八十年目の新年を又新たにして複雑な気持ちで迎えることが出来た。
門松や 思えば一夜 三十年 (芭蕉)
めでたさも 中ぐらいなり おらが春 (一茶)
NHKの「紅白歌合戦」やその後の「行く年来る年」の番組を観ながら、30年前のことなどは確かに一夜の夢のようでもあるし、老生にとっては、迎えた「新年のめでたさ」も
中位いだな・・というのが正直な実感である。思えば、自分の子供の頃は、寂れた漁村では「80歳前後の老人」は実に稀有な存在で、印象に残っている仙人のようだった隣の爺さんは、あの頃確か75歳位だった。
「人生80年を超える時代」の今日、当の自分は、70年前の隣の爺さんの歳を遥かに超え、元気にこうして生かされているが、年齢的には人生の「終焉期」を生きているのである。
隔世の感深しである。14歳の頃大病をし、今で云う臨死体験もした自分が、先に逝った知友人よりもこうして長く生かされている。人の命の不思議さを身に染みて感じている。
長生きに伴い当然のことながら、体の老化ピッチは、逐年早くなりつつある。如何に計画的な体力管理に努めてもこの老化を止めることは、誰も出来ない。
しかし、幸いなことに人は誰しも、気持ちの持ち方次第で「心の老化ピッチ」を遅らせたり、気持ちの若さを保ち続けることは出来る。だから、傘寿を迎えても、徒に過去との比較で今の自分を不知不識のうちに、消極退嬰的老人にしてしまう必要はない筈だ。
「もう歳だから・・」と呟いていてるだけでは、残りの人生益々つまらなくなるだけだし、精神衛生上もよくない。ならば、弱気で内向きの生き方ではなく、寒さ・暑さも当然のことと受け入れ、常に心の背筋を伸ばし、何事につけても前向き志向で、与えられた残りの人生をゆっくり進もう。しっかりとした足取りで、今年も全てのことに感謝しつつ、趣味を友としながら、日々悔いのない人生終焉期の旅を続けて生きたいものだ。
これが、今年も吾輩が意図する老生の生き方観である。
末尾になりましたが、爺の拙いブログを覗いて頂いた諸氏のご健勝とご多幸を祈ります。
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