路地町家

再生保存した小さな町家のお話です。
それに京都のこと。感動したこと。時には猫も登場したり。。。

今日は夏越祭 but 「受賞記念祝賀会」へ

2010-07-31 | あれこれ
今日は祗園祭の最終行事「夏越祭」
ですが用件が重なり出掛けられなかったので
去年の記事をご案内します。
http://blog.goo.ne.jp/mint_room13/e/5fa51b75a8923dadd6d13d72da75a2d7"

夕刻からは、お世話になっている先生の
「芸術新人賞受賞記念祝賀会」にお招きいただき出席しました。
会場は「京都ブライトンホテル」です。


大変素敵なパーティでしたが
プライバシー保護のため、お料理の写真のみアップします。


豪華なビュッフェパーティーでこちらは温かいお料理専用のコーナー


カマンベール、スモーク、ブルー、ヤギの・・・ 
5種類のチーズを切り分けてもらい もちろん赤ワインでいただきました


欲張りすぎたでしょうか? どれも美味しそうでつい・・・


焼きカニ、焼きエビなど海鮮の焼き物は大人気
アユはすでに無くなって・・・

ブライトンのお料理はどれも大変美味しく
特に冷製のビシソワーズは、こくがあって蕩けるような喉越し!
お祝いにふさわしい和やかなパーティーは
瞬く間にお開きを迎え、会場を後にしました。


会場を出るとロビーでは、演奏会が開かれていて
大勢の聴衆の一人となって、聞き入ってしまった夜でした。

先生おめでとうございました! 益々ご活躍の程お祈りしています。




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小田原文学館を訪ねて

2010-07-27 | 遠くへ行きたい
いとこ会の帰途、箱根登山鉄道のスイッチバックを楽しんだ後
メンバーと別れ一人小田原を散策しました。

最初、小田原城を目指しましたが・・・
(マイルール:お城の傍を通るときは立ち寄る)
その天守閣は近年外観を復元建設したもので
中は資料の展示場と聞き、すっかり興味が失せてしまいました。
再探査の結果
「小田原文学館」と折り良く公開していた「清閑亭」の見学に切り替えました。


     文学館前の並木道「西海子(さいかち)通り」


文学館表札の下には 文化庁 登録有形文化財のプレート


     本館は「伯爵 田中光顕」の別邸


       素敵な木陰のベンチ。。。



            パンフレット

本館:近代文学の先駆者 北村透谷、牧野信一 尾崎一雄、川崎長太郎、北原武夫ら小田原出身者の紹介
    小田原ゆかりの、谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾、北条秀司 らの活動が紹介されている。
    早逝した北村透谷の夫妻の写真が架けられていて、妻のあどけなく美しい表情が印象的だった。

別館:北原白秋童謡館
    福岡柳川の裕福な家に生まれた白秋は、大正7年から8年間を小田原で過ごし
    全童謡作品の半数を創作したという。

尾崎邸書斎:小田原下曾我の自宅から調度と共に移築。改修され公開されている。





 
     
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いとこ会 in 箱根

2010-07-26 | 遠くへ行きたい

祇園祭巡行が終って一段落したこの24,25日
「いとこ会」のお招きをいただき、箱根の湯で疲れを癒してきました。

主催者は私の父方のいとこで、彼の子供世代のいとこ達が中心です。
でも何とかこじ付けで、私までお誘いいただきました。
交通費のみ自己負担の招待会です!

久々の鉄道利用の一人旅。
昔のように、時刻表片手の気ままな旅をしたかったのですが
小田原まで新幹線で直通という安易な手段を薦める夫。
いつも車の助手席で寄り道希望する私を、客観的に見ていての助言だったようです。
ともあれ楽なコースを受け入れ、修学旅行以来の箱根へ出かけました。

芦ノ湖を遥か下に望む山間の宿に着くと・・・懐かしい!!

子供の頃会ったきりだった面々の、立派に成長した様子に感激したり
近況からお決まりの健康の話題まで
関東弁関西弁が飛び交う、愉しい夜は更けていきました。

翌朝
澄み切った高原の空気を震わせるようにヒグラシが鳴きはじめ
ウグイスが一羽高い声で啼きながら、まだ霧のかかった芦ノ湖を背に麓を渡ります。
その爽やかな啼き声に起こされ、誰よりも早く目覚めてしまったけれど
なんとまだ4時48分!

そっと部屋を抜け出し、朝一番の温泉をいただきました。
(でも、みんなを起こしてしまったようでゴメンナサイ!)


