長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

180.木版画『フェニックス』を摺る。 

2015-02-27 21:49:18 | 版画

今月は水彩画作品と並行して木版画作品を制作していた。テーマは『フェニックス(不死鳥)』である。東西世界に様々な姿や名前で登場する伝説の鳥だ。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」をBGMにかけながら集中して版木を彫っていた。

絵画と版画の作品を車の両輪のように制作し始めて随分時間が経った。よく受ける質問は「どちらが難しいか」あるいは「どちらを制作している時が楽しいか」というものだが、うまく答えようがなく「それぞれ難しさが違うし、それぞれ楽しさも違う」と、いつも曖昧な回答しかできないでいる。ただ近頃思うことは年齢のせいか版画の摺りの仕事がしんどく感じるようになってきた。僕の版画の師匠はやはりどちらも制作していたが、僕よりも少し若い年齢の時、弟子たちの前でこぼしていたことがあった。「…近頃どうも版画の摺りがつらく面倒に感じるようになってねぇ…版画の制作というのは摺りの作業がおっくうになりだすとダメだねぇ」。

誰が何時ごろから言い出したのだろう「創作的な版画作品は自画、自刻、自摺り、が最も価値があるのだ」と。この価値観がその後の版画家の首を絞めるようになったのではないだろうか。確かに木版画にせよ銅版画にせよ「彫り」のプロセスというのは絵画で言うところの「描く」ことに近いことなので作家自らが行うにしても摺りというのは完全に作業であり労働なのだ。版画家という人で摺りが好きな人はまずいない。できれば専門の摺り師にまかせたいところである。元々、19世紀の頃まで日本の浮世絵版画にしても西洋の版画入り挿画本にしても絵師、彫り師、摺り師と完全分業で成立していた世界なのだが…。だいたいこの時代までは「限定部数」などというものもなかった。人気があれば版が摩耗するまで摺り続けていたのである。せめて摺りの作業だけでも解放されれば、どれだけ他の作品を作る時間が自由になることだろうか。

と、いまさら僕が愚痴のようなことを言ってみてもしょうがない。体力が続く限り労働はしなければならない。黒1色の作品だが薄口の和紙に摺りあげた。これからパネル貼りして部分的に手彩色を加えて完成品となる。仕上がった作品は今秋の個展会場でご高覧ください。画像はトップが摺りあがって乾燥させている木版画作品。下が摺り場のカット2点。

 

   

 


179. 北印旛沼・冬鳥観察記

2015-02-24 20:29:48 | 野鳥・自然

2月も20日を過ぎた。そろそろ春の気配が近づいてくる頃だ。この冬も仕事場に籠っていてほとんど野外に出ていない。以前は鳥の絵を描くための「取材」と称してしょっちゅう出かけたものである。

23日の午後、工房の近くの北印旛沼へひさびさに冬鳥の観察に行ってきた。朝のうちは晴れ間ものぞいていたのだが、午後からは今にも雨が降り出しそうな鉛色の空となっていた。「鳥の写真はうまく撮れないなぁ…」しかし贅沢は言えない。次に仕事の切れ間ができるのはいつになるかわからない。望遠鏡など野鳥観察道具を車に積んでベテランバーダーでもある連れ合いといつもの観察ポイントに向かった。

始めの観察ポイントに着くとここに居ついている大きなモモイロペリカンが出迎えてくれた。「カン太くん」というニックネームで呼ばれているのだが、近隣の温泉場の社長がゲージで飼っていたのが放されて居ついてしまったと聞いている。もう20年ほどになる。地元で内陸水面漁業を営む漁師さんたちがザコやテナガエビなどを与えて大切にかわいがってきたのだ。カン太くんに見守られながら望遠鏡をセットして沼の南部を中心に観察を始める。水面にはマガモ、ヨシガモのペアが目につくが数は少ない。カンムリカイツブリが2羽視野に入ってきた。黙って双眼鏡で沼を観察していた連れ合いが「チュウヒっ!!」と叫んだ。冬枯れ色のヨシ原上をタカの仲間のチュウヒがゆったりと舞う。僕の好きな風景である。遠い杭の上では同じくタカの仲間のミサゴが魚を捕えて食事中だ。しばらく観てから次のポイントに移動することにした。車に観察道具を積もうとしているとハヤブサの仲間のチョウゲンボウが頭上をヒラヒラと飛んだ。これで本日、猛禽類を3種確認。

