路地町家

再生保存した小さな町家のお話です。
それに京都のこと。感動したこと。時には猫も登場したり。。。

疫神社 「夏越の祓い」

2011-07-31 | あれこれ
祇園祭の最終行事「夏越祭」が八坂神社境内の「疫神社」で行われました。




この夏も無事に過ごせますように!

準備されていた茅をもらって、境内では各自「茅の輪」を作ります。


今年もまた作りました。
ちまきと一緒に門口に吊るし、「蘇民将来の子孫」であると名乗ります。

長かった「祇園祭」もようやく終わり、京都は本格的な夏を迎えます。








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たねやの「本わらび餅」

2011-07-30 | 美味しいもの
醒井の帰り道
琵琶湖周遊しようかと思いましたが
湖西に回り込むと、海水浴客の大渋滞に巻き込まれるのは必至。
そこで元来たルートを辿り、彦根に立ち寄りました。

たねや彦根

ほっと落ち着く空間です。


大きな竹の器に、涼しげな「本わらび」が・・・


きな粉をまぶしていただきます。
ひときわ香ばしい「きな粉」で、大変美味しくいただきました。







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醒井のバイカモ。。。梅花藻

2011-07-30 | 遠くへ行きたい
バイカモの開花が始まったと聞き、出かけました。

バイカモの群生地 醒井は
滋賀県米原市にある中山道6番目の宿場「醒井宿」で賑わった地。
また、醒井養鱒場があることでも知られています。

街道沿いに流れる「地蔵川」は「居醒(いさめ)の清水」を水源とする湧水の川。




その流れは、この上なく澄み・・・


冷たく透明な水! 誰もが手を差し入れたくなる川のせせらぎ。


その流れの中に咲いていました! 


白い小さな、梅花の如き花が。

【バイカモ】
水温15度前後を保つ澄んだ湧水を好み、川底に群生し、流れに沿って這うように育つ
鮮やかな緑色をした多年生水草である。手のひら状の葉が特徴で長さ約50cmの藻である。
初夏から晩夏に掛けて水面上に梅花様の白い花が咲く。

雨上がりの醒井峡谷

醒井峡谷を流れる宗谷川の清水から立ち昇る「もや」


神秘的な雰囲気が漂っていました。







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祇園祭・還幸祭 中御座、神泉苑にて

2011-07-24 | 古き佳き物
まず「神泉苑」について。
祇園祭は疫病退散を願い、貞観11年(869)「神泉苑」に66本の矛をに立て
神輿三基を送り出し牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、祇園御霊会(ごりょうえ)を行ったのがその発祥。
当時はまだ山鉾巡行などはなく、簡素な巡行が安和3年(970)より室町周辺で始まり
毎年執り行われるようになり、現在に至っています。
つまり「神泉苑」(御池通堀川を西へ)こそが祇園祭の発祥地なのです。

今日24日は、三基のお神輿に乗ってお出ましになっていたご祭神がお還りになる「還幸祭」。
四条お旅所に安置されていた三基のお神輿は、それぞれ別ルートを経由して
往時「神泉苑」の斎場があった場所「八坂御供社(ごくうしゃ)」(三条通黒門西)に集結
御供社奉饌祭が執り行われます。
その後は、東へ進み三条河原町からはまたそれぞれ別のルートを辿り、八坂神社へお還りになります。


昨年、祇園で出会った三若担当の「中御座」に、今年は「神泉苑」で出会いました。
祇園祭発祥の地ゆえに「中御座」は御供社での奉饌祭の前に「神泉苑」に立ち寄られます。


神泉苑鳥居前に安置された「中御座」のお神輿に向かい、お社に背を向ける形をとり
道路側のお神輿にお供えをした上で、八坂神社宮司の祝詞が奏じられ
東寺の僧侶による読経のお迎えが行われました。

?「神仏混合」??と思ったのですが・・・

「神泉苑」は現在「東寺」の所轄であるため、神仏両方の行事となっているそうです。

この後、三基のお神輿は八坂神社にお還りになり
深夜に神輿おかえりの「御霊うつし」が行われました。




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二条城の台風被害

2011-07-23 | あれこれ
台風6号による被害が出たとして報じられていた、二条城。
先日、前を通りかかると東南隅櫓(すみやぐら)の破風あたりの漆喰壁が剥がれ
下地の土壁が見えていました。
古くなって浮いていたところに、強風が吹き込んだのでしょうか?




