長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

画家・版画家の長島充と申します。

2900-04-10 21:49:47 | 版画


訪問いただきありがとうございます。
絵画作品と版画作品をさまざまな技法で制作しています。制作や日常にまつわる事を日々更新しています。

作品画像や活動内容を紹介するホームページ『長島充 作品集』も開設しています。ぜひ合わせてご高覧ください。
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411. 木版画『ハクガン(仮)』を彫る日々。

2020-08-06 17:31:52 | 版画
粘っこいコロナ禍が続く毎日。 自粛生活と言ってもエカキは制作の手を休めるわけにはいかない。何故ならばそれが我々の仕事だからである。

5月から野鳥版画、『日本の野鳥シリーズ』の大判木版画を引き続き制作している。それも水鳥、カモ科の雁類に限定して3点目である。先月から彫っているのは、ハクガン(白雁)。英語的には " Snow Goose " という。 北アメリカ、グリーンランドの北極圏、北東シベリアの1部で繁殖、北アメリカ東海岸及び西海岸で越冬する雁類である。日本には数少ない冬鳥として渡来するとされてきたが近年、北日本や日本海側の水辺環境で越冬数が毎年増えてきている。成鳥では黒い初列風切羽以外は全身が白い、一見するとハクチョウやアヒルのようにも見える野鳥である。何故、雁類に特化して木版画で制作しているのかということはここで述べると、とても長くなるので省略させてもらう。いずれ発表の時が近くなったらまたお知らせすることにしよう。 

このハクガンの木版画を制作するにあたって、事前に冬の雪の風景を背景に彫ろうと決めていた。理由としてはハクガンが本来生息する環境を考慮したのと、英語名の「雪の雁」を造形化したいという欲求があったからである。白い冬鳥には雪の白さが響きあい、よく似合う。この木版画を彫っている時に珍しく同居している次女が「最近、どんな版画を制作しているの? 摺れたら見せてほしい」という。 雪を彫りこんだ2回目の試し摺りができた時、工房に呼んで見せてみた。作品は気に入ったようだが、そこで一言、「よくこの暑い最中に冬の景色と雪を彫れるね、 躊躇するってことはないの?」と尋ねられた。 その場では「あんまり、意識したことはないなぁ…」と、答えたが実際、第三者から見れば不自然な話であるのかも知れない。 

毎日、夢中で版木を彫っているうちに、いつの間にか遅い梅雨明けも過ぎていた。現在、木版画は仕上げに近い3回目の彫りの仕上げ段階に入っている。 まぁ、全国的に30度を超える酷暑が続く中、冷房の効いた工房で雪景色を彫るというのも涼しさが増して良いのかも知れないと、開き直って木版画を彫る日々である。

※画像はトップがハクガンの木版画を彫る工房の風景。下が木版画を彫っている僕、木版画『ハクガン(仮)』の第1回試し摺りと第2回試し摺り(雪を彫り入れたもの)、彫りに使用した彫刻刀の1部、彫った版木の細かい削りカス。


              



408. 木口木版画の制作準備

2020-06-27 18:00:00 | 版画
今年ももう梅雨である。早くも1年の半分が終了しようとしている。今月に入り来年、再来年に予定している『野鳥版画』の個展に向け、木版画技法の1種である木口木版画制作の準備を進めている。

以前のブログにも書いたが僕の場合、最近では版画作品のイメージ・サイズによって使用する技法の種類を変えている。例えば大きな画面の作品や色彩を用いる時には扱いやすい板目木版画を、中ぐらいのサイズの場合には銅版画と板目木版画を、小さく細密な表現で制作したい場合には木口木版画を…といった具合である。特別意識はしていなかったが、あまりこうした方法をとっている版画家は日本では少ないかもしれない。「初めに絵ありき」でその表現を求めていった結果、こうしたスタイルに自然となっていた。

現在、日本では木口木版画の良質な版木を入手するのがとても困難である。あの手、この手、人に相談したりしながら何とか集めている。同業の版画家に譲ってもらったり、植木職人をしている友人に、椿などの樹種を予め予約しておいて仕事で伐採することがあったりした時に捨ててしまうようなものを丸太で持ってきてもらったりもした。もう15年以上も物置で乾燥させて眠っている版木用の丸太もある。この技法の発祥の国、ご本家イギリスでも良質な四角い寄木の木口木版画用の集成材を専門に扱っていたロンドンの画材屋さんが生産を辞めてしまった。他の木口木版画を制作している版画家も版木の入手には同様に苦労しているはずである。

そうして、ようやく入手した版木なのだから大切に扱わなくてはならない。そして厚さ3㎝ほどにカットした版木はそのままではノコギリの跡が残っているので彫れない。表面を研磨しなければならないのである。木口木版画の場合、細密な彫り跡にインクをのせて印刷するため彫る面はキッチリと平面が出ていなければならないのが鉄則である。今までは全て自分で電動サンダーという研磨機を使って時間をかけて研磨していたのだが今回初めて人にお願いした。たまたま年頭に出品していたグループ展の会場に木工職人で最近、木版画の版木の研磨も始めたという方が来場し営業に来ていたので名刺交換をして研磨作業をオーダーしてみた。板木として仕上がったものが今回、画像投稿したものである。樹種は椿と柘植の木である。

