まず「神泉苑」について。
祇園祭は疫病退散を願い、貞観11年(869)「神泉苑」に66本の矛をに立て
神輿三基を送り出し牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、祇園御霊会(ごりょうえ)を行ったのがその発祥。
当時はまだ山鉾巡行などはなく、簡素な巡行が安和3年(970)より室町周辺で始まり
毎年執り行われるようになり、現在に至っています。
つまり「神泉苑」(御池通堀川を西へ)こそが祇園祭の発祥地なのです。
今日24日は、三基のお神輿に乗ってお出ましになっていたご祭神がお還りになる「還幸祭」。
四条お旅所に安置されていた三基のお神輿は、それぞれ別ルートを経由して
往時「神泉苑」の斎場があった場所「八坂御供社(ごくうしゃ)」(三条通黒門西)に集結
御供社奉饌祭が執り行われます。
その後は、東へ進み三条河原町からはまたそれぞれ別のルートを辿り、八坂神社へお還りになります。
昨年、祇園で出会った三若担当の「中御座」に、今年は「神泉苑」で出会いました。
祇園祭発祥の地ゆえに「中御座」は御供社での奉饌祭の前に「神泉苑」に立ち寄られます。
神泉苑鳥居前に安置された「中御座」のお神輿に向かい、お社に背を向ける形をとり
道路側のお神輿にお供えをした上で、八坂神社宮司の祝詞が奏じられ
東寺の僧侶による読経のお迎えが行われました。
?「神仏混合」??と思ったのですが・・・
「神泉苑」は現在「東寺」の所轄であるため、神仏両方の行事となっているそうです。
この後、三基のお神輿は八坂神社にお還りになり
深夜に神輿おかえりの「御霊うつし」が行われました。
祇園祭は疫病退散を願い、貞観11年(869)「神泉苑」に66本の矛をに立て
神輿三基を送り出し牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、祇園御霊会(ごりょうえ)を行ったのがその発祥。
当時はまだ山鉾巡行などはなく、簡素な巡行が安和3年(970)より室町周辺で始まり
毎年執り行われるようになり、現在に至っています。
つまり「神泉苑」(御池通堀川を西へ)こそが祇園祭の発祥地なのです。
今日24日は、三基のお神輿に乗ってお出ましになっていたご祭神がお還りになる「還幸祭」。
四条お旅所に安置されていた三基のお神輿は、それぞれ別ルートを経由して
往時「神泉苑」の斎場があった場所「八坂御供社(ごくうしゃ)」(三条通黒門西)に集結
御供社奉饌祭が執り行われます。
その後は、東へ進み三条河原町からはまたそれぞれ別のルートを辿り、八坂神社へお還りになります。
昨年、祇園で出会った三若担当の「中御座」に、今年は「神泉苑」で出会いました。
祇園祭発祥の地ゆえに「中御座」は御供社での奉饌祭の前に「神泉苑」に立ち寄られます。
神泉苑鳥居前に安置された「中御座」のお神輿に向かい、お社に背を向ける形をとり
道路側のお神輿にお供えをした上で、八坂神社宮司の祝詞が奏じられ
東寺の僧侶による読経のお迎えが行われました。
?「神仏混合」??と思ったのですが・・・
「神泉苑」は現在「東寺」の所轄であるため、神仏両方の行事となっているそうです。
この後、三基のお神輿は八坂神社にお還りになり
深夜に神輿おかえりの「御霊うつし」が行われました。
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