世界遺産の京都にあって国の重要文化財の隅櫓
堀川通りに面した目立つ一角です。

この日、市と文化庁の方が5、6人、垣根の内側のお堀周辺で
屋根を見上げながら調査検討されていました。

ほおって置くとどんどん広がりそう~
修復を、急いでいただきたいものですね。



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祇園祭、新町通りの巡行スナップ

2011-07-20 | あれこれ
新町通りは戻り鉾、お囃子も「戻り囃子」です。

もうみんなクタクタ。「もう少しや。頑張れ!」の声援が飛び交います。














暑い中お疲れ様でした。



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祇園祭、巡行の朝

2011-07-20 | あれこれ
快晴の巡行当日。
路地町家から朝食を摂るため橋弁慶町にある「マエダコーヒー」に向かいました。

ところが蛸薬師通りの真ん中に建てられていた「橋弁慶山」が見当たりません。
「もう出発しはったんやろか?」と思っていたら

なんと!

ご神体の弁慶や牛若丸が祀られていた町家(ちょういえ・お町内の持家)の側まで、山自体を移動させ
人形を山に飾りつけ、出発の準備をされているところでした。
山は移動が簡単なんですね。


弁慶と牛若丸が、橋の欄干に据えられました。


ここのモーニングは、美味しくて人気があります。

朝食を終えて帰る途中。。。


北観音山の曳き手さんが記念撮影。 後からちょっと失礼!


表通りに面した大きな町家では、二階の窓格子を外し
昔からの慣わしで綴織やフエルトの絨毯を窓に掛け、お客様の観覧席を設えます。


警備に当たる警察官も最後の打ち合わせ。準備万端!


「南観音山」まで戻ってくると、裃を着けたお供の方や曳き手さんが最後の申し合わせ
「暑いので時々休みを取ってください。ただし一斉にごそっと抜けることはない様に!」とか。
本当にこの強い日差し、くれぐれも熱中症にはご注意くださいね!


こんな澄んだ空気の青空のもと、巡行は始まりました。




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祇園祭、宵山のこと 【写真追加しました】

2011-07-20 | あれこれ
祇園祭巡行から、はや3日。
怒濤のごとき賑わいを見せた巡行までの一連の行事は、山鉾の解体と共に過ぎていきました。
後に残ったのは、疲労困憊し鉄と化した体とゴミと洗濯物の山。
腰を下ろすと眠りこけてしまう体を引きずりながら、片付けに精を出します。

本物の台風(6号)一過の今日、糊をした浴衣も良く乾き
あらかた跡片付けのメドもつきました。

撮り溜めた写真をアップします。


まずは宵山のこと。


前出の放下鉾「天井幕」の実物を拝見。

思ったより小さなものでしたが、綴織の特徴を余すところなく活かした素晴らしい出来栄えでした。
面と面を織分けた稚拙な図柄ではなく、括りの細い線が勢いのある筆致で描かれ
しかもそれが見事に再現され(これだけの生きた細い線を織り出すのは大変な技術)
その上最大限の厚みと重みのある織物に仕上げられ、高級感溢れる品格ある綴織天井幕でした。








宵山遅くに鉾の天井に取り付けられ、本来の姿を現しました。







明日「ハレの巡行」を迎えます!






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12日の祇園祭

2011-07-13 | 古き佳き物
暑い日が続きます。
今年は梅雨明けしているので、ジメジメ感が少なく
爽やかなお祭りになりそうです。


南観音山は、今日(12日)が山鉾の組建て。毎年ながら、見事な縄目です!


菊水鉾は、今日曳き初めを終え周りを囲っています。
今年からLEDの駒形提灯だそうです。(節電ですね)


いい雰囲気ですね!お祭り気分が盛り上がります。


函谷鉾の雄姿が四条通りに現れました。


こちらは長刀鉾。
花鳥写生画の名人といわれた松村景文が描いた
天井軒裏絵(後側)『金地彩色孔雀図』が見えますか?


アップにすると・・・逆光ですね。





Comments (2)
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梅雨明け!

