ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

法律は必要だが、内容を精査すべき

2013年11月22日 | 憲法関係
遅きに失した?海江田氏の反対表明…秘密法案(読売新聞) - goo ニュース

 民主党の海江田代表は22日、党本部で緊急の記者会見を開き、安全保障の機密情報を漏えいした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案に反対する方針を示した。
 海江田氏は「与党と維新の会、みんなの党の修正協議の中身には問題が多く、このままでは賛成できない」と述べた。
 民主党は、特定秘密の指定が30年を超える場合に第三者機関の承認を得ることなどを盛り込んだ対案を衆院に提出しており、22日も与党との修正協議を行ったが、進展はなかった。海江田氏は法案に賛成に転じる条件として、「対案を全面的に受け入れてもらうことが必要だ」と述べた。
 与党は日本維新の会、みんなの党の賛成を得て、法案を26日に衆院通過させる方針だが、維新の会の松野頼久幹事長代行は「26日の衆院採決には応じられない。採決してきた場合は、了承が変わる可能性は大いにある」と慎重な審議を求めている。
 民主党は、与党時代に秘密保護法制を検討した経緯があり、党内では自民党などとの修正協議をまとめたうえで賛成するべきだとの声も強かったが、リベラル派議員を中心とした反対論が押し切った。維新の会やみんなの党が与党と協議して修正案をまとめたのに対し、民主党は野党内で足並みをそろえることができず、海江田氏の決断について、民主党内から「遅きに失した」(参院幹部)と批判の声も上がっている。



 いわゆる特定秘密法案ですが、私は法律の必要性は否定しませんが、法案の問題点をきちんと洗い出し、それらを逐次解決して、時の政府による恣意的な運用を防止し、国家の存立に必要不可欠な秘密の保全と知る権利の絶対的確保との調和を図るべきです。したがって、拙速に成立させるのではなく、マスコミ等で指摘されている問題点を克服してから、熟議を経て制定するべきです。


 現政府の言うように、確かに国家間で重要機密を交換する際には、それが漏洩しないような法整備が必要なのは当然です。国家間の関係も信頼がベースですから、信頼を破壊するようなことをしていては、国益に直結するような情報を提供してもらえない危険性は大いにあります。したがって、国家間の信頼関係を醸成し、日本の存立の一助になるのがこの法律という考えは首肯できます。

 しかし、法整備をすればただちに機密情報を(現在よりも)提供してもらえるわけではないでしょう。そのようなことは、鳩山政権以降の民主党政権時代を思い出せばすぐに分かることです。つまり、いかに法整備をしたところで、「政治(家)がヘボかったら意味がない」ということです。日本の場合、政治家のレベルの低下は目に余るものがあると思います。海外から有益な情報を提供してもらいたいなら、選挙制度をはじめとして、日本の政治力の底上げこそ、私には必須のことだと思えます。

 この意味で、私は特定秘密法案に懐疑的なのです。いつまでも安倍内閣が続くわけではありません。また民主党のような連中が政権を握るかも知れません。そうした場合を考えると、時の政府の都合がいいように秘密を指定できたり、開示を無制限に延長できるような法律では、かえって国益を損じることにもなりかねません。



 情報は秘匿することも大事ですが、開示することもまた大事です。信頼ある国家として自国にとって有益な情報を入手するには、すすんで自国の情報も開示することが求められるのではないでしょうか。機密で雁字搦めの北朝鮮が自国に有利な情報を海外から多く入手できているとは思えません。周知のように、アメリカも基本的には情報の開示を行っています。

 誰だって自分にとって都合の悪い情報は隠したがります。それはこの法案を批判しているマスコミも同じです。だからこそ、情報を秘匿できる法律は、時の政府にとって都合の良いように解釈される余地はなくし、曖昧さを除去した法律にしなければならないのです。機密情報を逐一列挙して規定するのは困難でしょうが、この法律を作成するにあたっては、Aという情報を入手して公開するとαの条文に該当するから違法になるといったように、刑法のように行為者がどのような情報を入手したら罪にあたるかなどを、明確に透明性をもって規定すべきです。

 第三者機関が、ある情報が特定秘密に該当するか否かをチェックできるようにし、その第三者機関は政府から完全に独立し、選任は与党の推薦者、野党各党の推薦者、マスコミの推薦者、日弁連等法曹界の推薦者が各同数で構成される合議制の機関にすべきです。そして、政府による恣意的な法律の運用が見受けられた場合には、ただちにそうした運用をやめさせることができるような強制力を法律をもって担保すべきです。もちろん、情報の開示延長は政府の独断では不可能。これは最低限の条件です。



 特定秘密法案を作るにあたっては、現行法の不備を補うのが主であるべきです。機密の対象は外交および安全保障に限定し、かつ原発情報のように非開示が国民の生存を脅かしたり権利を侵害してはならないのは言うまでもないです。