コロナ禍の影響で個展やグループ展の会期が中止や延期となり大幅に遅れているのだが、これから夏以降、木口木版画による『野鳥版画』の制作に集中しようと思っている。

※画像はトップが研磨された椿(ツバキ)の版木。下が同じく研磨された柘植(ツゲ)の版木と版の彫りに使用する木口木版画専用の「ビュラン」と呼ばれる彫刻刀。


   

405. 大判木版画 『 コクガン(仮)』 制作中。

2020-05-02 18:39:28 | 版画
先月から2021年に展示会に出品する予定の大きなサイズのモノクロ板目木版画を制作している。画題としているのはコクガンという名前の野鳥である。

このブログを読んでいただいている方々はピンと来たと思うが昨年の12月に宮城県の南三陸町に取材した野鳥である。冬に取材した野鳥を春に木版画に彫っているのである。僕の場合は取材を行って工房に帰ってからすぐに制作にかかるということは少ない。少し「なます」というのか、時間を置く。その時間の中でああでもない、こうでもないと画面構成や表現方法を考えたりするのが常である。遠回りをしているようで、このほうが画面に対する考え方が整理されてくるし、制作の方向性も見えてくるのである。それから失敗が少なくて済む。

版木の寸法は60,5 × 90㎝で絵画で言えば30号ぐらいのサイズである。筆と絵具で描く絵画であれば30号だが細かい彫りで制作を進めていく版画では、その倍の50号~60号ぐらいのサイズに感じる。同サイズの下絵を版木にトレースし、さぁこれから彫って行こうとする時にこのサイズがとても広く見えることがあり、そんな時には気が遠くなりさえする。

現地で取材していた時にコクガンという鳥も美しいと思ったが、生息地である三陸のターコイズブルーの深い色の海が美しく、海面に反射する水紋が目に入り、まるで抽象絵画を観ているようだと感じた。「なんとかこれを表現したい」そう思いながら帰宅し、ずっとこの感覚を温めてきた。「そうだ野鳥を画面で小さく入れて水紋の形をクローズアップしていく構図をとってみよう」そう決定した。
版木を彫り始めた頃、ちょうど新型コロナウィルスが世界中に拡散していくこととが重なり、彫り進めている水紋の点刻の1点1点を祈るような気持ちで彫りこみ、画面の中にのめり込んで制作していた。この海も2011年の大震災で津波に襲われた地域である。

先月末、ようやく第1回の試し摺りが上がった。予定よりかなり彫り進んでいる。ここからは明部や細部を中心として大事に仕上げていかなければならない。この作品が仕上がる頃には新型コロナウィルスの猛威が収束していくことを祈りながらジックリと彫り進める毎日である。

画像はトップが制作中の版木と僕の手。下が向かって左から第1回目の試し摺りの部分2点、制作中の版木等と手、彫りに使用中の各種彫刻刀。


           






378. 大判木版画 『草原の家族(シジュウカラガン)』 を彫る日々。 

2019-08-04 16:18:54 | 版画
先月末、梅雨が明けてから毎日のように猛暑日が続いている。7月の間は『野鳥版画』の大判木版画を1点、集中して制作していた。大判とつけているのは僕の版画の中で大きなサイズの作品と言う意味である。タイトルは『草原の家族(シジュウカラガン)』昨年の11月下旬に宮城県の伊豆沼・内沼に雁類の取材を行ったのだがその時に撮影した画像資料を基に制作していたのである。投稿が遅くなってしまったので「彫る日々」というよりも「彫っていた日々」とした方が正しいかも知れない。

昨年の梅雨期もその前の冬に鹿児島県の出水平野で取材したツル類のナベヅルの大判木版画の制作をしていた。特別に意識をしてそうしているというわけでもないのだが、冬の間に取材をして梅雨辺りで木版画として制作する。どうもいつの間にかこのパターンが出来上がりつつある。秋のいい季節には展覧会を入れるし…なんとなくこのあたりから8-9月にかけて制作が集中するのである。それから現地取材をしてすぐに制作に取り掛かるということも少ない。じっくりと腰を据え「どのように素材を料理しようか」という仕込みの時間、なます時間も大切なのである。

彫り始めてから試し摺りを数回繰り返し、完成するのに1カ月弱かかっているのだが、その前段階の下絵を入れるともっと時間はかかっている。今回も下絵に苦労した。それは雁類の冬季の生息状況にも関係している。群れで飛翔する姿というのは今までにも数点マガンという種類で制作しているし画像などでもよく見かけることがある。今回は地上に降りている群れの構図で作品化したかった。ところが秋冬季に雁類が降りている地上と言うのは乾燥した土くれの水田が多いのである。これは採餌をする関係。雁たちの全身を画面の中に入れようと思えばこの土くれを描かなければならない。だが、これがなんとも絵にならないし、ピンと来ないのである。それから背景として利用できる要素も少ない。困った。ラフスケッチを繰り返すが絵にならない。考えに考えた末、雁類の足を絵の中からバッサリ取ってしまった。これならば足元の土くれを入れなくて済むのである。さらに5羽の家族の構成にして水田地帯の一部にあった冬枯れの草むらを鳥と鳥の間に挟んで行った。これならちょっと花鳥画風の構図にもなる。そして家族の絆が強い雁類が休息している雰囲気も出てきた。これで迷いもなくなり、なんとか下絵完成まで持っていった。

