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ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

菅内閣のもう一つの「犯罪」について

2012年05月19日 | 外交事情考察
文化財「返還」要求相次ぐ 朝鮮儀軌引き渡し逆効果(産経新聞) - goo ニュース

 政府が昨年末、韓国政府の歓心を得ようと朝鮮半島由来の図書「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を引き渡したことが逆効果を生んでいる。これをきっかけに、韓国側から朝鮮半島由来の文化財「返還」を求める動きが相次いでいるのだ。菅直人前首相が平成22年の日韓併合100年の談話で日本側に何ら義務がないのに引き渡しを表明し、その路線を野田佳彦首相が踏襲した結果、かえって日韓間に新たな軋轢(あつれき)が生じる事態となった。(杉本康士)
 韓国側が新たな「返還」運動の標的とするのは東京、京都、奈良、九州の4国立博物館が所蔵する朝鮮半島由来の文化財4422点。4月23日には、韓国側の活動を支援する共産党の笠井亮衆院議員が文化庁と国立文化財機構の担当者を呼び説明を要求した。
 このとき笠井氏には儀軌「返還」運動にも関与した韓国の民間団体「文化財還収委員会」の関係者も同席。所蔵品のうち、かつて朝鮮王室が保有していた「朱ビロード地金銀装甲冑(かっちゅう)」「紫縮緬(ちりめん)冠」「金銅製印」の3点について、王室子孫に特別閲覧を認めるよう求めた。
 機構関係者によると還収委は約2年前には、国立博物館の所蔵品を韓国に「返還」するよう要求した。3点を所蔵する東京国立博物館の「東洋館」は改装中で、来年1月のオープン時に「返還」運動が激化することが危惧されている。笠井氏に応対した一人は「民主党政権の儀軌引き渡しで『返還』運動が再燃してしまった」と指摘する。
 日韓外交筋は「昨年の儀軌引き渡し対象は相当精査した。仮にもっとほしいという話になっても『はい、どうぞ』とはいかない」と強調する。日韓間の賠償請求権問題は本来、昭和40年の日韓基本条約と関連協定で「完全かつ最終的に解決」されているためだ。
 だが、「返還」要求の動きは民間にも波及している。
 東京都港区のホテルオークラ本館前の「大倉集古館」が所蔵する高麗時代初期の「利川五重石塔」については、韓国・利川市の民間団体が数回にわたり「返還」を要求してきた。平壌にあったという「八角五重塔」に関しては、文化財還収委が「いったん韓国に持ち帰って、北朝鮮に持っていく」と求めたという。
 このため集古館側は文化庁に対応を相談したが、担当者は「民間のことは民間同士でやってくれ」と責任を回避した。集古館関係者は、儀軌引き渡しについて「民主党政権が点数稼ぎでやっただけだ」と憤りを隠さない。



 菅内閣が何の戦略も持たず、場当たり的に行った儀軌「返還」の結果がこれです。一部の能天気なマスコミ(どことは言いませんが。)や自虐史観に染まった連中(これも誰とは言いませんが)は、当時こうした菅内閣の「暴挙」を歓迎したものですが、多くの論者が指摘してきたとおり、韓国の儀軌「変換」運動に拍車を掛ける結果になってしまいました。

 民主党政権に外交を任せたらろくなことにならない、というのは、地球が自転しているということと同じぐらい周知のことですし、そんなことを繰り返し述べて批判したところで、「返還」してしまった儀軌が戻ってくるとは思えないので、ここでは別の観点から考えてみたいと思います。


 まず、あくまでも大前提中の大前提は、こうした問題は、日韓国交正常化に際し、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決された」(日韓請求権並びに経済協力協定2条1項)ことです。

 この文言の意味することは、国交正常化交渉当時には判明しなかった、事後に新たな事実等がたとえ後に判明したとしても、それを根拠に紛争を蒸し返することはできない、というものでしょう。こうした、紛争の蒸し返し防止という法的な効果(確定効)というのは、何もこの問題に限られたものではなく、たとえば民法上の和解契約(民法695条)にも認められる効果です。法的関係ないしは法的地位の安定は、法治国家では不可欠の要請ですので、紛争の解決をする際には当然に文言上に盛り込まれる内容です。


 したがって、こうした文言があるにもかかわらず、後になってこの文言に反するような請求を蒸し返すというのは、法的に決して容認できないものであり、日本政府は韓国の不当かつ違法な要求を断じて拒絶しなければならなかったのです。しかし、菅内閣は韓国への「要らぬゴマすり」のために、先人が築いた「防波堤」を破壊してしまったのです。その結果が、この産経の記事です。



 ここで苦肉の対応として考えるべきは、こうした和解的要素を含む約束(条約)というのは、相互に歩み寄って(つまり「痛み分け」をして)作成されるものですから(先に挙げた協定の文言はまさにそのことを示しています。)、それなら相互主義の下、韓国にある日本の文化財も同時に「引き渡される」べきでしょう。対等な独立国同士の関係である以上、日韓基本条約等の趣旨に照らして、日本政府も韓国政府に対し、日本の文化財を引き渡すよう請求すべきです。とはいえ、民主党政権では、自民党政権よりも望み薄でしょうが。

 韓国も、(立派な?)独立国であることを自覚するならば、いつまでも日本の「善意」(?)に依存して、これに寄りかかって過去を蒸し返しては日本に謝罪や賠償を求めてばかりいないで、たまには独立国としての大人な対応を見せて欲しいものですね。つまり、一方的な要求ばかりせず、日本の文化財を返すぐらいの度量を見せてみろ、ということです。とはいえ、反日が国是のような国ですから、これもまた望み薄でしょうが。



 ところで、しばしばこの問題ではフランスの対応(韓国の同様の要求に対し「ノン」を突きつけた。)が日本との比較として出されますが、確かに日本の外交下手(特に中韓に対しては。)がフランスとの差の大きな原因とは思いますが、これはフランスの国民性に根差した結果だと思っています。

 フランス(人)というのは、何か揉め事が生じたとき、決して自分の非を認めず、相手の責任を追及するという国民性があると言われています。たとえば、買った商品が故障して店側にクレームをつけても、店側はまず「あなたの利用方法がまずかったから壊れたのでは?」と言うといいます。そのためか、フランスでは子供の時から法や哲学についての教育が盛んで、子供向けに書かれた法や哲学の本が普通に売られているといいます。

 翻って、日本(人)は、おそらくこのフランスの対応とは逆の対応を取るでしょう。すなわち、まずは(揉め事は面倒なので)とりあえず自分の非を認め、それから問題を解決する。もちろん、この儀軌の問題では、菅内閣が「実行犯」なので、こうした要素以外の、確信犯的な要素のほうが、もしかしたら大きいかも知れません。



 いずれにせよ、最低限、さきの「返還」は、あくまでも日韓国交正常化100年の節目の特別なものであることを強調しつつ、したがってこれ以上の「返還」には日韓基本条約上応じられないこと、そして仮に応じるとすれば、この条約の枠組みの外で、独立国同士の相互主義の原則の下、韓国側「も」韓国内にある日本の文化財を同規模で引き渡すというのでなければ応じられない、としなければなりません。

ニ島返還か面積二分しかない

2011年02月12日 | 外交事情考察
首相の「暴挙」発言は国民の声…前原外相が説明(読売新聞) - goo ニュース

 【モスクワ=穴井雄治】前原外相は11日の日露外相会談で、菅首相がロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問を「許し難い暴挙」と批判したことについて、「国民の声を代表するものだ」と説明した。
 日本の国内世論の厳しさを伝えるとともに、日本政府の公式な見解ではないと釈明する狙いもあったとみられる。



 この問題については、結論から言えば4島の(一括であろうがなかろうが)返還はあり得ないことだと思う。タイトルにも書いたように、せいぜい色丹・歯舞のニ島返還もしくは面積二分論だろう。その理由を以下に述べる。