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今年のヒオウギ

2010-07-22 | 今日の路地町家
お馴染みの祇園祭のお花、ヒオウギ。
今年も涼を誘ってくれました。


   先端が切れてしてしまいましたが・・・

今回は友人で、お花の先生の作品。お盛花風です。
例年の扇のような活け方とは、また趣の違った華やかさです。

豪雨だった梅雨と一転して猛暑に見舞われた祇園祭が終わり
後片付けもようやく終了しました。

どうぞこの夏も、元気に乗り越えられますように!!

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祗園祭 祭神の神輿

2010-07-18 | あれこれ
17日の巡行が無事終了。
その夜、家族みんなで「ぎをん梅の井」さんへ出かけました。
ほっとして疲れが出る前に、まずは栄養補給です。
するとちょうど
「梅の井」さんの前にお神輿が差し掛かるではありませんか!


7月17日の夕刻、祭神のお神輿3基は
八坂神社で出発の儀を執り行ない、お旅所へ向かいます。
これはそのうちの1基
大和大路を北へ移動中の「西御座」八柱御子神 (はやしらのみこがみ)のお神輿。


祗園祭の<祭神>・素戔嗚尊 (すさのをのみこと)
           ・櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと・ スサノオの妃)
           ・八柱御子神 (はやしらのみこがみ・ スサノオの子)

この3体を移した<3基の神輿>が
災厄を払うため街中にお出ましになるのが祗園祭。
山鉾巡行は、3基の神輿を迎えるための
「お清め」や「露払い」であるとされています。




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南観音山の帰還

2010-07-17 | 今日の路地町家

(人に揉まれ、こんな映像になってしまいましたが・・・)

梅雨明け炎天の祗園祭山鉾巡行。
しんがり(最後尾)の南観音山は、9時出発14時15分の帰還となりました。
無事巡行を終え、拍手で迎えられます。
そして、神事役の山崎さんのご挨拶。

豪雨でずいぶん湿っていた懸装品も
快晴の巡行でしっかり乾いたようです。

皆さん、暑い中ごお疲れ様でした!


南観音山のご神体「楊柳観音」にちなみ
巡行当日、鉾には「柳」が取り付けられます。

ご挨拶の終了後
鉾の後ろ見送りの横に挿した柳の枝を、観客が取り合います。
ちまきと共に玄関に吊るすと
さらに厄除けになるとの由縁です。


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路地から見える鉾

2010-07-17 | 今日の路地町家

新町通りは鉾の帰り道、ほとんどの山鉾が通ります。
動画は路地から見える船鉾の巡行。
建物で切り取られた祭りの華やかさに、息をのむような感動を覚えます。



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茶碗披露の茶会

2010-07-12 | 今日の路地町家

11日(日)茶碗飾りのお茶会が当町家にて開かれました。



    キラ星のごとく、みめ麗しい女性陣

友人が永年勤めた大企業を先頃定年退職されました。
その職場では恒例として、バカラのグラスが記念に贈られるそうですが
彼は「茶道クラブ」部長でもあったため「抹茶碗」を所望。
そして祗園祭に合わせ、その「茶碗披露の茶会」を企画されました。

そこで、ぜひ路地町家でとお話が巡ってきましたが
茶室仕様には作られていない当町家。
真夏に、まして西日の差し込む時間帯にクーラーもなく
どうしてお茶会などできましょう!
「無理やわ~!」とお断りしましたが、「大丈夫!」と強気です。

よくしたものです。
彼の幼馴染で仲良しだった○○子ちゃんが
今では知識豊富なりっぱな茶道の先生に!
そして、このお二人が久々に出会っていたのですから。

茶会の企画は、あれよあれよという間に実施の運びとなり
暑さは覚悟で準備をはじめました。。。

   当日おりしもの雨に、目に涼やかな「文人盛」

茶碗飾りのお点前。かのお茶碗は小帛紗に載せ丁重なお扱い。

彼女の機転で、見立てのお茶室に早替わりした六畳間。
和やかなお茶会は時を忘れるほどスムーズに進み
やがて○○先生と私も一服お相伴。

虎屋の「若葉蔭」:ガラス鉢や池に泳ぐ金魚は、彩りも美しく涼を呼ぶことから
           夏の季語となっています。『若葉蔭』は、水面に浮かぶ
           青葉の蔭を金魚が泳ぐさまを表わしています。

涼やかで程よい甘さの夏の生菓子。さすが虎屋さん涼感たっぷりです。
またその後いただいたお薄の、爽やかで美味しかったこと!!