ここまで来れば後は版となる板に下絵を逆さにトレースし、彫刻刀など様々な彫版用具を使って彫っては試し摺り、彫っては試し摺りの繰り返し。彫りの仕事の時には特に集中力と時間が必要なので毎日早朝から起きて工房に籠って制作を進めた。一応、手帳の計画表にいつまでに第1回目の試し摺り、いつまでに本摺り、などと書き込んで進めてはいるのだが、なかなか計画通りには事が運ばないこともある。そうこう毎日、集中する時間を繰り返しているうちにようやく完成したのは梅雨開け寸前だった。果たして今回も現場の空気を感じるリアリティーのある写実版画作品となっているだろうか。ブログを購読していただいている方々にはリアルな作品は個展やグループ展でご高覧いただくことになる。



               

337. 大判木版画 『 早暁 』 を彫る日々。

2018-07-28 17:47:37 | 版画
先月から今月にかけて野鳥をテーマとしたモノクロの大判木版画を制作した。

内容的には今年の2/9~2/11にかけて鹿児島県の出水平野に取材したナベツルの群れが早朝に飛翔する姿を構成し、描いたものである。真冬に取材した野鳥たちをこの暑さの中にようやく形にしているというわけである。

今回は下絵の段階でかなり迷い、悩んだ。朝焼けの中のナベヅルの群れというのは画像でもよく見かけるし、ステレオ・タイプな印象になっていないかどうか、時間をかけて画面構成を決定していったのだ。
版画作品でも、絵画作品でも、個展会場などで来場者によく受ける質問で「この1枚の作品制作にはどれくらいの時間がかかるのですか?」というものがある。1回の個展に数回は必ず尋ねられる。何故そのように、かかった時間が気になるのかは解らないのだが最近では以下のように答えるようにしている。「物理的に作品のサイズが大きいからといって時間が多くかかるわけでもなく、小さいからといってすぐに完成するわけでもない…それは作品の絵柄・モチーフや構成によって異なるのですよ」。画面構成が決定し下絵が完成、版木にトレースして彫り始めてから本摺りまでは案外早かった。本当に描き始め、彫り始めてみなければ版画家本人にも解らないものである。

制作はずっと、取材の時のことを想い出しながら進行させていったのだが、時間が経つにつれて現場の空気や状景を想い出してきた。早朝のかなり寒い時間帯、周囲が暗いうちからツルの行動を観察していたこと、風がビュービューと音を立てながら、かなり強く吹いていて大人でも立っているのが容易ではなかったこと、その厳しい自然環境の中でツル達は予想以上に逞しく、エネルギッシュに活動していたことなどを昨日のように思い出しながら描いたり彫ったりしていた。

結局、仕上がってみると風景の中のツル達の飛翔姿をリアルに彫ったというよりも、あの時、あの場所での大気や光、風をとらえたような表現となっていた。大判版画と言っても画面の中でのツル達は群れとして描いているので、そんなに大きくもなく細部を細かくは表現しきれない。このことが反って早朝の寒風の中に溶け込むような姿となっていった。

タイトルは、これも迷ったが、以上のような内容から『早暁・そうぎょう』とした。果たして二月の九州・出水平野のキーンとした緊張感のある光りと空気感が表現できただろうか。

画像では全体像を見せられまないが、今後、僕の個展やグループ展でお見せする機会が増えると思いますので、どうかその時にご高覧ください。

画像はトップが彫っている最中の版木と彫刻刀を握る僕の左手。下が向かって左から摺り上がった木版画の部分図2カット、木版画に使用する彫刻刀、バレン、ゴムローラーの3カット、今回彫った削りかす(細かい)。



                  





297. 板目木版画 『熊鷹・クマタカ』 を彫る日々。

2017-07-15 18:36:35 | 版画
先月末より猛暑の続く中、板目木版画による作品『熊鷹・クマタカ』の版を毎日彫っている。モチーフとしているのはタイトルそのままの猛禽類のクマタカのプロフィールである。この板目木版画のシリーズ作品は3年程前から始めたのだが「野生の肖像」という連作名である。野鳥や野生生物を実物大よりも大きく彫ることで生命というものの「尊さ」「重さ」のようなものを表現できないだろうかと、試行錯誤しながら制作している。

クマタカは英語名を"Mountain Hawk Eagle"といい、中国南部、ベトナム、我が国の九州以北の山地等に留鳥として分布し、低山から亜高山帯の林に周年生息するタカ科の大型猛禽類である。翼開長は140~165㎝あり、イヌワシなどに次いで大きいタカである。 "ピッピィーピッピィー" と姿のわりに可愛らしい声を出す。