 どういうわけかマスコミは沈黙しているが、1956年、鳩山一郎政権下において日ソ国交正常化交渉が開始された際、アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官は、当時の外相重光葵との会談(ダレス・重光会談)において、サンフランシスコ講和条約締約当時、「歯舞と色丹は千島の一部とはみなされていなかった」けれども、「択捉と国後が千島の一部でないと主張することは困難である」と述べているのである。

 すなわち、同条約で日本は千島を放棄したが、この放棄した千島の中に北方四島のうちニ島の択捉、国後が含まれているのだから、同条約締約によって日本は択捉、国後を放棄したということだ。逆から言えば、色丹と歯舞は「放棄対象」に入っていないのだから、この両島については返還の対象となりうるということである。だから私はタイトルに「ニ島返還論」と書いたのだ。

 しかも、こうした見解は当時の外務省の認識とも一致していたのだ。というのは、1946年11月に外務省が作成した「日本本土に隣接する小諸島」と題する資料において、国後と択捉は「南千島」と記載されているからだ。



 それでは、面積二分論はどうか。かかる見解を表明したのは麻生太郎氏だが、氏が安倍内閣において外相を務めていたとき、2006年12月、国会において、氏によりかかる見解は表明された。

 当時、ロシアはこの麻生氏の見解を歓迎した。すなわち、メドベージェフより、「双方にとって受け入れられる解決」という表現がなされ、ロシア側も北方領土問題を片づけ、日本との間に平和条約を結ぼうと動いていたように見えるからだ。

 しかも、実質上ロシアの最高権力者であるあのプーチンまでもが、面積二分論が「問題解決に向けたあらゆるオプション」のうちに入ると明言していたのである。したがって、この提案は両国にとって吝かでないものになりつつあった。

 しかし、北方領土は(確かに法的に見ても歴史的に見ても)ロシアによる「不法占拠」であることに変わりないのだが、これを日本側から言ってしまった。これによりロシア国内の風向きは変わった。しかも石油価格の高騰により、ロシア財政は非常に潤い、東の果ての四つの小島に対してもインフラを敷けるようになった。

 すなわち、もはやロシアは日本と北方領土について交渉する「メリット」を感じていないのだ。だから私としてはニ島返還論よりも日本側にメリットのある面積二分論はもう望めないものとなってしまったように見える。



 とは言え、四島返還論よりは先述した2つの案のほうが現実的なのは確かだ。ロシアだけではないが、どこの国も(どちらに非があるかは別として)領土問題の解決においては、双方の痛み分けが定石である。

 確かにロシア側の「不法占拠」が、法的にも道義的にも許されるわけはない。しかし、原理原則に拘ってロシアとの交渉のテーブルに着こうとしないことのほうが、日本の国益を毀損するのではないか。

 したがって、私はニ島返還論もしくは面積二分論しかもはや解決策はないと思っている。

尖閣諸島における問題について

2010年11月07日 | 外交事情考察
尖閣ビデオ 公開圧力、一気…「正しい情報、民主主義の基本」(産経新聞) - goo ニュース

■政府、拒否姿勢変えず
 中国漁船衝突事件映像のネット流出を受け、野党各党は5日、政府批判を強めた。海上保安庁撮影の本物の映像が流出したとみて、事実関係の確認を求める一方、野党だけでなく与党からもビデオの全面公開を求める声が上がった。政府は全面公開を拒否する姿勢を変えてはいないが、「公開圧力」は一気に高まった。
 自民、公明、みんな、共産、社民、たちあがれ日本、新党改革の野党7党の国対委員長らが5日夕、国会内で急遽(きゅうきょ)会談した。
 野党が問いただそうとしているのは、ネット上に流出した映像が海上保安庁が撮影した本物なのかどうか。本物であるなら、映像が政府内から、どのように流出したのか-の2点。これを政府に求めることで7党は一致した。
 期限は、8日から始まる衆院予算委員会の平成22年度補正予算案審議の直前。週明けまでに、明確な回答をすべきだとした。
 仙谷由人官房長官は8日の衆院予算委員会で調査内容を説明したいとしているが、自民党の石原伸晃幹事長は「直ちに政府にビデオの全面公開を求める。開示されない限り、国益、国家の主権のかかわった問題だから、補正予算案審議だってどうなるか分からない」と態度を硬化させている。
 全面公開に慎重だった公明党も、井上義久幹事長が「事実とすれば公開、非公開の議論自体が意味がない。全面公開すべきだ」と述べた。
 民主、自民などの国会議員が参加する「国家主権と国益を守るために行動する議員連盟」も5日、ビデオの全面的な一般公開を求める要請書をまとめた。
 共同座長の民主党の原口一博前総務相は「流出の真偽を確かめるのが第一だが、オープンに正しい情報を伝えることが民主主義の基本だ」と述べ、全面公開を主張した。同議連は、国境付近の離島の振興策強化も盛り込んだ要請書を近く政府に申し入れる方針だ。
 仙谷氏は同日の記者会見で「考え方は変わっていない」と述べ、ビデオの全面公開を拒否する姿勢を変えなかったが、野党側の追及は激しさを増しそうだ。



 領土問題は、国際法的には領土紛争(territorial dispute)と呼ばれ、領土の帰属をめぐる紛争(狭義の領土紛争)と、国境の画定をめぐる紛争(frontier dispute)とに大別されるとするのが一般的な見解である。現在、わが国が直面している尖閣諸島をめぐる問題は、国際法学者の通説的見解にしたがえば領土紛争であり、上記の分類では狭義の領土紛争に分類されよう。

 国家領域、すなわち領土の取得は、有効な領域権原(territorial title)の創設によって実現される。よって、理論的には領土紛争とは、この有効な領域権原がどちらに帰属するのかをめぐる問題と言うことができる。それでは、領土紛争の解決の規準としては、国際法的にどのようなものがあるのだろうか。



 先述した領域権原は、領土取得の法的根拠としては成立するが、この権原が領土紛争解決の規準になるものではない。以下に挙げる規準が国際法として容認されている。ただし、今回ここで取り上げているのは尖閣諸島における問題であるので、かかる問題に適合的な基準のみを挙げるにとどめる。


Ⅰ 実効性の原則

→この原則は、紛争となっている領土の自国への帰属を主張する国のいずれの国が、当該紛争領域を継続的かつ平和的に統治権を行使してきたかを重視するものである。この原則は、「パルマス島事件」判決以来、「主権の継続的かつ平和的発現」という表現で一貫して重視されてきたものである。

 具体的に「主権の発現」とは、国家の、司法・立法・行政というこれら統治権の行使を意味する。したがって、私人による行為はここには含まれない。「主権の発現」の主観的な意味においては、当該地域の地理的状況、人の居住状況等が考えられる。


Ⅱ 対立する主観的活動の相対的強さ(relative strength of opposing claims)

→尖閣諸島の問題に典型的に見られるように、領土紛争というのは往々にして両国が何かしらの根拠を掲げて争うものである。すなわち、両国が何かしらの主観的な活動をし、その実効性を根拠に領土紛争は争われる。

 かかる場合に国際司法裁判所は、「マンキエ・エクレオ島事件」判決において、この原則を採用し、領土紛争を裁断した。すなわち、主権に関して対立する両国の主張において、どちらの国の主張のほうがより説得力を帯びているかということである。この場合、「優越的な主張」を提示できたほうが勝つことになる。



 さて、それでは上記の原則を踏まえて尖閣諸島における問題を考察する。

 周知のように、尖閣諸島については、わが国が1895年、繰り返し現地調査を行い、他国による領有の形跡がないことから、正式にわが国の領土に編入することを決定した。この際、中国(当時は清)からわが国の領土編入に対し、抗議がなされることはなかった。

 ここで、わが国が尖閣諸島を編入した手法について、国際法的に解説しておきたい。

 これは、いずれの国にも属していない地域の取得形態である原子取得(original acquisition)に該当すると解される。この形式の領土取得には先占(occupation)がこれに当たる。先占による領土取得の要件は以下のとおり。


