路地町家

再生保存した小さな町家のお話です。
それに京都のこと。感動したこと。時には猫も登場したり。。。

祇園祭の「ちまき」

2010-06-28 | 今日の路地町家
6月26日(土)の夜
鉾の建つ我町内では、町会所に老若男女が集まり
祗園祭の「粽(チマキ)」の飾りを付ける「粽つくり」が行われました。
これは毎年の恒例行事。その数は数千本にも及びます。

「粽(チマキ)」に「のし紙」と「蘇民将来子孫者也」の赤い短冊を付けます。


私は、今回用事が重なってしまって、この「粽つくり」を欠席してしまいました。
ウェスティン都ホテルで何十年振りかの旧友達と会う日だったのです。
本当は両方に出たいくらいでしたが・・・

また来年は頑張りま~す。



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今月の天神さん

2010-06-25 | あれこれ
25日といえば、また北野天満宮のご縁日。
今月は「茅の輪くぐり」でしたが
上手く写真が取れなかったので、他でご覧下さい。
幸い雨降らずの曇り空で、縁日見物には好都合。


いつもは駐車場のスペースに、ずらっと露店が並んで。。


昭和初期のしっくりした色相い、雰囲気のある意匠が見られます。


意匠(デザイン)の変遷も、ここに出る染織品を見ていると解りますよ。
楽しむ秘訣は、お店の人に何でも聞いてみることです。


こんな出店もありました。本物そっくり!の竹細工。


でも昆虫は苦手です~



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夕空、燃ゆる!

2010-06-24 | あれこれ
梅雨だというのに、京都は一日中快晴でした!
連日の雨が埃をすっかり洗い流し、透明な風が渡り、
太陽の光は、更に輝きを増していたようです。

そんな太陽が沈もうとする瞬間、空が素晴しい色に染まりました。





刻々と変化する大空のショーは、
やがて夜の帳につつまれ。。。消えて行きました。

心地良い興奮は残像となって、今も体の中を巡ります。




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梅雨の合い間の 「平城宮跡・大極殿」

2010-06-21 | 遠くへ行きたい
一昨日の土曜のこと。
梅雨だから家でゆっくり。。。と遅い朝食を摂って、洗濯機を回していると
雲の切れ目から薄日が差して来るではありませんか!
となると宿星・射手座の血が騒ぎ出します。
「きっとすいている筈!」
やりかけの家事を済ませ、京都を出発したのが正午過ぎ。
一路、先頃復元なった奈良の「大極殿」を目指しました。

曇天の下、どっしりとそびえる「大極殿」は、平城宮最大の宮殿
間口44m 奥行き20m 高さ27m   瓦 約97000枚


      直径70cmの朱柱は44本


内部には高御座(たかみくら)が据えられている
この宮殿は、天皇の即位式や国家的儀式のために使用されていたという


  「高御座」内部中央には黒塗りの椅子が置かれている


      原寸大の鳩尾の展示


  「大極殿」欄干の玉錺と遥かに霞んで見える 「朱雀門」

大陸文化の導入により
華やかに繁栄した当時の様子がオーバーラップする

予想通りにすいていて、ゆっくり見られましたが
なにしろ広大な「平城宮」
あと2時間くらい早く出発すべきでした。






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雨中開花

2010-06-15 | 今日の路地町家

入梅早々、お向かいの孔雀サボテンが開花しました。
奥さま、丹精のたまものです。


雨に濡れた石畳に、ハッとするほどの鮮やかさで咲いています。
お写真の許可、ありがとうございました。



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雨もまた良し

2010-06-15 | 今日の路地町家
ひと月ほど前、葵祭に友人を伴って従兄が町家を訪れました。
従兄といっても17も年が離れ、伯父さん(失礼!)いや兄のような人です。
元社長、元某県立博物館長、元商社勤務のキャリアウーマン、etc
錚々たるメンバーながら、人生の円熟期を迎え
もう悟りの境地かしら?と思うほど気さくで穏やかな人たちでした。

先日そのメンバーのお一人からお手紙をいただきました。
とても親しくして下さった元キャリアウーマンの方です。
その文面にこんな一行がありました。


「うっとうしい梅雨も生きている限り生命の水と受け止める事にしています。
 恵みの雨と思うと雨もまた良し。」

あまりの達筆にお返事を書く手が竦みましたが
「本当にそうだわー!」
日曜からの入梅も 「雨もまた良し」 と微笑んで過しています。

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ながもちの錺金具

2010-06-14 | 古き佳き物
この町家にひどく傷んだ黒塗りの「ながもち」を一つ置いています。
2007年の改修時、あまりの傷みと大きさに処分しかけたところ
周りの人の助言を得て残る運命となった大道具で、今は物入れに。

元々明治中頃に嫁して来た(当時は伏見の町家)父方の祖母の嫁入り道具で
夜具などを入れ、棒を通し担ぎ運んだものと聞いています。

先日ふと写真を撮っておこうと思い立ち、拡大して錺の文様をじっくり見てみると
唐草の中に2種の家紋が含まれているのに気付きました。
「達磨沢瀉紋」(だるまおもだかもん)と「九曜紋」(くようもん)。
共に勝ち戦を願って、戦国武将に用いられた家紋だと云います。