僕はこれまでの探鳥体験で何度かクマタカに遭遇しているのだが、大抵は山の稜線の上など遠方を飛んでいるのを発見するケースが多く、なかなか近距離でマジマジと観察したことがなかった。ところが、このブログにも以前投稿したのだが今年の2月、群馬県の山間部にある森林公園を越冬の小鳥たちの取材のため訪れた時のことである。目の前の給餌場に降りるアトリの大群やミヤマホオジロの小群を観察していると真上を " ピッピィー、ピッピィー " と冬の森林によくとおる澄んだ声が降ってきた。慌てて双眼鏡を上空に向けるとやや大きさの異なるタカが2羽、ゆったりと旋回飛行をしているではないか。「クマタカだっ!」「しかも雌雄ペアーのディスプレイ・フライトだ!」とその場で周囲にいる野鳥観察者に叫んで知らせた。翼の下面の模様が手に取るように観える。感動の瞬間的出会いだった。この時、僕はこのクマタカのペアーに「我々を版画に彫りなさい」とお告げを受けたと勝手に思い込んだのだった。いや、きっとそうに違いない。

制作のモチベーションというものはそうした思い込みということもあるのではないだろうか。と、言うわけでスケッチから始めて下絵を制作し用意した版木にトレースしてからようやく版を彫り始めたのだった。いつものことだが、彫り初めは気持ちを高揚させていくためにBGMをかける。クマタカの持つ雄大な姿を表すにはどんな曲がいいだろうか。迷った結果、ショスタコービッチの交響曲第15番を選んだ。何回彫っても最初の一刀は緊張する。小さな突破口ができるとそれからは彫刻刀の刃先に集中してドンドン彫って行く。試し摺りをとるまでは眼を瞑って絵を描いているようなものなので仕上がりがなかなか見えてこない。1回目の試し摺りがとれたあたりからは絵の全体像がボンヤリと見えてきて彫りのスピードにも加速度がついてきた。ここから先は納得いくまで彫っては試し摺り、彫っては試し摺りの繰り返しとなっていく。

関東地方はまだ梅雨開け予報が発表になっていないのに真夏のような暑さが続いている。板目木版画『クマタカ』の彫版も佳境に入ってきた。しばらくは冷房をきかせた工房で彫刻刀の刃先に全神経を集中しての彫りの日々が続いていく。
完成した作品はグループ展、個展などで発表します。画像はトップが版を彫る手。下が向かって左から版を彫るようす4カット、彫りに使用している彫刻刀。


           








296. 彫刻刀を砥ぐ。

2017-07-03 17:47:41 | 版画
今月に入って、ようやく梅雨らしい気候となってきた。湿気も多くて晴れれば真夏並みの酷暑となる。板目木版画用の使い込んだ彫刻刀の砥ぎがたまっていたので、この数日間午前中は彫刻刀の砥ぎを行った。

板目木版画以外でも木口木版画や銅版画の直刻法など直接版を彫って製版していく版画技法は使い込んだ刃物の切れ味が落ちてくるとイライラとして仕事にならない。なので常にそれぞれの専用の彫刻刀や工具を砥ぎ、手入れを怠らないことが版画家の必要十分条件となっている。版画家の職人としての部分でもある。

現在では砥ぎに使う砥石はいろんな素材のものがある。ダイヤモンドの粉を固めた板の上で直接砥いでいく「ダイヤモンド砥石」などという製品もある。この場合、水は使わないで乾いた状態で刃物を砥ぐので作業も楽になってきている。
僕は20代の頃から水砥といわれる水を使って砥ぐ我が国の伝統的な砥石をずっと使ってきた。刃物の状態により荒砥、中砥、仕上げ砥などという砥石を使い分けるが、それぞれ石の目の粒子が異なっているものだ。刃先がかけてしまった場合など以外は普通は中砥と仕上げ砥で砥いでいく。それから木版画の彫刻刀は「版木刀(切り出し)」「丸刀(駒すき)」「平刀(間すき)」「三角刀」(カッコ内の名前は浮世絵版画の彫り師が使う呼び方)など刃先が異なる微妙な形をしていて砥ぎ方も形に沿って変えて行かなければならない。

朝から机に向かい砥石に水をくれながら1本1本丁寧に時間をかけて砥いでいくのだが、この時間が僕はけっこう心地がよい。例えて言えば日本画の画家が顔料を乳鉢で摩り下ろして膠で練っていくような時間や書道家が硯に向かい墨を磨る時間と似ているのかも知れない。つまり穂先、刃先に精神を集中していく時である。刀を使って版木を彫って行く作業は絵筆で絵を描いたり、筆で書を書くことと等しいと思っているのだ。

ただ、最近少し、しんどく感じていることが一つある。40代の半ば頃から加齢により老眼が進んできたことで砥ぎ終わった刃先の点検がメガネだけでは心もとなくなってきたことである。微妙な砥ぎ具合を確認するために仕方がないので銅版画の彫りに使用している高倍率のアーム式ルーペを傍らに置いていちいち確認しながら仕上げの砥ぎを行っている。まぁ、これも慣れである。

砥ぎ終った彫刻刀が机の上に並んでくると何とも言えない満足感、安堵感に満たされる。そしてまた「これから版木の彫りを一仕事しよう」というやる気がジワジワと湧いてくるのである。

