通り過ぎて 今のロータリー辺りまで来ると お水端の方に向かって中山道は沓掛宿に向かったんだよ 続きは又ね~


  
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1 コメント

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股旅 (風の盆)
2015-10-14 10:17:09
江戸とは徳川の時代
朝廷の前の時代だな

江戸からの旅は碓氷峠はきつかった
箱根峠も険しかった、しかも箱根は山賊も多かったと

峠を超えてほっとするのが、軽井沢、沓掛あるいは三島の宿だな
江戸っ子から言わせると、箱根の向うはもう外国だからな

明治になってもそうだな
漱石が熊本へ赴任した際、ばあやが箱根を超えるのはもう想像外だったな

甲子園でも西から見ると、優勝旗が箱根を超えるのは、一つの事件だったろうな

事件といえば、今日の新聞
国家が不服申立をするなどとは、前代未聞だな
ようやく、この国も民主主義が板についてきたとも言える
それだけ司法の独自性が問われるな
いや、三権分立が問われるかな

股旅ものでは、ヤクザ 893
ヤクザでも国家に従順でない一匹狼の世界だな
二束のわらじでなく、一匹狼が面白い

街道筋には、地の者が必ず居たな

上州では、沓掛の時次郎、国定忠治
片や安房では大利根月夜、水滸伝かな
飯岡の助五郎や笹川繁蔵、千葉道場で鳴らした平手造酒だな

それと、上州あるいは信濃は養蚕だな

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