        達磨沢瀉紋(花が紋の天になる)


            九曜紋


模様がはっきり撮れるよう照明を当てたので、とても”良さげ”に写っていますが
本当はかなりの”ボロボロ”ですので、お断りまで。。。

              ☆

父の家紋でも、祖母の実家の紋でもないのに
なぜこれらの家紋が使われたのか?と疑問が湧いてきました。

想いを巡らせ、たどり着いたのはこの3つ。
1、嫁入りは女の戦のようなものだったから、幸せを願って錺の文様に用いられた。
2、他の目的で作られた物を、婚礼用に再利用した。
3、同時代に家にあった祭礼用の武具や装束入れが、婚礼用のと取り違えられて伝わった。

さて真実はどれでしょう?
もちろんこれ以外の理由かも知れませんが
ちょっと興奮して考えさせられた、愉しい発見でした!

【達磨沢瀉】
オモダカは愛らしい花が咲く水草。
葉の形が矢ジリに似ている、また「沢瀉威の鎧」ということばもあって
「攻めても守ってもよい」ということから「勝ち草」と呼ばれたという。
花を真ん中に向かい合った葉の曲線が、達磨のように見えるさまから
達磨沢瀉と名付けられた。

【九曜】
土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、火曜(虚空蔵)
金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、日曜(千手観音)、計都(釈迦)
羅睺(不動明王)の9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰し家紋とした。





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奈良半日紀行

2010-06-09 | 遠くへ行きたい
京都から奈良に入ると、まず「広いなあ~ぁ~!」
ゆったりと、スペース制限に囚われること等なさそうな建築物が
雄大で、時には粗放と思える程にゆったり建っているのが目につきます。
寺院の大伽藍も建て詰まることなく点在し
町角にも、万葉の風が流れているようで、嬉しくなります。

飛鳥資料館の壁画見学の後、周辺の巨石を巡り
橿原考古学研究所附属博物館の「大唐皇帝陵展」を目指しました。


      田植えを終えた 「棚田」




    田畑の広がる緩やかな丘陵地にある 「亀石」

巨石巡りに思わぬ時間がかかり、橿原に到着したのがPM4:30
橿原考古学研究所附属博物館はすでに閉館、残念!
そこで橿原神宮の北側へ行くと・・・






大和三山のひとつ畝傍山東北麓に 「神武天皇御陵」(初代天皇)はある。
    古事記には「御陵は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあり」とあるが
    ここが神武天皇の御陵と定められたのは幕末 文久3年(1863)のこと。
参道両側には背の高い立派な樹木が立並び、玉砂利は深い。
橋を渡ると、素木の大鳥居が立ち、傍らに有人の番所が設けられている。


PM5時過ぎには、平城京跡地にさしかかりました。
今人気集中の「大極殿」は今回スルーの予定でしたが
入場終了後とあって人もなく、しかも遠目にくっきり見渡せるので
「大極殿」の南側からシャッターを切りました。





やはり、実寸での再現は迫力があります。
このスケール感は、平城京を生きた人々の暮らしをも彷彿させます。
ブームが落ち着いた頃、ぜひここだけを目的に訪れたいと思いました。






 
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キトラ古墳の壁画 「四神」

2010-06-08 | 古き佳き物
5日(土)キトラ古墳壁画「四神」の特別公開を見に
飛鳥資料館へ出掛けました。
長女夫婦の車に同乗、らくらくドライブです。


奈良といえば「彩華ラーメン」というわけで、ここで昼食をとります。
白菜など炒め野菜が載った「彩華ラーメン」が売りのお店ですが
私はあっさり「醤油ラーメン」にしました。
これもとっても美味しかったです!


飛鳥資料館に着いたのはPM2時過ぎ。
報道では30分~1時間待ち等と聞いていましたが
なんと「待ち時間 0分!」ゆっくり見学できラッキーでした。
(帰る頃また混んできました)


  「四神」の他、天井には「天文図」が描かれている

古墳は盗掘されながらも、壁画が無事に残ったのはまさに奇跡!
でも、埋葬当時はどれほど華麗だったろう!?と思うと、やはり盗掘は恨めしい。


       パンフレットより 「朱雀」

「四神」は予想外に小さなもので、装飾目的ではないと感じます。
展示室を巡る内 「四神」が描かれた各壁面の下部に
十二支が3体ずつ描かれていた事を知り、大きさの謎も解けました。
遺体を四方から守るために描かれ
お札のような役割を果たす物だったのですね。

7世紀末に描かれた繊細な筆跡を目にすることができるとは。。。

感無量でした!




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次は「雷除け」のお札

2010-06-01 | あれこれ
北野天満宮に菅原道真が祀られる以前のこと。
この地には、平安時代から火之御子社に「火雷神」が祀られ
「北野雷公」と称し、雷を司る神、火難・豊作の守り神として崇敬を集めていた。

毎年6月1日に、この「火之御子社」(ひのみこしゃ)にて例祭が行われ
雷除のお札とお守りに祈願を込め、参拝者に授与される。

「火之御子社」は本殿参道「三光門」前の「なで牛」の隣にある小さなお社。


今日一日限りの授与とあって、たくさんの人出。
やはり、「祗園祭」の頃の「夕立」「雷」を思い浮かべながら
お札とお守りを受けてきました。




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