①占有の主体が国家であること
②対象地が無主の土地(所有者のいない土地)であること
③実効的な占有が伴っていること
④国家に領有意思があること


 ①についてであるが、尖閣諸島の一部は私有地であり(大正島は国有地)、これら私有地を国が所有者から借り上げて(賃貸借契約を締結して)、登記を具備して管理している。この時点で、すでに①の要件は満たしていよう。


 ②については、編入以前に日本政府が繰り返し現地調査を実行し、尖閣諸島が無主の土地であることを確認し、編入していることは既に述べたとおりである。


 ③については、実効的占有とは、先占する国による統治権の現実の行使を指すものとされる。これは国際司法裁判所によっても確認されているところである。わが国は、2005年に尖閣諸島に不法上陸した中国人を、入管法違反で国外退去処分をしていることから、尖閣諸島においてもわが国の統治権は行使されていると言えよう。

 また、これに加え、魚釣島に日本の政治団体が設置した灯台を、2005年2月に正式に政府は認定し、この灯台を海図に記載して国の管理下に置いている。


 ④についてだが、これは上記の実効的な占有が存在すれば領有の意思も当然に推定されると解されるので、上記のように統治権を行使して尖閣諸島を領有しているという現実を鑑みるに、この要件は当然満たしている。


 上記のとおり、わが国の尖閣諸島の領有については何ら批判される点はなく、国際法的に見ても法的な瑕疵はなく取得されている。さらに、尖閣諸島には戦前、日本人が経営する鰹節工場があったのはこれもまた周知のことだが、このようにわが国は継続的かつ平和裏に尖閣諸島を戦前より領有してきたのであり、こうした事実は、尖閣諸島が法的に見てわが国固有の領土であることを意味している。

 そもそもとして、中国は戦勝国であるにもかかわらずアメリカが沖縄諸島を統治し、これら諸島を返還する際、その対象には尖閣諸島が含まれていたのに、何故当時抗議をしなかったのか。中国が言うように尖閣諸島が中国固有の領土であるとすれば、この当時に何ら抗議の意思を示さなかったというのは実に不可思議である。



 ここまで検討してきたが、尖閣諸島について、わが国が国際法的に容認されている領土取得手段である先占に基づき取得し、また実効性の原則である、「主権の継続的かつ平和的発現」によって統治してきたことは明白である。

 加えて、対立する主観的活動の相対的強さについても、これまで挙げてきたわが国の尖閣諸島に対する主権の行使に加え、中国の領有権主張は、国連の調査によって、1971年に同諸島周辺に地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降であることから、主観的活動の相対的の面においても、わが国のほうが強いと言える。

 したがって、尖閣諸島は国際法的に照らしてわが国の領土であることは疑いない事実なのである。

必須の日米同盟強化

2010年10月31日 | 外交事情考察
「尖閣は日米安保対象」に反発=米国務長官発言で中国外務省(時事通信) - goo ニュース

【北京時事】中国外務省の馬朝旭報道局長は29日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)が米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約の適用対象になるとしたクリントン米国務長官の発言について「絶対に受け入れない」として、重大な懸念と強い不満を表明する談話を発表した。



 尖閣問題においては、何よりもまず日米同盟の強化こそが最優先で行われるべきだ。とは言うものの、口先だけの現政権には全く期待していないのは言うまでもない。

 日米同盟強化云々と言い出すと、すぐに低俗な批判が現れるが、その中でも滑稽のは、次のようなものである。


馬鹿な批判その1
今回の尖閣での事件で、アメリカは何もしてくれなかった。

→それは当然である。これでアメリカが何か具体的なアクションを起こしてきたら、それはそもそも内政干渉である(笑)。したがって、アメリカが尖閣について、「日中二国間の問題」と述べたのは当然のことである。尖閣問題はアメリカの領土問題ではない。


馬鹿な批判その2
尖閣の事件で、日米同盟の非有効性が明らかになった。

→全くもって間違っている。日米同盟は、「有事の際に」発動されるものであって、今回のような「平時」に何か目に見えるかたちで発動されるものではない。

 民主党政権の肩を持つわけではないが、むしろ前原がクリントンから「尖閣は日米安保の適用対象」という言質を引き出したことこそ、平時での「具体的効果」と言ってもよい。

 中国が日米同盟を嫌がっているのは明らかである。日米同盟があれば、アメリカの極東でのプレゼンスが常に何らかのかたちで存在するのだから、これから極東での覇権を狙う中国にとって「目の上のたんこぶ」であるからだ。それはこの記事からも見て取れる。



 また、しばしば、「日米同盟があっても、有事の際にアメリカが日本を守ってくれるかは疑わしい」という批判もあるが、これは確かに一部傾聴に値するものであるが、これもまたおかしな批判である。

 確かに、そのような可能性はあるだろう。だからこそ、日本が自前で自国を防衛できるだけの力を持たねばならない。無論、それだけが日本が自国を自前で防衛するだけの軍事力を持つ必要がある理由ではないが。

 しかし、普通に考えて、二国間で締約した条約において、明文をもってアメリカの日本防衛義務が明記されている以上、日本を守らない可能性よりも、日本を守る可能性のほうが高いと考えるのが合理的な判断というものだ。


 だが、ここで考えられるのは、日本の幼稚な反米的態度により、アメリカが日本防衛を真剣に考えなくなる可能性だ。

 反米論者はすぐに日米関係が対等ではないと言うが、「対等」というのは、同じリスクを払い、同じ境遇にいるからこそ、そうなのであって、現在の日米関係が、対等なわけがない。血を流して他国を守る義務がある国と、その国によって守られる国とが対等であるはずがない。

 だからこそ、そこで生じている「溝」を埋めるために、たとえば集団的自衛権の一部容認やインド洋での給油活動の再開といった、日本もそれ相応の負担をする必要があるのだ。その負担をすることによって、アメリカが日本のために血を流す覚悟をさせなければならない。片務的な条約を結んでいる以上、それによってはじめて「対等」となることができる。



 日本はアメリカの同盟国である。この事実こそが日本が極東において存在感を示す何よりも有力な手段であり、また、中国に対する抑止力になるのである。現在のような状況だからこそ、日米同盟の強化が絶対に必要なのである。

おバカな仙谷さん、「習熟」以前の問題ですよ

2010年09月29日 | 外交事情考察
仙谷官房長官反省…「中国に習熟すべきだった」(読売新聞) - goo ニュース

 仙谷官房長官は29日午前の記者会見で、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる日本政府の一連の対応について「司法過程についての理解が(日中間で)ここまで異なるということについて、もう少し我々が習熟すべきだったのかなと思う」と述べ、当初の見通しの甘さを認めた。
 仙谷氏は中国人船長以外の乗組員14人と船体を中国側に引き渡す方針を決めた13日の記者会見で「船員と船が(中国に)帰れば、違った状況が開ける」と事態打開への期待を示した。しかし、中国はその後も反発を強めた。
 これについて、仙谷氏は「『中国も理解してくれるだろう』と判断していた。(中国でも)司法権の独立とか、政治行政と司法の関係が近代化されてきているとの認識を持っていたが、あまりお変わりになっていない」と指摘した。



 仙谷の読みの甘さは遥か前からすでに分かり切っていたことだが、それにもまして重症なのは、彼がいまだに今回の「失敗」の原因を、「司法過程の違い」などというものに求めている点だ。

 この、仙谷の救い難い(とは言っても、救うつもりはさらさらないが。)アホさ加減を明らかにするために、今一度、今回の件についての、日中両国の主張を整理してみよう。


 まず、日本の立場

→尖閣諸島において、領土問題は存在していない。

 次に、中国の立場

→明治初期より、釣魚島は中国領土である。


 ここで分かることは、両国とも尖閣諸島を「自国固有の領土」と認識している点だ。このことを法的に考えれば、両国とも尖閣諸島において適用される法律は、自国の法律ということになる。

 ということは、中国からすれば、尖閣諸島沖で起こった事件について、同諸島が中国固有の領土と認識している以上、そこにおいて日本の法律が適用されることそれ自体、もはやあり得ないことなのである。

