この数日 秋晴れが続いて、浅間山がくっきりと見えているよ
昨日は 明治時代に軽井沢へ鉄道が開通した話をしたけれど
そういえば軽井沢には 昭和30年代半ばまで 草津軽便鉄道 っていう私鉄もあったんだよ
開通したのは大正四年(1915年)の夏だっていうからちょうど100年前だね 昭和37年に廃線になったんだって
新軽井沢~小瀬温泉間に2両の客車を引いた 小型蒸気機関車が走り、営業を開始したんだってよ
その 機関車の愛称は確か・・ 「カブトムシ」だったよ・・
今の軽井沢駅前から旧軽井沢を通り三笠通り、小瀬(白糸の滝方面)へ 向かう路線だから今も走っていたら人気だったろうね
旧軽井沢に 昔から住んでいるお年寄りは 旧軽井沢銀座入り口のロータリーから軽井沢駅寄りの場所を「踏切下」なんて言ってたな・・
詳しく知りたい人は 草津軽便鉄道(現:草軽交通)で調べてみてね
明日からの週末 皆さんの予定は?
そろそろ 温泉なんかもいいよね・・ 明日は軽井沢の温泉のお話にしようかな~
比較的簡単に敷設できたのであろうな
それが、戦後何年も経つと消えてしまった
多分自動車社会に押されてしまったのだろうな
草津と軽井沢を結んだ草軽鉄道
木下恵介が描いた「カルメン故郷に帰る」
草軽鉄道が舞台であったな
軽便鉄道は花巻にもあった
あそこは温泉地を通っていた
そこに、智恵子亡き後の高村光太郎が住み着いた
終戦前後に住み着いた
今でも高村荘として公開されている
粗末な家なんだな
光太郎は戦争協力の負い目と、智恵子亡き後であったので、北国に住み着いたのだろう
村人は、駅を作りましょうかと
身の回りをする女をつけましょうかと
光太郎は両方とも断ったと
夕方になると、安達太良山に向かって、智恵子と大声をたてたと
洋行帰りの影響か野菜は向うのピクルスの材料になる野菜などを栽培したと