2011-07-08 | あれこれ
京都では、祇園祭が始まっています。

1日 吉符入り
2日 くじ取り式
5日 長刀鉾稚児舞披露
10日 お迎え提灯・神輿洗
12日 南観音山 松建て・山建て
13日 南観音山 曳き初め

南観音山などは12日から山鉾建てが始まりますが
四条通りに位置する山鉾は、11日から山鉾建てが始まります。

        *    *    *

やっぱり梅雨明けしているのでは?
と毎日思っていたら、今日が本当に梅雨明けとか。

梅雨明け初日の夕空は、きれいな色に染まっていました。














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放下鉾天井幕 ・ 下絵に関する逸話

2011-07-01 | 古き佳き物
6月27日の記事の続きになりますが・・・
天井幕に使用された是真の下絵が気になって、調べてみました。

すると膨大な逸話が浮かび上がり
ドキュメンタリーが製作できるほどの、第一級芸術作品の誕生秘話と
やがて明治宮殿焼失と共に姿を消した、綴織「花の丸」の下絵が
現存するまでの経緯を知ることとなりました。


  明治宮殿 「千種之間 」     写真:ウィキペディアより

昭和20年に焼失した明治宮殿に「千種之間」と呼ばれた140畳ほどの広間がありました。
その格天井には綴錦で精緻に織り上げられた直径1mを超える花の丸112枚が嵌込まれ
荘厳を極めた宮殿の数ある広間の中でも、もっとも善美をつくしたともいわれていました。
そこに描かれた草花の全てが異なる種類であったことが「千種之間」という名の由来とされ
ています。      『柴田是真 下絵・写生集』 東京藝術大学美術館所蔵(東方出版)

明治20年12月10日の東京日日新聞によると
「織方は、京都高等女学校 綴織科へ命ぜられ、生徒8名にて本年5月頃より織立に着手し
昨今落成を告ることとなりしかば、この8名の生徒は5月以来1日の休みもなく早出居残り
にて勉励し、出来栄えも殊に美事なれば、北垣知事より特別の賞与あるべき由なり。」
とある。
「京都高等女学校」とは明治40年に開校した学校名(その前身とされる学校さえ開校は
明治34年)とその名称は怪しい。        『柴田是真 花の丸集成』 (京都書院)

と記されていますが、独断ながら、女紅場ではなかったかと推測します。
女紅場には2種類あり、一つは庶民の子女のため、もう一つは華族や士族の子女が対象。
後者の女紅場は、明治5年(1872)年、京都、九条家河原町別邸内に設けられました。
英学と女工(手芸・手工)の二科を置き、英国人イーバンス夫妻を教師に招き「新英学校女紅場」
と呼ばれ、明治7年に「英女学校女紅場」となっています。年代的に合致のこの名称の
「女学校女紅場の生徒」が織り上げたのではないかと推測しますが、実際のところは
分からないようです。
因みにこの女学校は、後に京都府立京都第一高等女学校(現府立鴨沂高校の前身)となりました。

一方、焼失と共に幻と化していた「花の丸」でしたが
当時、柴田是真が控えとして描き置いていた下絵が存在していました。
震災や戦災を潜りぬけ虫食いなどに和紙で補強を加え、大切に保管されていたご遺族によって
その下絵と写生帖95冊、是真の芸術を凝縮させたような貴重な美術資料が、昭和50年に
「東京藝術大学」に寄贈されたのです。
藝大に委ねられた事により、是真の鋭い観察眼をもって、流麗かつ確実な線で精緻に描かれた
下絵は、再び人々の前に姿を現わすことになりました。

そして現在もなお、他の追随を許さぬほどの美的精度の高さが
放下鉾天井幕製作担当デザイナーの感性に届き、見事な綴錦となって蘇って来たのです。

           *      *      *

            
この懸装品一つに焦点を当ててみても、これだけの物語がある祇園祭の工芸品。
今年のお祭りには、数ある美術品の中から珠玉の逸品を見つけるのも、愉しいかも知れませんね。


参考資料 : 『柴田是真 下絵・写生集』東京藝術大学美術館所蔵(東方出版)
        『柴田是真 花の丸集成』(京都書院)






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