湿気が多く、お茶杓にお抹茶がたくさん付きましたけれど
爽やかに華やぐお茶碗を両手に受け、ゆっくり堪能させていただきました。

あとはお近くの「矢尾定」さんへ移動して
豪華で美味しいお食事をいただき
例の「幸野媒嶺」の掛軸「大船鉾」も拝見しました。

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祗園祭の「ゆかた」(追記あり)

2010-07-07 | あれこれ
父は若い頃、独立美術に属していて
「須田国太郎」画伯に師事していました。
ところが、終戦後「油絵」の筆を折り
後は仕事の傍ら、浮世絵や日本画の模写などを楽しんでいました。
92歳で他界し、今年でちょうど10年になります。

その父は生前、祇園祭には絵心を生かし、お町内(南観音山)の観音様へのご奉仕として
手拭、団扇、扇子、ゆかたの意匠(デザイン)を長年描いていました。
囃し方のゆかた(ユニフォーム)は数年ごとに新調されるため
そのデザインは10作を越えていたと思います。

やがて、寄る年波に目も霞み
最後のご奉仕となったのが、この写真のデザインでした。



父を見送った母が、すっかり気力をなくしていた時に
「ゆかたの仕立て方を教えて!」と頼んでみました。

ちょうど私用に、このゆかた生地が一反買ってあったので
いつも様々な着物を縫ってくれていた母に
全く和裁のできない私が、初めて習うことにしたのです。

けっこう、口ごたえなどする生徒でしたが
「プレス」から始まり「裁断」「へら」「背縫い」「袖の仕立て」 まで進んだ頃
母の体調はもう。。教わるどころではなくなり。。。そのまま畳んでしまいました。

あれから7年。
一昨日ふっと、その「ゆかた」を思い出し広げてみると
やっぱり私の好きな柄ゆきです。


      マチ針も打ったままでした。

「仕立ててみよう!!」

今度は「インターネットで学ぶ和裁教室」が先生です。
上手くできるでしょうか?
お祭までに仕上がるでしょうか?
とにかく、できるところまでやってみる事にいたします~

(この忙しい時期に!! とは思いつつ・・・)



【追記】
衿付けが大変難しく苦戦しましたが、12日に何とか仕上がりました。
さっそく13日にこの「ゆかた」を着て、ちまき売場のお当番を務めました。
こういった「ゆかた」は、誰にでも似合って良いものですね~

めでたし、めでたし。



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ミニチュアの長刀鉾

2010-07-04 | 今日の路地町家
祇園祭には毎年
お玄関に「桧扇(ヒオウギ)」を生けています。
ヒオウギには魔除けの意味があったり
扇の形をしていて夏向きだから。
などの言い慣わしがあり、どのお家も飾られます。
でも、夏はお花が傷み易いので、鉾が建ってからにしています。


今日は、ささやかに「アジサイ」と「ミニチュアの鉾」を飾ってみました。


これは友人の、そのまた友人のご主人の手になる「ミニチュア鉾」
市販されている、プラスチック製の物ではありません。
車輪も木をくり抜き、スポークを1本1本嵌め込んで作られています。
誰もが欲しくなる優れものですが
そう簡単にはご要望に応えられないそうです。
さもあらん、分かりますね!
ちょうど今お預かりしているので、飾らせていただきました~♪

小さいけれどお祭の雰囲気が漂って
お囃子の鉦の音が聞こえて来るようです。





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大船鉾 復興!

2010-07-03 | 今日の路地町家
7月1日の吉符入り
7月2日のクジ取り式 
と、祇園祭は始まっています。

今年は休み山の「大船鉾(凱旋船鉾)」の復興が正式に決まり
あのまぼろしの「大船鉾」が、近い将来、実際に姿を現すこととなりました!!

祇園祭は私の原風景。
小さい頃から五感に摺り込まれたこのお祭には
言葉には尽くせない思い入れがあり
大船鉾は、お話だけのあこがれの鉾でした。

ですから、大船鉾の「お囃子」が10年前から復興され
お町内の方や支援者が「大船鉾」に思いを馳せてらっしゃるだけで
込み上げるような嬉しさを感じていました。
いずれ何十年後かには、と未来に希望を掛けていたのですが
本当に実現に向け動き出すなんて!!

 読売新聞の記事より
  掛軸「凱旋船鉾」

蛤御門の変(1864年)で焼失する以前に
明治初期京都画壇の重鎮として活躍した幸野楳嶺(こうのばいれい)
によって描かれた「凱旋船鉾 掛軸」が
7月31日まで
京都市下京区新町通四条下ル「ごはん処 矢尾定」さんに飾られています。
来週には是非伺おうと思っています。

京都新聞の記事
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20100626000026




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