 以上をクリアできないのであれば、この法案は政府の「知られたくない権利」を擁護するための法律でしかなくなるでしょう。

「法律婚」の保護のために必要

2013年11月06日 | 民事法関係
婚外子も相続平等 自民が民法改正案了承し今国会成立へ(産経新聞) - goo ニュース

 自民党法務部会(大塚拓部会長)は5日、結婚していない男女間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子と同等とする民法改正案を了承した。党内の保守派議員から慎重論が出たが、最高裁が9月の決定で非嫡出子の遺産相続分を嫡出子の半分とする民法条文を「違憲」と判断したことを踏まえた。
 政府は近く民法改正案を提出するが、公明党がすでに改正案を了承しているほか、野党も同様の法改正を求めており、今国会での成立が確実になった。
 部会では政府が提示した改正案について、「最高裁の判断をそのまま受け入れるのか」「家族制度を守る法整備と合わせて来年の通常国会で改正すべきだ」などの反発が相次いだ。このため、大塚氏が自民党内に特命委員会を設置し、1年をめどに家族制度を守るための諸施策をとりまとめることを提案し、ようやく了承された。具体的には、配偶者の相続割合拡大などを法務省とともに検討する。
 ただ、出生届に嫡出子か否かを記載する規定を削除する戸籍法改正については、「最高裁判決はそこまで求めていない」と異論が相次ぎ、了承は見送られた。これに先立ち、民主党とみんなの党、社民党は5日、民法の婚外子規定を削除する同様の民法改正案を参院に共同提出した。



 私は戦前の「家制度」に賛同する者ではないですが、最高裁の非嫡出子相続分違憲判決には正直失望しました。確かに、私は以前に「非嫡出子法定相続分規定は憲法違反」と主張しました。しかし、かかる主張は今では間違いだと考えています。その理由は以下の通りです。


 まず、民法の家族制度に対する基本スタンス(考え方)です。民法は家族制度について法律婚を定め、法律婚を保護するという立場を採っています。「保護する」ということは、法律婚と類似する他の関係(内縁等)よりも、法律婚を優先的に、すなわち類似する他の関係に差を設けて優遇するということです。そして、その一つが民法900条4号であると考えます。

 したがって、嫡出子と非嫡出子の相続分に差を設けるというのは、法律婚を優先的に保護する以上、許されるべき帰結であるといえます。


 次に、実際上の非嫡出子の相続分についてです。確かに民法900条4号は非嫡出子の相続分は嫡出子の2分の1と規定しますが、かかる規定は強行規定(=当事者の意思によって法律上の規定を覆すことができない規定のこと、たとえば殺人を委任する契約を禁じる民法90条。)ではないので、たとえば被相続人が遺言によって非嫡出子と嫡出子の相続分を平等にすることも、逆に非嫡出子の相続分のほうを多くすることも自由です。

 このように、900条4号は非嫡出子の相続分は2分の1で「なければならない」と規定しているものではなく、相続分は被相続人が自由に決めることができるので、一概に憲法14条に反すると言えないのではないかと考えます。


 3点目として、民法はどのような者であっても法律婚を行えるとしているのに、敢えて事実婚=内縁を選択した以上、内縁関係を選択した者はそこから生じる不利益も甘受すべきです。このようなことを言うと、内縁関係から生まれた子供に罪はないとの批判を受けると思います。しかし、子供に不憫な思いをさせたくないなら上で述べたように遺言で非嫡出子の相続分を同額にすればよいし、内縁から生まれた子供に罪がないからこそ、民法は900条4号において非嫡出子であっても一定程度の相続権を認めているとも考えることができます。それが2分の1である理由は最初に述べた通りです。



 このように考えると、民法900条4号は憲法14条に反するような類の条文ではなく、法律婚の保護を図り、他方で法律婚以外で生まれた子の保護との調和を取り、しかも遺言によって相続分を平等にすることも否定しない、極めて合理的な規定であるといえます。

 したがって、民法900条4号は合憲の規定であると理解しますが、最高裁によって違憲判決が(遺憾ながら)出てしまった以上、しばしば指摘されるように配偶者の相続分を手厚くするなど、法律婚の保護という理念を貫徹した法改正が望まれます。

