長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

402.新型コロナウィルス拡散のさなかの東京へ。

2020-03-10 18:23:59 | 日記・日常
昨日、久々に東京へ出た。このところの新型コロナウィルスの拡散状況で世の中は「自粛ムード」。前回ブログにも投稿したが、僕自身もこのことににリンクしてなるべく工房からの外出を控え、引きこもりで作品制作の毎日が続いている。社会との関わりを持つ指導にに行っている専門学校の卒業式などは規模を小さくし外部講師などは出席できない連絡が入り、社会人相手のカルチャーセンターも「様子見」の休校が延長されるという連絡が入った。

今や日本中、いや世界中が鬱屈とした精神状態に苛まれているのではないだろうか。しかし、僕のような家仕事の人間でも籠もってばかりは居られない。都内で開催されている知人の二つの展覧会を観に行くのと、次女の専門学校の卒業式に出席するために久々に東京へ出かけたのである。娘の卒業式が午後3時からということで時間的に少し余裕があった。都心までは電車利用で工房から2時間程かかるのだが、混雑する時間帯を避けるため(ウィルス対策)ゆっくり目に出発した。

正午前に銀座に到着。1月中旬頃とは打って変わって、中央の銀座通りでは仕事の車はそこそこ走っているのだが歩道や商店は閑散としている。ウィルス以前は賑わっていた中国からの観光客もほとんど見られないし日本人も少ない。まるで海外からの観光客が増える以前の昔の銀座にタイムスリップしてしまったような不思議な感覚になった。そんな中、8丁目の永井画廊で開催中の「高木公史 展 - 芸術家ポートレートシリーズ - 」を観てきた。高木君は美大受験の予備校時代からの友人である。東京芸大の大学院を終了後、渡独しデュッセルドルフ芸術アカデミーに留学。卒業後もドイツを拠点に絵画作品の制作を続け、ヨーロッパ各地で発表活動を行ってきた画家である。3年前に久々に日本の東京で個展を開催し昨年、静岡の池田20世紀美術館で回顧展も開催している。静岡の回顧展に伺えなかったので今回の個展には是非伺おうと思っていた。会場には写真かと見紛うようなリアルに表現された人物の油彩画と鉛筆画が整然と展示されていた。高木君らしい清潔で緻密な仕事である。特に等身大以上の鉛筆画によるさまざまな画家たちの肖像画は迫力があった。画廊の方に伺うと生憎、本人は今回体調を崩し帰国することができなかったとのこと。またしてもリアルでの再会ができずに残念だった。

有楽町のガード下にある創業60年以上という行きつけのラーメン店で昼食をとる。ここも普段の昼休みならお店の外まで列ができているのだが空いていてスンナリと座れた。お店の中のテレビが民法のニュース番組でウィルス関係の討論会を流していた。

山手線で原宿へ移動。電車の中の乗客の8割以上がマスクをしていて、たまに咳込む人がいると全員が振り向いていた。原宿に到着。こちらも駅周辺は普段よりも空いていた。しばらく歩いて竹下通りを横目で見るとここには若者がいつもどおりたくさん訪れている。ウィルス対策で学校も休校になっていることと関係があるのだろうか。お次の目的である「積雲画廊」に到着。こちらでは漫画家の岩本久則さんによる「オーラス・きゅうそく展」が開催中。岩本さんは日本野鳥の会の会員で野鳥の世界の大先輩でもある。この画廊で毎年個展を開催してきたが画廊自体が今年の秋に事情で閉廊することとなり、今回が最後の個展ということとなった。展示作品はいつものように野生生物を愛する岩本さんらしい愛情とユーモアがあふれたアクリル絵画とイラスト作品等でとても暖かい雰囲気に包まれていた。この状況下で来場者が少ないのではないかと心配されたようだが、さすがに野鳥の会のベテランで人気者であり毎日多くの方々が来場中のようである。この日も自然関係の人が数多くみえていて興味深いお話を伺うことができた。最終個展というのが寂しい限りである。岩本さん、また会場を変えても是非、新作個展を開催してください。