画像はトップが砥ぎの作業のようす。下が向かって左から同じく砥ぎの作業のようす3カット、水砥と砥ぎ終ったいろいろな彫刻刀3カット。


            

275. 木口木版画の蔵書票を摺る日々。

2017-01-07 18:21:45 | 版画
11月のブログに投稿したが、版の彫りを続けてきたN氏、オーダーによる蔵書票の木口木版画だが、その後、5回ほどの試し刷りを経て、ご本人にもGOサインをいただいたので、先月末より本摺りの作業に入った。摺り枚数はトータルで350枚。僕がオーダーを受けた版画の枚数としては2番目に多い数である。

毎日、この版画の摺りだけをやっているわけではなく、他の仕事の合間合間に摺っているのだが、午後から始めて夕飯の時間まで半日で僕のペースで、丁寧に摺ってせいぜい40-50枚ほど。トータルで1週間ほどかかるだろうか。それ以上摺れないこともないのだが、今回細かい彫りの部分が多く、油性インクでの摺り増しによる版の「つぶれ」を避けるため50枚程度で終了している。そこで版面のインクを掃除して一旦、休憩をとる。

摺りの手順としては、まずインクの準備から始まる。硬い活版用の製版インク、木版画用のチューブ入り油性インク、乾燥剤などをガラス板の上で金属のインクべらで練り上げて行く(数十分)。このインクをゴムローラーでガラス板上に慎重に、薄く、薄く伸ばしていく。板上に伸ばされたインクが厚ぼったいとこれも細かい彫りがつぶれて醜く摺りあがる原因となるからだ。それから彫りあがった木口の原板に、これも慎重に薄く、薄く盛っていく。そしてインクが盛れたらその上に摺るべき紙(今回は厚口のがんぴ紙)を周囲の余白が木製のガイドによってそろう位置に合わせて置き、バレンと木製のヘラを何回もこすって摺りあげて行く。これを半日で50回繰り返す(道具類は画像を参照)。

版画家にとって摺りの作業というのは「過酷な労働」である。それ以外の何物でもない。おそらく現役の版画家100人にアンケートをとったとして「摺りは嫌い、彫りの方が好き」と答える人は99%ではないだろうか。ただ、今回のようにオーダーによるラージ・エディション(摺り枚数が多いこと)となってくると、それだけの枚数が確実に人の手に渡っていくことに対する妙な快感も覚えてしまうのだが。

摺りの作業の間は「摺り三昧・すりざんんまい」に入る音楽をBGMとしてかけることにしている。以前はワーク・ソングとして「シカゴ・ブルース」をかけていたが、最近は画像にアップしたバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタと組曲」である。これをかけていると不思議と労働の辛さを忘れて摺りに没頭することができる。うまくはまったので、いろいろなソリストのCDをかけている。

大晦日から元旦もこの版画の摺りを行っていた。ここ、二日ぐらいは休んで別の仕事に集中しているのだが、現在、摺りあがりの枚数が245枚となった。失敗摺りは依然と比べてかなり減ったがここまで15枚ほど出している。なので、あと120枚摺らなければならない。あと3日ぐらいかな。成果品の納品が3月中旬なので、ここからは焦らずじっくりと摺りあげることにしよう。

画像はトップが摺りあがった木口木版画の蔵書票(この画面で30枚ほど)。下が向かって左から摺りあがった蔵書票のアップ、今回の版木、版木をガイドにセットしたところ、ガラス板にのばした油性インクとゴムローラー、愛用のバレン、BGMのバッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタと組曲」のCD盤。


          

268.木口木版画の蔵書票を制作する日々。

2016-11-21 18:52:59 | 版画
10月を過ぎ、11月に入ると都会の街並みにキラキラとクリスマスの気配がやってくる。慌ただしい師走はもうそこまで来ている。「今年も、もう一年経ってしまうんだなぁ…年々、時間が経つのが早く感じてくる」と、仕事机で、手のひらをしみじみ眺めながら、毎年この時期のセレモニーとして同じ呟きを繰り返すのだった。

今月に入って、昨年からオーダーされていた「蔵書票」を木口木版画で彫っている。ひさびさである。今回の「票主・ひょうしゅ」(コレクターのこと)となっているのは、僕の普段の版画作品をコレクションいただいているN氏。医師であり俳人でもある。昨年、俳句の世界で大きな賞を受賞された。コレクションのお礼と受賞への細やかな、お祝いという意味でお引き受けした仕事でもある。

蔵書票はラテン語で”EX LIBRIS(エクスリブリス)”と呼ばれ、日本語では「私の愛する書物」といった意味だと聞いている。本来は愛書家が自分の高価な愛書に版画家にオーダーして摺らせ、本の裏表紙などに糊で張り付ける習慣があったが、今日ではトレーディング・カードのようにコレクションする愛好家が増えている。版画の中でも取り分けマニアックな世界なので一般的にはあまり知られていないかも知れないが、西洋などではとても人気のある版画のジャンルであり、専門の版画家や愛好家が多い。オーダーものなので、当然「お題・テーマ」をいただいてからの制作となる。今回のN氏のお題は「巨石文明と昆虫」という、ちょっと難しいものだった。巨石とはイギリスのストーン・ヘンジのような石遺跡を指している。昆虫はおそらくN氏が好きな生き物なのだろう。そして巨石をテーマとした句集も出版されている。