「政治利用」の可能性は高い

2013年11月02日 | 国政事情考察
山本太郎議員を聴取 閣僚、与野党は批判の嵐…議員辞職要求も(産経新聞) - goo ニュース

 山本太郎参院議員(無所属)が秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した行為について1日、閣僚や与野党幹部から、「(天皇の)政治利用そのもので、議員辞職ものだ」(下村博文文部科学相)などと、批判が相次いだ。自民党の脇雅史参院幹事長は党役員連絡会で、山本氏が辞職しない場合は辞職勧告決議案の提出を検討すべきだとの考えを示した。
 参院議院運営委員会は同日午前の理事会で、山本氏に対する処分をめぐり対応を協議。岩城光英委員長らが山本氏を国会内に呼び、事情を聴取した。山本氏はこの後、記者団に対し「マスコミが騒がなければ、政治利用といわれることはなかった。議会の沙汰があれば受け止める」と述べ、自ら辞職する考えがないことを強調した。
 古屋圭司国家公安委員長は記者会見で「常軌を逸した行動だ。国民の多くが許されざる行為だと怒りをこめて思っているのではないか」と批判。新藤義孝総務相は「皇室へのマナーとして極めて違和感を覚える。国会議員ならば、新人とはいえ自覚を持って振る舞ってほしい」と語った。安倍晋三首相も周囲に「あれはないよな」と不快感を示したという。
 与野党でも厳しい意見が上がり、自民党の石破茂幹事長は記者会見で「見過ごしてはならないことだ」と言明。公明党の井上義久幹事長は「極めて配慮に欠けた行為だ」と指摘した。
 日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は市役所で記者団に対し「日本の国民であれば法律に書いていなくてもやってはいけないことは分かる。しかも国会議員だ。信じられない」と批判を強めた。民主党の松原仁国対委員長も記者会見で「到底許されない」との認識を示した。



 今回彼がとった行動を「天皇陛下の政治利用」と位置付けるならば、まずは何をもって「政治利用」となるのか、すなわち、「政治利用」の定義を行う必要があるかと思います。

 とはいうものの、この定義は非常に難しいと思われますので、これまで天皇陛下の政治利用が問題になった事例を踏まえつつ、定義をするほかないでしょう。
 ここではその具体例を逐一挙げることはしませんが、私なりに定義すれば、天皇陛下の政治利用とは、「天皇陛下の持っている影響力・権威を笠に着て、自身の政治的イデオロギーに対する正当性を確保・担保しようと試みること」と定義できるのではないでしょうか。

 政治にイデオロギーはつきものですし、それに立脚して行われるのが政治でしょう。そして、利用とは、その字からも分かるように、何かを「用」いることにより、「利」益を得ることでしょう。こうした「政治」と「利用」の言葉の意味からも、天皇陛下の政治利用を上記のように定義することは妥当ではないかと考えます。


 以上の定義と憲法上の天皇陛下の政治的中立性の要請を踏まえ、今回の彼のとった行動が天皇陛下の政治利用に該当するか否か、考えてみたいと思います。


 まず、彼は政治家であり、その信条は脱原発です。ということは、渡した手紙の文面がどのようなものであれ、そこにおいて原発問題を取り上げている以上、その手紙には彼の政治的スタンス・イデオロギーが反映されていると考えるのが普通ではないでしょうか。

 次に、マスコミも同席し、各方面から名士たちが招待された園遊会という場で、このような手紙を渡すという今回の彼の行動は、いわば「場を利用した」売名行為とまではいかないにせよ、自身の政治活動の宣伝行為と取られても仕方ないでしょう。

 そして、天皇陛下に(直接)手渡すという行為は、少なくとも表面的には、天皇陛下の有する影響力・権威を「利用して」、政治を動かそうと試みたものと理解されるものです。

 そもそも、さすがの彼も、天皇陛下に政治的権能が存在しないことは知っているでしょう。原発問題は政治がどうにかすべき問題です。そうである以上、政治的権能を有していない天皇陛下に手紙を渡しても、何か具体的に原発問題が進展するわけではないでしょう。というか、天皇陛下の政治的中立の要請を考えれば、このようなことで原発問題を動かすべきではありません。手紙を渡す相手を間違っています。渡すならば、せめて内閣総理大臣の安倍晋三氏に対してでしょう。

 このように考えると、純粋な気持ちの発露からではなく、彼は「わざと」天皇陛下に対して手紙を渡すことで、その影響力を利用して、自分のやっていることの正当性にお墨付きを得ようとした(箔をつけようとした)、あるいは天皇陛下の存在を利用して原発問題を自分の描いたシナリオに沿って進めようとしたからこそ、彼はこうした行動をとったのではないでしょうか。

 したがって、彼が今回やったことは、紛れもなく天皇陛下の政治利用といえるのではないでしょうか。少なくとも、政治利用とまで断言できないにしても、天皇陛下のお立場、園遊会の趣旨等を考えれば、TPOを弁えていないのは言うまでもなく、かつ極めて幼稚で不適切極まりない愚挙だったことは間違いありません。



 脱原発を訴えるのは大いに結構です。しかし、これまで述べてきたように、今回の彼の行動は論外です。