375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●復活待望!河合奈保子特集(1) 『ゴールデン☆ベスト A面コレクション』を聴く

2013年08月19日 | 河合奈保子


河合奈保子 『ゴールデン☆ベスト A面コレクション
(2013年1月23日発売) COCP-37795~6

収録曲 [Disc. 1] 01.大きな森の小さなお家 02.ヤング・ボーイ 03.愛してます 04.17才 05.スマイル・フォー・ミー 06.ムーンライト・キッス 07.ラブレター 08.愛をください 09. 夏のヒロイン 10.けんかをやめて 11.Invitation 12.ストロー・タッチの恋 13.エスカレーション 14.UNバランス 15.疑問符 16.微風のメロディー 17.コントロール 18.唇のプライバシー 19.北駅のソリチュード 20.ジェラス・トレイン
[Disc. 2] 01.デビュー ~Fly Me To Love 02.ラヴェンダー・リップス 03.THROUGH THE WINDOW ~月に降る雪~ 04.涙のハリウッド 05.刹那の夏 06.ハーフムーン・セレナーデ 07.十六夜物語 08.悲しい人 09.Harbour Light Memories 10.悲しみのアニヴァーサリー ~Come again~ 11.美・来 12.眠る、眠る、眠る 13.Golden sunshine day 14.エンゲージ 15.夢の跡から
[ボーナス・トラック] 16.君は綺麗なままで *NAO & NOBU 17.愛のセレナーデ *河合奈保子&ジャッキー・チェン 18.ちょっとだけ秘密 *奈保子&小金沢くん


昭和歌謡曲史に彩りを添えた歌姫たちを振り返る時、まずは年代ごとのグループに区分するのがわかりやすいであろう。
①1960年代デビュー(弘田三枝子、森山加代子、奥村チヨ、黛ジュン、ちあきなおみ...etc)
②1970年代デビュー(天地真理、南沙織、山口百恵、桜田淳子、岩崎宏美...etc) 
③1980年代デビュー(松田聖子、河合奈保子、中森明菜、小泉今日子、本田美奈子...etc)

こうして見ると、なるほどバランス良く区分できるのがわかる。世代的にも、①自分より年長のお姉さん歌手、②自分とほぼ同世代のお友だち歌手、③自分より年下の妹歌手・・・ときれいに分けることができてしまう。

各年代で5人づつ上げてみたのだが、実はこの人選と名前を挙げた順番には意味がある(縦列の3世代グループごとに見ると共通項があるのがわかってもらえると思う)。一番左に位置する人たち(弘田三枝子、天地真理、松田聖子)はそれぞれの年代で一番最初にブレイクした大物、いわばその年代を牽引する先頭バッターの役割りを担った歌姫たちである。左から2番目に位置する人たちは文字通り2番バッターで、先頭で牽引するほどの強烈な影響力は持たないものの、それぞれの時代に不可欠なライバル的存在として、安定した実績を上げ続けていたところに特徴がある。

松田聖子と河合奈保子はブレイクしたのがほぼ同時期だったが、やがてヒットチャートにおいては圧倒的な差がつくようになった。それは松田聖子のほうに覚えやすいシングル曲が連続したという巡り合わせもあったのだが、そうでなくとも、一般大衆を牽引するカリスマ性においては明らかに聖子のほうに分があっただろう。ただ、当時大学生だった筆者の周囲に限れば、決して両者の人気に大きな差はなかった。筆者はコーラス関係のクラブに所属していたが、先輩たちの間では、むしろ河合奈保子のほうを高く評価していた人が多かったように思える。見る人が見れば、歌唱力と音楽性の確かさにおいて卓越したものを持っていたことは明らかなのだ。

それでも、やはり彼女を芸能人として見た場合、何かと不器用なところがあったことは否定できない。最も端的な例が、1981年10月5日にNHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中に起きた踏み外し事故で、4メートルもの高さから転落した結果、腰椎圧迫骨折という重症を負ってしまった。2ヶ月の療養の末どうにか復帰を果たし、初出場の紅白歌合戦には間に合ったものの、一歩間違えば生涯半身不随になるところだった。そんなこともあって、性格的にどこか抜けている印象を与えてしまうのだが、それが逆に魅力になってしまうのだからわからないものである。

やはり兄貴分の立場から見れば、不器用な妹ほど可愛いものである。素直すぎて世渡りも下手そうだし「こんなんで芸能界やっていけるのか? しっかりやれよ」と叱咤激励する感じで、いつのまにか肩入れをするようになった。少しでも売り上げに貢献できるように、写真集なども買ったのだが、正直言うと、初期の楽曲にはなかなか興味を持てなかった。当時はニューミュージックが台頭しつつあった時代だったので、アイドル系歌謡曲はどうしても軽く見ていたところがあったのである。それでも1982年の秋に竹内まりやの曲を歌うようになってから、ちょっと大人の傾向になってきたなと思ったのだが、新しい路線の第1弾「けんかをやめて」は歌詞がどうかなと思えるところがあり、売れているほどには好きになれなかった。むしろ自分の心にヒットしたのは次の「Invitation」で、歌詞・メロディとも文句なく名作と呼ぶにふさわしい。この頃からようやく歌手・河合奈保子としての認識を新たにしたのである。

