
先月から陰刻法木版画(いんこくほうもくはんが)の制作を進めている。技法の名前だけ見ると、なんだか小難しく複雑に感じるかもしれないが、制作してみるとシンプルかつ合理的な木版画である。
この技法との出会いは、まだ20代の美術学校の学生だった頃、たまたま東京神保町の美術書専門の古書店でみつけた古い木版画の技法書であった。その本の作者は小野忠重(1909-1990)という戦前から戦後にかけて活躍した木版画家である。その初期から社会派的作風で知られ、最近では2009年にまとまった回顧展が東京の美術館で開催されている。
陰刻法木版画はまたの名を一版多色摺り木版画とも言われる。以下、簡略にその制作プロセスを説明する。まず版木に直接筆やペンなどでデッサンする~その線を全て彫って版を完成させる。次に紙の準備。ドーサを引いていない生漉和紙を墨や絵の具で暗色に染める~その上にドーサを引く~乾燥後、線刻によって区切られた形に一色ごとにガッシュやポスターカラーなど不透明な絵の具を塗りバレンで摺っていく。これで出来上がり。実にシンプルなのだ。
何と言っても一番の魅力は通常、版を色分解する多色摺り木版画だと使用する色の数に近い版数が必要なところを一版で摺れるというところだ。普通に十数色は摺れる。但し、一色一色、版に筆や刷毛で絵の具を塗って摺り進めていくので色の数だけ紙の上げ下げ運動を強いられる。けっこうな労働である。二番目の魅力は暗色に地色を染めた和紙に不透明な絵の具で摺るので鮮やかで強い発色で仕上げることができる点である。例えて言うならステンドグラスのように輝く色調である。現在僕も鮮やかな色がほしい野鳥をテーマとした作品などに使用している。今までもいろいろとやってみたが他の版画技法ではなかなかここまで鮮やかな色は出せなかった。この辺はいくつもの技法を操る版画家の強みである(自称テクスチャー・コントローラーと名乗っている)。
小野忠重さん以前にもアンドレ・ドランやベン・シャーンが陰刻法を用いて版画作品を制作しているようだ。ドランの作品は美術雑誌で見たことがあるが、ベン・シャーンのものは残念ながらまだ見たことがない。
しばらくはこの技法により色彩の鮮やかな野鳥や野草、蝶をテーマにした制作を続けていくつもりである。完成作品は個展などで観ていただきたい。画像はトップが摺りの作業途中の版木と版画。下が向って左から以前に陰刻法で制作した大判木版画「アルキュオネ」、摺りあがった野鳥をテーマとした作品の数々、制作中の絵の具(2カット)、バレン。