車で沼の西岸のポイントに移動。実はここからが今日のお目当てとなる。事前情報で冬鳥でカモの仲間のトモエガモが3000羽以上入っているとのこと。トモエガモは主に日本海側の水辺に渡来するが太平洋側では少ない。それが北印旛沼ではここ数年多数が飛来しているのだ。原因としてここ数年間の冬期の日本海側の気象状況の厳しさがあげられている。越冬地となる水辺環境が大雪などによって荒れているのだろう。7-8年前の冬、やはり日本海側の気象が荒れた時、50羽ほどの群れが入って驚いていたが、千羽単位が渡来しているのだ。「これは地元バーダーとしてぜひ一度観ておきたい」ということになった。西岸ポイントに到着、望遠鏡を担いで土手に上がると正面の水面遠くにカモ類の大きな群れが目に入った。望遠鏡の倍率をあげて確認するとすべてトモエガモである。ほぼ沼の中央で北へとゆっくり移動し始めていた。

ポケットからカウンターを取り出して覗きながらカチカチとカウントを始める。「1000羽はいないなぁ…」カウントをし終えて打たれた数を確認すると♂♀合わせて538羽だった。15日で猟期も終わったし、そろそろ春の気配。ここから移動して分散し始めたのだろう。目当ての鳥が見られてほっとしたこともあり、ここでティータイム。土手に座って、ポットの熱いコーヒーを飲んでいるとヨシ原からこの沼の名物でサギの仲間のサンカノゴイが「ウッ、ウッ、ボォーッ」と繁殖期に出す低い声で鳴いた。鳥の世界ではもう春が始まっている。2時間弱の間に33種の野鳥を観察することができた。空が一際高く広く見える湖沼空間でしばらくのんびりしてから帰路に着いた。画像はトップがこの日の北印旛沼の風景。下が左から同じく沼風景、モモイロペリカンの「カン太くん」、沼中央で観察したトモエガモの群れ。

 

      


178. 『ワイルドライフアート展2015 日本の生きもの~その多様性Ⅲ』

2015-02-20 20:56:53 | 個展・グループ展

今月15日。版画作品を出品している東京の新宿御苑インフォメーションセンター・アートギャラリーで開催中の『ワイルドライフアート展2015 日本の生きもの~その多様性Ⅲ』に会場当番として行ってきた。

この展覧会日本全国に会員を持つ「日本ワイルドライフアート協会」が主催している。毎年テーマを決めて開催しているが、このテーマでの展示も3年目となった。今回は東京近郊を始め、名古屋、関西、九州方面などから44名74点の野生動物、野鳥、昆虫などをモチーフとした平面、立体作品が展示された。この出品者数は過去最大値となった。日本列島は南北に長く環境も変化に富んでいるため作品に登場する「生きもの」も多種多様となった。

午前中、ギャラリーに着くと最終日ということもあって来場者が多い。僕は新作木口木版画を3点出品したのだが、版画作品が少数派であるということもあり、技法などについて質問をしてくる人が多くいた。そうした熱心な鑑賞者には個展の時、案内状を出す約束をかわすのが常である。しばらくすると出品者の一人のO女史が大きな双眼鏡を首からかけて登場した。朝から御苑の中をバード・ウオッチングを兼ねてひとまわりして来たらしい。開口一番「日本庭園の池にトモエガモの♂が入っていました…それから上空にはタカの仲間のオオタカとノスリも見られました」とのこと。今年は展覧会中日に協会主催の「探鳥会」も行われた。これもこうした生きもの大好きな仲間の会らしいことである。今回僕は仕事の都合で最終日しか参加できなかったのでとても残念である。