 したがって、船長が日本の法律により身柄を拘束されること自体、中国からすれば許されないことになる。中国からしてみれば、自分の家にいたにもかかわらず、外国の法律を適用されて逮捕されたに等しいのだ。

 このように、中国からすれば一方的に日本が自国の法律を適用しているのであるから、これに「強烈な対抗手段」を講じることは当然の対応といえる。

 要するに、法の適用を小前提と考えるならば、日本と中国との間では小前提である法適用の前提となる、いわば大前提となる領土の帰属について見解が分かれている以上、仙谷のように、「司法過程の違い」などとい点に今回の原因を求めることは、非常に頭の悪い人間のやることなのである。

 「司法過程の違い」が本当に今回の原因なのであれば、その場合、その小前提の前提である大前提について両国の見解が一致していることがなければならないが、周知のように、そのような事態には全くない。



 仙谷は「読みの甘さ」と弁解しているようだが、このようにそもそもの前提すら理解できていなかった者が指揮をしていたのだから、読みの甘さ以前に、今回日本が「敗北」するのは最初から明らかだったのである。

国際司法裁判所を使うな

2010年09月29日 | 外交事情考察
前原外相「船長逮捕は当然」 再発の場合も逮捕の考え(朝日新聞) - goo ニュース

 前原誠司外相は28日午前の参院外交防衛委員会で、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件について「漁船が海保の巡視船に体当たりをし、(巡視船が)沈没したかもしれない悪質な事案であり、公務執行妨害での逮捕は当然だ」と述べ、逮捕の正当性を強調した。斎藤嘉隆委員(民主)の質問に答えた。
 前原氏はまた、「同様の事案が起きればまた日本の国内法に基づいて対応するのは当然だ」と語り、同様のケースが再発した場合、逮捕もありうるとの考えを強調した。海上保安庁が撮影した事件当時のビデオテープについては「明白に中国漁船がかじをきって体当たりをしてきた。故意ではなくてミスで当たってきた場合は、当たる瞬間とか直前とか、当たった後でエンジンを逆回転させて(海上保安庁の巡視船から)離れる措置をとるはずだが、そういった形跡はまったくなかった」と状況を説明した。



 なぜ、タイトルのように書いたのか。答えは明確かつ簡単である。その前にまず周知の前提知識として、国際司法裁判所に提訴するには、関係国両国の合意が必要である。つまり、日本だけでなく、中国の合意をも必要ということだ。

 それでは、どうして国際司法裁判所を使うなと言うかというと、それは、中国が日本の提案に同意するという確証はどこにもないからである。

 これまた周知のとおり、日本の立場というのは、(一部閣僚でも知らない者がいるのには唖然とするが)「尖閣に領土問題は存在しない」というものである。

 にもかかわらず、中国が同意する保証もないのに危険をおかしてまで、日本が国際司法裁判所への提訴を提案するとなると、上記の見解を否定するだけでは済まない。

 もし中国がこれを拒否すれば、日本は自主的に尖閣は領土問題と認めただけで、しかも中国が拒否すれば提訴もできないという、日本にとって何の得にもならない結果がもたらされる可能性が高いからだ。つまり、日本の自爆で中国がメシウマということになりかねないということだ。


 よって、国際司法裁判所に提訴することによって尖閣問題が解決できるなどという淡い期待は抱かぬことだ。

ただし、日本にも落ち度はある

2010年09月20日 | 外交事情考察
中国、閣僚級以上の往来停止=「強烈な対抗措置」と警告―日本の船長拘置延長に反発(時事通信) - goo ニュース

【北京時事】中国外務省は19日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近で起きた日本の巡視船と中国漁船の衝突事件を受けて、日中間の閣僚級以上の往来の停止、航空路線増便の交渉中止、石炭関係会議の延期などの措置を取ったことを明らかにした。
 王光亜外務次官は同日夜、日本側が中国漁船船長の拘置延長を決めたことを受けて、丹羽宇一郎駐中国大使に電話で抗議し、「日本側が船長を即時無条件に釈放しなければ、強烈な対抗措置を取る」と警告。「中日関係は既に深刻な損害を受けており、今後事態がどう発展するかはすべて日本側の選択にかかっている」と強調した。
 北京の日本大使館によると、丹羽大使は事態をエスカレートさせないよう、中国側に冷静かつ慎重な対応を求めた。また、中国側が機材を搬入したことが明らかになった東シナ海のガス田「白樺」(中国名・春暁)について、一方的な開発行為を控えるよう要求し、「これまでの合意に反するようなことがあれば、しかるべき措置を検討せざるを得なくなる」と申し入れた。
 日中間では小泉純一郎元首相の靖国神社参拝を受けて、首脳や閣僚級の相互訪問が中断したことがある。中国側が今回の衝突事件を「領土、主権にかかわる問題」として強硬な姿勢を示したことで、日中関係に大きな影響が出るのは避けられない見通しとなった。
 中国側は事件後、東シナ海の天然ガス開発をめぐる日中政府間の条約締結交渉や、全国人民代表大会(全人代)幹部の訪日を延期した。このほか、ガス田に機材を搬入したり、海洋監視船の活動を活発化させたりしたほか、中国企業の訪日観光団取りやめも明らかになっていた。



 タイトルにはこのように書いたが、前のエントリーにおいて述べたように日本に非はない。したがって、これは日本が現在中国に対して執っている手段を批判するものではない。そうではなくて、日本のいわば「リスク分散」について、日本にも落ち度があると言っているのである。


 ここで言う「リスク分散」とは、わが国の企業はこれまで中国一辺倒で経済的な投資を行ってきた。これはわが国の一部マスコミが対中投資を煽った結果でもあるのだが、その結果、周知のとおり、今やわが国の経済は中国なしには機能しなくなってきている。

 このような事実があるからこそ、中国は日本の足元を見て、次々と日本を揺さぶる強行手段に打って出れるのである。


 つまり、確かに、中国は人件費も安く、土地も豊富だったりと、日本の企業には魅力的な場所であったかも知れない。しかし、日本の企業は中国にばかり投資をし過ぎた。だからこそ、中国にそれを見透かされて今のようなことになっているのである。

 もうやってしまった話なので今さら言ってもしょうがないかも知れないが、中国に一辺倒的に経済依存をするのは、今回のような場合だけでなく、そもそも中国の政治体制や経済状況を見ても、不安定要素は多々あり、危険だったのである。

 これは大方の経済界の者なら認識できていたはずだ。だからこそ、中国に極端に依存するかたちで投資するのではなく、たとえば台湾や東南アジアなどに分散的に投資をし、リスクを分散しておけば、中国に弱みに付け込まれずに済んだはずだ。



