長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

164.『バッハ・無伴奏チェロ組曲』を聴く日々。

2014-10-31 21:28:17 | 音楽・BGM

夏以降、細かい版画を集中して彫る毎日が続いている。銅版画や木口木版画の彫りというのはとても集中力の必要な工程である。こうした時間が長く続くときには、自然とBGMをかけたくなるものだ。いつ頃からだったかはっきりとは覚えていないが、バロック系の音楽を聴くことが多くなっていた。

声楽や宗教曲などいろいろと聴いてみたが、中でも長く聴いてきたのはバッハの無伴奏器楽曲である。『無伴奏ヴァイオリン組曲』 『無伴奏リュート組曲』 『無伴奏チェロ組曲』 がその代表的なものだが、やはり彫りにシックリくるというとチェロである。低音の奥深い響きは集中力を向上させるのにちょうどいいのである。クラッシックフアンの間では、このバッハの無伴奏チェロ組曲のことを「チェロの旧約聖書」、ベートーヴェンのチェロソナタのことを「チェロの新約聖書」というのだそうだ。比べると後者はピアノとの共演で、ずっと華やかな印象を持つが、僕は俄然、旧約派である。もちろん、ベートーヴェンも素晴らしいが、バッハのチェロ1本で豊かな音を奏でるというところに強く惹かれるのである。

初めて聴いたのは20代だったが、ヨー・ヨーマ演奏によるLP盤を薦めてくれた絵描きの友人が、「この曲をかけていると、画室の隅に神様がいるような気配がしてくるんだよ」と言っていたのを思い出す。別にオカルト的な意味ではなく、じっくり聞いていると確かに深い精神世界へ誘われるような気がしてくるから不思議である。音楽の力というのだろうか。

以来、LP時代からいろいろなチェリストによるアルバムを聴いてきた。ヨー・ヨーマに始まって、パブロ・カザルスの古い演奏、ピエール・フルニエ、ミュッシャ・マイスキー…その中でずっと聴き続けてきたのは巨匠カザルスの演奏。その後の全てのチェリストに多大な影響を与えた「無伴奏」の永遠の名演である。最近のお気に入り盤は昨年88歳で他界したハンガリー出身の天才チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルによる演奏が高い精神性を表していて繰り返し聴いている。もう1つはオランダのバロック・チェロの名手、アンナー・ビルスマによる古楽器演奏。ただでさえ渋いチェロの低音がバロック・チェロの枯れた音によってさらに、燻し銀のような音を奏でている。版画の彫りに集中する中、しばらくはバッハの無伴奏チェロ組曲をかけることが多くなりそうである。画像はトップがチェロ演奏中のパブロ・カザルス。下が左から同じくパブロ・カザルスとシュタルケルのCDジャケット、ビルスマのCDジャケット。

 

      

 


163. 第82回 版画展

2014-10-23 21:35:45 | 個展・グループ展

17日。 東京都美術館で開催中の日本版画協会主催による『第82回 版画展』を観に行ってきた。僕も会員として作品を出品している。

日本版画協会は1931年に発足した創作的版画の展示、普及を主旨とする美術団体で、発足当時は木版画作品が中心だったが、現在では銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンなど版画表現全般の作家、作品を総合的に展示する美術団体となっている。

初めて出品したのは30年前のこと。当時は桜の季節の3月に審査があり、4月に展覧会だった。4-5点の額装をした重い版画を家から担いで都美術館地下の一般搬入口までえっちら、おっちら汗をかきかき運んで行った。それから美術公募団体の常でお偉い先生方の審査を受けて、作品の入落が決定する。そして運が良ければ受賞ということもある。おかげさまで今まで落選という経験はなかったが、発表があるまでは気が気ではなかった。都美術館の裏口掲示板に入選者の名前が貼り出されたので、毎年のように見に行った。この発表の時期には上野の山のソメイヨシノも満開の時期を過ぎ、パラパラと散り乱れている頃だった。同じ上野ということと、ちょうど季節が同じということもあり、なんだか芸大の受験と記憶の中で重なっていた。

その受験を繰り返し、準会員となって落選がなくなり、会員となって審査をされる側から審査をする側に変わり、いつもまにか30年も経ってしまったんだなぁ。出し始めた頃は1980年代でまだまだ現代版画の世界が元気な時代だった。1970年代のいわゆる『版画ブーム』のなごりもあった。技法を教わったベテランの版画家の人たちの中で、すでに他界されたり、さまざまな事情から退会されたり人も少なくない。その頃にくらべると若い人たちの作品は大型化し、技術的にも随分レベルが高くなってきている。会場を巡りつつ、多くの出品作を眺めながら、ちょうど真ん中にきたあたりで昔のことが頭の中でフィードバックしてきた。近頃、年齢のせいか懐古的になっていけない…5年後、10年後、さらに第100回記念展を開催する頃には、版画をとりまく時代と環境はどんなふうになっているんだろうか。考えてもしかたのないことに想いめぐらしつつ会場を後にした。画像はトップが展覧会場入り口。下が会場の中の展示のようすと東京都美術館正面入り口(展覧会は19日で終了しています)。