昼を挟んで午後からはさらに来場者が多く、出品者は作品の説明に忙しくなる。そうこうしているうちにあっという間に3時の終了時間。手際よく作品の搬出作業と会場の片づけを終了し、外のテラスでお茶会後お開きとなった。1週間の会期中の来場者は2500人強との担当者からの話だった。毎年盛況である。これも国設のパブリック・スペースという強みなのだろう。画像はトップが会場内の展示のようす。下が左からインフォメーションセンター外観、会場内のようす(別カット2枚)、御苑内に咲いていた紅梅。 

 

      

※展覧会は終了しています。

 


177. 『博物画の鬼才 小林重三の世界』展

2015-02-12 20:33:02 | ワイルドライフアート

先月、11日。東京は町田市立博物館で開催中の『博物画の鬼才 小林重三の世界』展を観に行った。名前は重三と書いて「しげかず」と読む。初めてこの名前を見てこう読める人はなかなかいない。

小林重三(1887-1975年)と言えば昭和の戦前・戦後にかけて、図鑑や研究書、教科書から一般書籍、児童書まで多くの印刷物の原画として哺乳類や鳥類の絵を描いた画家として野鳥関係者、自然関係者にその名を知られている。日本におけるこの分野の絵のパイオニアの一人である。特に鳥類画は我が国の鳥類学の発展時期に重なり多くの絵が制作されている。

この日、展覧会関係者からのお誘いをいただき、会場に着くと博物館学芸員のI氏、小林作品のコレクターであるS氏、小林重三の生涯を研究されいる児童文学者のK氏、重三のお孫さん、町田市長、そして展覧会の後援をしている日本野鳥の会の職員のみなさんが集まり、内覧会のような雰囲気になっていた。会場でまず目に入ったのは整然と展示された夥しい数の鳥類画の原画だった。それはそれまでの日本にはない作風でイギリスの博物画家、アーチボルド・ソーバーンの画風に影響を受け、また参考にして描かれたという。ここに展示されているものは、そのほんの一部らしいが、たいへんな仕事量である。出版を前提として描かれたこれらの挿画は今日風に言えば自然史イラストレーションと言うのかもしれないが、たいへんな仕事量である。これだけの仕事ができたのは依頼者としての、この時代の多くの鳥類学者との出会いがあった。

博物画というものは科学的な正確さを求めたり細密になるがあまり、ややもすれば冷たく硬い表情になりがちなのだが、この画家の博物画には「絵画性」がある。それもそのはずだ。もともと水彩風景画家を目指して上京した人だったのだ。そして博物画は生活のために描き続けたわけだが、晩年、銀座の画廊で絵画の個展を開いている。その絵は当時の現代美術ともいえる表現主義的な風景画や人物画であったという。野鳥や哺乳類は登場しない。確かに同じ画家の立場で言わせてもらうと博物画家の自分というものに満足しきっていたとしたら、この画風の絵を晩年に多く描き、わざわざ画廊で発表する必要はなかったのではないだろうか。自分の内面の表現に忠実になればなるほど絵というものは理解されにくく、売れにくくもなる…。小林重三の画業を語る時、どうしても博物画に焦点が集中しがちであるが、僕は現在、個人的に初期の風景水彩画と晩年の表現主義的油彩画に強く興味を持っている。そしてこれらの時期の作品にこそ画家の内面の真実が隠されているような気がするのだ。この部分が研究されて初めて画家の全貌が浮かび上がってくるのではないだろうか。今後の新たな研究に期待をしつつ会場を出た。展覧会は3/1まで開催中。博物画に興味のある方は、ぜひこの機会に観に行ってください。

画像はトップが展覧会図録の表紙(部分)。下が向って左から小林が参考にしていたソーバーンの博物画と晩年の個展に出品された漁村を題材にした油彩画。