 ここはいっそ、危機を方向転換のチャンスと捉え、これまで危惧されてきた対中一辺倒の投資を見直すべきではないだろうか。

尖閣における中国の不法について

2010年09月20日 | 外交事情考察
尖閣衝突 船長勾留を延長 中国反発 政府「国内法の問題」(産経新聞) - goo ニュース

 沖縄・尖閣諸島周辺の日本の領海内で、海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突した事件で、石垣簡裁は19日、公務執行妨害の疑いで逮捕、送検された漁船の船長、●其雄(せん・きゆう)容疑者(41)の勾留(こうりゅう)期限を、29日まで10日間延長することを認める決定をした。
 中国側は「強い報復措置」を警告するなど勾留延長に激しく反発した。外務省幹部は中国の反応について「遺憾だが冷静に対応するしかない。これは日本の国内法の問題だ」と述べ、中国が要求する船長の釈放には応じられないとの立場を強調した。
 閣僚級以上の交流停止などの報復措置について、日本政府は「事実関係を確認してから対応する」(福山哲郎官房副長官)考えだ。
 前原誠司外相は勾留延長が決まる前の19日午前、記者団に対し、衝突事件について「偶発的な事故だ」と指摘。今年は付近の海域が豊漁で、日本の領海内で操業する中国や台湾の漁船が多いとした上で「その都度追い払っていたが、1隻の船長がこちらにぶつかってきた」と説明した。
 前原氏は中国で18日に起きた衝突事件への抗議活動については「散発的で参加人員も少なかった。中国政府も冷静に対応していただいた」と評価していた。
 それだけに、今回の勾留延長に対する中国の反応について、民主党幹部は「偶発的な事故を政治問題と絡めるべきではない」と不快感を示した。
 前原氏によると、国連総会に合わせた21日からの訪米中に中国の楊潔★(よう・けつち)外相との会談は行われない。17日に外相に就任したばかりの前原氏は楊外相に直接見解をただす機会すら得られないことになる。
 日中首脳会談に続く見送りで、こじれた日中関係は対話の糸口すらつかめない状況にある。日中間の対立は長期化する可能性が高まっているが、日本側には揺るぎない姿勢が一層求められる。
 中国は東シナ海のガス田「白樺(しらかば)」(中国名・春暁(しゅんぎょう))の開発に向けた交渉を一方的に延期し、施設に掘削用とみられる機材を搬入するなど日本側に圧力をかけてきている。
 ●容疑者の逮捕容疑は7日午前10時55分ごろ、巡視船「みずき」が立ち入り検査のため追跡した際、船のかじを左に大きく切ってみずきの右舷に衝突させるなどし、海上保安官の職務執行を妨害したとしている。乗組員14人は事情聴取後13日に帰国した。(●=擔のつくり、★=簾の广を厂に、兼を虎に)



 今回の尖閣諸島における事件は、わが国に落ち度はなく、中国が悪いのは言うまでもないが、一つ危惧されることは、矢継ぎ早に出される「対日カード」に、日本側が変なかたちで折れてしまうことである。


 まず、今回の事件について、司法の行動に政府が容喙するのであれば、それは大津事件を引き合いに出すまでもなくわが国の法治国家としての立場上、許されないことは当然だが、ここでいう「変なかたちで折れる」とは、拿捕した船長を不起訴処分にしてしまったり、最悪の場合、中国からの圧力に折れて、船長を送還してしまうようなことである。


 今のところ現在の政府は、案外自民党政権以上に中国の不法に対し毅然と対処しているが、これまでこのように毅然と対処してきているからこそ、途中で折れてしまうのは、中国の主張を認めることと等しいのと同時に、わが国が進んで自国の主権を放棄したに等しく、したがって誤ったメッセージを国際社会に発信してしまうことになりかねない。

 だからこそ、一度「毅然と対応する」と決めた以上、中国がいかなる報復に出ようとも、これにたじろがず、執行猶予で強制送還でもいいので、きちんとわが国の司法判断により、船長を処罰するべきなのだ。



 ところで、尖閣諸島はわが国固有の領土であることは言うまでもない。これは、第二次大戦後沖縄とともにアメリカが尖閣を統治しており、沖縄と一緒に尖閣も返還してきたことからも明らかである。しかもその際、中国が公式にこれについて文句を言ってきた形跡はうかがえない。

 中国が尖閣の領有権を主張しはじめたのは、国連の調査により、尖閣近海に大量の天然資源が埋蔵されていることが明らかになってからである。本当に中国が尖閣を自国の固有の領土と考えるならば、どうして沖縄と同時に尖閣がアメリカの施政下に入ったとき、これに異議を唱えなかったのか。



 話は戻って、中国の対抗措置が強硬になっていくからといって、こちらもカウンター的に強硬措置を執る必要はないと思う。こちらは法治国家の理念の下、公務執行妨害という日本の刑法に抵触する行為をした船長を、わが国の司法システムの下、粛々と裁いて、刑罰を与えるだけでいい。

 うかつに対抗措置を取ることは、子供染みた中国と同じ土俵に上がることになり、逆に尖閣には領土問題は存在しないとするわが国の主張を崩すことになりかねない。これは国際社会においてわが国が尖閣の領有権を主張するにあたり、プラスに働く可能性は高くないと思う。



 要するに、一度船長をわが国の法律に照らして処分すると決めた以上、これは絶対に最後まで曲げてはならないということだ。下手に譲歩すると、尖閣に領土問題が存在すると国際社会から思われてしまうからだ。

リベラルは言っていたはずだ

2010年09月20日 | 外交事情考察
船長拘置延長、中国「強烈な報復措置講じる」(読売新聞) - goo ニュース

【北京=佐伯聡士】中国漁船衝突事件で中国人船長の拘置延長が決まったことについて、中国の王光亜・筆頭外務次官は19日夜、丹羽宇一郎・駐中国大使に電話で抗議を行い、「日本側が船長を即時無条件釈放しないなら、中国側は強烈な報復措置を取り、その結果はすべて日本側が負うことになる」と警告した。
 日本大使館によると、丹羽大使は中国側に冷静かつ慎重な対応を求めた。また、東シナ海のガス田に掘削用ドリルのような機材が搬入されている問題についても、一方的な開発行為を控えるよう要求した。
 中国中央テレビによると、中国外務省は、報復措置として、日本との間での閣僚級以上の省庁・地方政府間の交流のほか、8月に合意したばかりの航空路線増便のための協議などを中止したことを明らかにした。中国は、2001年に李登輝・元台湾総統の訪日に抗議して、閣僚や次官級の訪日を相次ぎ中止する措置を取ったことがある。



 今からすれば昔のことのようだが、小泉純一郎という人が総理大臣をやっていたとき、彼は毎年欠かさず靖国神社に参拝していた。

 これに対し、リベラル(笑)な御仁たちは、「靖国参拝がアジア外交の停滞を招いている」と激しく批判していたもんだけど、菅内閣は誰も靖国神社に参拝してないのに、どうして日中関係は停滞してるのかな?誰か説明してよ、リベラルな人(嘲笑)


 要するに、(リベラルが指すところの)「アジア」は、こちらが彼らの嫌がること、ないしは彼らの要求に従わないことをすると、すぐにこのようにへそを曲げて日本を揺すり、譲歩を引き出そうとするのだ。

 リベラルな御仁は全く理解できていなかったようだが、靖国参拝は彼らがゴネるための一つのカードにすぎず、したがってこのカードが使えなくとも、他の「ゴネ得カード」がなくならない限り、こうした一方的な関係悪化は永続的に生じるわけだ。

 現に、前原は民主の代表だった頃、小泉の靖国参拝を批判していたにもかかわらず、中国脅威論をぶっただけで訪中時に予定されていた会談を一方的に破棄された。



 彼らと「友好的な関係」を構築するというのは、したがってこちらが一方的に彼らの要求を飲み、それこそ「朝貢関係」にならなければ成立しないものなのである。たかが神社一か所の参拝を控えただけで好転するようなものではない。


 こちが側が何をしたって、どうせ彼らはゴネるのだから、クソの足しにもならないような談話なんか出す必要もないし、ましてやこんな国に媚びる必要など一切ない。

 なので民主は、こんな連中の駄々など一切相手にせず、日本の国境にある島々の産業活性化と過疎化対策、自衛隊駐屯を真剣に検討すべきだ。尖閣諸島に設置されている灯台の整備を口実に民間企業を海上保安庁の護衛付きで尖閣に派遣してもいいだろう。



 要するに、こんな連中のことなど無視をしていればいいのである。しかしまぁ、リベラルが期待していた民主党政権が、リベラルが批判してきた小泉政権よりも対中関係を悪化させるなんて、皮肉としか言いようがない(笑)。

仙谷氏に教えてあげたい対韓援助の真実

2010年07月07日 | 外交事情考察
日韓戦後処理は不十分=「改めて決着必要」―官房長官(時事通信) - goo ニュース

 仙谷由人官房長官は7日の日本外国特派員協会での記者会見で、韓国との戦後処理について質問を受け、「一つずつ、あるいは全体的にも、この問題を改めてどこかで決着を付けていくというか、日本のポジションを明らかにする必要があると思っている」と述べ、従来の政府の対応は不十分だとの認識を示した。
 これに関連し、仙谷氏は同日の記者会見で、日韓請求権協定で消滅した個人の請求権について「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか、物事が済むのかという話だ」と述べ、政治的判断で個人補償を行うべきだとの考えを示唆した。仙谷氏の発言は日韓両国の間に波紋を呼ぶ可能性がある。