 

      


162.天使を描く。

2014-10-16 20:51:55 | 絵画・素描

工房通信というブログ名をつけながら、近頃、絵画や版画に関係のない内容を更新することが多くなった。絵画や版画の制作は日々、おこなっているので画像や文章内容がパターン化してしまうということもあるのだが。

…というわけで、今回は絵画制作の話題。今月に入って『天使・エンジェル』をモチーフとした水彩画の制作をしている。主にシルクロード文化圏に伝わる神話や伝説の中に登場する翼を主題とした『伝説の翼シリーズ』の絵画作品も大小含めて、40点以上を制作した。この流れで翼幻想を描いている以上、一度は制作しなければならないと思い続けてきたのがこの『天使・エンジェル』である。古典から近現代まで西洋美術の中では繰り返し登場するモチーフだが、自分にとってはなかなか難しい題材である。言葉にすると誤解を招くが、ストレートに描くと通俗的な表現から出られないのではないかという危惧があったからだ。

そうは言っても、避けては通れない「翼」である。エスキースの段階からいろいろと迷った挙句、イタリア・ルネッサンス絵画にたびたび登場する『受胎告知』のエンジェルを手掛かりに描くことに決定した。しかし、これだけではまだ古典絵画の写しとなってしまうので、場の設定を星空を中心とした宇宙的な空間とし、さらにコスチュームにオリエント風のイメージをミックスしてみた。もともとこのシリーズ、シルクロードによって人間の文化は繋がっているということを根底としているのである。実際に、西洋にみられる天使像は東に行くとさまざまなタイプの「有翼人」に変容する。エジプト~中央アジア~インド~中国~東南アジア~日本までいろいろな種類が分布しているが、その多くは天上界からの使者ということになっている。

星空とオリエント風コスチュームとしたことで、イメージがしっくりと落ち着いてきた。ここからはいつものように手漉きの紙に下絵をトレースし、線描によるデッサン、水彩絵の具とアクリル絵の具により着色のプロセスに入る。どんな天使像に仕上がったかは個展での発表をお楽しみに。画像はトップが制作途中の水彩画の部分。下がレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』の中に登場する天使と制作中の絵の具や絵筆。

 

      

 


161.皆既月食を観る。

2014-10-09 21:37:42 | 日記・日常

すっかり秋も深まり、ようやく制作に向く季節に入ってきた。昨晩、絵画作品の下絵を描いていると、三女の呼ぶ声がした。 「パパァーッ、ゲッショクが始まっっているよぉーっ!」 いけね、すっかり忘れていた。今日は皆既月食が観察できる日だった。あわてて、工房の窓を開けると電線越しに見慣れないようすの月が漆黒の夜空にポッカリと浮かんでいる。赤銅色と言うのだろうか、何とも言えない色合いでとても幻想的である。

月食(げっしょく)とは英語でLunar Eclipseといい、地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることで月が欠けて見える現象のことで満月の時に起こる。全ての部分が影に入る場合を皆既月食・Total Eclipse、一部分だけが影に入る場合を部分月食・Partial Eclipseという。日食と違い、月が見える場所であれば地球上のどこからでも観測・観察することができる。あわてて野鳥観察に使用する地上用望遠鏡を三脚にセットし、接眼部にデジタルカメラを取り付けてバシャバシャと撮影を始めた。大気の澄んだ冬の満月などはこの方法でクッキリと撮ることができるのだが、今晩は微妙な光量の月食が相手である。暗い上に倍率が高いので当然シャッタースピードが遅くなる。なかなか思うようなカットが撮影できなかった。

夢中で撮影してから、一休み。しばらくボーッとオレンジ色に鈍く輝く月食を眺めていた時、ある映像が脳裏をよぎった。フランスのジョルジュ・メリエス監督のモノクロ・サイレント映画『月世界旅行』である。1902年、20世紀初めに制作された世界初のSF映画とされている。6人の天文学教授が月への探検旅行に行くストーリーだが、乗り込んだ砲弾型ロケットが人面のついた月の右目に着弾するショットはあまりにも有名である。月面を探検する6人の前に月人が現れ、闘争となるが振り切って、砲弾型ロケットにもどり無事地球に帰還するというショート・ストーリーだ。現代の目で観ればなんとも稚拙なSF映画だが、アポロのアの字もない時代、よくもまあこんな想像力を膨らませたものである。

日食と違い月食の発生頻度は低い。一年に2回起こるか起こらない年、3回起こる年もある。次回の観測予想は来年の4月頃になるようだ。その時までに月の撮影の腕を磨いておくことにしよう。画像はトップ、下とも、8日に撮影した月食の画像。

 

 

 