制作は版木(10×7,5㎝という小さなもの)と同寸のラフな下絵を2パターン制作。画像添付のメールでコレクターに送信し、確認してもらう。内容の承諾後、下絵をさらにつめて版木にトレースし、ビュランという彫刻刀で彫り始めるといった手順。後は、彫っては試し摺りをし、彫っては試し摺りを繰り返す作業。版木は小さな画面に細密な絵柄が想定されたので、特別に故意にしている材木屋さんに特注で作ってもらった「本ツゲ」の上物である。こうした版木も最近ではなかなか入手し難くなった。

さあ、準備ができたところで硬いツゲの面に細かいビュランの刃を縦横無尽に走らせて行く。文字などもあるので、少しの油断も許されない。ちょっとビュランを握る手の力を緩ませようものなら必要でない場所を彫ってしまう。小さい作品だが、とても神経を使うものである。当然、ルーペなどで手元や刃物の切っ先を拡大して慎重に作業を進めるのだ。今日の午前中にようやく第一回目の試し摺りが取れた。しげしげと眺めながら「まだまだ、調子が硬いな…線も細かすぎる」 試し摺りが取れると少しほっとするのだが、ここからが長い。秋も深まり、寒さもきつくなってくる中、作業机にへばり付き、細かい彫版作業をする日々がしばらく続きそうだ。そして彫りが完成したら「見本摺り」をコレクターに送り、最終確認をとらなければならない。そしてGOサインが出たら、年明けから今回、地獄の300枚摺りが待っている。ふーっ…。

画像はトップがルーペ越しに観た制作途中の今回の版木と手元。下が向かって左から版木を彫っている手元をもう一枚と今回制作に使用しているビュランの画像2カット。


        

255.木版画 『オンネウ・老大なるもの』を制作する。

2016-08-01 18:45:51 | 版画

6月の末から先月にかけて梅雨の中、『オンネウ・老大なるもの』と題した大判木版画を集中して制作した。「野生の肖像」という連作の中の1点となっている。

画題としたのはオジロワシというのワシの1種である。オジロワシは英語名はWhite-tailed Eagle、といいユーラシア大陸北部に広く分布する。日本では北海道北部および東部で少数が繁殖する他、冬鳥として渡来する。観察記録は全国からあるが、特に北部日本に多い。その名前のとおり尾羽が白く、翼を開いた長さは2mを越え、オオワシ、イヌワシなどと並び日本を代表する大型のワシである。僕も10年近く前に北海道東部に探鳥旅行にいったおり広い湖沼の上空などを飛ぶ雄大な姿を観察し、感動したものだ。

先住民である北海道アイヌの人々はこの土地に生息する野生鳥類をシマフクロウをコタンコロカムイ、タンチョウ(鶴)をサルルーンカムイ、などと呼んで敬ったことがよく知られている(カムイは神という意味)。そしてこのオジロワシを『オンネウ・老大なるもの』と呼んだ。オジロロワシは年齢を重ねると頭部や肩羽などの羽が、かなり白っぽくなる。この老いて立派なワシが北の大地の厳しい自然の中をじっと佇んでいる姿に神聖なる印象を持ち「老いて偉大なる知恵者」というイメージを重ねたのではないだろうか。アイヌの人たちは自分たちの村の老人たちも敬った。年老いた老人たちは人生の経験も豊かで村の中では知恵ある存在なのである。このあたりの考え方は、ベーリング海峡を渡った同じモンゴロイド(蒙古民族)であるネイティブ・アメリカンのそれと非常に酷似している。

今回の彫りは繊細な鳥類の羽を詳しく表現するため、前作の『コタンコルカムイ』同様、浅く細い線彫りに徹した。トーンが微妙なので途中なんども試し摺りをとってはまた彫るという繰り返しで慎重に制作を進めて行った。60㎝×60㎝という僕の版画作品の中では大きなサイズだが、添付画像を見ていただくとおり、削りカスは僅かな量しか出ない。このことで彫りの慎重さを想像してみてください。

がまん強く制作し続け、ちょうど梅雨明けと共に作品が完成した。実はこの作品には僕の中で「ある特別な想い」があって制作したのだが、今はそれを語らないでおこう。いずれ作品が完成し、個展やグループ展で発表した時に会場で来場者に語ろう。あるいは、しばらく時間がたってからブログやSNSを通じてお話ししていくことにします。画像はトップが版を彫っている最中の「オンネウ」の部分。下が向かって左から同じく彫りの部分、制作に使用した彫刻刀、この版を彫った削りカスの全て、試し刷りの部分(肩羽あたり)。

 

           

 

 

 

 


219.陰刻法木版画の制作

2015-12-02 19:07:58 | 版画

先月から陰刻法木版画(いんこくほうもくはんが)の制作を進めている。技法の名前だけ見ると、なんだか小難しく複雑に感じるかもしれないが、制作してみるとシンプルかつ合理的な木版画である。