積雲画廊で連れ合いと合流。ここから電車で市ヶ谷に向かう。この状況下、電車に乗る度に周囲を見回し、つい緊張してしまうのである。市ヶ谷駅に近づいたころ車窓から外を観ると土手では花大根が咲き乱れスジグロシロチョウが2頭、ヒラヒラと飛んでいた。車窓から反対側の「飯田濠」の水面に目を移すと数十羽のカモ科・ハシビロガモがそれぞれペアになりクルクルとディスプレイを繰り返していた。今日の東京行のトリは「歯学会館」という立派なビル。午後三時から次女が3年間通った歯科衛生士養成専門学校の卒業式が行われるのだ。三姉妹の中でこれまで紆余曲折のあった次女。最終的には手に技術を持つ人生を選んだ。その晴れ舞台である。我が家の家訓の1つに「家族の大切な節目の行事には可能な限り出席すること」というのがある。今回もそれである。新型ウィルス問題で多くの学校関係で卒業式が中止となっているところもある。この卒業式も時間を大幅に短縮しての開催である。まぁ、その中で開催できたのだから良しとしなければバチが当たる。晴れやかで美しい様々な色彩の袴姿に身を包んだ同級生たちと一緒に無事この日を迎えることができた。次女の嬉しそうな笑顔を遠目で観ながら感慨深い気持ちになるのだった。式が終わり会場を出て土手をゆっくりと歩いているとソメイヨシノの蕾が大きく膨らんできていた。長かった冬も終わり、もうすぐ春がやって来る。

久々の東京行、帰宅するとドッと疲れが出た。すぐに手洗い、顔洗いをしてから、お茶を一口飲むと突然睡魔が襲ってきた。リビングのテーブルでコクリコクリとやっているうちに、そのまま眠りについてしまった。自分では気づいていなかったが体が自然と緊張状態にあったのかも知れない。

画像はトップが昨日の銀座通りのようす。下が向かって左から永井画廊企画による「高木公司 展」DM、昨日のJR.原宿駅、原宿・積雲画廊の「オーラス・きゅうそく展」DM、市ヶ谷「歯学会会館」の外観と次女の卒業式風景。

               

401. 新型コロナ・ウィルスの拡大による影響

2020-03-01 18:01:23 | 日記・日常
1月から感染拡大が始まった「新型コロナ・ウィルス」も中国や日本、韓国等、東アジア圏から広まって今や5大陸等、世界中に感染者が拡散している。ニュースが報道された初めのころはまさかこんなに拡大していくとはだれもが思わなかったのではないだろうか。国内でもこの3週間ぐらいは驚くべきスピードである。

僕もご多分に漏れず初めのうちは他人事のようにテレビやネットのニュースを観ていた。まぁ、「あまり必要以上に都会へ出かけないほうが良いだろう」ぐらいに捕らえていたのだが、一向に収まらないどころかどんどん拡散していっている。報道で取り上げる頻度も日増しに増加され、中国や日本も含めて感染者の増えている地域では人々が鬱屈とした日々を送っているのではないだろうか。

この2週間ぐらいで我が国でもいろいろな対策関係の動きがみられ、その影響が出てきている。スポーツの大会、音楽のライヴ、レジャー施設などの大きなイベントで人々が多く集まるものの中止や延期、公共施設などの緊急の休止、海外からの観光客の大幅な減少による経済の衰退等々、毎日が目まぐるしく動いている。特に今週、政府による小・中・高等学校への休校協力依頼が出てからはその影響によるさまざまな問題が広まっている。そしてマスコミも「国難」「世界的危機」などという文字を使うのでさらに不安感は拡大していっている。

アート関係では都会の大きな美術館、博物館の企画展会場は来場者が激減しガラガラなのだという。知人たちが個展を開催していた関係で2週間前に銀座を中心に画廊回りをしたのだが、昨年末まで、あれだけ中国からの観光客や国内の人々で賑わっていた大通りも人は少なくガラガラだった。回った画廊の個展会場もガラガラで主催アーティストが会場でポツンと暇そうにしている有様だった。

僕個人と家族で言えば、子供たちの卒業式や学期末行事の時期に重なり、これらが中止と決定したり、講師として教えに行っている2つの美術専門学校でも卒業制作展や卒業式でのイベントが中止となったり、予定していた画廊での企画展が中止、秋まで延期となったり、そしてつい先日は講師として教えている県内のカルチャーセンターの2教室が3/8まで様子見の休校と決定し、その後もいつに再開されるのかは未定の状態となっている。
もはや他人事ではない「絵描きなのだから、なるべく外出をせず家に引きこもって作品制作をしていればいいか」などということだけでは済まされない状況になってきている。そして何よりも精神的には不安定であり鬱々とする日々が長く続きそうでもある。まぁ、日本全国、いや世界区でこうした精神状況が生まれているのだからここはみんなで辛抱である。個人的にもなんとか克服し乗り越える手段を見出さねばと思っている。

一日も早くこの新型コロナ・ウィルスの蔓延が終息していくことを祈って已まない。