160.千葉ロッテ 里崎智也・引退セレモニー

2014-10-01 20:47:03 | 野球・スポーツ

すっかり秋めいてきた昨今、プロ野球界が大詰めの時期を迎えている。米大リーグではNYヤンキースのデレク・ジータがヤンキース・スタジアムでの最終戦でサヨナラ・ヒットを放ち、ドラマのように出来過ぎたしめくくりに多くのファンを驚嘆させていた。我が日本プロ野球界でもセ・パ両リーグで上位6チームが出揃って来たところだ。

先月、28日。QVCマリンスタジアムでの千葉ロッテ対オリックスのナイターを観に行ってきた。そしてこの日はゲーム終了後、ロッテの正捕手として活躍した里崎智也(38歳)の引退セレモニーが開催される日でもある。

里崎智也と言えば、1998年にドラフト2位でロッテに入団後、怪我や不調に苦しみながらもロッテの捕手として目覚ましい活躍をしたプレーヤーである。2005年バレンタイン監督時代のリーグ優勝から日本シリーズ優勝。2010年西村監督時代のレギュラーシーズン3位からの日本シリーズ出場、優勝と2度の日本一に守備と打撃で貢献。2006年『王サムライ・ジャパン』の年、WBCに選出され正捕手として世界一に貢献し、ベストナイン(捕手部門)、ゴールデン・グラブ賞を受賞。2012年にはロッテ生え抜き捕手として初のプロ入り通算100号の本塁打を達成…などなど、すばらしい経歴に輝くロッテを、いや日本を代表する名捕手なのである。打てばチャンスにはとても強く、ここぞという場面でヒットを放ち『お祭り男』と呼ばれた。守れば強気なリードで投手をグイグイとひっぱり、里崎に育てられたというロッテの投手は数多い。ところが、残念なことに去年から故障した膝の具合が悪く、今年に入ってからも回復しない。いわゆる「キャッチャー座り」ができなくなってしまって長く静養を続けていた。

2014年10月現在、千葉ロッテはリーグ4位と落ち込んでいる。この日の対戦相手は首位ソフトバンクに続き、現在リーグ2位と好調のオリックス・バファローズ。「勝てるかなぁ…」

試合前に電光掲示板にスターティング・メンバーが発表されるといきなり球場のロッテファンがどよめいた。この日、伊東監督の粋なはからいで、一番バッターにDH(指名打者)として里崎の名前が告げられた。ロッテにとって、この日の試合は里崎のための試合である。先発の涌井秀章が好投しオリックス打線を抑えた1回裏、第一打席は豪快に三振。里崎以降の打者も今日は特別な日なので気迫がこもっていた。第二打席も里崎は残念ながら三振。それでも球場に詰めかけた3万人を超えるファンはひさびさに勇姿を見ることができて大喜び、ベンチに下がる里崎に割れんばかりの拍手と声援が起きた。第三打席からはデスパイネ野手にバトンタッチした。涌井の好投が続き、9月に入ってようやく調子を取り戻した打線も踏ん張ったこともあってこの日は4-2と勝利した。

さて、ここからが、今日の本番である。球場の照明が落とされ、ホーム近くに里崎選手が登場するとスポットライトで浮かび出されセレモニーが開始された。ゆっくりと噛みしめながらこれまでの野球人生を振り返りながらの引退スピーチである。ファンへの熱い感謝の気持ちが伝えられるとスタンドのあちこちから嗚咽の声も聴かれる。そして里崎智也は数々の名言を生み出したことでも知られている。2010年の3位から日本シリーズまで勝ち抜いた時の『ミラクル・マリーンズ』や『下剋上』は記憶に新しい。今宵はどんな名言を残してくれるだろうか。スピーチも終盤となった時、「今年の投手陣の不調は守備につけなかった自分の責任でもある」と言った後、「今のロッテの順位は本来のこのチームの実力ではない。もっと、このメンバーで上位に行けるはずだ。来年はロッテが21世紀に入ってからの5年に1度のゴールデン・イヤーに当たる。絶対優勝してください!!」とチーム・メイト全員を喝破した。ここでまた『5年に一度のゴールデン・イヤー』という里崎名言語録が生まれたのだった。

フィナーレは球場を一周してのファン全員へのお礼参り。ライトスタンドのロッテ応援席の前に着くと信じられない量の紙吹雪が舞った。三塁側のオリックス応援席からも熱い里崎コールが送られる。会場は異常な熱気に包まれるが、これで終わりではない。もう少しで日が変わろうとする時間帯、球場外の特設ステージで「ラスト・ライブ」を開くという。最後の最後までファン思いのエンター・テイナーを通した本当の意味でのプロフェッショナルであった。「里崎選手、本当にお疲れ様でした。良い第二の人生を見つけてください。そして僕たちファンに数えきれない夢と希望をありがとう。それにしても惜しいねぇ…」 画像はトップが紙吹雪の中御礼参りする里崎選手。下が左からひさびさのプロテクター姿の里崎、バッター・ボックスに立つ里崎、球場内でも上映された「ラストライブ」の画面。