この技法との出会いは、まだ20代の美術学校の学生だった頃、たまたま東京神保町の美術書専門の古書店でみつけた古い木版画の技法書であった。その本の作者は小野忠重(1909-1990)という戦前から戦後にかけて活躍した木版画家である。その初期から社会派的作風で知られ、最近では2009年にまとまった回顧展が東京の美術館で開催されている。

陰刻法木版画はまたの名を一版多色摺り木版画とも言われる。以下、簡略にその制作プロセスを説明する。まず版木に直接筆やペンなどでデッサンする~その線を全て彫って版を完成させる。次に紙の準備。ドーサを引いていない生漉和紙を墨や絵の具で暗色に染める~その上にドーサを引く~乾燥後、線刻によって区切られた形に一色ごとにガッシュやポスターカラーなど不透明な絵の具を塗りバレンで摺っていく。これで出来上がり。実にシンプルなのだ。

何と言っても一番の魅力は通常、版を色分解する多色摺り木版画だと使用する色の数に近い版数が必要なところを一版で摺れるというところだ。普通に十数色は摺れる。但し、一色一色、版に筆や刷毛で絵の具を塗って摺り進めていくので色の数だけ紙の上げ下げ運動を強いられる。けっこうな労働である。二番目の魅力は暗色に地色を染めた和紙に不透明な絵の具で摺るので鮮やかで強い発色で仕上げることができる点である。例えて言うならステンドグラスのように輝く色調である。現在僕も鮮やかな色がほしい野鳥をテーマとした作品などに使用している。今までもいろいろとやってみたが他の版画技法ではなかなかここまで鮮やかな色は出せなかった。この辺はいくつもの技法を操る版画家の強みである(自称テクスチャー・コントローラーと名乗っている)。

小野忠重さん以前にもアンドレ・ドランやベン・シャーンが陰刻法を用いて版画作品を制作しているようだ。ドランの作品は美術雑誌で見たことがあるが、ベン・シャーンのものは残念ながらまだ見たことがない。

しばらくはこの技法により色彩の鮮やかな野鳥や野草、蝶をテーマにした制作を続けていくつもりである。完成作品は個展などで観ていただきたい。画像はトップが摺りの作業途中の版木と版画。下が向って左から以前に陰刻法で制作した大判木版画「アルキュオネ」、摺りあがった野鳥をテーマとした作品の数々、制作中の絵の具(2カット)、バレン。

 

          


203.板目木版画『コタンクルカムイ』を制作する日々。

2015-08-03 21:42:45 | 版画

梅雨が明け、先月末から今月に入って日増しに酷暑が続いている。工房のある千葉北東部でも野外で39℃を記録した日もあった。公称されている数字は日陰でのものらしく実際は日向で40℃を越えている時もあるようだ。さすがに、ここまで暑い日が続くと頭は朦朧として、集中力がなくなってくる。

先月からこの酷暑の中、大判の板目木版画の制作をしている。今回の画題は『コタンクルカムイ』。北海道アイヌの人々が昔から「村を守る神」として大切にしてきた大型のフクロウである。和名はシマフクロウ。日本の北海道東部、サハリン、ロシアの極東地域の森林に留鳥として生息するが数は少なく、森林開発などの影響による絶滅が危惧されている種である。森林の大きな樹洞に営巣し、夜間、水辺で魚を採る習性が知られている。雌雄が2羽で鳴き交わし、ホッ、とホッホー、と鳴き合うのだが、ホッ、ホッホーとつながって聞こえることが多い。深い森林の中で低くてよく通る声で鳴く。枝などにとまった姿勢で頭から尾羽まで71㎝というのだから、フクロウ類の中でもかなり大型のグループの中に入る。いずれにしても繁殖する環境は自然環境が豊かで、広い面積を必要としている。

この偉大な神としてのフクロウの神秘性や大きさを表現するために今回の板目木版画では肖像画風に顔をアップにトリミングし、さらに実物大よりも大きく表してみた。日本の野鳥を木版画で彫り始めてから10年ほどの年月がたった。鳥の羽というのは繊細なものが多く、ザクザクと彫っていくことが味わいとなる板目木版画では、なかなか表現するのに苦労する。だんだんと細かい刃先の彫刻刀を使用することが増えてきた。けっこう大きな版木に彫っているのに、削りカスはほんのわずかな量にしかならない。今回ためしに削りカスを最初からとっておいてみた。結果は添付画像のとおりである。おそらく数多い木版画家の中でもこれだけカスが少ない人はそんなにいないんじゃないかなぁ…妙なことを自慢してもしょうがない。選んだ画題に対して自分なりの表現や彫り方を探究してきた結果である。

ここまで、彫っては摺ってを繰り返し、4回の試し摺りを重ねてきた。そろそろ彫りの作業は終了。あとは薄口の和紙に黒1色で丁寧に摺りあげるだけとなった。まだまだ猛暑が続きそうなので摺りの作業を想うと辛くなるが、ここは奮起して最後まで完成させよう。技術的、作業的なことよりも、このフクロウが持っている深い神秘性が表現できたかどうかが一番気がかりになっている。画像はトップが彫りの作業中の版木。下が向かって左から木版画の削りカス、彫り途中の羽のアップ、今回制作に使用した彫刻刀類。

