軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の昔の話・・「 冬の夜話会 」で・・

2024-03-21 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 軽井沢のいろいろのお話を ボクのいる森の下に住む   仲良しの奥さんの家で

 お茶をご馳走になりながら  聞いたり話したりする楽しい夕べ・・

 よく考えると みんなにお茶をふるまって

 自分は、いつも静かに聞き役に回るこの奥さんの存在がありがたくて すごいね!

 この冬始まったのは 江戸時代に軽井沢町内を東西方向に貫いていた五街道のひとつ

 古道  中山道の道筋に関わるあれこれのお話

 旧 中山道・・なんて言い方もされるけれど じゃあ、新 中山道 ってどこなんだなんて軽口も出る

 とりあえず 今回は熊野神社のある 「 碓氷峠 」から軽井沢に下って来る道筋からね

 その碓氷峠は、ひとつ江戸側の宿場 坂本宿から標高差約700m 距離16km余りだったと言われ

 険しい山道を登る難所だったと今に伝わっている

 その碓氷峠山頂から今度は 今赤い観光ボンネットバスが昇り降りする舗装道路では無く

 軽井沢から向かって右手の山、沢の中をつづら折りに下るこれも険しい山道が続き

 二手橋から少し上がった辺りで今の道路に繋がっていたそうだ

 今年は明治維新以来 157年目・・ その前年まで続いていたとされる参勤交代も廃止になって

 実際の所 いろいろな制約が一気になくなり通る人が少なくなると 後は荒れるに任せるので

 厳しい自然現象とも合わせて 当時の道筋はわからなくなっている個所も多い

 それに また、ロマンや研究、探求心を掻き立てられて、散策やトレッキングの他に

 当時の道筋や道形などを求めてあのあたりに分け入ったり 

 古い書き物を探し続けたりする人もいるんだそうな

 近年、それについて 「 ここだ 」とする 印刷物を出版した人がいるそうで

 お茶会で その冊子の話題も出たけれど、長年 興味を持っている人の口からは

 その道も有ったんだろうけれど、その道が 定められた中山道の跡だと断言するのは・・

 って 言葉も出て・・ 

 そう言えばあそこでも、あの場所も・・こんな話が・・と 話が展開し始め・・

 とりあえず その 決めかねる「 道筋話 」だけで 夜が更けてしまい

 奥さんに何度もお礼を言って 厳しい寒さが増す  夜道へと玄関を後にしたんだ

 思えば 当時を実際に見たり体験したりしていないんだけれど

 興味も話題もつきなくて   こういうお話会って 

 好きな人にはたまらなくて 不思議だね・・      ~~

 

 

コメント
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