大震災の翌日、余震が時々発生する中、不安な1日を過ごしていた。東京電力福島第一原子力発電所の爆発と放射能漏れが、深刻さを増しつつあった。全国で停電が発生し、国中が大混乱のただ中にあった。
テレビからは通常放送が無くなり、震災一色になった。
震災から7年後、当時を振り返って書いた記事があります。
原文のまま、再掲載しました。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
日本大震災(2011-3-11)直後の混乱した状況の中で、停電が各地で発生した。幸い米沢市内は停電しなかったが、山形市や長井市、南陽市でも停電が発生した。ガソリン不足、物流の混乱による食料品や生活用品の不足。
今振り返っても、かつてない異常事態だった。頻発する大きな余震、一日中テレビから流れる大津波の爪痕、東京電力福島第一原子力発電所一刻を争う緊急事態。
東日本大震災 特別紙面 (震災翌日の12日発行) ↓ 詳細は下のURLをクリックしてみて下さい。
http://yamagata-np.jp/sokuho/data/pdf/2011031201.pdf
東日本大震災 電子速報版 ↓ 詳細は下のURLをクリックしてみて下さい。
http://yamagata-np.jp/sokuho/data/pdf/2011031202.pdf
ブログ読者の皆様には、気まぐれな数々の記事に関心を寄せていただき、大変ありがとうございます。
次回のブログでは、10年前の3月の記事「頻発する余震やガソリン不足など」を掲載する予定です。どうぞお楽しみに!