年が明けて1983年もニューミュージック路線が続き、来生えつこ・たかお姉弟による楽曲「ストロー・タッチの恋」を発表。最初の印象ではちょっと地味かなと思いつつ、繰り返し聴いてみるとなかなかノスタルジックな味のある作品だな、と納得するようになった。ただ、奈保子陣営もこの路線で大ヒットを狙うにはちょっと弱いと気づいたのだろう。次のシングルでは、なんと当時流行のセクシー・ディスコ歌謡路線に大転換。もともと運動音痴の奈保子としては激しい動きをともなう振り付けは得意そうではないし、本人のキャラに合いそうな分野ではなかったが、血のにじむような猛特訓(?)の成果もあってか、新路線の第1弾「エスカレーション」は見事自己最高の売り上げを記録することになった。イメチェンひとまず成功といったところである。

その後、この成功をさらに発展させるべく、売筒コンビ(作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平)による第2弾の「UNバランス」を皮切りに、翌年の「コントロール」、「唇のプライバシー」、さらに翌年の「北駅のソリテュード」、「ジェラス・トレイン」・・・と時代の先端を行く洋楽テイスト路線を展開させていくことになるのだが、比較的ストレートな「UNバランス」と「唇のプライバシー」はともかく、ソウル・フレイヴァーなアレンジで自在に作りあげた「北駅のソリテュード」と「ジェラス・トレイン」は、当時としては難曲だったかもしれない。なるほど何回も聴いていくと病みつきになっていく中味の濃さがあり、作詞者本人が言っているように、これぞマスター・ピース!と呼びたい気もするのだが、従来のアイドル的な傾向を好むファンから見れば、もっと親しみやすい楽曲を歌って欲しかったのではないだろうか。

そのような要求に応えるかのように、一方では、奈保子自身が本来持っているさわやかで影のないキャラを生かす試みも行なわれた。その一番の成功例が1985年6月に発売された「デビュー ~Fly Me To Love」で、映画『ルパン3世 バビロンの黄金伝説』の主題歌を両A面として抱き合わせる作戦も功を奏し、河合奈保子のシングルとしては21枚目にして初のオリコン1位に輝くことになった。まさに起死回生の一発である。その翌年の春、同じさわやか青春路線で「涙のハリウッド」を発表。こちらも素晴らしいメロディラインを持つ傑作で、本来なら大ヒットしてもおかしくないと思われたが、売り上げが意外に伸びず、二度目の奇跡はならなかった。この1986年の時期になると、前年や前々年あたりにデビューした新勢力のアイドルたちが徐々に頭角を現してきたので、さしもの奈保子も人気に陰りが出てきた、ということになるのだろうか。紅白歌合戦の出場も、この曲を発表した1986年が最後となったが、1981年から6年連続出場を果たしたこと自体すごいことであるし、一世を風靡したアイドルとしては十分な実績を積み上げた・・・と言うことができるかもしれない。

そして、1986年11月に発表した自作のシングル「ハーフムーン・セレナーデ」において、河合奈保子は完全にアイドルとしてのキャリアに決別する。自ら楽曲をプロデュースするシンガーソング・ライターとしてアルバムを出していく本格的なアーティストの道を歩むことになった。この時期の曲では、1987年に発表されたアルバム『JAPAN』からのシングル・カット「十六夜物語」が素晴らしいと思う。日本作曲大賞の優秀作曲者賞、プラハ音楽祭の最優秀歌唱賞に輝く実績もさることながら、やはり曲自体に名作ならではのオーラがある。新しい和風叙情歌(あえて「演歌」とは呼ばない)のスタンダード曲として後世に残す価値があると思うのだが、いかがであろうか。

「初期の楽曲にはなかなか興味を持てなかった」と書いたが、実は今あらためて聴いてみると、初期の楽曲も意外なほどハマる。いわゆる竜馬コンビ(作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二)による「スマイル・フォー・ミー」、「ラブレター」、「夏のヒロイン」はさすがに職人的な無駄のない仕上がりだし、「ヤング・ボーイ」と「愛してます」もマイナー調からメジャー調に転換する70年代の旧スタイルを色濃く残しているところが興味深々だったりする。実は河合奈保子自身も80年代という新時代の幕開けにデビューしながら、中味はアナクロな70年代を微妙に引きずっているキャラなので、彼女らしいといえば彼女らしい楽曲でもあったのだ。そういう奥手なところも含めて、すべてが河合奈保子の魅力なのである。

ブログ・ランキングに参加しています。
ONE CLICKで順位が上がります。