 韓国への戦後補償だが、1965年の国交正常化当時に締結された日韓経済協力協定に基づく援助からそれははじまる。

 その内訳は、有償で2億ドル(約720億円)、無償で3億ドル(約1080億円。内訳は日本人の役務10年と生産物の供給)、これらとは別に民間の経済協力が3億ドル(約1080億円)の、合計8億ドル(約2880億円)にのぼる。これはあくまでも当時の貨幣価値であるので、現在の価値に直せば3兆円近い規模になる。

 韓国はこの補償により、かの有名な「漢江の奇跡」とよばれるほどの経済発展を遂げることができた。


 それから以降の日韓経済協力は、年間190億円ベースでの借款を中心になされてきた。1983年には、当時の全斗煥政権の要求により、新たに7年間で18.5億ドル(約4186億円)の円借款と、市中銀行との協調融資を含めた融資枠21.5億ドル(約4864億円)の援助がなされている。

 今から約10年ほど前に生じた韓国の経済危機では、日本は30億ドルの資金提供を行っている。


 1998年度までの韓国への日本のODAの実績は以下のとおり。

 無償資金援助47億2400万円
 無償技術援助239億9400万円
 有償資金援助6455億2700万円
 
 上記の合計は6742億4500万円。


 ただし、無償資金・有償資金の援助は90年度でやめになったが、無償資金援助はその後の続けられ、99~2002年で3億1361万ドル(約300億円以上)なされている。要するに、日本の韓国へODA総額は7000億円を超える。


 ちなみに、韓国の地下鉄第1号、浦項製鉄所は日本の資金援助と技術援助により完成したものである。



 仙谷氏は知ってとぼけてるのなら確信犯だし、知らないのなら今から勉強しなさい。無知が国を滅ぼしかねない。

条約のイロハも知らぬ「知識人」

2010年05月11日 | 外交事情考察
韓国併合条約「当初から無効」 日韓知識人が共同声明(朝日新聞) - goo ニュース

 今年、韓国併合100年になるのを機に日本や韓国、在日コリアンの歴史学者、ジャーナリスト、小説家ら200人余りが署名した日韓知識人共同声明が10日、東京とソウルで発表された。
 「両国政府と国民が共同の歴史認識を確認することが重要」として和田春樹・東大名誉教授や荒井信一・茨城大名誉教授らが発起人となり、作家の大江健三郎氏らが署名した。韓国併合(1910年)について声明は「日本が韓国皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現した」とする。日本政府は65年の日韓国交正常化に際して「併合条約は対等の立場で、自由意思で結ばれた」という解釈をとったが、声明は「併合に至る過程が不義不当であり、同様に併合条約も不義不当であり、当初から無効だった」としている。




 笑止千万な宣言である。韓国は未だに日本への反発をバネにしなければ自身のアイデンティティを確立できないルサンチマンになり下がってしまったのだろうか。


 まず、条約の効力についてであるが、これについては条約法条約が規定する。条約法条約による条約の無効原因は以下のとおり。


条約の締結権能に関する国内法の規定違反
国の同意を表明する権限に付された制限違反
錯誤
詐欺
代表者の買収
代表者に対する強制
武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制
一般国際法の強行規範違反


 本件で問題となるのはおそらく、(1)代表者に対する強制、(2)武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制、の2つのであろう。


(1)代表者に対する強制

 これは、国家を代表して条約の締結に当たる者に脅迫等の強制を加えて締結した条約は無効になる、というものである。代表者の身体・名誉や財産への脅迫の他、代表者の家族に加えられる脅迫もこれに該当する。


(2)武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制

 これは、読んで字のごとく、武力の強制により締結された条約は無効ということである。ただし、条約法条約は、国連憲章に違反する武力による威嚇または武力の行使による強制に限定して、条約の無効を認めている(条約法条約52条)。


 が、お分かりのように、これはあくまでも「戦後」打ち立てられた国際法であって、日本が韓国を併合した戦前に存在したものではない。条約法条約には遡及効(過去にさかのぼって生じる効力)はない(条約法条約4条)。したがって、日韓併合時に遡り、これら規定の効果を及ぼすことはできない。


 また、伝統的に国際法上、国の代表者に対する武力による強制は条約を無効にするが、国家に対する強制は条約の無効原因にはならないと解されてきた。条約というものが、現在においてもなお、一定の軍事力を背景に結ばれることを考えると、当然の法理である。ナポレオンが、「外交とは華麗な衣装をまとった軍事である」と言ったのは周知のことだろう。



 ところで、2001年11月16日から17日にかけて、アメリカのケンブリッジで開催された国際会議において、日韓併合の法的効力について議論がされたことがあった。

 ここで韓国は、日韓併合が法的に無効であることを韓国政府を挙げて主張したのだが、イギリスの国際法学者等から合法論が強く主張され、国際舞台で無効論を広めようとした韓国の目論見は失敗に終わったことをご存知だろうか。

 しかも、こうした韓国の主張は、欧米の学者、とりわけ国際法を専門とする学者からは、全く受け入れられなかったのであった。


 当会議において合法論を強く主張していたケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授は、自分で生きていけない国について周辺の国が国際秩序の観点から、その国を取り込むというのは当時はよくあったことで、日韓併合は国際上は不法なものではなかったと述べているのである。


 さらに、国際法学者である坂元茂樹関西大教授によれば、「第二次日韓協約が締結された1905年に、慣習国際法上、条約の無効原因として承認されていたのは国の代表者に対する強制のみ」であって、「強国が弱国に対して行う武力による威嚇又は武力の行使による条約の強制は必ずしも条約の無効原因とはみなされていなかった。」と、あの雑誌「世界」(1998年9月号)において述べているのである。


 そもそも、道義的に問題があるからといって、それによりただちに法的な効力まで否定するというのは論理の飛躍であるし、それを言い出せば条約などほとんど結べなくなるだろう。



 さて、ここまで述べれば、彼ら「知識人」の主張がいかに特定のイデオロギーに満ちた恣意的な解釈に基づき、しかも相当無理のある解釈により導きだされた結論であるか、お分かりいただけたかと思う。



 余談だが、外国人参政権の議論において、在日韓国・朝鮮人らは、1952年の民事局長通達により日本国籍を一方的に剥奪されたと主張するが、日韓併合が当初から法的に無効ならば、彼らは(実際上の)日本統治下においても李氏朝鮮籍(?)を有したいたわけであり、日本国籍など最初から保持していなかったということになるが、この主張との整合性はどう取るのか、気になるところである(笑)。

無人島案はナンセンス

2010年02月27日 | 外交事情考察
県外移転候補「馬毛島」など提示へ 普天間問題で社民(朝日新聞) - goo ニュース

 社民党は26日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐり、沖縄県外の国内移設先として馬毛(まげ)島(鹿児島県西之表市)や陸上自衛隊相浦駐屯地(長崎県)、苫小牧東部(北海道)など具体的な地名を明記する方針を固めた。近く開かれる政府・与党の沖縄基地問題検討委員会に提示する。
 社民党はこれまで、今夏の参院選で改選を迎える福島瑞穂党首らが「沖縄県外の候補地を書き込めば地元から反発が上がる」として地名を挙げることをためらってきた。だが、照屋寛徳国会対策委員長や阿部知子政審会長らが「県外候補地を挙げなければ、社民党が第1候補として主張する米領グアムを米側から断られた時、また議論の流れが沖縄県内移設に戻ってしまう」と主張し、書き込む方向となった。



 本当にこの連中は軍事についての知識がことごとく欠如しているものだなと、改めて思った次第である。

 軍人といえども人間である。人間である以上は、何らかの「ストレス発散の場」がなければ、精神的に滅入ってしまう。のみならず、極限の精神状態に人間を長い間置くことは、非常に危険なことであることは、これまでの数々の事例において明らかにされている。

