ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

性描写規制―問題の本質は何か―

2010年12月11日 | 二次元(児童ポルノ規制)
都の性描写漫画規制、可決へ 民主が賛成の方針固める(朝日新聞) - goo ニュース

 過激な性描写のある漫画などを18歳未満に販売できないように規制する、東京都の青少年健全育成条例改正案について、都議会最大会派の民主党は10日の総会で、対応を執行部に一任することを決めた。執行部は賛成する方針。すでに自民、公明両会派は賛成を決めている。民主党を含めると過半数となり、改正案は開会中の都議会で可決される。
 民主党の反対で前回案は6月の都議会で否決となったが、今回の案は規制対象を強姦(ごうかん)などの違法な性行為や近親相姦としたことから、同党は「恣意(しい)的な運用で規制が拡大される恐れはない」と判断した。会派幹部は「我々の主張の多くが盛り込まれており、反対する理由はない」としている。



 結論から言うと、私は今回の条例には反対である。なぜならば、広く言われているように、この条例によって(この条例が直接規制するか否かは関係なく)表現の自由が委縮してしまうという危険性を払拭できていないという点もあるが、「子供の保護」という意味では、すでに以下のような制度があるからだ。


 まず、すでに現在の東京都の条例において、「性的感情を刺激し、青少年の健全な成長を阻害するおそれのあるもの」(青少年育成条例7条の1)という規定がある。これを用いれば、性描写の過激な漫画は有害図書認定をして規制することができる。

 そして、2005年から施行されている「出所者情報提供制度」がある。これは、13歳未満の子供に対する暴力的な性犯罪についての情報の提供を、性犯罪者の再犯防止のために法務省から警察庁へ行うという制度である。この制度によって、性犯罪者は出所後も実質的に国家の監視下に置かれる。

 前者は「青少年を有害な環境からシャットアウトする」という機能を果たし、後者は「青少年を性的搾取から保護する」という役割を果たしていると言える。

 したがって、私には、「青少年の保護」という面では上記の制度があれば十分だと思う。にもかかわらず、実在の子供ではなく、架空のキャラクターである漫画やアニメまで規制しようとする以上は、問題の本質は、実は「青少年の保護」とは(重複する個所はあったとしても)どこか別のところにあるのではないか。



 それは、端的に言えば、「見たくないものを見せられないようにせよ」というところではないか。つまり、(子供をダシに使っているかはどうあれ)「見たくない権利」の具体化をせよ、というのが、今回の問題の本質なのではないか。

 確かに、自分の好まざるものを見せられることは苦痛であり、場合によっては精神的に傷つくこともありうる。しかし、だからといって、ただちに「法をもって規制せよ」というのは、論理の飛躍である。このような法規制が許されるのであれば、いわゆる「道徳」など、すべて法をもって規制すればいいのだ。そうしたほうが、はるかに人々は道徳を守るようになるだろう。

 しかし、河合幹雄教授が指摘するように、こんなことがまかり通れば、人々は他人の言動に対して我慢をしないようになり、社会は刑罰規定だらけになって、些細なことで非難されるようになり、非常に息苦しい社会になってしまう。


 何がよくて何がいけないのか、ということは、いちいち法が決めることではないだろう。そうした思慮分別、価値判断をする能力を養わせるのは、家庭や学校の教育だろう。にもかかわらず、こうした条例をPTAが推進するというのは、滑稽を通り越して、もはや教育の敗北と言っても過言ではないだろう。

 「見たくない権利」の行使によって、表現の自由が委縮することになっては、芸術作品というのはあっという間に根絶やしにされてしまいかねない。しかしながら、こうした権利を全く蔑ろにするというのも、どうかと思う。

 なので、こうした主張と折り合いをつけるためにも、私は「今のアニメや漫画」にも一考を求めたい。すなわち、たとえばアキバなどを歩いていると、少し昔ならアンダーグラウンドなところでひっそりと売られていたり、そうした商品へのキャッチコピーなどが、今やアキバのいたるところで見られるようになってしまっている。

 日頃からこういうアニメや漫画に触れている者ならばさして違和感はなくとも、やはりそうしたものへの「免疫」がない人が見れば、拒絶反応を起こすのも仕方のないことだと思う。

 そこで、(今までもソフ倫等を通じて自主規制はされてきたし、今もされているが)やはり一般人から見て刺激的と思われる漫画やアニメは、一般人の目につきにくいところで、ひっそりと売られるべきではないだろうか。風俗店が小学校の近くにできるとなれば、誰だって青少年の健全育成の点からしていかがなものかと思うのと似たようなものだ。



 私の措定した問題の本質から鑑みるに、こうすることによって、規制推進派と折衷するしか、考えられうる最善の解決策はないのではないだろうか。表現の自由は当然尊重されるべきだが、これからもこの自由を享受するためにも、「眉をひそめる人たち」への一定の配慮も必要だと思う。

 こうして、いわば共存することによって、法規制という最悪な結果を回避するしかありまい。

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