 

      


180.木版画『フェニックス』を摺る。 

2015-02-27 21:49:18 | 版画

今月は水彩画作品と並行して木版画作品を制作していた。テーマは『フェニックス(不死鳥)』である。東西世界に様々な姿や名前で登場する伝説の鳥だ。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」をBGMにかけながら集中して版木を彫っていた。

絵画と版画の作品を車の両輪のように制作し始めて随分時間が経った。よく受ける質問は「どちらが難しいか」あるいは「どちらを制作している時が楽しいか」というものだが、うまく答えようがなく「それぞれ難しさが違うし、それぞれ楽しさも違う」と、いつも曖昧な回答しかできないでいる。ただ近頃思うことは年齢のせいか版画の摺りの仕事がしんどく感じるようになってきた。僕の版画の師匠はやはりどちらも制作していたが、僕よりも少し若い年齢の時、弟子たちの前でこぼしていたことがあった。「…近頃どうも版画の摺りがつらく面倒に感じるようになってねぇ…版画の制作というのは摺りの作業がおっくうになりだすとダメだねぇ」。

誰が何時ごろから言い出したのだろう「創作的な版画作品は自画、自刻、自摺り、が最も価値があるのだ」と。この価値観がその後の版画家の首を絞めるようになったのではないだろうか。確かに木版画にせよ銅版画にせよ「彫り」のプロセスというのは絵画で言うところの「描く」ことに近いことなので作家自らが行うにしても摺りというのは完全に作業であり労働なのだ。版画家という人で摺りが好きな人はまずいない。できれば専門の摺り師にまかせたいところである。元々、19世紀の頃まで日本の浮世絵版画にしても西洋の版画入り挿画本にしても絵師、彫り師、摺り師と完全分業で成立していた世界なのだが…。だいたいこの時代までは「限定部数」などというものもなかった。人気があれば版が摩耗するまで摺り続けていたのである。せめて摺りの作業だけでも解放されれば、どれだけ他の作品を作る時間が自由になることだろうか。

と、いまさら僕が愚痴のようなことを言ってみてもしょうがない。体力が続く限り労働はしなければならない。黒1色の作品だが薄口の和紙に摺りあげた。これからパネル貼りして部分的に手彩色を加えて完成品となる。仕上がった作品は今秋の個展会場でご高覧ください。画像はトップが摺りあがって乾燥させている木版画作品。下が摺り場のカット2点。

 

   

 


153.大判木版画を制作する。

2014-07-23 21:09:46 | 版画

今月は日増しに暑さが厳しくなる中、木口木版画の連作と並行して大判木版画の制作をしている。版画家によっていろいろな考え方があると思うが、僕の場合ここ十年ぐらいの傾向として作品のサイズによってテクニックを変えている。大作は板目木版画、中ぐらいのサイズは銅版画、小作品やミニアチュールは木口木版画を主に制作している。

先月中旬から構想を練り、下絵をつめていたもので、画題としては深山幽谷を飛翔するイヌワシである。このサイズの作品となると版画でも絵画でも下絵に時間がかかる。パネル張りした真っ白な画用紙に鉛筆で描画していくのだが、簡単には仕上がらないので、気にいらないと消しゴムで消し、また描いて、また消して…という繰り返し。なかなかアイディアがまとまらない時にはエンドレスな時間が流れて行く。しかしずっと不調ということはこの世界にはない。いつのまにか全体像が見えてきて構想がぱっとまとまる瞬間がある。ここまでくればしめたものだ。

あとはあらかじめ準備しておいた同サイズの版木に完成した下絵をトレースする。彫り跡が解り易いように版木を水彩絵の具などの濃い色で着色してから彫刻刀で彫り始めるのだ。僕は木版画でも銅版画でも彫りの作業が一番好きである。下絵の段階はひたすら産みの苦しみで忍耐の時であり、摺りの作業は単純に労働である。板目木版画の大きな作品を彫り始めた頃はサイズが大きめの彫刻刀でザクザクと彫っていたが、この木版画特有の彫り跡にはまってしまうといわゆる木版画調のステレオタイプの作品になりがちである。いろいろと自分の表現を試行錯誤していった結果、だんだんサイズが小さく刃先の細かい彫刻刀の使用が増えてきた。作業が進み傍らのゴミ箱に木の彫りクズがたまってくるのだが、改めて観察してみると依然と比べてかなり細かくなっている。

画面が大きく、彫りが細かいので制作の進み具合は割合スローペースな方だと思う。朝から夕方まで長時間にわたり、集中力と忍耐力を持続させサクサクと彫っていくことが大切だ。あとは細部を彫るのに必要な低倍率の拡大鏡と心地よいBGMがあれば鬼に金棒である。梅雨明け宣言もされ、さらに暑さが厳しくなる中、そろそろ彫りの作業も一段落となった。あとは上質の和紙に丁寧に本摺りをとるだけである。摺りあがった版画作品は展覧会場で観てください。画像はトップが工房での彫りの作業をする僕。下が左から工房の別方向から写したカット、版木上の彫刻刀、彫刻刀による彫りクズ。