 軍人というのは、来るべき有事に備え、日々訓練を積んでいる。その訓練というのは非常に過酷であり、また、いざ戦争になれば自分たちがまず最初に死ぬことになるのだから、彼らが受けるプレッシャーやストレスは尋常ではない。

 しかしながら、基地を無人島に移転するとなれば、彼らから「快楽の場」を奪うことになる。先にも述べたように、これは非常に危険なことである。ひいては日米同盟の機能不全すら危惧されることになりかねない。たとえ一時的という留保を付けるにせよ、実現すべきではない。


 これは、「慰安所」がどうして戦場に必要だったのかという問題と無関係ではない。以前にも述べたが、1960年代にコンゴへ、ガーナやインドの軍隊が「国連軍」が派遣されているが、彼らは国連が派遣した軍隊であるにもかかわらず、現地で略奪・強盗・強姦等の悪逆をはたらいている。そこでこのような事態を防止するために、予め民間業者に慰安婦募集を委託して、それによって連れてこられた女性たちが、慰安婦なのである。

 このように、常に死と隣り合わせの軍人が、きちんとその職務をこなすには、彼らのストレスを少しでも緩和することが絶対に必要なのである。そのような施策を行わないことのほうが、彼らが武力を持った集団である以上、逆に危険なのである。それこそ、社民党のお好きな「シビアンコントロール」とやらも働かなくなる。

 こうしたことは、われわれ自身に置き換えても分かる。日々仕事を行い、そこでストレスや疲労も蓄積される。しかし、これを発散する場がないとしたら、どうだろうか。そうすると、人は暴力や略奪によってこれを発散しようとする。残念ながら、社民党の聖人君子の代議士の諸先生たちと違い、人間一般の理性というのはその程度のものなのだ。



 軍事力というのは、ただ闇雲に押さえつけて隔離しておけばいいというものではないはずだ。武力といった強制力を持った集団を管理する以上、彼らにそれ相応の対価を保障しなければ、先ほども言ったようにシビリアンコントロールもおぼつかない。

 しかしながら、かの政党には全くこうした考えが存在しない。「臭い物にはフタをしろ」で思考停止してしまっている。これでは国民の安全は保障されず、沖縄の基地問題も進展しない。

 あえて言う。米軍を移転するのは沖縄県内の歓楽街のある場所にせよ、と。

日米同盟は国益の真髄

2009年12月06日 | 外交事情考察
日米協議「もう限界」 岡田外相、普天間解決に危機感(朝日新聞) - goo ニュース

 岡田克也外相は5日、那覇市で地元紙の沖縄タイムス社の岸本正男社長らと会談し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐる日米協議について「2カ月間みっちりやってきた。もう限界だ」と述べた。鳩山内閣は年内決着を見送ったが、同県名護市辺野古に移設する日米合意の履行を求める米側の反発は強く、辺野古以外にこだわれば移設そのものが困難になるとの厳しい認識を示したものだ。
 同席者によると、岡田氏は岸本氏との会談で、これまで模索してきた嘉手納基地への統合について「難しい」と表明。「(現行計画は)日米間で煮詰まっていた話。元に戻って議論とはならない」「選択肢はもうない」などと、辺野古移設を受け入れるしかないとの考えを示した。



 日米同盟は、日本にとってそれこそ「掛け替えのない」ものであり、日本の国際的プレゼンスにとっても不可欠な関係である。

 しばしばサヨクの御仁は、日米安保破棄を唱えるが、では、何をもって日本の国益と安全を確保するのか。まさか憲法9条などと言うのではあるまい。そんな妄言は噴飯ものであるから、言わないほうが恥をかかないで済む。

 そもそも、彼らが無償で平和を享受し、昼間から寝言を言ってられるのも、日米同盟があるおかげである。世界最強の軍事国家と同盟を結んでいるからこそ、日本は未だに憲法9条などを替えずに済み、軽武装でいられるのだ。


 また、アメリカと対等な関係になること=何かモノ申すこと、という、思春期の中学生ばりの発想にも辟易させられる。

 「対等」というのは、同じリスクを払い、同じ境遇にいるからこそ、そうなのであって、憲法9条を守り、カネは出すが、人的負担はアメリカ、というのは、対等とはほど遠い(カネはアメリカも出している)。口は出すけど行動はしない人を、対等な関係と捉える人がいるだろうか。

 そこまで「対等」を主張したいなら、憲法9条こそ真っ先に改正されるべきなのである。護憲もして対等というのなら、日米同盟を破棄して周辺の軍事国家におびえる生活をするしかない。憲法9条で平和になるぐらいなら、とうの昔に地球上から戦争はなくなっている。


 日米同盟というのは、日本が有事になった際、アメリカが戦争状態でないにもかかわらず、日本防衛のために血を流すという関係であって、そこらの「同盟」とは次元が違う。こんな人的負担の面で片務的な同盟を結んでくれる国など、そうはない。たいていの場合、「それ相応の」人的な負担も求めるものだ。

 いたずらにアメリカのご機嫌を取れと言っているのではない。対等なら対等で結構だが、その関係になるための「覚悟」はあるのか、ということを問うている。その「覚悟」というのが、先述してきた、憲法9条の改正であり、日本の独自武装路線である。

 覚悟もろくにないくせに、国家間の合意を反故にし、同盟国を振り回すのは、対等なのではなく、対等になれないことを自覚している負け犬のやることだ。

東アジア共同体構想が頓挫する理由

2009年09月30日 | 外交事情考察
東アジア共同体構想 中国が発案、時代遅れ 米専門家(産経新聞) - goo ニュース

 米国議会の政策諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」のラリー・ウォーツェル副委員長は28日の産経新聞との会見で、鳩山政権が提唱した「東アジア共同体」構想について、「本来、中国が米国(の影響力)を東アジアから後退させる意図で開始した外交作戦で、すでにアジアの多くの国から排されており、日本の提案は遅すぎる」との見解を語った。
 中国の外交や対外戦略に詳しいウォーツェル氏は、「日本の新提案の具体的な内容は不明だが、基本的に中国が2005年ごろから東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議などで打ち上げた、外交作戦としての『東亜共同体』と同様の構想だろう。そのときの中国の意図は、東アジアから米国(の影響力)を後退させることだった」と述べた。
 同氏はさらに日本提案の東アジア共同体構想について、「アジアの多数の国からも米国からも広くは受け入れられず、あまり進展しないだろう」と予測。中国の東アジア共同体構想はすでに多くのアジア諸国から排され、ほぼ死んでいた(状態だった)ため、この時期に日本が同様の構想を再提案すること自体が遅すぎた観があると指摘した。



 私は、この東アジア共同体構想は間違いなく頓挫すると考えている。その理由を以下で述べる。



 まず、しばしば東アジア共同体構想のモデル等としてEUが取り上げられるが、この比較自体がそもそも間違っている。

 EUは、基本的人権・自由・法の支配・市場経済・民主主義という、基本的な価値観を共有できる国同士(その意味において、同士ではなく「同志」と表現してもいい。)の共同体であるのに対し、日本と中国とでは、この基本的価値観自体が共有できていない。

 こうした国家の根幹となる価値観が共有できていないのに、たとえば統一通貨の発行等、共同体としての行動が、どうしてできるというのか。そもそも、通貨に関しては、日本が資本主義で中国が共産主義の時点で、統一したものができるとは思えないのだが。

 また、確かにドイツとフランスは長い間関係が芳しくなかったが、現在の日中関係のように、領土や資源でもめたり、一方の国のミサイルが他方の国に向けられているという事態はない。しかし、日本と中国とでは事情がまるで異なる。中国が日本を仮想的とみなしているのは、相次ぐ領海侵犯行為等からして、明らかである。

 さらに、東アジア共同体をぶち上げるにあたり、台湾をどうるすのかで、またしても日中で軋轢が生じる可能性がある。思うに、仮に東アジア共同体が実現すれば、その時は台湾は中国に併合されてしまっているのではないか。そうなれば、日本の安全保障上、極めて深刻なことになる。

 何よりも一番問題なのは、法の支配という、もっとも基本的なルールについて、日中ではとらえ方が異なっているという点である。

 一言で言って、中国には確かに「法」(のようなもの)が存在しているが、かの国の基本原理は、法の支配ではなく「共産党による支配」なのである。中国に法の支配という概念が存在しないのは、著作権等を侵害する模倣品が後を絶たないこと、そしてチベットやウィグルにおける民族弾圧等を見れば明白だろう。

 余談だが、以上のことから、安倍内閣等が推進した「価値観外交」は正しいものであったと言うことができよう。



 次に、これも根本的なことだが、東アジア共同体を構築するにあたって、日本にいかなるメリットがあるのか、さっぱり分からない。日本が参加することによるデメリットは容易に想像できるのだが、その反対の利点はあるのか。

 思うに、このような共同体を構築しても、日本は都合のいいように金づるにされ、資源も技術もカネもこそぎとられるだけという結果になる。拉致問題も、東アジアの非核化も何も達成できず、ただただ日本にとって不幸なことばかりが続くものになると思う。



 ところで、中国の胡錦濤氏は、2005年の「世界最悪の独裁者ベスト10」において、あのリビアのカダフィを抜いて4位である。なお、1位はダルフール紛争が続いているスーダンの最悪の独裁者バジール、2位はかの金正日、3位はミャンマーのタン・シュエなのだから、中国がいかに非民主的で法の支配がなく、人権も踏みにじられている国か、よく分かるはずだ。

 当然のことながら、独裁者ランキングにEU加盟国の元首はランクインしていない。このような国である中国と共同体を築こうなどとは、正気の沙汰の発言とは思えない。



 日本の組むべき相手はアメリカである。日本が外交関係を結んでいる国で唯一アメリカだけが、日本を有事の際に防衛する義務を法的に負っている国である。また、アメリカとは先述した価値観を共有している。したがって、日米同盟の強化こそが、日本が極東における存在を維持する上で不可欠なことなのである。

 
 最後に簡単なたとえをもって、東アジア共同体構想の批判をして終わろうかと思う。

 社会で生きていくためには、価値観の異なった人とも付き合っていかなければならない。しかし、そうした人と同居することはできるだろうか。つまり、価値観等の異なった国とも友好的に付き合っていくことは可能だが、そのような国と共同体として生きていくならば、そこでは確実に意見がぶつかり、両国の関係は逆に悪化するだろう。

 互いに一定程度距離を置いて付き合ったほうが、うまくいく関係というのもあるのだ。価値観の異なる国と無理して同居する必要はない。ましてや日本には、「お前を守る」と宣言している頼もしい恋人(アメリカ)がいるのだから。その恋人を差し置いて、価値観の違いを無視してまでやくざ者と付き合う必要は全くない。

青山繁晴氏らへの疑問

2009年07月11日 | 外交事情考察
核密約文書、外務省幹部が破棄指示 元政府高官ら証言(朝日新聞) - goo ニュース

 日米両国が、60年の日米安保条約改定時に、核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港や領海通過を日本が容認することを秘密裏に合意した「核密約」をめぐり、01年ごろ、当時の外務省幹部が外務省内に保存されていた関連文書をすべて破棄するよう指示していたことが分かった。複数の元政府高官や元外務省幹部が匿名を条件に証言した。
 01年4月に情報公開法が施行されるのを前に省内の文書保管のあり方を見直した際、「存在しないはずの文書」が将来発覚する事態を恐れたと見られる。



 上記記事と直接関係のない話で恐縮だが、我が国において散見される、「核保有に関する議論はしてもいいが、核保有は許さない」という主張への違和感をここに表明したい。

 このような主張をする代表的な論者は、タイトルにも挙げた青山繁晴氏の他には、村田晃嗣同志社大学教授、岡村行夫氏らがおり(その意味で、タイトルに青山氏を挙げたのはただの例示にすぎない。)、彼らはしばしば穏健保守派と見られがちだ。

 もちろん、私としても日米原子力協定の存在等のため、日本が自前で核武装できる国家ではないと思っているため、日本自前の核武装論には与さない。しかしここで私の日本核武装論について論じることは本件では関係ないため省略するが、私は彼らと違い、自分を核武装論者と思っている。



 彼らのどこに違和感を持つかと言うと、そもそも「保有はしない」という結論が最初からできているのに、核武装論について論じたところでそれに一体何のメリットあるのか、そして生産的な議論ができるのか、疑問に思うからだ。

 次に、「日本核武装は許さない」と言っておきながら、アメリカの核の傘の有効性を主張するのは欺瞞ではないか、と思うからだ。日本の核武装を否定しつつ、アメリカの核の傘の強化を主張することは、結局日本がアメリカの核の傘により間接的に核武装するに等しい。

 先ほど私の核武装論をここで披歴するのは避けると言ったが、私の核武装論は簡単に言えば、アメリカの核を搭載した艦船等の日本への入港を許可し、非核三原則の廃棄をするというものなので、結局結論としてみれば彼らの主張とほとんど変わらなくなるだろう(彼らが非核三原則をどう考えているかはよく分からないが)。そしてこれこそが、日本がてっとり早く、しかも低コストで核の抑止力を手に入れる方法であり、思うに、これは立派な日本核武装論ではないか。にもかかわらず、どうして彼らは「日本の核武装を許さない」と言っているのだろうか。



 確かに日本は自前で核武装する能力はない(技術的、資金的な面ではなく、外交的、法的能力がないということ。)が、それでも日本核武装論について論じるときには、日本の自前での核武装という選択肢も常に念頭に置き、議論することが大切だと思う。当然ここでは最初から「日本は核武装はしない」という結論を置くことはない。

 私は核武装論者と言っても結局はアメリカの核の傘強化論者なので本当の意味での日本核武装論者とは言えないかも知れないが、いずれ核武装について精緻な議論がなされ、その結果日本自前での核武装が安全保障上最善とされれば、それと自分の上記理論を秤にかけ、前者が優れていれば私は自分の理論を放棄するつもりでいるし、アメリカの核には頼るが自分は核武装反対論者などという欺瞞的な主張を行うつもりもない。



 ところで、少なくとも上記の彼らは全員集団的自衛権行使容認派だと思うので、その集団的自衛権に関し政府が「有してはいるが行使はできない」と解釈していることについて批判的だろう。

 しかし、この政府の主張も彼らの核保有に関する主張と似ているのだ。

 集団的自衛権を持ってはいるがそれを行使できない。ということは実質的に見れば持っていないのと同じだ。したがって、持っていないに等しいものについて議論をしたところで、それは全く意味をなさない(これを行使できるようにしようという意味で集団的自衛権について議論をすることは意味がある)。

 「日本は核武装について議論はできるが核武装はできない」というのも同じで、できないものを議論したところで一体何の意味がそこにあるのか。もちろん、できないのにはそれなりに理由があるからなのだが、それならそう言えば核武装に関する議論の息の根を止めることができるのに、そうとは言わずに議論はせよというのはよく分からない。



 結局のところ、彼らは核武装反対派に分類されるのか、それともどうせ私とほぼ主張を同じくするのだから核武装容認派に分類されるのか。こうして彼らの主張の欺瞞性を眺めていたらますます分からなくなった。

 彼らは日米原子力協定やNPT体制等を口実に日本の核武装に反対するが、一方でアメリカの核の傘の強化をうたうというのは、一見すると反対派と容認派の間の折衷的な態度のように見えるが、その根底には日本の核アレルギーに対する考慮や自分も実は情緒的に核に反対という考えがあり、したがってこのような「議論はいいが保有はだめ」という主張をすることになるのだろう。

 彼らは、「私は日米同盟強化による核の傘の実質化こそ安全保障上最善であると考える」とだけ言っていればよいのに。